第3話 搾乳担当になった。700kgの牛乳を捨てた。
入社数日で搾乳担当として放り込まれた。
搾乳機の使い方、搾乳手順を教わる。
搾乳機本体には、ピストルみたいな部品と、クラゲみたいな管四本の乳首にはめ込む器具。牛の乳首は四本がデフォなのだ。
「牛の乳頭にディッピング液という消毒を吹きかけて汚れを拭き取る。手搾りで乳房炎になっていないか確認、そして搾乳機を乳にはめて起動。搾乳が終わると自動で機械が巻き上がる。簡単だろう」
イチローさん実家の仕事学生時代からやってんだから、そらベテランよ。私は初心者だから、ジロさんがサポートについた。
牛の横に立つと相当でかいのが解る。
私の背丈は157cmだが、立ち上がった牛の背が私の目線よりやや上に来る。尻尾の太さも私の親指より太い。
「
乳房炎の子のおっぱいはガチガチに固くなっていて、乳頭からはヨーグルトみたいな塊しか出てこない。
「牛は臆病だから、触る前に一声かけるんだぞ」
「わかりました。牛さん、搾乳させて……ゴフ!」
牛に触ろうとしたら、目にも止まらぬ速さで蹴られた。プロ野球選手に木製バットフルスイングで殴られるレベルの痛みが走る。
左手首がいかれた。
なんとか乳頭にディッピング液を吹きかけて紙できれいに拭き取り、乳首に触れたら殺意満々の蹴りを食らった。
乳を搾り出すのに、単純に引っ張っても一滴も出ない。親指と人差し指を輪にして乳首を掴み、中指薬指ではさみ軽く力を加えながら下に向かって引く。
なんとか数頭の乳を搾れたが、目標は20頭を一人で搾れるようになることだ。朝の搾乳だけで5ヶ所以上青タンになった。
前日夕方に搾乳した分と、今朝搾乳した分をバルククーラーに保存しておくと、所定の時間に農協の集乳車が取りに来る。
運転手さんは、その日の出荷分を伝票に書きつけてくれる。
朝夕二回搾乳の合計は軽く1t超える。一頭の牛からは朝夕それぞれ平均10kg〜15kg搾れる。
ちなみに牛舎や農協との取引において、牛乳の単位はℓでなく、kg。重さだ。
小さな酪農家の出荷でも1日1t超え。
うっかりミスでもしようものなら、この1tはすべて廃棄となる。
そう、例えば乳房炎の牛乳が混じったときなど。
警告されていたのに私はやらかしてしまった。
乳房炎治療中の牛に搾乳機をかけてしまった。
夕方に搾ったすべてが無駄になった。およそ700kg。1ℓパックにするなら700本だ。
敷地外に廃棄することは法律上禁止されているから、全部バーンクリーナーに流し込んで、うんこまみれの白い川になった。
700kgの牛乳に100gでも乳房炎の牛乳が混じることは許されない。
いっそ殺してほしいと思うほど、絶望感に苛まれた。
牛とオーナーと先輩方みんなに謝るしかない。
世界に飢餓で苦しむ人がいたとしても、乳房炎の牛乳が混じれば全部ゴミだ。日本の食品衛生管理はとても厳しい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます