第6話 水を飲むのが下手

 野良猫に餌をやるのはよくないと言われているが、こうも甘えられては見捨てられる気がしない。

 飼えればいいのだが、マンションは残念ながらペット厳禁だ。


「分かった。お前の飯は用意してやる。……あれ、お前」


 猫はよく見ると桜の木の上で震えていた猫だ。

 毛の模様に見覚えがある。

 四区から結構距離があるが移動してきたのか。


 見かけた人間がいたから餌を貰いにきたのだとすれば中々図太い精神を持っている。

 この愛嬌で生き延びてきたのかもしれないな。

 妹にも見せてやりたい。


「よし、飯をやる代わりに写真を撮らせてくれ」


 こっちの言葉が分かったのか、お腹を見せて可愛いポーズをしたので写真に収めた。

 約束通り餌を買うためにゲートから出ようとしたところ、猫が突然工場の裏へと走り始めた。


 どこに行くのかと追いかけると、ゲートの方で車の音がする。

 黒い車が敷地内に入ってきた。車に驚いて移動したに違いない。

 この工場の関係者だろうか?

 挨拶に行った方がいいと思ったが、車から男たちが出るとさっさと事務所に入ってしまった。


 事務所を開けられるということはやはり関係者らしい。

 挨拶するタイミングを失ってしまったな。


「ほら、いくぞ」


 猫を抱いてゲートを出る。

 ゲートは彼らが閉めてくれるだろう。

 猫を連れてコンビニに移動し、待っているように言って手を洗ってコンビニに入り猫の餌を買う。


 ここで餌をやると迷惑になるな。

 一旦離れる。猫は素直についてきた。

 ある程度移動して近くに家のない場所まできたら袋を皿にして餌を与える。

 飲み水はミネラルウォーターを手ですくって飲ませてやった。

 舌を出してピチャピチャと水を飲む。


「お前、水を飲むの下手だな」


 腹が減っていたのだろう。

 全て食べ終わると、満足したような顔をしてどこかへ行ってしまった。

 野良猫は自由だなと見送る。

 片づけをした後は電車へと向かい、帰路についた。


 電車に乗っている間に確認のメールが届く。

 後は協会に行けば報酬が貰えるので、買い物ついでに寄って行こうかな。

 降りる予定の駅をスルーして協会へと向かう。

 昼過ぎだからか人の姿も少ない。


 休みにまで働きたがる人はそれほどいないか。

 俺にとってはライバルが減って助かる。

 受付の三峠さんの所へ行き、依頼の完了を告げる。

 するとクールな表情が笑みに変わる。


「相変わらず仕事が早いね。とってもいいことだよ」

「思ったより楽でした。こういう依頼があったらやりますよ、俺に回してください」

「うん、助かる。今のところはないけどその時はよろしくね」


 顛末に依頼料が振り込まれる。

 依頼主からの仕事の評価も満点だった。

 半日ほど潰れたが、それ以上の価値があった。

 ヘルメットも手に入ったので何かに使えるかもしれない。

 協会を出た後はスーパーに立ち寄り食料を買う。


 一番貧しかった頃は食材をカゴに入れるのも躊躇するほどだったが、今では必要な分を買うのに躊躇することはない。

 貧乏は心まで蝕むということを身に染みて理解した。

 妹にも苦労をさせたと思う。これからもしっかり稼いで妹が一人立ちするまで金に困らないようにしないと。


 買い物を済ませて端末で支払いをする。

 家に帰ってきたが妹はまだ帰宅していない。

 冷蔵庫に食材を入れると手持ち無沙汰になってしまった。

 いまのうちに掃除をしてしまおう。

 掃除機の電源を入れて鼻歌を歌いながら床を奇麗にする。

 妹の部屋もついでに掃除すれば手間が省けるのだが、絶対に入るなと厳命されていた。


 年頃の女の子だ。見られたくないものもあるのだろう。奇麗に掃除することを条件に立ち入らないと約束している。

 掃除を終わらせて、ヘルメットを自室のタンスに入れる。

 会社名の<高川めっき>というロゴが付いていた。

 あの工場を経営していた会社だろう。


 あんなに立派な工場があるのに廃工場になるなんてもったいない。

 設備も奇麗だったし、すぐにでも動かせそうだった。

 もしかしたらそのために定期的に確認しているのだろうか。

 夕方までベランダで筋トレに励む。


 身体は資本だ。協会の仕事を続けていくなら鍛えておいて損はない。

 シャワーを浴びて汗を流した後は着替えて夕食の準備を始めた。

 食事は朝は妹の七瀬が用意し、夜は俺が準備することになっている。

 休日なんかの昼は適当に、という感じだ。


 きっと疲れて帰ってくるだろうから食べやすくて栄養のあるものが良いな。

 買ってきた食材で親子丼をつくる。

 味噌汁と野菜の浅漬けを添えればバランスもいい。


「ただいまー」

「おかえり。楽しかったか?」

「ん、まあね。あーいい匂い。お腹減った」

「もう食べれるよ。飯にしようか」

「やった。いただきまーす」

「おい、手を洗ってからだ」


 そんなこんなで夕食を終える。

 今日はパトロールのシフトに入っていないので、普段寝不足な分ガッツリ寝るつもりだ。


 登校の準備を整えたら布団に潜り込む。

 良い感じの睡魔が襲ってきた。これならすぐに眠れる……。

 夢も見ないほど深い眠りについていたのだが、軽い衝撃を感じて目を覚ます。

 何事かと暗闇の中で隣を見ると、妹が布団に潜り込んできていた。

 シャツを掴んで離さない。


 パジャマ代わりの大きなTシャツを着て、眠っている。

 先ほどの衝撃は妹か。いつの間に潜り込んできていたのだろう。

 深夜にたまにこうして潜り込んでくる。何か怖い夢でも見たのかもしれない。

 パトロールをしている時間には来ないようだ。


 俺の隣で安心して眠れるなら好きにさせておく。

 翌朝、目を覚ますと妹は居なくなっていた。

 だが布団に残っていた温かさが直前までそこにいたことを示している。

 このことを言うと恥ずかしがるかも知れないので、気付いてない振りをしておくか。

 相談したいことがあるならちゃんと言う子だ。


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