怪物に食われた少女

 飛ばされた先はこっちの世界に来た時と同様に質素な室内だった。


 正面にある扉を開けると、天高く聳える大木が乱立する原生林のような光景が視界いっぱいに広がっている。


 今しがた出て来た建物以外に人の手は一切入っていないような大自然だ。


 盗難品がある場所の特定は出来ているようで依頼書には地図も付属していた。


 星型の印を辿ればいい、と記載されているが看板らしき物は見当たらない。軽く周囲を散策してみれば木にマークが彫られているのを発見した。


 ハートや四角など種類はいくつかあって、その中には星型もあった。どうやらこれを辿ればいいらしい。


 地図と印を何度も確認しながら森を歩き、なんとか目的地であるゴブリンの巣穴を発見する。


 けれどそこはすでに壊滅しているようで、周囲には小鬼たちの死骸が転がっていた。


 他のプレイヤーが先に攻略したのだろうか? それにしてはゴブリンの死体は粘液にまみれていたり、踏み潰されたように原型を留めていなかったりと異常な損傷具合だ。


 とても人間とやり合ったとは思えない。


 これはゲームじゃなく、リアルな世界だ。想定外の出来事が発生しても不思議じゃない。人間ではなく、魔物同士の縄張り争いの可能性もあるだろう。


 この惨状を作り出した魔物がまだいるかもしれない。慎重に巣穴を探ってみれば……ゴブリンが人間から略奪したであろう物品が山積みになっている場所を見つけた。そこを探ってみれば、依頼の品もあった。


 物品が手付かずなのを見る限り、プレイヤーではなく他の魔物に襲われたとみて間違いないだろう。


 巣穴に生き物の気配は……しない。なら、ここを壊滅させた魔物が近くをうろついているかも。


 遭遇したら戦闘になるだろう。果たしてブランクのある状態でゴブリンの群れを壊滅させるような魔物を倒すことができるだろうか。


 まあ臆することはない。負けたとしても死ぬことはないのだから。


 しかし、これじゃあ漁夫の利もいい所だな。戦うために来たのに、これじゃあまるで意味がない。依頼品を送り届けたら、今度は討伐依頼でも探すか。


 頭の中で思案していると、地鳴りのような音が響いた。


 思わず足を止めて周囲を警戒する。


 音は遠いが、地鳴りは不規則に、断続的に続いている。微かに人の声も混じっているようだ。


 大型の魔物と誰かが戦っているのか。ゴブリンたちを壊滅させた魔物が人を襲っているのだろうか。


 こんな場所に来るなんてプレイヤーぐらいだろうが、異世界人が襲われていたら一大事だ。異世界人は俺たちと違って、一度死んでしまえばそれで終わりなのだから。


 念の為、確認しておこうと見通しの悪い原生林を音を頼りに進んでいると。


「きゃぁぁぁぁあ!」


 すぐ近くから悲鳴が響き渡る。やけに耳の残る女の悲鳴。目の前にある大木の向こう側だ。


 ただ事ではないと察した俺は向こう側の様子も確認することなく飛び出した。


 まず、地面にへたり込む少女と目が合った。俺を見て何かを叫ぼうと口を開いた彼女は声を発する間もなく、バクンッ、と巨大な生物に頭からかぶりつかれる。


 少女に喰らい付いたのは、5mはありそうなサンショウオのような怪物だった。


 巨大で平たい体躯は全体的にのっぺりとしていて、少女を咥える口には歯がなく、横に大きい。


 パッと該当する名前は思い浮かばないが、こいつも魔物だろか?


 サンショウオは足だけ飛び出している状態の少女を咥えながら天を仰ぎ、そのまま一気に呑み込んだ。


 間に合わなかったか。


 プレイヤーであれば窒息の心配もなく、放っておいても核が壊れれば現実に戻れる。なんならすぐにでも自分で核を破壊して現実の身体へ戻れるので、俺が助けなくても最悪は問題ない。


 しかし異世界の住民だった場合はすぐに助け出さなくては死んでしまう。


 あの一瞬では彼女がどちらの存在なのかを判別することができなかった。


 何より、目の前の怪物は俺を逃がしてくれそうになさそうだ。


 サンショウオは平たい顔をこちらに向けて、舌なめずりをする。


 瞳はないはずなのにはっきりと俺を捉え、捕食対象と認識しているとわかった。


 少女を救うにしろ、見捨てて逃げるるにしろ、どのみち戦いは避けられない。


 俺は覚悟と拳を固めて構える。


 同時にサンショウオは一直線に突進してきた。図体からは想像できないほど急激な初速。


 それを横に飛び退き、紙一重で回避する。


 攻撃を外し、俺の横を通り抜けて行ったサンショウオがすぐ後ろにあった巨木に頭を打ち付けた。まるで大型トラックが衝突したような激しい音と衝撃が足元を揺らす。


 よろめきそうになるのを足腰に力を入れて耐え、隙だらけの横腹に拳を叩き込んだ。


 しかし、分厚い皮膚と筋肉に保護された肉体はビクともしない。


 攻撃が通らなかったことを察して俺は心中で舌打ちする。そんな俺を、サンショウオの豪胆な腕が襲い掛かった。


 咄嗟に両腕をクロスさせてガードするが、身体は紙切れのようにいとも簡単に払い飛ばされた。


 宙を舞い、強かに背中を打ち付けた後、重力に引っ張られ、地に足が着く。


 痛みはないが、HPゲージが3割削れたことでダメージを負ったことをはっきりと認識させられる。


 サンショウオは再び俺の方へ顔を向けた。

 俺の攻撃に対しても、木に激突したことに対してもダメージを負っている様子はない。


 どうやら俺のことを脅威ではないと判断したのか、サンショウオは突撃してくることなく悠々と近づいてくる。


 どことなく挑発するようにニヤリと笑っているようにも思えた。


 軽く深呼吸をしながら精神を落ち着ける。まだこの体を扱い切れていない。次はもっと感覚を研ぎ澄まし、身体の中に流れているエーテルを使って攻撃するんだ。


 昔を思い出せ。


 言い聞かせながら改めて拳を固めサンショウオと向き合った。


 直後、サンショウオが口から粘液を飛ばしてくる。俺は敢えて前へ駆け出した。


 べちゃっと、背後から粘着性の高い音がするのを聞きながら、顎の下へと潜り込む。


 エーテルを右腕に集中させ、筋力を強化させてから拳を打ち込んだ。


 先ほどとは比べ物にならないほど強烈な一撃がサンショウオの顎を貫き、強制的に巨体を仰け反らせる。


 即座に追撃を行おうとしたが、身体が軋んで硬直してしまう。


 急激なエーテル操作に耐えられず、発声機能同様になんらかのシステムエラーが起こったんだろう。


 このポンコツめ。


 胸中で悪態を吐いていれば、仰け反った巨体が戻って来る。その場に留まれば押し潰されると判断して、俺は後ろに飛び退いた。


 再び相対したサンショウオは口から涎を垂らし、ふらついている。顎への一撃が相当効いたんだろう。


 隙を晒している間に、一気に仕留めてしまおうと、今度は足にエーテルを籠めた。その時だ。


 サンショウオの大きな口の上、そこに横一線の亀裂が入ったかと思えば勢いよく開き、ギョロリと不気味な目玉が現れた。


 赤黒い血のような、ゾッとする色の眼球。そこに強烈な力が溜まっていくのを感じて、俺は咄嗟に移動先を前から横へと変更した。


 眩い光が網膜を覆い、一瞬だけ視界が白く染まる。見えないが、激しい衝撃で自身が吹き飛ばされる感覚があった。


 数瞬して、景色に色が戻って来る。そうして視界に映った光景に目を疑った。


 原生林に、直線上の黒い道ができていた。木々は根元から消し飛び、草木は灰と化している。


 そして左腕が肩の根本から消失していた。驚いている間にHPが削れていき、それに比例して消失していた部位が修復されていく。


 左腕は全て回復はしたものの、残ったHPは2割を切った。


 もう敵の攻撃は受けられない。それより今の攻撃はなんだ。魔法か? だとしても威力が尋常じゃないぞ。脚部の強化を施していなければ核ごと消滅していた。


 これ以上、戦闘を長引かせる余裕はない。次の一撃で全てを決める。


 サンショウオは大技を放ったからか動きが鈍い。地面を蹴って再び顎下へ潜り込む。


 同じ攻撃は食らわないと言うようにサンショウオは右手を持ち上げるが、気にせず俺は攻撃の構えに入った。


 全ての力を右の拳に込めて、放つ。


 サンショウオの振り下ろされた腕が俺の拳に接触した瞬間、サンショウオの剛腕は強烈な力に触れたように弾かれる。


 そうして俺の拳がサンショウオ本体に触れた刹那。


 ズドンッ、と重い音が響き渡り、サンショウオの頭部が弾け飛んだ。


 攻撃の余波が周囲を揺らし、サンショウオの残った身体が反転して仰向けにひっくり返ると、数回痙攣してからピクリとも動かなくなった。


 なんとか倒すことができた。


 しかし無理をしたせいで、ただでさえ不調を来たしていた仮想体はかなり不安定になっていた。


 視界にノイズが走り、身体の所々に綻びが発生して崩れ始めている。表記上でHPは残っているが、消滅するのは時間の問題だろう。


 体を保てなくなる前に、食われた少女の安否を確認したい。


 俺は胃の中にいるであろう少女を助け出すために、ひっくり返ったサンショウオの頭側に移動した。


 だが俺が引っ張り出す必要はなかったようで、粘液にまみれた少女が地面に放り投げられていた。


「う、うぅ~。わたし、助かったの? というか、体中べたべたで……最悪だよ~」


 地べたにへたり込みながら泣きそうな声を出す少女。その装いは特殊な物だった。


 白を基調にした軍服とドレスを足して割ったような動き易そうで、かつ華やかさのある服装。明らかにこの世界の人間ではない。


 普通に喋れているのを見てプレイヤーだと確信し、ひとまず安心する。


 俺の存在に気付いた少女はニコリと笑顔を作って口を開いた。


「あ! もしかしてあなたが助けてくれたんですか? ありがとうございます! ホントに助かりました」


 何か反応しようと、とりあえず右手を挙げたタイミングで、ついに体の限界が来てしまったらしく俺の体は崩壊してしまった。


「え、えぇ~!? ちょっ、なんでぇ!?」


 という叫びを聞きながら、俺の意識は世界から消え去った。

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