第3話 空風杏

 放課後になると、俺は家。

 ではなく、バイト場に直行した。

 今日は体調面や中間テストの勉強があることも考慮して、労働時間は三時間に抑えてある。

 接客業のバイトをしているため、疲労度合いは曜日によってかなり変わってくるが────三時間後。


「今日はまだ客が少ない方だったからマシだったな」


 バイト終わり、そんなことを呟きながら家に向けて足を進めた。

 そして、家に到着した俺は、玄関の鍵を開けて靴を脱いでリビングの中に入る。

 すると、そこには明るいブラウンの髪をポニーテールにしている、見慣れた人物がファッション雑誌を読んでいる姿があった。


「ただいま」

「っ!」


 俺の声を聞いたその人物、空風そらかぜあんは俺の方を振り向くと、立ち上がって駆け寄ってきた。


「おかえり、お兄ちゃんっ!」


 そして、明るい笑顔で挨拶を返してくる。

 今日、陽瀬や白百合先輩が、俺の生活を支えるためにも俺と妹と一緒に住みたいと提案してきたが、その妹というのが今目の前に居るあんだ。

 杏は、まだ始めてから一年も経っていないというのに、その恵まれたルックスと努力によって、人気女優と呼ぶに相応しいところにまで上り詰めた自慢の妹だ。

 妹と言っても血の繋がりは全く無い、いわゆる義妹という間柄だが、俺たちはそんなことを全く気にせず互いに兄妹として接している。

 因みに、妹に対してこんなことを考えるのは良くないのかもしれないが、あくまでも客観的な意見として……

 杏の恵まれたルックスというのは、やはりその可愛らしく綺麗な顔立ちに、陽瀬よりは一回り小さいかもしれないが十分に大きな胸。

 そして、服の上からでもわかる綺麗なボディラインという抜群の────


「お兄ちゃん?私の体に何かついてる?」

「っ……」


 無言で自らに視線を注がれていることを不思議に思ったのか、杏が首を傾げてそう聞いてきた。

 これ以上は、というか今でもかなりグレーだが……

 妹に対して考えて良いことなのか怪しいため、俺はすぐにその先を思考するのをやめて返事をする。


「何でもない」

「ふ〜ん?」


 俺が少し気まずくなって視線を逸らすと、杏は「そうだ!」と何かを思い出したように言った。


「お兄ちゃん、帰って来てくれたのは嬉しいけど、どうして朝私とした約束破ったの?」

「約束……?」

「朝、お兄ちゃんの顔がいつもより疲れてたから、今日は体休める日にしてねって言った約束!」

「あぁ、そのことか……でも、それなら俺はちゃんと約束を守ってる」

「守ってるって、もう19時だよ?お兄ちゃんがバイト以外でこんな時間まで外に出る理由なんて────」


 言いかけた杏は、何かの答えに行き着いたように目を見開くと、慌てた様子で言った。


「も、もしかして、できたの?」

「何がだ?」


 続けて、俺の両肩に手を置いて、揺さぶるようにして来ながら言う。


「彼女!お兄ちゃんにもとうとう、彼女ができちゃったの!?」

「か、彼女!?できてない、できてないから離してくれ!!」

「そっか、できてないんだ。……良かった」


 軽く酔いそうなほど揺らされた俺が大きな声で言うと、杏は俺には聞こえない声で何かを呟いてから手を離してくれる。

 が、杏は続けて言った。


「でも、それならこんな時間まで何してたの?」

「バイトだ。杏に言われた通り、今日は体を休めるためにいつもの半分ぐらいの時間に抑えた」

「っ!体休めてっていうのは、働く時間少なくしてって意味じゃなくて、今日はバイト休んでって意味だったのに!」

「あ、そういう意味だったのか?」


 俺が今初めて言葉の意味を理解すると、杏は顔を俯けてから、俺のことをソファに座らせる。

 そして、自分も俺の隣に腰掛けると、俺の方を向いて言った。


「本当、お兄ちゃんのことが心配だよ。もしお兄ちゃんが働きすぎで倒れちゃったりしたら、私……」

「……杏?」


 珍しく、杏が俺に暗い表情を見せたため俺が名前を呼ぶと、杏は目元を暗くして言った。


「お兄ちゃん、私もう、ただお兄ちゃんのことを困らせるだけの妹じゃないんだよ?私を支え続けて来てくれたお兄ちゃんのことを、今なら私も支えてあげられる。体だって、お兄ちゃんと一緒にお風呂に入ってた頃よりずっと大きくなって、服の上から見えないところも成長してるから、もしお兄ちゃんが望んでくれるなら、今すぐどんなことでもしてあげられ────」

「待て、杏。最初の方で言いたいことがあって後半は耳に入って来なかったが、俺は杏のことをただ俺を困らせるだけの妹だなんて思ったことは一度も無い」

「で、でも!私が女優として働くまでの間、お兄ちゃん一人に負担掛けちゃってたり、今もお兄ちゃんは私のために無理してるよね?」

「……確かに、無理をしていることは否定しない」

「っ!だったら────」

「でも、それで俺が困ってるかどうかは話が別だ。俺がそれを無理やりしていたら困ってると言えるのかもしれないが、俺はそれをしたくてしてるんだ。杏には普通に友達と遊んだり、恋愛をしたりして欲しい」

「恋、愛……それって、お兄────」


 何かを言いかけた杏は、その続きを言葉にするのをやめると、少し間を空けてから俺に両手を合わせて今度は明るく言った。


「ごめんっ!お兄ちゃん!いきなり変な空気にしちゃって!」

「良い。むしろ、俺の方こそそんなに杏に心配をかけてしまっていることに気づかなくて悪かった」


 目に見える生活の負担をかけないよう心がけていたが、心の負担まで見えていなかったなんて、兄失格だな。

 バイト先の都合もあるし、すぐに一変させることはできないと思うが、杏のためにも少しずつ自らの体も気にかけていく意識をしていこう。


「ううん、お兄ちゃんは何も悪くないよ!でも、もし私に何かできることがあったら何でも言ってね?お兄ちゃんのためなら、私……どんなことでも、したいから」

「ありがとう、杏」

「うん!じゃあ、お兄ちゃんっ!ご飯できてるから、一緒に食べよ!」

「あぁ」


 俺がそう返事をすると、杏は嬉しそうに笑顔を見せた。

 この妹が、俺の四人の大物な美少女の知り合いのうちの一人……空風そらかぜあん

 さっきはどこか様子がおかしかったが、その根底にあるのは、きっと普段からある杏の優しさだ。

 そして、自分ではあまり認めたくないが、俺には自覚できない抜けているところというものがあるらしく。

 杏は、そんな俺の抜けているところを埋めてくれたりもする、とても兄想いで、俺の支えになってくれている存在だ。

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