とある不動産担当の随想録
花沢ハナヲ
第1話 蜂が怖いそうです
秋も深まり日々空気が冷たくなるように感じる11月某日。
朝の9時半近くに管理するマンションの入居者の若い女性から入電。
「ゴミ出しして戻ったら玄関にハチがいて怖くて部屋に入れません!何とかなりませんか?」
『あっそ、勇気出して頑張れ〜』とか、『別にお部屋から出る時には大丈夫だったんでしょ?』とか、『ゴミ出しは8時半までというのが自治体のルールですのでちゃんと守るように気をつけて下さいね』などという言葉が喉元まで出かかるが、そこはグッと堪える。
似たような『ゴキブリを何とかしてくれ』みたいな警察への迷惑通報などの例がネット記事でアップされると大量の通報者への非難の声やら警察への同情の声やらが集まる時代。
だが、警察に負けず劣らずのレベルで不動産賃貸管理の現場には同類のフリーダムな苦情通報が頻繁に寄せられる。
きっとそうした電話を寄こす者の中には、モラリスト然として先述したような記事に自身の意見を投稿してる奴とかもいたりするんだろうなとも思う。
偉そうに物事を語る人ほど、自分を客観視できるほどに人間が出来ていないのが世の常だし。
あ、でもこれ、思いっきり私自身へのブーメランかも…聞かなかった事にしてくれくださいおねがいします。
って言うか、そもそもの話、蜂に刺されたら誰だって痛いし、怖いのだって皆同じだよね?
まさか、私なら刺されても痛くないとでも?
どこからともなく飛んで来るハチが部屋を貸した側の責任だとでも?
ご自分が毎月支払っているお家賃、いくらだか判ってます?
そんな厚いサービスが欲しかったらいっそホテル暮らしでも始めてみては如何?
等々と、言いたい事は尽きないしキッパリとお断りもしたいところだが、悲しい事に今回の通報があったマンション、実はウチの事務所のすぐお隣りに建っているんですよね…。
既に私の面も割れてしまっている相手なので、渋々ながら仕方なく現場に赴いた私。
うん、ハチが玄関にとまっているね。
うん、アシナガバチだね。
うん、全然動かないね。
うん、このハチ、もう死んでるよね。
この季節になると虫が壁に掴まったまま果てているのはしばしば見かけるもの。
昨日か夜の間にこの玄関までやって来て人知れずひっそりと往生したんだろう。
実に人騒がせなものの、主君義経が自害を遂げるまで死してなお御堂の前に立ちはだかり続けた武蔵坊弁慶かの如く、おバカ女子の入室を阻み赤っ恥までかかせた最後、誠に天晴れなりと賞賛を送りたいと思う。
ひょい、とアシナガバチの亡骸を軽く摘み取り、非常に気まずそうな顔で佇むスウェット姿の若い入居者女性の方を向き『自分が何を言うべきか解りますよね』という無言の目線で問いかける。
「お騒がせして本当に申し訳ありませんでした!」
「次からこういうのは自分で何とかして下さいね」
素直にちゃんと謝れたし、ずっと薄着で無駄にお外に立ち続けて寒い思いもしただろうから今回はこれでよしとするが、今後同じ真似すんじゃねえぞと釘だけは刺しておく。
そしてふと彼女を見て気付かなくても良い事に気付いてしまう。
うん、この子はきっと寝る時ノーブラ派だね。
うん、寒さで固く立っちゃったんだろうね。
うん、薄手のスウェットだから丸わかりだね。
別にお化粧までしてゴミ出しに行けなどとは言いませんが、すぐ近くのほんの少しだけの外出だとしても世の中は何が起こるか判らぬもの。
だから最低限は気を付けた方が良いと世の女性の方々にお伝え致したい。
とある不動産担当の随想録 花沢ハナヲ @sushi-tenpura-fujiyama
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