異世界での異変の兆候

 目を覚ますと狭苦しい空間に寝そべっていた。寝返りすら打てないキツキツの窮屈な感覚で、現実世界に戻って来たのだと察する。


 異様な気だるさを覚えながら濁ったガラスの天板を押しのけて棺のようなパラレル・ダイブ装置の上で体を起こす。


「やっと目が覚めたの、寝坊助くん」


 ダイブ装置の前には白衣の女――霧島香苗が立っており、気だるげな瞳と眼が合った。


「全く、何か問題があればすぐ戻って来るように言ったのに。円藤くん、あなた丸一日眠ってたのよ」


「……そんなに寝てたのか。通りで身体がダルイわけだ」


 溜め息混じりに告げられた事実に、驚きよりも納得が先に来た。


 40手前の身で丸一日、飲まず食わずで寝っぱなしだったなら身体が重くて当然だ。


「どうしてもって言うから、昔のよしみで骨董品のダイブ装置を使わせてあげたのに。忠告は守っても貰わないと困るわね。一歩間違えたら戻って来られなくなるところだったのよ」


 ハァ、と大きな溜息を吐きながら霧島はボサボサの長い黒髪をたくし上げる。


 俺より一回り下の霧島はパラレル・ダイブ研究の第一人者である。同時にダイブ装置のプロトタイプで俺と一緒に異世界を救って回った仲間でもあった。


 その縁を利用して今日……いや、昨日は無理を言って、霧島が所属しているANOTHER COLOR(アナザー・カラー)という会社の保管庫に大切に収納されていたプロトタイプのダイブ装置を貸してもらっていたのだ。


「すまん。もしかして、ずっと傍についていてくれたのか?」


「まさか。私がどれだけ忙しいと思ってるの。仕事を辞めて無職の円藤くんと一緒にしないで。せいぜい仮想体が消失してからの半日程度よ」


 それはずっとと言うんじゃ……突っ込もうと思ったが、じっとりとした視線で見下ろす霧島が本気で怒ってるのを悟って発言を変更する。


「本当にすまなかった。それよりも何か食いに行かないか? もちろん、俺の奢りで」


 露骨にご機嫌取りを行う俺に、霧島は大きな溜息を吐いた。


「全く、君は都合が悪くなるといつもそれだね」


 苦言を呈しながらも満更ではない様子の霧島。聡明に見えて扱いやすいのは昔から変わっていないみたいだ。


「ただ、食事の前に少し話があるの。まず、これを見て」


 そうして霧島は俺の返答を待つことなく、タブレットを取り出して操作してから画面をこちらへ向けた。


『やる気、活気、勇気! あなたに元気を届ける戦士、パラレード3期生の勇希ユウナでーす!』


 元気いっぱいな声と共に映し出されたのは満面の笑みの可愛らしい少女だった。


 そして俺は、彼女の顔に見覚えがあった。


「異世界でデカいサンショウオに食われてた子じゃないか。配信者だったんだな」


「登録者数100万人越えの超人気VTuberだよ」


「そんなに凄い子だったのか。で、その超人気アイドルがどうしたんだ」


「彼女を助けたことで、あなたは一躍有名人になってるの」


「はっ?」


 素っ頓狂な声を上げる俺に対して、霧島が画面を操作しSNSアプリ”LINK”を開くと、投稿欄には俺が異世界でサンショウオと戦っている動画が数多く投稿されていた。


「勇希ユウナを救った謎のヒーロー、無名仮面。それが今、ネットで最も熱いトレンドだよ」


「な、なんでこんな騒ぎになってるんだ!? プレイヤー同士の助け合いなんて普通のことだろ!?」


「あの、大人気アイドルの勇希ユウナと対面して名乗りもせず消えたのがクールでカッコいいんだってさ」


「そうなのか……? それにしても勝手に人の動画上げまくりやがって……ネットリテラシーはどうなってんだ」


「そんなもの、昔から無いじゃない。よかったわね、人気者になれて」


 祝福の言葉の中には明らかな嘲笑が含まれていた。


「お前、他人事だと思って楽しんでやがるな?」


「ネットの祭りは他人事であるほど楽しいモノよ」


「いい趣味してんな!」


「そんなあなたに協力してほしいことがあるの」


 打って変わって、霧島は表情を引き締めて言った。


「なんだよ。パラレル・ダイブの宣伝でもしてほしいってのか? 言っとくが、俺は客寄せパンダには向いてないぞ」


 いくら話題になってるからって俺はただのオッサンだ。ネットでワイワイ騒がれるのも1日か長くて3日持つかどうかだろう。


「いいえ、あなたにやってほしいことは、勇希ユウナの護衛よ」


 しかし、告げられた頼み事は俺の予想の斜め上を行くものだった。


「全く意味がわからないんだが」


「順を追って説明するわ。まずはあなたと戦った化け物」


 そう言って霧島はひとつの動画を開き、サンショウオとの戦闘を再生させた。


「こいつはあの世界の――エンデルネに存在している生物じゃないのよ。野生動物でも魔物でもない、ね」


「どういうことだ? 魔物じゃなかったら、なんだって――」


『え、えぇ~!? ちょっ、なんでぇ!?』


 俺の問いに被せるように、聞き覚えのあるセリフが聞こえて画面に注目すると、仮想体を維持できずに消滅していく自分の姿が映っていた。俺が完全に消失した後、勇希ユウナの慌てふためく様子が続く。


『というか森の中とんでもないことになってる! さっきまでトカゲに食べられてて状況がよくわからないんだけど、さっきの人が助けてくれたんだよね? 素手で殴り倒した? ビームを撃った? どっちが本当なの~? べたつきエッ、やめて~』


 独りで喋りまくる勇希ユウナの後ろで倒れているサンショウオに変化が現れた。


 完全に停止していた巨体がサラサラと崩れ始め、粒子となって空中に溶けていく。


 それはまるで、先ほどの俺と同じような消え方だった。


 霧島はサンショウオが半分ほど消失した所で動画を止めて、口を開く。


「この化け物は魔物じゃなく、プレイヤーと同じ、仮想体だ」


「待ってくれ。どういうことだ? 仮想体はダイブ装置がなかったら作れないはずだろ。地球上にあんな化け物はいないし、そもそもあんな怪物に扱えるわけが……いや、まさか」


 ひとつの可能性に思い当たり、俺は言葉を止めて霧島を見上げた。それに答えるように霧島は無表情のまま、頷く。


「どこかの誰かが、私たちと同じ技術を取得した可能性がある」


「それって、マズいんじゃないか」


「えぇ、マズいわね。あなたも知っていると思うけど、仮想体というのは絶大な力を持っていながら世界に干渉することができる。それこそ、子供5人で世界を救えるほどのね。そんな力が我々の管轄外で行使されているの。この危険性が理解できる?」


「好き勝手に世界を蹂躙できる。しかも、それは俺たちの世界も例外じゃない」


「その通り。地球上の別勢力が使っているなら私たちに直接的な被害はでないけれど、別世界でダイブ装置が作られているなら、私たちの世界にも影響が現れるかもしれない。そして、今でこそ話題はあなたに集中しているけれど、この事実が周知されたら世界中大パニックになるでしょうね」


「そりゃ、大変だな。というか、俺に知られるのはいいのか?」


「あなたのことは信頼してるもの。というわけで、今回の件を収拾するのを手伝ってほしいの」


「なんでまた俺なんかに。それに勇希ユウナの護衛とどう関係が……」


「勇希ユウナが、他のPD(パラレル・ダイブ)技術所持者と関係している可能性がある」


 ぴしゃりと言われて押し黙る。そうしてそんな結論に至ったのか、少し考えてもわからなかった。


 俺が思案している間に霧島は続ける。


「勇希ユウナはあれでもダイブ歴1年以上あるそれなりの実力者でね。ドラゴンくらいなら善戦できるし、逃げるだけなら造作もない。そんな彼女が、一方的にやらたの。動画も残ってるから、一度見てみるといいわ」


 タブレットを操作して新たな動画を開いた。それは勇希ユウナのライブ配信のアーカイブだ。


「まずこの場面」


 動画前半、街中で勇希ユウナが挨拶を終えて、ひとしきり雑談した後、今日のクエストについて話しているところに人影が近づいて来た。


 そう、人影である。その姿はまるでモザイクがかかっているかのように判然とせず、辛うじて人とわかる程度にしか認識できない。


『お姉さん、プレイヤーの人? どうしてもお願いしたい依頼があるんだ』


 声も加工させており、男か女かすら判別できない。しかし、勇希はなんの疑問も持たない様子で対応している。


 画面横に流れるコメントも、反応は普通だった。


「この人物が異世界人を装って持って来たクエストが、あなたがやろとしていた依頼内容と同一の物だったの」


 異世界人はプレイヤーの存在を認知こそしているものの、別世界の人間であることまでは周知されていない。


 プレイヤーのことは、ただ腕のいい冒険者的な立ち位置の人間だと認識しているので、こうして直接依頼を持って来るのは珍しい事じゃない。


 だが、こいつは明らかに異常だった。


「異世界での配信環境についても、PDと同じく私たちANOTHER COLOR社が作成しているんだけど、こんなモザイクがかかるような処理はされないはず。もちろん、録画映像に細工した形跡も見当たらなかったわ」


「つまりこいつは勇希ユウナやリアルタイム視聴者には普通に見えているにも関わらず、録画された映像に干渉している、と」


「えぇ、ただネットを見る限りだと素顔は誰も覚えていないらしいから、この映像ほどじゃないにしろ何らかの認識阻害はしているみたいだけどね。そして、この人物からの依頼を受けて勇希は魔物の巣に向かい、あの化け物と遭遇した。これって偶然かしら?」


「……勇希ユウナがPD技術を持っている何者かに狙われてるかもしれないわけか」


「理解が早くて助かるね」


「それで結局、どうして俺なんかに護衛の話しが回って来るんだ? 適任者は他にもいるだろ」


「適任ねぇ。ANOTHER COLORの関係者だと相手が警戒して逃げてしまう可能性があるから……部外者で、かつ信用のできる人間で、しかも護衛ができるくらい強くて、それでいて勇希ユウナと接触しても怪しまれなくて、声をかければすぐに動けるほど暇をしている、そんな都合のいい人間がそうそういるわけ――あら、目の前にいた」


 やけに芝居かかった仕草で驚きを示す霧島。


「……お前、初めから俺に頼むつもりでプロトタイプの貸し出しを許可したな?」


「さぁて、どうかしらね」


 飄々とはぶらかす霧島。


 これで勇希ユウナとの遭遇も完全に偶然とは言えなくなったな。どう仕組んだかはわからないが、霧島ならやりかねない。こいつは昔からそういうヤツなんだ。


「もちろん、謝礼は弾むわよ。正直な話をすると、結構切羽詰まってるの。最近は不正ツールみたいなのも出回っていてそっての対処で手がいっぱいでね。しかも技術が流出しているわけだから、内通者が潜んでいる可能性があってね……信用できる人材があなたしかいない。あなただけが頼りなの」


 真っすぐと、真剣な眼差しで霧島は俺に言った。


 そこまで言われてしまっては仕方がない。暇なのは事実だ。断る理由もない。


 それに良い気晴らしにもなりそうだ。


「わかった。協力する。ただ、失敗しても文句言うなよ」


「ありがとう。助かるわ。じゃあ勇希ユウナへの連絡やダイブ装置のセッティング手配はこっちでやっておくわね。さて、話もついたことだし食事に行きましょうか。近くに美味しいって評判の鰻屋があるんだけど、そこでいい?」


 本題を終えた途端、食事の話しに移行する切り替えの早さは相変わらずか。


 内心で苦笑しつつ、俺は答えた。


「お前、無職の男に容赦ねぇな……」

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