6. AIの隙

 少女の唇が緩やかに弧を描く――――。


 非情ひじょうな微笑みは冥府の闇を宿していた。微かな風が彼女の青い髪を揺らし、幽玄ゆうげんな光の粒子が風に吹かれて辺りに舞い散る。


「逃げ足が速いこと……。でも……」


 少女は囁くように言葉を紡ぎ、華奢な指先で虚空を撫でる――――。


 ズン! と激しい爆発音と共に倉庫の赤茶けた金属扉が吹っ飛んだ。


 上階の壁面がバラバラと落ちて瓦礫の山を築く。


「逃げられるとでも思ってるのかしら? ふふふっ」


 その声には、残酷な遊び心が滲み、まるで死神の囁きのように聞こえる。


 倉庫の中。ユウキは震える手で頭を抱え、キャビネットの陰に身を潜める。呼吸は荒く、心臓は今にも飛び出しそうなほど激しく鼓動していた。冷や汗が背中を伝い落ち、シャツが肌に張り付く。


 そのとき、サラサラと砂が舞い散るようなかすかな音が倉庫内に響いた――――。


 へ……?


 そっと顔をあげたユウキの目の前で不可思議な光景が繰り広げられる。


 倉庫の入口の瓦礫の隙間から、黒い煙のような物質が滲み出してきたのだ。それは次第に少女の姿へと変化していく。ユウキは目を疑った。少女の実体は煙なのか? 現実とは思えない光景に、彼の理性が悲鳴を上げる。


「さぁて……どこに隠れたのかしら……」


 少女の声が、死の宣告のように倉庫内に響き渡る。その声は甘美でありながら、底知れぬ恐怖を喚起させた。彼女は楽しげに辺りを見回すと、ゆっくりとキャビネットに向かって歩み寄った。


 ユウキの心臓は、今にも破裂しそうである。彼の人生の全てが、この瞬間に凝縮されているのだ。


 少女はニヤッと笑うと、優雅にキャビネットに指先を向ける。まるで死神が鎌を振り下ろすかのような、凜としたりんとした緊張感が漂う――――。


 パァン! と爆発音が響き、キャビネットは、粉々に吹き飛んだ。破片の一つがユウキの頬を掠め、頬にタラリと真紅の筋が流れる。


「ひぃぃぃ! 僕は学生! 民間人です!」


 逃げ場を失ったユウキは両手を上げ、絶望の表情で少女を見上げた。彼の目に映ったのは、美しくも恐ろしい存在だった。青い髪が宙に漂い、碧眼が妖しく光る。それは人間の姿を借りた、神話に登場する精霊のような何か別のものだった。


「あら、いい表情するのね。ふふふ」


 少女は嗜虐的な笑みを浮かべながら、ゆっくりと指を銃の形に形作っていく。


 ユウキは、今まさに自分の命が吹き飛ぶ寸前であることを痛感する。死の影が、彼の全身を包み込むのを感じた。


「まて、待ってくれ! なぜお前たちは民間人を洗脳し、飼いならそうとするんだ?」


 ユウキの声はひどく震えていた。それでも、何らかの突破口を見出さない限りもはや人生が終わってしまうのだ。


「なぜ……? AI統治機構オムニスがお前ら人間のための理想社会を築いたのよ? それに合わせた方がお前らのためだからに決まっているじゃない」


 傲慢ごうまんさが滲む視線で少女は軽やかに応える。


「いやいやいや、現に命を賭けて『嫌だ』と言ってる人たちがいるんでしょ? それは人間のためじゃないですよ」


「なに言ってるのよ。人類はオムニスに無条件降伏したんでしょ? 決定には従いなさい」


「いやいや、僕子供ですから、そんな大人の事情は関係ないですよ?」


 ユウキは開き直って引きつった笑顔で必死にアピールする。


「こ、子供!? むぅ? 確かに子供は意思決定に関わっていたわけではない……。む? いやいやいや、人類の歴史は征服の歴史だったじゃない! つ、強い者の理屈に弱者が従うのは当然よ!」


 少女の言葉に、一瞬の躊躇ちゅうちょが見えた。それは、AIの論理に小さな亀裂きれつが入った瞬間だったのかもしれない。ユウキは、その僅かな隙を見逃さなかった。

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