一場夏夢

星逢もみじ

ある夏の夜のこと

「はっ……‼」




 ――カチコチ、カチコチ。



 白い壁に立て掛けたアナログ時計が時を刻む。



 "私"は初夏の暑苦しさに目を覚まし、首だけ傾けてアナログ時計を見る。アナログ時計の時刻は1時10分を過ぎた頃。

 視線を少し下げて、今度はデジタル時計を見る。――デジタル時計の時刻は1時11分ちょうどだった。



 時間を確かめた後、布団の上で私はもう一度まぶたを閉じる。



 ……今日も夢を見た。

 見覚えのない場所、見覚えのない物、見覚えのない人。

 夢から醒めた今では、あの世界のことをハッキリとは思い出せない。……けど、それでも分かることはあった。


 

 ――夢を見ていたあの瞬間、私は確かに"あの世界"の住人だったのだ。




「……夢、か……」




 夢を見る度に考える。

 はたして、夢の世界は本当に知らない世界なのか、と。


 

 もしかしたら、在りし日の思い出のように、ただ忘れているだけなんじゃないかと。




 ――まぶたを閉じたまま、そんな他愛のない妄想を垂れ流す。




「……もう朝……」




 ふと気が付くと、カーテンの隙間から朝日が差し込んできていた。

 体を起こして、ぼやけた頭のまま玄関から外に出る。


 

 しばらくして、しまったと自分の体を見るが、ちゃんと制服は着ていた。判然としないまま準備をしていたせいか、裸のまま外に出ているのではないかという感覚だったが、どうやら杞憂きゆうだったらしい。

 ……寝不足のせいだろう、意識はおぼろげで、朝食を食べた記憶も無かった。






 歩きながら、ふと、なぜ駅に向かっているのかを考えて、今日は期末テストだったということを思い出す。――いや、思い出すというより、正確には"知っていた"と表現するほうがしっくりきた。


 

 ――どうしてそう思ったのか。考えようとした次の瞬間には、思考ごと街の風景に呑まれて消えていく。駅に向かう足は、そんなことを考えている間にも進んでいく。まるでゼンマイを巻かれた玩具おもちゃのように、一定のペースを保ったまま歩き続ける。



 ……駅までの道中には、ゼンマイを巻かれた人が大勢いた。

 背中には大きなゼンマイが1つ。中には壊れてしまったのか、人もいた。


 

 そんな日常の光景に、特に感想を抱くことも無く歩き続ける。



 そうして歩いていると、ヒュッと風を切る音がどこからか聞こえた。

 なんの音かは分からない。分からないのに、体はそれをかのように立ち止まる。


 

 ――そうして足を止めてすぐ、目の前に人が落ちてきた。


 

 聞き慣れた破裂音に感情を動かされることもなく、顔も見ずにまたいで往く。

 ……それからも、風を切る音と共に、先ほど聞いた破裂音が至るところで響いてきていた。






 ――駅のホームに着いた私は、白線の内側で行儀よく電車を待つ。

 ……しかし、電車が来るのを待ちきれなかったのか、それまで人形のように並んでいた人たちは線路内に次々と飛び込んでいく。


 

 私も釣られるように一歩前に足を出し、二歩目を踏み出す――寸前で動きを止める。最後の一歩を踏み出す前に、疲れてしまったからだ。


 

 そのまま白線にかかとを合わせて座り込み、そのままゆっくりとまぶたを閉じた。




「……ここは……」




 どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしく、目を開けると私はコーヒーカップに乗っていた。

 正面には長い黒髪を靡かせた女性が座っている。女性は心の底から楽しそうに、笑いながらコーヒーカップを回す。



 私はこの女性を知っていた。そう、愛していた。

 ――今すぐに抱きしめたい。そんな衝動に駆られるも、遠心力のせいかうまく立ち上がることができない。女性と同じようにカップを回すことも、抱きしめることもできず――ただ、その場で時が過ぎるのを待った。



 居ても立っても居られない感情と同時に、そんな状況に満足してしまっている自分自身に苛立ちを覚える。



 満足している自分と焦りを感じている自分。



 2つの心に板挟みにされた身体は、とうとう我慢の限界を迎え、弾かれるように立ち上がる。――無理に立ち上がろうとすればどうなるかは、充分理解していたはずなのに。



 立ち上がった瞬間、バランスを崩し、上半身がコーヒーカップの外に投げ出されそうになる。

 必死に上体を戻そうとするが、徐々に強くなる遠心力に耐えきれなくなり――ついにコーヒーカップの外に弾かれた。



 私の視界が宙を描く寸前まで女性は笑っていた。心の底から嬉しそうに。

 その美しい笑顔が胸を締め付け、直視できずに目を瞑る。



 一度目をつむってしまえば開くのには勇気がいる。地面に叩きつけられる瞬間を想像して身がすくんだが、いつまで経ってもその時はこない。

 それにも関わらず、全身を包む風の勢いは徐々に強まっていく。

 ――私は意を決して、恐る恐る瞼を開いた。






 瞳に飛び込んできたのはだった。……いや、空といってもそこまで高くない。周りの景色にも見覚えがある。ビル、家、駅。学生の頃に通った通学路だ。そして、私のにいる人物にも見覚えがあった。




「――あっ」




 ――それが"私"だと気づいた瞬間、私の意識は地面と同化していた。




「っ、はぁっ! はぁ……っ!」




 息を切らしてデスクから顔を上げる。どうやら仕事中に眠ってしまっていたらしい。上司の叱責するような咳払いに気まずさを覚え、堪らず席を立つ。



 眠気覚ましに、社外の自販機で遊園地のチケットが入った缶を買い、周りの目を気にせず一気に飲み干す。




「ごくっ、ごくっ……ぷはぁっ!」




 一息つき、両親にも買っていってあげようかと考えていると、視界の端に何かを捉えて顔を向ける。

 視線の先には、幼い日の自身を映した写真が、ぽつんとベンチの上に置いてあった。



 まるで私に見つけられるのを待っていたかのように、写真の中から"幼い私"が浮き上がってくる。

 ――やがて、それは生きている人間と遜色そんしょくない大きさ、質量を持った存在になった。



 幼い私は楽しそうに笑みを浮かべながら私を見ている。

 その笑顔を見ながら、私はいつの間にか手に握られた値札を目の前の幼い私に貼り付けていく。



 そうして、値段の付けられた幼い私に満足した私は、からになった缶を写真の上に置いて帰路についた。



 ……今日も良い日だった。からすと空を飛び、蟻地獄で身体を洗濯することができたのだから。

 


 そんな、記憶に無い記憶を思い出し、感傷に浸りながら家のドアノブを回す。

 扉を開くと、そこには"私"の後ろ姿があった。……どうやら自販機で遊園地のチケットを買っているようだ。




「……贅沢な奴」




 そう呟き、踵を返そうとするも足が動かない。疲れがたまっていたのだろうか。次の瞬間には視界がぐにゃりと歪み、地面に吸い込まれていく。

 そうして、自然の法則に従い、私の鼻先に地面が触れた――。




「――っ!」




 はっ、として顔を上げる。

 目覚めた場所は映画館だった。よく分からない、流行りの映画を見ながら眠ってしまっていたらしい。

 ……悪い夢を見たのか、額にかいていた汗を拭う。



 上映中に声を出したからだろう、隣の席に座る人から舌打ちが聞こえてきた。

 居心地が悪くなり、心の中で溜息を吐いてから席を立つ。



 ……ここ最近意識がハッキリしない。記憶も不確かで曖昧あいまいだ。

 ついさっきまで夢を見ていたような気もするが、なんの夢だったかはもう思い出せない。



 映画館を出ようと、扉の取っ手に手を掛ける。

 ――足元には蟻地獄があった。



 なんの気なしに、しばらく"それ"を見ていると、吸い込まれそうな魅力があることに気づいた。

 どうしてこんなものがあるのか。気にはなったものの、すぐに考えても無駄なのだと結論付ける。



 蟻地獄が放つ不思議な魅力を寸でのところで振り切り、スクリーンから反射する光を背に外へ出た。




 


 一歩踏み出した瞬間、心地良い風が全身を包む。何が起きたのかはすぐに分かった。




 ――私は空を飛んでいるのだ。




 瞳に映るのは太陽。そして、そこまで遠くない距離にからすが一羽。

 太陽は遥か遠くに、目が眩むほどの輝きを放ちながら私を待っていた。

 飛び続ければ、いつかあの場所に辿り着ける。そう思うと、身体の内側からふつふつと、高揚感にも似た全能感が湧き上がってくる。



 ――やがて、同じように空を飛んでいたからすが近づいてくる。

 隣までやって来たからすは、私の耳元でカーカーと何やら話しかけてきていた。

 今なら彼の言葉も分かるのではないか。そう思って耳を澄ますも、風を切る音で何を言っているのかよく分からない。




「ここは君の家なの?」




 問いかける言葉に、からすは必死にくちばしを動かす。

 だが、やはりそれも私の耳には届かなかった。数秒前よりも強くなった風切り音が、彼との会話を邪魔してくる。

 ……気づくと、目の前が徐々に白に染まり始めていた。おそらく、太陽ばかりを見ていたせいだろう。



「まだ旅は長い」



 そう自分に言い聞かせて、まぶたを閉じる。



 少ししてまぶたを開く。太陽は変わらずそこにあった。だが、寄り添うようにして飛んでいたからすの姿はどこにも見当たらない。

 ……長旅をするには、ともがいた方がいい。



 からすの行方を探すように首を曲げると、何かをまたごうとしている人の姿を見た。

 その人物に奇妙な親近感を覚えながら見つめていると、徐々にその輪郭りんかくがハッキリとしてくる。



 ……そうだった、あれは――。




「はっ……‼」




 ――カチコチ、カチコチ。



 白い壁に立て掛けたアナログ時計が時を刻む。



 "私"は初夏の暑苦しさに目を覚まし、首だけ傾けてアナログ時計を見る。アナログ時計の時刻は1時10分を過ぎた頃。

 視線を少し下げて、今度はデジタル時計を見る。――デジタル時計の時刻は1時11分ちょうどだった。



 時間を確かめた後、布団の上で私はもう一度まぶたを閉じる。



 ……今日も夢を見た。

 見覚えのない場所、見覚えのない物、見覚えのない人。

 夢から醒めた今では、あの世界のことをハッキリとは思い出せない。……けど、それでも分かることはあった。


 

 ――夢を見ていたあの瞬間、私は確かに"あの世界"の住人だったのだ。




「……夢、か……」




 夢を見る度に考える。

 はたして、夢の世界は本当に知らない世界なのか、と。


 

 もしかしたら、在りし日の思い出のように、ただ忘れているだけなんじゃないかと。




 ――まぶたを閉じたまま、そんな他愛のない妄想を垂れ流す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一場夏夢 星逢もみじ @HoshiaiMomiji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画