第21話 見過ごせない

「これは必ず成し遂げなければならないことだ。そして俺たち以外はやろうともしない。なら俺たちがやるしかないだろう。そこに多少の犠牲はつきものだ」

「なんだって壁の外にこだわるんだ? ここでは能力にかかわらず問題なく生きていけるじゃないか」

「それは生きているだけだ。いや、企業に生かされているというべきか。そんなものを自由とは呼べないだろう?」


 ジェスターの言っていることは分からない。

 壁の外に出れなくて困ったことなど一度もないからだ。

 だがジェスターには強い意志があり、考えを変える気は一切ないことだけは分かる。

 こっちを見る視線の強さがそれを物語っていた。

 ジェスターの手が俺に近づいてくる。


 恐怖と緊張で唾を飲みこむ音がやけに大きく聞こえた。

 あと少しでジェスターの手が触れそうになった辺りで電話が鳴る。

 協会の副会長からの連絡だ。

 ジェスターはすぐさまそっちへ移動し難を逃れた。

 数歩後ずさった辺りで足の力が抜け、倒れるように腰を打つ。

 何もできない自分が情けなかった。


「どういうことだ? 前回とは随分と話が違うじゃないか。交渉の余地すら与えないつもりか?」

「協会と企業の緊急会合の結果だ。例えどれだけ犠牲が出ようとも、テロリストの要求は飲まないという意志を改めて確認した」

「そうかよ。ここにはそれなりの連中が集まってるがそれでも替えが利くってわけか。ならそれを後悔させないといけないな。通話は切るなよ? 被害が増えるぞ」


 ジェスターは電気をつけると人質の人たちを値踏みするように見つめている。

 その中で真美ちゃん親子に目をつけたようで、近づいていく。

 周囲の人たちは慌てて離れるが真美ちゃんとその母親は動けずその場にいた。

 猛烈に嫌な予感がする。


「こい」

「い、いや。離して」


 拒否も虚しく真美ちゃんと母親は無理やり立たされて通信電話の前へとジェスターに連れていかれた。

 起こされた真美ちゃんは何が何だか分からない様子だ。


「いい機会だ。俺たちがどれだけ本気か分からせる見せしめが必要だよな」


 真美ちゃんの母親は呆然とする真美ちゃんを守る様にして抱き抱える。

 だがその姿はあまりにも弱々しい。


「やめて下さい。私たちが何をしたっていうんですか!?」

「恨むんなら、弱くて運がないことを恨むんだな。おい、あれ持ってこい」

「へい」


 トージェンはいつの間にか部屋の片隅に置かれていたポリタンクを抱えて持ってくる。

 ジェスターはそのポリタンクの蓋を開けて、中身を二人にぶちまけ始めた。

 見た目は透明な液体だが、その正体はすぐに匂いで分かる。

 これはガソリンだ。


 二人の全身がガソリンで濡れてしまう。

 それから気化したガソリンのむせるような臭気があっという間に部屋を満たし、咳をするものが多数出た。

 慌てて近くの窓を開けて空気を入れ替える。

 ジェスターは遠くへポリタンクの中身を空にして放り投げた。


「よせ、何をする気だ!? お前は正気か!?」


 通話画面の奥で副会長が立ち上がり蛮行を止めようとしている。

 だが画面の奥から響く言葉はジェスターには何一つ届かないようだ。


「俺が狂っているように見えたなら、それはきっとお前らが狂っているからだ。だから正気を取り戻させてやる。壁という檻に捕らわれているという真実と共にな」


 ジェスターは懐からライターを取り出すと、ゆっくりと火をつけた。

 不自然なほどの静寂に包まれた部屋でシュボっという着火音がハッキリと耳まで届く。

 ガソリンが気化した場所でそれはあまりにも自殺行為だ。


 幸い部屋の空間ごと燃えるようなことはなかったが、ジェスターは火のついたライターをそのまま真美ちゃん親子の方へと投げ捨てた。

 ガソリンがこれだけある状態で一度引火すれば消火することは難しい。

 いや、例え消火できたとしても医師すら呼べぬこんな状態でどうやって治療するというのか。

 そんなことを考えながら足は既に二人へと向かって走っていた。


「先生、ダメ!」


 リカの制止する声が聞こえた気がするが無視した。

 我慢することで被害を少なくしようとしたが、これ以上見過ごすわけには行かない。

 そんなことをすれば自分を許せない。

 普段から体を鍛えておいてよかったと心の底から思った。

 ぐんぐんとライターまで迫り、あと少しというところで能力を使って引き寄せキャッチすることができた。

 ガソリンの水たまりを飛び散らせながら間に合わせる。

 俺はすぐに火を消し、ライターの蓋を閉じる。

 そして二人を守る様にしてジェスターの前へと立ちふさがった。


「見せしめが二人から三人になっても、そう変わらない。そう思うだろ? お前も」

「思わない。あんたたちの言葉には何一つ同意できない」

「そうか。残念だ」


 ジェスターは本気で残念そうな顔をした。

 これだけのことをしておいて理解されると本気で思っているのだろうか?

 壁越えが彼らの成し遂げたいことだとしても、なぜこんな真似をするのだろう。

 本来積み立てていくべき誠意を投げ捨て、暴力で目的を果たす人間を許すことはできない。


「今のうちに離れて」

「トージェン、手を出すなよ。憂さ晴らしに少し遊ぶ」


 真美ちゃん親子を逃がし、隠し持っていた警棒を装備した。

 ジェスターは鉄化する能力を使って両腕を変化させていく。

 両腕の拳を勢いよくぶつけると、鈍い金属の音が鳴り響き火花が飛び散る。


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