ままならぬ戦闘
熊だ。赤茶色の体毛の、3m近い巨体。先ほどの悲鳴の主であろう鹿みたいな動物の首元には強靭な牙が深々と突き刺さっている。手に生えた爪も刃物のように長く鋭い。
俺たちの世界の熊のような愛嬌は一切なく、貌には凶悪さが全面に出ており、一目で魔物だとわかる。
熊の魔物はギロリと、敵意に満ちた瞳を俺たちの方へ向けた。
「グレートグリズリー!」
勇希が叫ぶのと同時に、グレートグリズリーは加えていた獲物を雑に投げ捨て、咆哮を上げた。
「グオォォォォッ!」
低く乱暴な声が辺りにこだました。突っ込んでくるか、と身構えるがグリズリーは用心深く俺たちを睨み付けるだけで動こうとはしない。
しかし周りで、ガサガサと豪快に草木の揺れる音がする。
「仲間を呼んだのか」
吠えたのとは別で、森の中を高速で動く赤茶色の塊が見えた。それを目で追っていると、森から俺たちが歩いて来た道へ、グリズリーが飛び出して来た。
俺たちと向き合った瞬間、グリズリーは迷いなく突撃してくる。今度こそ迎え撃ってやろうと身構えれば、俺が動く前に勇希が駆け出した。
「まずはわたしが行きます! マルフジさんは援護を!」
先を越されてしまったが、この場の主役は彼女なので大人しく従うことにしよう。いや、ここは師事役らしく後方で見守る方がいいだろうか。
なんてことを考えている間に勇希はグリズリーの間合いに入る。
対するグリズリーは突撃の勢いを落とさないままに、真正面から向かってきた勇希を迎え討とうと右腕を振るった。
勇希は走りながら身を屈めて腕を躱すとグリズリーの懐に潜り込み、鞘に納めたままの剣の柄を握った。
「スキル――
グリズリーとのすれ違いざま、勇希は凄まじい剣撃を繰り出し、相手の右半身に無数の切り傷を刻み込んだ。
軍服とドレスを合わせたような衣装が、勇希の華麗で洗練された動きに合わせてヒラリと舞う姿は、まるで踊っているように美しかった。
恐らくは画面映えを意識した動き。それでいて有効な攻撃にもなっているようで、グリズリーの分厚そうな毛皮が裂け、傷口から紫色の血を噴き出させる。
致命傷とまではいかないが、良いダメージを与えられたようだ。なるほど、ああやってほどほどに攻撃を与えていくわけだ。
感心していると背後で殺気を感じた。咄嗟に振り返れば、先の2体よりも一回り小さいグレートグリズリーが茂みから飛び出して、俺に襲いかかって来た。
どうやら奇襲を仕掛けて来たようだ。
両腕を広げて俺のことを捕まえようとしてきたグリズリーを、俺は一歩、飛び退いて回避する。
しかし、距離を空けることなくそのまま拳を握り締めた。
俺も良い所を見せておかないとな。
エーテルを操作し、右腕に集中させる。一瞬、違和感を覚えたが構わずベアハッグに失敗し、体勢を崩して隙を晒しているグリズリーへ拳を叩き込む。
直後、グリズリーの胸元が弾け飛んだ。
……加減をミスった。
いくら魔物と言えど胸元に大きな風穴が空くとどうしようもないらしく、グリズリーはそのまま力なく後ろへ倒れ込む。
「え、ええーーーー! マルフジさん、なにやってるんですか!?」
「すまん! グロ注意だ!」
「いやいや、忠告遅いですよ! ってそうじゃなくて、均等にダメージを与えないといけないって言ったじゃないですか! ついさっき話しましたよね!?」
「ちょ、ちょっと張り切り過ぎたんだ! 次は上手くやるから!」
適当な言い訳を口にしながら、俺は身体の違和感を思い返す。
明らかに以前までの仮想体とは力の引き出し方が違う。感度が良すぎるんだ。
ほんの少しだけ力を引き出そうとした俺の意志に反して全開の一撃が発せしてしまった。
それに加えて、HPが2割ほど削れている。
過剰なエーテルの放出は、強烈な攻撃や防御に応用できる反面、反動で自分にもダメージを負ってしまう。
つまりはHPを犠牲にしてしまうということだ。
MPでも攻撃や防御への応用はできるが、俺は扱えない。昔からMP自体は存在していたが、使うのはどうも苦手だった。
HPはアイテムを使用すれば回復できるが、俺は持ち合わせていないし、勇希から譲ってもらうのも忍びない。
それに、例え回復できるとしても自傷攻撃を連発していればあっという間にガス欠だ。ちゃんと調整して戦わないと。
「マルフジさん! 森の奥の2体をお願いします!」
勇希はカウンターを決めたグリズリーと、新しく出て来たグリズリーの合わせて2体を相手にしながら俺へ指示を飛ばしてきた。
森の奥へ視線を向ければ、一番最初に咆哮を上げた奴の近くにもう1体、仲間が増えていた。しかし、警戒してか、俺の動向を探るようにして近寄っては来ない。
「わかった! あっちは任せろ!」
俺は森の中へと飛び込んだ。クエストでは6体のはずだが、もう1体もどこかに潜んでいるのだろう。
発見次第、そちらも同時に叩かなくてはならないとなると、やはり各個撃破できない集団戦というのは厄介だ。
下手に加減せず、全てを一撃で倒すか? 3体ならHPにも余裕はあるが……いや、全力の一撃は外した場合でもHPが減少する。いくら熊型の魔物とはいえ、相手は俺にとってまだまだ未知の存在。不測の事態には備えるべきだ。
ふと、視線の端に光の球が追従しているのに気づいた。ちらりと勇希の方を見やれば、ちゃんと周りをついて回っている。
分裂できるのか? それとも勇希が俺の分も出してくれたのか。何にせよ、撮影されている以上ヘマはこけないな。
俺が向かって来るのを見て、グリズリーたちは2手に別れた。1体は俺を迎え討とうと両腕を広げ、もう1体は回り込むようにして離れて行く。
離れた方には構わず、正面の1体と対峙する。
グリズリーは腕を振って攻撃してきた。強靭な腕を交互に振るい、鋭い爪が周りの木々を斬り刻みながら前進してくる。
俺は立ち止まり、グリズリーの前進に合わせて後退しながら隙を窺う。
腕を振り回すのが意味のないことだと悟ったグリズリーの動きが一瞬鈍った。その隙に地面を蹴って一気に距離を詰める。
今度はちゃんと加減して、エーテルを抑え込みながら拳を打つ。
ポフッ、と拳は肌にすら届くことなく剛毛に阻まれる。今度は弱すぎた。
頭上でグリズリーの鋭い瞳が俺を捉えるのを感じて、咄嗟に相手の腹へしがみついた。
確か、熊は懐に潜り込まれるのが弱いと何かで読んだ知識が脳裏を過ったからだ。
突然の抱擁に驚いたグリズリーが雄たけびを上げながら暴れ回る。振り払われないよう必死にしがみついていると、離れていたもう1体が向かって来るのが見えた。
俺の抱き着いているグリズリーが立ち上がり、腹を仲間の方へ向ける。それに合わせて、援護に来たグリズリーが右腕を振り上げた。
奴らの狙いを察して、俺は腹から離脱する。直後、グリズリーの爪が目の前を掠めて、そのまま仲間の腹を切り裂いた。
俺が地面を転がるのと同時にグリズリーが悲鳴を上げる。
援護に来たグリズリーは痛がる仲間に構わず、視線で俺を追うが、傷つけられたグリズリーが怒りのままに味方を殴りつけていた。
仲間割れだ。その隙を見逃すほど、俺も間抜けじゃない。
今度こそ、と次は足にエーテルを籠めてグリズリーを蹴りつけた。
腹を切られたグリズリーの横腹に、横なぎの蹴りが直撃する。ミシミシッ、と骨の軋む音がして、グリズリーは仲間を巻き込みながら飛んで行った。
木々をなぎ倒しながら、道の方へ飛んで行く熊たち。再び会心の一撃を放ってしまったようだ。HPがさらに2割削れる。
クソ、調整が難しい。今の状態じゃ、0か100しか扱えない。
こうなったら共食いされる前に片を付けるしかないか。最悪、HP回復用のアイテムを勇希に恵んでもらおう。
そう考えながら吹き飛んで行った熊たちを追いかけようと駆け出した。
「ガァァァァァッ!」
刹那、咆哮を上げながら新手のグリズリーが現れた。最後の1体、それでいてこれまでの奴らよりも大きい個体が俺に向かって突進して来た。
巨体に似合わぬ速度で迫るグリズリー。俺は避けるのが間に合わないと悟って、腕を体の前で交差しエーテルを集中させる。
グリズリーの巨体が俺にぶつかり、踏ん張ることが出来ずに弾き飛ばされる。直後、視界が拓けて、眼下に湖があることに気づくと同時に着水した。
水の中でHPを確認すれば、防御が間に合ったのか2割ダメージで済んだようだった。
追撃に備えようと、即座に水面へ浮上しようとして、両腕が固まって動かないことに気づく。
攻撃で損傷したから、というわけではない。エーテルで硬化さた腕を動かすことができないのだ。
急いで硬化を解き、なんとか水面に顔を出す。
てっきり襲いかかって来るかと思えば、新手のグリズリーは俺には目もくれずに俺が蹴り飛ばしたグリズリーの方へと向かっていた。
そして、地面で気絶している仲間の1体の頭部に食らいつき、噛み潰す。
数度の咀嚼の後、ゴクンと大きく喉が動いた。間髪入れず、傷つきながらもまだ意識のあるもう1体へ襲い掛かる。
襲われたグリズリーは抵抗を試みるも体格が違い過ぎるせいか、あっけなく頭部を噛み砕かれてしまった。
再び飲み下し、勇希たちの方へと視線を向ける。
俺が泳いで陸に辿り着く頃には勇希と戦っていた1体がやられていた。
勇希がなんとか共食いを止めようと攻撃をしかける。剣技を繰り出し、攻撃を畳みかけるが、斬りつけられながらもグリズリーは勇希に構わず、一心不乱に最後の1体を捕食した。
共食いを成功させてしまった手。なら変化が起こる前に倒してしまおうとグリズリーの元へ駆け出すが。
ドクン、とグリズリーの巨体が波打ったかと思えば、これまでより遥かに大きな咆哮を上げる。その衝撃はすさまじく、正面から風圧を感じて足を止めてしまうほどだった。
声圧が強いだけじゃない。エーテルに似た、目には見えないが質量のある衝撃波がグリズリーから放たれていて、近づくことができなかった。
「マ、マルフジさん! 大丈夫でしたか?」
グリズリーの近くにいたはずの勇希が俺の元へと駆け寄って来る。
「すまん、俺が均等に攻撃できなかったせいで……」
「それはもう仕方ありません。今は、あいつをどうにかしないと」
身体中から尚も衝撃波を出し続けるグリズリー。その姿が、変化し始めた。
4m近くあった体躯は更に大きく膨らみ、赤茶色だった体毛が真っ赤に染まっていく。そして全身の体毛を逆立てたと思えば、一気に身体が発火して炎を纏い始めた。
周囲の草木が燃え、空気も熱に当てられ揺らめき始める。
エーテル体では熱さを感じることないが、きっと辺りはかなりの高温になっているに違いない。
「おい、あれ……強化とかの次元じゃなくないか?」
ただ凶暴な熊の魔物だったグレートグリズリーは、体毛を炎に変えて全くの別物へと変化している。いくら適正レベルが倍以上になるとはいえ、あそこまでとは聞いていない。
勇希の様子を窺えば、表情が驚愕に染まっていた。
「そんな、あれって、まさか……マズいです! マルフジさん!」
「どうした。何が起こってる?」
「共食いで稀に発生する強化を越えた現象……進化です! グレートグリズリーが……ユニーク個体へと進化しています!」
「ユニーク個体? なんだそれ……突然変異みたいなもんか?」
「そんな感じです。炎を纏いし紅蓮の大熊……炎帝火熊です! 適正レベルは50以上、つまりドラゴンと同等レベルの脅威です!」
「──そいつぁ、ヤベェな」
衝撃破が収まり動けるようになった。しかし、俺たちは尚も、その場に縛り付けられたように身動きが取れないでいた。
ヒリヒリと感じるこの威圧感。生身じゃないにも関わらず、さっきまで対峙していたグレートグリズリーたちが可愛く感じるほどの脅威が、目の前にいると嫌でも実感させられる。
進化が終わったのか、グリズリー改め、火熊の変化が終わった。しかし、急激な体の変化に本人も付いていけていないのか、動く素振りは見せない。
「勇希! あいつは俺が引き受ける。お前はギルドに戻って応援を呼んで来い!」
「そんな、マルフジさんだけ残して逃げられません!」
「どうせ死ぬことはないんだ。それより、あいつを野放しにする方がヤバいだろ」
いくら森の中とは言え、遠くない場所には村がある。ここで俺たちがいなくなれば村に危険が及ぶかもしれない。
そうでなくても早く対処しなければ森が大火事になって手が付けられなくなる。そうなったら、この周辺の暮らす人や生物は全滅だ。
いくら力加減ができないとは言っても時間稼ぎくらいならなんとかなる。はずだ。勇希だけでも逃がして応援を呼べば、まだ何とかなるかもしれない。
「――わたしも残ります。大丈夫です。リスナーの人が運営に連絡してくれました。すぐにギルドから応援が来てくれるはずです」
どうやら配信していたのが功を期して、通報の手間が省けたようだ。
「それに、仲間ひとり置いて逃げるのは、わたしの美学に反しますから」
「――そうか。なら、援軍が来るまでなんとしても持ち堪えるぞ」
俺たちは笑い合って火熊に向き直る。ちょうど、進化が終わったのか火熊も動き始めた。
四つん這いになって唸りながら、俺たちを睨み付け――。
「来るぞ!」
俺が叫ぶと共に、火熊が駆け出した。
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