第30話 アヤシイ噂

「家に戻るのは数日ぶりだけど、なんだか久しぶりな感じがする」

「なんだそりゃ。ただ一人だとやけに広く感じたよ」

「おや、寂しかったんですか?」 

「そりゃな。二人になってからはずっとここで暮らしていたわけだし」

「あっという間でしたね……本当に」


 七瀬は荷物を部屋に置くと、お気に入りのクッションの上でまったりし始める。

 こう見えて意外と繊細というか人見知りな部分があるので病院では気が休まらなかったのだろう。

 決して表には出さないが兄として長年一緒にいるとそういう機微というものが伝わってくる。

 夕食を一緒に食べた後、見ていたテレビを七瀬が消す。


「どうした? もう寝るのか?」

「いえ、良い機会なので言っておこうかなと思いまして」


 七瀬がこっちに向きなおる。

 奇麗な姿勢でいるものだから、こっちも緊張して姿勢を正した。


「兄さん、いつまで危険なことを続けるつもりですか?」

「あのデパートのことか? あれは不可抗力というか」

「それ以前のことです。夜に繁華街の見回りをして、何度も怪我をして帰ってきてますよね」

「知ってたのか」

「あれで誤魔化せていたと思う方がどうかと思いますが……いくらなんでもバレバレです」


 そう言われると反論できない。


「兄さんが私のために色々とやってくれているのは分かっています。でも、私だってバイトもできる年齢だし兄さんだけが大変な思いをする必要はないんです」

「七瀬。お前は俺と違って才能があるんだ。今のうちに頑張れば良い結果を残すことだってできる。そうすれば……」

「そうすればなんですか? 兄さんを踏み台にして得た何かなんて私にとってはたいした価値はありません」

「そんな風に思う必要はないんだぞ。俺が好きでやっていることなんだし」

「せめて夜の見回りはやめて下さい。学校もあるんですからちゃんと寝て欲しいです」

「それは……」


 正論だった。

 正論に対して反論は難しい。

 しばらく黙る。

 静かな時間だけが過ぎていった。


「もう少しで目標額が貯まるんだ。それまで待ってくれないか」

「目標額……ですか?」

「ああ。もっと後から言おうと思ってたんだが、お前の大学資金を貯めてたんだ。どこに行っても大丈夫な額がもう少しで貯まる」

「兄さん!」

「これくらいはさせてくれよ。兄なんだから」


 ようやく納得してくれた。

 これでもうベランダから降りなくてすむと思うとホッとする。

 今思えば帰った後に鉢合わせなかったのも最初からバレてたんだな。

 しばらく続ければ義理も果たせるだろうし、金も貯まる。

 それを機に色々と考えることにしよう。


 それからしばらくは特に何事もなく日々が過ぎていった。

 朝七瀬と一緒に朝食を食べて学校に行き、無難に過ごして夜繁華街に顔を出す。

 繰り返しのような日々だが、割と充実したように思う。

 だが学校で妙な噂が流れるようになった。

 能力を増加させる薬が出回っているらしい、と。

 最初は皆でデマだと思っていたのだが、その噂は一向に消える気配がなかった。


「兄さんの学校でも噂があるんですか? 実はこっちの学校でもあるんですよ。さすがに実物を見た人はいませんけど」

「それは同じだな。ただ実在しているかのような感じでずっと噂だけが独り歩きしてるんだよ。ちょっと不気味な感じがする。七瀬、分かってると思うがそんな怪しい薬には……」

「そんな怪しい物には手を出しませんから安心してください。そもそも私は能力にそれほどこだわりがありませんからね。電気系統の能力は一番就職しやすいと言われてますし」

「なんせ電気は絶対に使うからな。クリーンエネルギー扱いされて火力発電の電力よりも税金が優遇されるらしい。まるで電池扱いでどうかと思うんだが……」

「おかげで小遣いを稼げてます。能力の訓練にもなりますし」


 七瀬にはバイトはしないようにと言ってある。

 その代わりに電気を蓄電池に溜めて企業に売るのは容認していた。

 意外と良いお金になるらしい。

 学業などのバランスを考えれば問題ないやり方だ。

 しかしうちの学校だけの話じゃないとは……。


 その日の夜、見回りが終わった後リカと軽食を食べに行く。

 なんでもクーポンが手に入ったとかで二人組だと安くなるんだそうだ。


「あーそれうちでも聞いたことある。教師が速攻で否定して噂をするなって釘刺してたけど」

「行動が早いな。さすがはお嬢様学校」

「もう、先生止めてよそれ。なんだか恥ずかしい」

「事実を言っただけじゃないか。何を恥ずかしがってるんだ。しかしこうなるともう意図的に噂を広めてるとしか思えないな」

「まーそうだよねー。しかも中身は能力強化でしょ? 嘘だと思ってても気になる人は多いと思うよ」

「だよな。なんていうか人の心に付け込む感じがして嫌な感じだ」

「あはは。先生は相変わらず真面目ー。そこが好きー」

「からかうなよ。だが話を聞けて良かった。怪しげなものを学生に売りつけようとしている連中がいるかもしれないな」


 サンドイッチを食べ終わり、トレーを持って立ち上がる。

 それから伝票も一緒に持っていく。


「ごちそうさまでーす」

「まあクーポンで安いからこれくらいはいいよ。話も聞かせてもらったからな」

「先生のお金で食べるご飯が一番美味しいよ。はいこれ」


 リカに何かを口に突っ込まれた。

 これは飴か。リカがいつも舐めているのと同じものだ。


「先生は正義感が強いからまた首を突っ込まないかだけが心配だよ。ほどほどにしといてね。先生は弱いんだからさ」

「ちゃんと分かってる。俺は俺の周りを守れたらそれで十分なんだ。それ以上は望まないさ」


 飴を舐めながら家に戻った。


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