4:死にかける二匹

 失血でボーッとする意識の中、何がそこまで、彼女の逆鱗に触れたのかを思い起こす。

 人の首をカッターで切るとか、殺すつもりじゃないとそんなことできない。いや殺すつもりだったとしても、ここまで冷徹に行動に移せる一般人なんているか……!?

 そんなのサイコパスじゃん!


 朝の出会いは、本当にすまなかったと思う。でも朝のホームルームで笑ってたじゃん……。

 その後も、俺の隣の席で、教科書とかも貸したし、俺の耳触ったりしてじゃれてきてたじゃん……。

 放課後の校内の案内も、お前が名指しで俺に頼んできたじゃん……。あ、もしかして、その頃には既に俺を殺すつもりで、二人きりになれるこの時を狙ってた……?


 ヤバい。全然俺の過失が見当たらない。

 やっぱ……サイコパス……?

 めっちゃ怖いんだけど……。


「死にたくない?」


 サイコパス女の問いに、コクコクと頷く。

 ふうん。と嘆息して、彼女はカッターについた血をきれいに舐め取った。狂気。


「じゃあ明日からあなた、二度と学校こないで。私はただ、平凡な生活がしたいの。獣人ケモメンとのドタバタラブコメじゃないの」


「はあ……? 別に、俺に関わらなければいいだけだろ……? 殺しにかかったり、引き籠らせようとしたり、意味わかんねーよ……」


 何が目的かと思えば、俺と関わりたくないだけ?

 無視してりゃいいだろ。ここまでする必要ある?

 それでも彼女には、大アリのようだ。俺の発言にムッとして、怒声を上げる。


「あんたみたいな亜人が人間の学校に通っていいわけないでしょ! あからさまに猫耳だし! しっぽまであるじゃん!」


 確かに俺には長い尻尾もある。

 小学校時代のあだ名は「サイヤ人」だった。


「未確認生物の自覚ある!? むしろこれまでよくのほほんと生きてこれたね! 好奇の目に晒されなかった!? テレビとか来ないの!? 研究所とかハンターに狙われたことない!?」


「え……ないけど……?」


 これまで、ありがたいことに、俺を好奇の目で見る人たちはほとんどいなかった。先生も友達もその親も、俺の猫耳を個性の一つくらいにしか捉えてなくて、俺も、そのように接せられることが当たり前だった。


 だけど彼女の言う通り、俺はやっぱり、見た目は確かにちょっとおかしい。

 研究所やハンターに狙われるなんて考えは少しSFチックだけど、地元メディアからも取材の一つもないのは、言われてみれば、自分でも変な気がしてきた。

 指が六本あったり、それこそ肌色の尻尾がちょこんと生えてる人ですら全国テレビで奇想天外って言われて放送されてたもんな。俺当時その番組見てたもんな。


「はあ……。そっちの方がどう考えてもおかしいの。普通、あなたみたいな亜人が日常生活を送れるなんてありえないわよ。夢でも見てる気分だわ」


「そのまま、夢ってことにして……見逃してもらえたりしない?」


「無理。現実は非常なのよ。さあ、どうする? このまま死ぬ? おうちに引きこもる?」


「ああ、やっぱダメか。それじゃ……死にたくないし……」


 ただのサイコパス女かと思えば、俺を狙うのは何か理由がありそうだ。とはいえ、このまま聞いても答えてはくれそうにない。

 でも、なら逆に安心した。


 サイコパスなら怖かったけど、普通の人なら怖くない。

 このままじゃ殺される。

 なら――反撃開始だ!


 全力で跳躍。天井まで一気に飛び上がる。

 あまりの瞬発力に、彼女は一瞬、俺を見失った。


「えっ――!?」


 天井に張り付いた俺は、そんな彼女めがけて、天井を蹴って加速し飛び掛かる!

 俺の存在を察知した頃にはもう、目と鼻の先だ。避ける間もない。

 ちょうど、今朝と同じ状況になった。

 降りかかる俺に抗うこともできずに、彼女は俺の胸の中に納まった。


「きゃあああっ!」


 短い悲鳴を上げる彼女の口を即座に押さえて、辺りに響かないように配慮する。

 朝の時と違うのは、彼女がいくらもがいても、決して力を緩めず離さないところだ。またカッターで切られたくないし……。


「むぐー! んーっ!」


「こら、暴れるなって! この状況を見られて困るのは、むしろお前だろ? 俺の首から血が出てるんだからな! お前にやられて取り押さえてる場面なのは一目瞭然だ!」


「む、むう……」


 説明を聞いて、みるみるおとなしくなる朝夜輪ミケコ。観念したか……。

 いいか、口から手を放すからな? 大声出すなよ?

 そっと口を開放すると、しかし彼女は、おもむろに叫んだのだ。


「ダメ! ノコッチ!」


 瞬間、激しい痛みが……お尻に!?


「ぐわ! 痛でえーっ!?」


 反射的にお尻を叩く。慌ててたもので、力加減も何もせずに、ただやみくもに叩いた。


「キーーーーっ!」


 そいつは奇声をあげてぶっ飛んで、黒板にぶちあたった。

 天井まで軽々と跳躍できる俺の手加減なしのパワーを食らったそいつは、一見、ヘビに見えた。


「いやあああ! ノコッチ! ノコッチー! もごー!」


 絶叫にも近い声を出す朝夜輪ミケコの口をまた塞いで、再びヘビのようななにかを目視した。

 そいつは、ヘビのようで、しかしそのボディは異様に膨らんでいた。

 矢印のような頭はヘビにしては大きく、また、膨らんだボディはヘビにしては短い。


 なにこいつ。……ツチノコ?

 ツチノコにしか見えない。現物は見たことないけど、あまりにも見たことがある……。


「なあ、おい。ツチノコいるぞ、この学校に……! なあおい!」


「違う! あれ私のペットのノコッチ! どうしよう、あんたに殴られて死んじゃう!」


 俺は殺すつもりだったというのに、ペットのツチノコは死んだらまずいらしい。

 ……いやまあ、そりゃそうだろうけどさ。なんか……内心、人の命よりも爬虫類のが上なのかよ。とか思っちゃうよね……。

 いやペットと他人だったら俺もきっとペット優先だろうけどさ……。


「……俺の母さんなら、助けられるかも」


「え……?」


「とりあえず、俺んちこいよ。その代わり、この状況、どういうことなのか洗いざらい吐いてもらうが……どうする? 嫌なら別にいいけど」


 形勢逆転だ。実質、ペットを見捨てるという選択肢は彼女にない。

 無言で頭を縦に振って、彼女はツチノコをタオルでくるんで、俺と共に帰路についた。




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【Tips】


クロノは獣人で治癒力が高いため、頸動脈を切っても普通に動けるぞ!

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