カホさん
たなべ
カホさん
病室の窓際は、やはり病室の窓際だった。自分に与えられたイメージが、悉く再現されていると思った。それは埃がなく、清潔で何より無感情であった。私たちは囚人で獄卒から許しを得て、やっと窓際を手に入れたんだ、という根も葉もない考えが私を苛んだ。八年前、祖父が逝った時、もう二度と近寄りたくないと感じたあの窓際がいまは自分の僅か20センチ先、震えるように外と内とを分け隔っている。看護師がさっき、「寝ていらっしゃいます」と言って、病室を出てから幾分か経ったが、まるでこの世界は、この世界の秒針は私たちを横目に、虐げているようであった。痛々しいくらい清冽で、救いようのないくらい脆弱な時間が、ただ、この部屋を静かに蝕んでいた。
いつの間にか、カホさんは起きていた。目蓋の薄く開いているのを私は発見した。カホさんは呆然としていた。この様を見て私は、ひょっとするとカホさんはあの日のまま、何もかもそのまま保存されているのかも知れないと思った。この病室ならそんなことをしてもおかしくなかった。
「平気かい?」
静寂は私の一声で瓦解した。脆く不安定な空気が意味あり気に振動した。カホさんはまだ呆然としていた。私はそのまま静かにした。カホさんは物怪にでも取り憑かれたような風采で、あたかも何か神秘的なものを内包しているかのような具合だった。そして半分起こされたベッドに寝るでもなく、座るでもない格好でいた。私はそこに言い知れぬ悪魔が舞い踊っている気がした。こいつを駆逐するのが私の役目だと思った。私の発声から五分後くらいにカホさんは突然、口を聞いた。
「ねえ、それ、なに」
力なくぶら下がるようにして示した腕の先には、私が今朝買ってきた見舞いの品の袋があった。あっと思った。医者や看護師から様々説明を受けたり、質問をされたりして存在を忘れていたのだ。それは、小さな鉢植えと花の
「これは花の種子だよ。これから育てるんだ」
カホさんは暫し袋を見つめたままだったが、やっと、「何の花?」と漏らした。
「ヤドリギだよ」
病室がカーンと冴え切った気がした。それは、もう後戻りが出来ないような、不思議な気配を私たちに
「ヤドリギって花、咲くの?」
「咲くさ。綺麗な黄色い花が」
「へえ」
カホさんは興味がなかったように見えた。以前、花が好きだという話をカホさんからされたことがあった。その時のカホさんは私の目からは楽しそうに見えたのだが、この記憶もまた地平線の彼方へ行ってしまうようだ。積み上げた塔が崩れて行く。それを自分に起きていることと思えず、私は呆然としている。バベルの塔。天からの
この日は、鉢植えに土を入れ、種子を埋め込む作業を二人でやった。土は思ったより、思った通りに入らなかった。袋から注がれる土はベッドの上にぼろぼろ零れた。投入角度など変えてもその度に土は零れた。急いで土は払って、袋に入れ込んだが、ベッドは土の茶色で少し汚れていた。
******
私とカホさんが出会ったのは、街角のカフェであった。今と同じ、大学生の私は通学路で偶然、カフェらしき建物を見つけたのだ。恐る恐る入ってみると、そこはやはりカフェで、カウンター席の向こうにカホさんがいたのだった。その時、カホさんは焦げ茶と白の上品なエプロンをして、カップを磨いていた。詩美と言う外なかった。そしてカホさんが淹れてくれたコーヒーの味は、鮮烈という訳もなく、かといって優しすぎる訳でもなく、ただ黙って私の隣に座ってくれる、うんうん頷いて肯定してくれる、そんな味だった。忘れられる筈がなかった。私はその時の感情を大学ノートに書いている。
五月十七日 晴れ
カフェに行って、魂の殴打を受けた人間が一人
心にうつる君はあの、檸檬のように
必ずまた会いに行きます
這ってでも会いに行きます
今度は手紙を書かせてください
結局、手紙は書けなかった。恥ずかしかったのと、私には文才がなかった。代わりに授業の合間合間で、カフェへ通った。最初は気恥ずかしくて座れなかったカウンター席にも座れるようになって、カホさんという名前を知って、さらに同い年と知った。そしてある日、病気だと知った。
それは難病だった。一息で全部言えないくらい病名が長くて、何より複雑だった。私はカホさんに初めて教えてもらった時しか、完璧に病名を言えなかった。病気は進行性を有していた。カホさん曰く、安静にしていればしているほど余命は延びるそうだが、正直、焼け石に水とのことだった。それで病室暮らしを辞め、16の時にこのカフェで働き始めた。一度、「どうしてそんなにコーヒーを淹れるのが上手いの」と訊いたことがある。カホさんは暫く考えたのち、「『コーヒー淹れるの上手い病』だからだよ」と誤魔化した。多分、余程苦労しているだろうということが厭になるほど思いついた。
あのカフェに初めて入ってから三か月が経った頃のこと。私はいつものように開店前から扉の前で開店を待っていた。9時57分。あと三分。9時58分。あと二分…!9時59分。あと一分!そして10時になった。大体いつもカホさんは10時00分30秒辺りで扉の奥から出てくる。私はその瞬間を待った。
けれども時間を過ぎてもカホさんは現れなかった。2分経過、音沙汰無し。5分経過、音沙汰無し。10分経過、音沙汰無し…。いくら待ってもカホさんは現れなかった。流石におかしいと思って、12分経過した時点で、思い切って扉を引いてみた。すると、何の感触も無しに扉は開いた。暖簾に腕押しだった。
中は薄明るかった。大きな窓から差す日光が爛々としていた。空調がよく効いていた。無機質に涼しい。ただカホさんの姿が見当たらなかった。カホさん、カホさん…。店内を歩き回る。椅子の下、テーブルの下、さらにはごみ箱の中まで私は大真面目に探した。そうして10分くらい探したのち、そういえばカウンターの中調べてなかったと思って、カウンターに駆け寄ると、そこにカホさんはいた。光の一番当たらない隅の奥の方に蹲るように倒れていた。
何かをあれほど待ち望んだことはなかった。誕生日だって、お正月だって、こんなに待ったことはなかった。それはまるで星空を見上げ、流れ星を見つけんとする幼子の気持ちだった。救急車の到着がこれほど遅いとは思わなかった。
「遅いですよ!」
私は意を決して文句を言ってみたが、救急隊員には届かなかった。無視されたのかもしれない。しかしこのことが、彼らが私よりカホさんのことを重要視している根拠のような気がした。救急車は私の通報から僅か10分で来ていたことが後々分かった。
救急車に乗せられてからは早かった。物事が流水の如く、すらすら進んで行った。あっという間に身元が割り出され(カホさんは救急隊員と顔馴染みだった)、行先が決まった。カホさん係り付けの総合病院には15分で着いた。
カホさんは危篤状態とのことで一時、ICUに入れられた。私は別室へ通され、様々事情を聴取された。これほど真面目に何かを問われたことが今までなかったので、何か自分が嘘を吐いている気がした。この日は大学へは行かず真っ直ぐ家に帰った。そうして暫くソファで呆然とし、
その報せが来た時は、「はっ」と息を呑んだ。周囲の静寂がいやにうるさかった。カホさんがICUから普通の病室へ移ったとのことだった。あの日からはもう一か月が経過していた。
私は心から逡巡していた。心の底から見舞いに行きたいのに、私は小心者だった。カホさんと何を話せばいいのだろう。たった一か月の別離が、永訣のように感じられた。ことあるごとに私は、理由を付け見舞いに行かない、行けない日々を過ごした。それが三週間続いた。
本当に些細なことでそれは終わりを迎えた。私はその時、街道を歩いていた。無頼そうに歩いていた。すると街道筋から一つ折れたところに花屋を見つけた。個人経営のせせこましい花屋だ。歩道に開くように花が展示・販売してある。私は幾重にもなる花の波を見て、ぽつねんと佇んでいた。絢爛豪華な花々。まるで栄衰を知らぬようなその様は、私をいきり立たせた。「この花の枯れるのを見てやろう」私はそういう意地悪根性で一本、赤い花を買った。丁度、その辺のソーダ缶ほどの値段だった。そうして家に帰ると、深さのあるコップに水を浸し、そこに花を挿した。
翌日、花を見てみると、何事もなく赤いままであった。その翌日も見るが、赤。また赤。赤、赤、赤。そうして一週間が経った頃、花は急に醜く褐色となっていた。もう赤の面影はなかった。皺々だった。見ると、水が腐乱しているのが分かった。私はこれが見たかったのか?自問せざるを得なかった。そしてとんだ畜生だと思った。この日はまたベランダに出て、泣いた。しくしく自分を責めた。何という
翌日、またあの花屋へ行った。この時、私にはこの前と違って志があった。私はカホさんの花好きを思い出していた。なるべくカホさんが知らなそうな花がいい。そう思って店内を物色していると、ヤドリギの
******
ヤドリギは私たちを繋ぐ架け橋となった。病院が生花類の持ち込みを禁じていたため、鉢植えを病室に置いて帰ることが出来ず、私は毎回鉢植えを持ち帰った。そして毎翌日、ヤドリギの状況を見せるという口実でカホさんの病室を訪れた。種子は中々芽にならなかった。毎日、毎日カホさんと一緒に水を遣るが、一向に芽は出てこなかった。結局、芽が出たのは三週間後だった。小さな萌黄色の芽が、土の中から顔を出していた。私は大慌てで病室へ行った。しかし病室は空だった。看護師に訊くと、少しばかり検査数値に異常が出たから、検査しているところだということだった。午後2時頃、カホさんは病室へ戻った。芽が出たことを伝え、芽を見せると、カホさんは「やったねえ」と嬉しそうであった。芽に伸ばしたカホさんの手は震えていた。翌日、芽はさらに伸びていた。カホさんは「おおう」と言った。一週間、二週間、三週間。ちょっとずつではあったが着実に芽は成長していた。毎日、私たちは成長を喜んだ。ただこの頃、私が朝、病室に行ってもカホさんがいないことが増えた。いつも看護師に訊くが、いつも検査だと言っていた。
さらに一か月が経過し、芽は10センチほどになった。この頃にはカホさんは別の病室へ移っていた。芽はぐんぐんとは言わないまでも、止まることなく成長していった。だんだん緑色が濃くなって、したたかな色になっていった。
さらに一か月が経過した。芽の伸びは少なくなってきたが、それでも毎日ほんの一ミリくらい長さが変わっていた。芽はしっかりとした健康的な緑を備え、十全たる身体を手にしていた。カホさんとは会えない日が多くなってきた。
また一か月経過。芽はいつまでもその長さを伸ばし続けた。私はこれじゃいかんだろうと思って、鉢植えを一回り大きなものに変えた。芽の長さはもう分からなかった。この日は珍しくカホさんに会えた。カホさんは点滴をしていた。身体も細く、何だかゆらゆらして見えた。養分が足りていなそうなことは誰に訊かずとも分かった。
一か月経過。また鉢植えを交換する。芽の長さはついに地面に着くほどとなった。この頃には、カホさんの病室は関係者以外立入禁止となった。多分、沢山チューブがあって踏んだりすると危ないからだろう。カホさんの病室はどんどんICUに近付いていった。そしてついにカホさんはまたICUに移されることとなった。ICUの部屋の中で臥するカホさんを私は遠巻きでしか見ることが許されなかった。カホさんはずっと目を瞑ったままだ。家に帰るとヤドリギが「おかえり」と言ってくれた(もう病院にヤドリギは持って行けないくらいの大きさになっていた)。私は「ただいま」と呟くと、丁寧に水を遣った。養分溶液なんかも購入して、たまに御褒美のように遣った。ヤドリギは実に従順に育っていった。こんなに成長して、宿主は大変なんだろうなあと思った。
一か月経過。もうこの頃には病院へは行かなくなっていた。どうせICUで横臥しているカホさんしか見れないんだと思うと虚しかったからだ。ヤドリギの芽はついに30センチを突破した。記念に私は養分溶液をじゃぶじゃぶ遣った。鉢の底から溶液が漏れるくらい遣った。その午後だった。私は自室にて寝転びながら思案していた。つまらないこと、大層なこと、面白いこと。そして眠りかけたそこを電話のコール音がつんざいた。いつもより大きくないか、と思った。何事だ何事だと気だるげに受話器を取ると、女性の声がした。看護師だった。いやな予感がした。注意深く聴いた。でも注意何て必要なかった。
私は受話器を置くと、一目散に駆け出し、タクシーに乗り、カホさんの病院に行った。405号室です。受付の方は丁寧に静かに教えてくれた。病院の廊下は走っちゃいけないいけない、と思いつつ殆ど走るような形で、病室へ向かった。
病室には白衣の人間二人と見知らぬ男女二人。扉を開ける私をただ眺めている。ベッドまで向かうとカホさんがいた。いや、あった。見知らぬ男女はカホさんの両親だと分かった。二人はもう涙を流し終えたのか、からからになった目を瞬きで必死に潤していた。両親とは様々に話をした。私とカホさんの関係から何から、ヤドリギのことまで。ヤドリギのことはもう知っているようだった。
「カホのことありがとうございました」
両親は大儀そうにお辞儀をした。
「いえいえ、私は何もしていません。ヤドリギの世話をしてただけですよ」
「そうですか、そうですか」
そう言いながら、両親は何度もお辞儀をした。私は何かいいことをしたような気がした。そして少し調子に乗って「ヤドリギに『カホさん』って名付けてもいいですか」と言った。両親は少しの間の後、「ええ、どうぞ」と答えてくれた。
家に帰ると、またヤドリギが「おかえり」と言ってくれた。「ただいま」私は静かにそう呟いた。夕暮れの窓際のヤドリギは光に映えて美しく見えた。ひょろひょろの身体さえ逞しく思えた。私はまた「今日は特別な日だ。養分溶液を遣ろう」と思って、溶液の容器に手を掛けてみたところ、軽かった。見ると、中は空っぽだった。
カホさん たなべ @tauma_2004
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