不測の事態

 燃え盛る5mの巨体が真正面から全力で突っ込んでくるというのは、死なない身体と言えど恐怖を覚えざるを得なかった。


 それでも俺と勇希は火熊をギリギリまで引き付けてから、左右へ飛び退き突撃を回避する。


 掠ってすらいないが、HPが僅かに削れた。どうやら身に纏っている炎はかなり飾りなんかじゃなく、しっかりと熱いらしい。


 しかも、焚火程度なら素手で触ってもHPの減らない仮想体がダメージを負っているのだから、相当な高温のようだ。


 近づいただけでダメージを食らうのは、マズいな。


 すでに4割を切っているHPバーを確認しながら俺は内心で舌打ちする。ただでさえ攻撃時にHPを消費するのに。相性が悪いにも程がある。


 勇希にはカッコつけて逃げろと言ったが、残ってくれて助かった。


 短期決戦。それしか勝ち目はない。


 火熊は二手に別れた俺たちに戸惑い、湖の前で立ち止まって交互に睨み付ける。


 勇希の方へ向かってくれたら後ろから全力の一撃を入れてやろう、と考えていたが、火熊はターゲットを俺に定めたらしく、俺の方へと向かってきた。


 どちらが弱っているのかは本能で感じるのだろうか? 何にせよ、これはかなりヤバい状況だ。


 間合いを詰めるとすぐに、火熊は腕を振り回して俺の息の根を止めようと躍起になっている。


 グレートグリズリーと違って振るわれる腕は当たらなくとも脅威だ。


 一撃でも食らえば即死なのは当然として、躱しているだけでも剛腕が掠めるたびに火の粉が舞い、俺のHPを削っていく。


 攻勢に転じようにも、動くたびに纏っている炎が揺らめいて火熊の輪郭をぼやけさせ、うまく隙を掴むことができなかった。


 HPが3割を切ろうとしたタイミングで。


「スキル――跳鎖闘剣とさとうけん!」


 火熊の頭上を勇希が舞った。身をひるがえしながら剣を振るい、背中から頭部へかけて剣撃をお見舞いする。


「――浅いっ」


 勇希が表情を歪めて呟いたのが聞こえた。確かに彼女の刃は毛皮と皮膚を削ったものの、掠り傷程度にしかダメージを与えられていなかった。


 それでもヘイトを買うには充分だったようで、火熊は俺から勇希へと意識を移した。


「きゃーっ! こっち来たぁ!」


 叫びながら勇希は火熊の攻撃を避けている。しかし、俺と同じようにダメージは受け続けているだろう。


「勇希! 一瞬だけでいい、大きな隙を作ってくれ!」


 俺は森の中を移動しながら勇希に言った。


「えぇっ!? わ、わかりました。やってみます!」


 俺は一定の距離を保ちながら戦いの様子を見守る。勇希はヒラリ、ヒラリと紙一重で攻撃を避け続けていた。


 勇希は今まで配信を意識して喋り続けていたが、俺が注意を引いてくれと頼んでからは火熊との戦いに集中したのか、一言もしゃべらなくなり、鋭い眼光で隙を窺っている。


 躱し、剣でいなしを繰り返していると次第に火熊の方に苛立ちが募っていくのがわかった。そうしてついに、じれったくなったのか両腕を振り上げ、力いっぱいに勇希へ目掛け振り下ろす。


 火熊の強烈な一撃が地面を穿った。距離の離れている俺にも振動が届くほどの衝撃だったが、大ぶりな攻撃を勇希は軽し、怯むこともなく勝機を見出して剣を振るう。


 剣先は火熊の、鋭く勇希を見据えていた眼光を切り裂いた。


「グァァオオオオッ!」


 これまでの、相手を威圧する咆哮ではなく悲痛な叫びを上げながら傷ついた右目を抑え、仰け反る火熊。


 けれど、そこは適性レベル50以上と評される猛者――即座に闘志を取り戻して戦闘態勢に戻るが。


 そこに勇希の姿はなく、代わりに俺が懐へ入っていた。


 戦闘していた相手が入れ替わっていることに対する刹那の戸惑い。それが致命的な隙となった。


「食らえ――会心撃ッ!」


 エーテル強化した渾身の一撃が炎を突き抜け、分厚い毛皮を突き抜け、火熊の腹部にめり込む。


 しっかりと芯を捉えた殴打は、ほんの数瞬抗おうとした火熊を吐血させて殴り飛ばす。


 燃え盛る森の中を通過し、火熊は湖へとその身を投げ出して、着水した。


 ボシュウッ! と熱が急激に冷める音が響き、水蒸気が立ち上る。


 残りHPが1割を切った。しかし、俺と勇希は同時に湖へ駆け出す。


 真っ白な煙の中で立ち上がる大きな影。湖の浅瀬には炎の鎧を失くした火熊が、尚も闘志を漲らせた瞳をこちらに向けていた。


 そんな火熊へ、勇希が跳躍して接近する。立ち上がったはいいものの、俺の一撃のダメージで動けずにいる火熊は、ただ勇希を見上げていた。


 そんな火熊の頭部に、勇希は剣を突き立てる。


 剣は火熊の額を捉え、見事に突き刺さった。だが、刃先が僅かに入っただけで、それ以上は強固な頭蓋に阻まれ、侵攻を止めてしまう。


「ウソ!?」


「勇希! 離れろぉ!」


 俺は叫びながら、エーテルで強化した足で勇希と同じように飛び上がる。


 俺の接近に気づいた勇希が剣を離し、火熊の頭部から飛び降りた。


 俺は頭上で両手を組んで固めて、両腕をエーテルで強化した両拳をハンマーのように火熊の額に立つ剣の先端へ叩き込んだ。


 鈍く重い音が響き渡り、刃は深々と突き刺さる。


 火熊は断末魔を上げることもなく仰向けに倒れ、俺は湖へ落下した。


 幸い陸地に近い位置だったのでギリギリ足が届く。エーテルで強化した足も、多少の違和感は覚えるが骨までは折れていないようで、なんとか立っていることができた。


「やった……やりましたよ、マルフジさん! わたしたち、たった2人でユニーク個体を倒しちゃいました!」


 きゃー! と陸地で勇希が歓喜の声を上げる。そんな彼女の元へ、苦笑しながら陸へ上がるついでに近づいて行く。


「おー、おー、それは凄い。やったなぁ」


 正直、この世界に来てから謎のサンショウオやユニーク個体としか戦っていないから、まだ凄さのレベルが掴め切れていなくていまいち喜び切れない。


 というか、すげぇ疲れた……。久しぶりに仮想体を全力で操作したから、疲労感が半端ない。


「いや、テンション! 低すぎますって! もっと喜んで……」


 水から上がった俺を見て、勇希がはたと言葉を止める。その表情は笑顔のまま固まっているが、視線は俺の身体に集中していた。


 勇希の視線の先にある俺の両腕は、見事にポッキリと折れてあらぬ方向へ曲がっていた。


「え、えぇーっ! どうしたんですか、その腕!」

 

「あー、ちょっと張り切り過ぎたみたいだ」


「ちょちょっ! HPは!? もうないんですか!?」


「あぁ、見事に0だ」


 実のところ、HPが0になったからと言ってすぐに仮想体が消滅するわけではない。核さえ無事であれば維持は可能だ。


 ただ、身体の損傷の修復ができなくなるので、こんな痛々しい姿を晒すことになってしまう。


「と、とにかく回復ポーションを飲んでください! そのままじゃ配信事故なんで!」


「すまん、手持ちに回復薬がなくて、ひとつ貰ってもいいか」


「あげますあげます! というかその腕じゃ飲めませんよね。だったらわたしが」


 勇希が回復アイテムを取り出そうとしたその時だった。湖から大きな水飛沫が上がった。


 現れたのは火熊だった。頭に深々と剣が刺さっているにも関わらず普通に……いや、最後の力を振り絞って立ち上がったようだ。


 そして火熊は口を全開にしていて、喉の奥で業火が揺らめいているのが見えた。


 何か攻撃を仕掛けて来る。それを察した瞬間、俺は咄嗟に勇希の前に出て庇う構えを取る。


 例えエーテルが使えなくとも、守り切れなくとも多少は勇希への被害を減らそうと思った。


 だが――。


「スキル――雷神らいじん拳雷けんらい


 何者かの声が聞こえた直後、雷鳴が空気を裂く凄まじい音が轟き渡り、空から降りかかった雷が火熊に直撃した。

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