第二十五話 魔力感知

 西暦二千六十九年七月二十四日。

 悪魔ユラに誘われて、俺、愛洲玲寿は嘗ての勇者修行の場、色欲地獄城の中庭へとやってきた。

 広大な、それこそ「砂浜」と錯覚する日本庭園。

 数か月前にドラゴンの炎で焼かれた場所は、嘗ての美観を取り戻していた。


 とても、奇麗だ。


 見慣れた絶景を見詰めていると、俺の脳内に「勇者候補時代の修業の記憶」が走馬灯のように閃いた。


 懐かしい。何だか、とても昔の出来事みたいだ。


 俺は当時の記憶に想いを馳せながら、頭上を見上げて空模様を確認した。


 真っ青だ。


 現在時刻は午後四時くらい。既に「夕方」と言って良いだろう。

 しかし、魔界は日本の「最南端」、沖ノ鳥島に近い位置に在る。その空は、未だ「日中」と言いたくなるほど清々しい「青」が広がっていた。


 遊びに行きたくなってくるなあ。


 夏の空を見詰めていると、プリミティブな遊び心が掻き立てられた。普段出不精気味な俺でも、夏は活動的になりがちだ。叶うならば、今すぐ遊びに行きたい。海に泳ぎに行きたい。山にも登りたい――とは、啼鶯中学生的には思わない。ただ、生き物としての本能に従いたかった。

 しかし、他所事にかまけている暇など、今の俺には微塵も無かった。


「早速だけど――」


 俺が呑気に空を見ていると、対面に立った体操服姿の悪魔が声を上げた。それを直感するや否や、俺は直ぐ様悪魔――ユラを見た。その瞬間、


「!」


 俺は思わず息を飲んだ。

 ユラは、真剣な表情をして、真っ直ぐ俺を見詰めていた。そのきつい視線を意識しした途端、俺の額に汗が滲んだ。その雫がツツツとこめかみ辺りに流れたところで、ユラの可憐な口が開いて、そこから現況に於ける「最優先事項」が飛び出した。


「今から『魔力感知』をする訳なんだけど」

「はい」


 魔力感知。その技を、俺は明日までに習得しなければならなかった。その大事を意識した瞬間、「体が石化した」と錯覚するほどの強い緊張を覚えた。


 一体、どんな辛い苦行が待っているのだろう?


 俺は身構えながらユラの言葉を待った。しかし、俺の不安は全くの杞憂だった。


「私の頭に手を置いて」

「え?」


 ユラの頭に手を置く。そんなこと、彼女の許可さえ貰えれば誰でもできることだ。


 そんなことで良いの?


 俺はユラの要求が余りに意外で、自分の耳を疑い、首を捻った。

 すると、ユラに急かされた。


「早く」

「はい」


 俺は首を捻りながらも、ユラに言われるがまま、彼女の頭に右手を「ポン」と乗せた。その瞬間、俺の掌に柔らかな感触が伝わった。


 気持ち良いな、これ。


 羽毛布団を軽く超える天上の柔らかさ。その感触に、俺は魅了された。衝動に駆られるまま右手を左右に動かして、ユラの頭を撫でてしまった。

 すると、ユラが反応した。


「えへへ」


 ユラの口から嬉しそうな笑い声が上がった。その反応は、俺を調子付かせた。


 もっと撫でてやろう。


 俺は衝動に駆られるままユラの頭を撫で続けた。俺としては、このまま一日中撫で続けていても良かった。

 しかし、そんな幸福が許される立場に、俺は立っていなかった。それを、ユラが教えてくれた。


「えへへへへへ――じゃなくって」

「!?」

「魔力感知」

「あ、うん」


 ユラに促されて、俺は直ぐ様撫でるのを止めた。すると、


「玲君」

「はい」

「私の頭に乗せている掌に意識を集中して」

「分かった」


 俺は即応で目を閉じ、右掌の触覚に全神経を集中した。

 すると、俺の掌にユラの柔らかな髪の感触が広がった。

 しかし、「それ」だけだ。


 これで、どうしろと?


 俺は訳が分からず困惑していた。その最中、ユラの美声が耳に飛び込んできた。


「今、玲君の右手は私の頭――体と繋がっているよね」

「うん」

「その繋がっている『私の体』を、『自分の体の一部』と思って」

「!」


 ユラの体が、俺の一部。その状況を想像した瞬間、俺の心臓が勢いよく跳ねた。その衝撃で、俺の胸から「ズドン」と爆音が聞こえた。


 こいつ、俺に何をさせたいんだ?


 俺はユラの発言に動揺した。心臓は太鼓の早打ちのように「ドドドドド」と超速で鼓動した。その振動で、肋骨が外に飛び出し掛けていた。


 とても、苦しい。けど、やるしかない。


 俺は諸々の痛みに耐えながら、ユラに言われた通り、彼女の体を自分の一部と思って、それに意識を集中した。


 その瞬間、俺の掌に「得体の知れない何か」が触れた。


「!?」


 更に意識を集中すると、俺の掌の下に「人型」をした膨大な魔力の存在を覚えた。


 これって、ユラの魔力か? 多い。それに――「底無し」か!?


 ユラの体は、「魔力そのもの」と言える状態だった。しかも、現在進行形で魔力を生成していた。魔力の塊の内側から止めどなく魔力が溢れて、塊の外側、周囲に撒き散らしていた。


 悪魔の体には魔力を創り出す機能が有るって――こういうことだったのか。


 無限に溢れる魔力。それを実感してしまうと、悪魔と人間の違いを思い知らずにはいられなかった。


 俺達とは、全く違う生き物だ。とても「元人間」とは思えない。


 掌から伝わる感触は、俺にとっては「魔力探知」という名の希望だった。

 しかし、ユラの魔力を意識するほど、俺の気持ちは沈んだ。そのまま「絶望」という名の深海に沈むかと錯覚した。

 その直前、天上の美声が「待った」を掛けた。


「玲君」


 ユラは俺の名前を読んだ。彼女は続け様に、「奇妙な断り」を入れた。


「ちょっと離れるね」

「え?」


 ユラは、俺に宣言するや否や、俺から離れた――ようだ。その事実は、俺の掌に伝わる「柔らかな髪の感触」が消えたことで直感できた。その時点で、ユラとの接触は断たれた。

 

 これじゃ、ユラの魔力が伝わらなくなるのでは?


 俺はユラの頭を追い掛けようと、そちらに向かって右手を伸ばした。しかし、届かなかった。


 ユラとの物理的な接触は、今はもう無い。その為、彼女の魔力は感知できない。そう思った。

 ところが、俺の脳内には「人型をした魔力の塊」が閃いていた。


 あれ? これって――ユラの魔力か?


 離れていても、俺にはユラの魔力が伝わっていた。その現象の意味を考えた瞬間、俺の脳内に「魔力感知」という言葉が閃いた。


「これって――」

「そう」


 俺が声を上げると、ユラも声を上げた。彼女は、続け様に俺の閃きを全力肯定した。


「それが、魔力感知」

「!!」

「後は、その感覚を使い熟せるよう、『実践訓練』だね」

「分かった」


 実践訓練。その言葉を聞いて、俺は直ぐ様鎧を召喚した。


 さて、今日はどんな魔物と戦おう?


 俺は様々な魔物を想起して、その中から「対魔王戦に有効」と思えるものを選ぶつもりだった。ところが、それをユラが邪魔した。


「玲君」

「え?」


 ユラは、唐突に俺の名前を呼んだ。俺は「何だろう?」と首を捻りながら、思考を中止して彼女を見た。

 すると、俺の至近に体操服姿の少女が立っていた。


「あれ?」


 ユラの方から「実践訓練」と言っておきながら、彼女は未だ俺の傍にいた。


 一体、何のつもりなのか?


 俺はユラの行為に疑念を覚えた。傾いた首を更に捻った。すると、見詰める先の可憐な口が開いて、そこから「奇妙な要求」が飛び出した。


「戦闘中、『意識して欲しいこと』が有るの」


 ユラは、魔力感知とは別に、俺に「新たな課題」を与えた。


 第二十六話に続く。

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