第二十三話 魔王
西暦二千六十九年七月二十四日。勇者が決まった日の翌日のこと。
俺、愛洲玲寿は憤怒地獄の円形闘技場に立っていた。この場に立つと、昨日までの戦闘の記憶が閃いた。
あのとき、俺は独りぼっちだった。
しかし、今日の俺は違った。俺の左隣には、山羊角を生やした体操服姿の美少女がいた。
俺とユラは、広い決闘場のど真ん中で寄り添うに立っていた。
互いに半袖短パンの為、剥き出しの肌が真円の空に浮かぶ太陽に焙られていた。
今日も暑く――ううん、「熱く」なりそうだ。
夏真っ盛りの午前十時。しかも、現在地の気候は亜熱帯。どれだけ涼しげな格好をしようとも、長時間の日光浴は遠慮したい。熱中症の危険もある。
それでも、俺達はこの場に立ち続けていた。そうせざるを得ない理由が、俺達の視界に映っていた。
俺達の正面、二メートル先の地面の上に、陽光を浴びて煌めく金属の塊が有った。
それは、白金の金属鎧をまとった騎士だった。頭にアーメット兜を被っている為、相手の顔は確認できない。それでも、俺は相手の正体を直感していた。
魔王様。
直接見えたのは、これが二度目。
尤も、一度目も今回も、鎧の中身を確認している訳ではない。「こいつが魔王だ」と断言しかねる。そのはずだった。
ところが、今の俺は断言できた。
何故ならば、魔王をこの場に呼び出したのは、他ならぬ「俺」なのだから。
今を遡ること数時間。
俺は勇者決定戦時の定宿、「オークの宿屋」にいて、ユラと一緒に彼女が作った美味しい朝餉に舌鼓を打っていた。
俺が夢中でサバの味噌煮を啄んでいた――そのとき、
「あっ」
隣のユラから声が上がった。
普段の「食事中」であれば、俺は絶対に無視していた。しかし、直後にユラの方から只ならぬ気配が漂ってきた。それを直感して、俺は思わず箸を止めた。
これは――魔王様かな?
俺の直感は正鵠を射ていた。
「玲君」
「はい」
「魔王――様から、『願い事は決まったか?』って」
願い事。魔王が約束した勇者への報酬。人によっては「世界の半分をくれ」と願ったかもしれない。俺も、一昨日までであれば、似たような願いを口にしていた。
しかし、今は違う。俺は「最も困難且つ無謀な願い」を想像しながら、ユラに向かって「魔王への要求」を伝えた。
「魔王様には、円形闘技場に来て貰いたい。そこで、直接願い事を伝えるから」
俺が何を伝えるのかは、ユラもよく分かっている。だからこそ、
「分かった」
ユラは即応で頷いた。続け様に、真正面を向いて静かに目を閉じた。それから数秒後、俺達は魔王から「了解」の意を賜った。
現在、黄土色の異世界(円形闘技場)の中に、体操服姿の中二の男女(俺とユラ)と、白金の鎧に身を包んだ騎士(魔王)がいる。
魔王。たった一人で人類を無力化した化け物。その姿を見ているだけで、畏怖の念が募って止まない。今直ぐ諸手を上げたくなった。平伏したくもなった。しかし、
「「…………」」
俺も、ユラも、立ち尽くしたまま無言で魔王を見詰めていた。
俺達の態度は、世界の支配者に対して無礼千万、万死に値する。後でユラから聞いたところによると、俺の態度は「喧嘩を売っている」と思うほど、剣呑としていたようだ。
尤も、実際のところは「滅茶滅茶緊張していた」ということなのだが。
しかし、実のところユラの指摘は当たらずも遠からず。何しろ、今日の俺は「魔王に弓引く反逆者」だったからだ。
俺は強い緊張を覚えながら魔王をジッと見詰め――いや、睨み続けていた。その最中、俺の脳内に魔王の声が響き渡った。
(((願いは決まったか?)))
魔王の質問に対して、俺は静かに頷いた。すると、再び魔王の声が脳内に響き渡った。
(((では、聞こう)))
終に、「そのとき」が来た。
俺は、なけなしの勇気を総動員して口を開いた。
「魔王様に、お願いしたいこと。そ、それ、それは――」
俺の声は震えていた。涙目になっていることも自覚していた。それでも、俺は喉の奥から必死に言葉を絞り出した。
「貴方と、戦う。戦いたい。戦わせて欲しい、です」
俺は、俺の願いを言い切った。すると、白金に煌くアーメット兜が斜めに傾いだ。
(((何?)))
魔王は疑問の声を上げた。それを聞いて、俺は言葉を変えて、改めて同じ内容を伝えた。
「あ、貴方に、けっ、決闘を申し込む」
魔王と決闘。相手の実力を鑑みれば、悪魔であっても正気を疑う狂気の沙汰。何より俺自身が、恐怖で気を失い掛けている。
しかし、前言撤回する気も、勇者に二言も無かった。俺の脳内には「戦う理由」が閃いていた。
惚れた弱みって訳でもないけれど、知っている女子の涙は見たくない。
俺は「子孫の仇を討つ」と念じながら、涙目で魔王を睨み付けた。そんな無礼な態度をとる俺に対して、魔王は寛大だった。
(((良かろう)))
魔王は俺の挑戦を受けてくれた。その回答は、ユラの脳内にも伝わっていた。
「「!」」
俺とユラは、同時に息を飲んでいた。互いの反応を直感した瞬間、俺達は同時に振り向いて、顔を見合わせていた。
「「…………」」
俺達は無言で見詰め合った後、どちらともなく頷き合った。
終に、「未来の因縁」に決着を付けるときがきた。
俺としては、この一回で勝負を付けるつもりだった。尤も、「勝てるのか?」と問われたならば、俺が真っ先に閃く答えは、「無理」だった。
俺と同じ結末を予想した者が、この場にもう一人いた。
(((但し――)))
魔王は、俺の挑戦を受けるに際して「条件」を付けた。それは、俺にとって有利なものだった。
(((三回まで、挑戦を許す)))
何と、コンティニューが利くとは。
俺の残基は「三」。それが尽きる前に、魔王を倒せば良い。挑戦者有利の好条件を聞いて、俺は内心でほくそ笑んでいた。その余裕は、残念ながら余り長くは維持できなかった。
俺の心が折れる機会は、存外に早く巡ってきた。
(((それでは、早速始めよう)))
「「!」」
魔王の言葉を聞いた瞬間、俺とユラの体がビクリと震えた。「自ら望んだこと」とは言え、頼んだ直後に戦闘することになろうとは。
もしかして、「今日の内に三回戦え」とか?
俺は様々な「最悪の展開」を想像した。思わず、助けを求めて隣に立つユラの顔を見た。すると、彼女は自分の顔辺りに右拳を掲げて、
「d」
親指を立ててサムズアップした。それと同時に満面の笑みを浮かべて、
「玲君なら、勝てる」
俺の勝利を全力で保証した。それを聞いて、俺の心が幾分か軽くなった。
ユラが言うなら、きっと勝てる。
俺はユラの言葉を信じた。いや、信じるよう自分に言い聞かせた。
「それでは――召喚させて頂きます」
俺は魔王と戦うべく、自身の分身、生ける鎧を召喚した。
程無くして、俺の目の前に鎧武者が現れた。その姿を肉眼で視認した瞬間、唐突に魔王がクルリと踵を返した。
(((…………)))
魔王は無言のまま、スタスタ歩いて俺達から離れていった。その間、俺とユラは、
「「…………」」
黙って白金の背中を見詰めていた。
暫くして、彼我の距離が二百メートルほど離れた。すると、魔王は立ち止まってこちらを向いた。
(((用意は良いか?)))
「はい」
魔王の問いかけに、俺は即答した。それが、試合開始の合図だった。
(((では――掛かって来い)))
終に魔王との対決の瞬間が訪れた。それを直感するや否や、俺は鎧に向かって必殺技を念じた。
虚空剣、真空斬りっ!!!
鎧は即応した。電光石火の早業で腰に差した打刀、妖刀ムラマサを抜き放ち、そのまま前方の空間に向かって居合斬りを繰り出した。
刹那、何も無い空間に亀裂が入った。それは瞬く間に拡大して、百メートル先の騎士の方へと伸びていった。
ムラマサが創った亀裂は、騎士に届いた。それを直感した瞬間、俺は亀裂に向かって念じた。
このまま、騎士を――魔王を斬れっ!!!
俺の想いに応えるように、亀裂は騎士――魔王に襲い掛かった。その光景を、俺は鎧の視界越しに視認した。
斬ったかっ!?
俺は勝利を直感した。
しかし、俺が「斬ったか」と直感した刹那、より正確に言えば、「斬った」と「か」の僅かな間に、魔王の右手が光っていた。
「!?」
目が眩むほどの閃光が起こった。それが、俺の鎧の視覚を焼いた。
その一瞬、俺は相手の姿を見失った。
しまったっ!?
俺は強い危機感を覚えた。その衝動に駆られるまま、直ぐ様白金の騎士の姿を確認した。
幸いにして、謎の光は直ぐに収まった。その為、俺の視界に白金の騎士の姿を捉えることができた。
魔王は右手で直剣の柄を握ったまま、その場に突っ立っていた。その状況を目の当たりにして、俺は強い違和感と疑念を覚えた。
斬れていない? 何で?
鎧の視覚越しに見た魔王の姿は「全くの無傷」だった。その状況を見れば、こちらの攻撃が当たっていなかったと分かる。しかし、攻撃が防がれた理由や原因は、俺には全く分からなかった。
何がどうなった? どうしよう? どうしたら良い?
理由や原因が分からない以上、対応策が思い付く訳が無かった。だからと言って、戦闘中にノンビリ考えている暇も無かった。俺は「訳が分からん」と混乱しながら、鎧に向かって次の攻撃を念じた。
突進っ、今度は直接叩き切るっ!!!
鎧はムラマサを八双に構えた。その状態のまま、超速で地面を掛けた。
鎧が駆けている間、魔王は動かなかった。
瞬く間に彼我の距離は詰まった。俺の望み通り打刀の間合いに入った。その事実を直感した刹那、俺の脳内に新必殺技の名前が閃いた。
愛洲妖刀流奥義――「驀進剣、真っ向唐竹割り」っ!!!
鎧はムラマサを大上段に構え直し、そのまま勢い良く振り抜いた。
刹那、魔王の右手が動いた。しかし、それは余りに遅い反応だった。
魔王が直剣を抜き放つより先に、ムラマサの刃が白金のアーメット兜に届いていた。
貰ったっ!!!
俺は勝利を直感した。歓喜の想いが心中で爆発した。
その瞬間、俺の脳内が「真っ白」に染まった。
「!?」
一瞬、「自分の想いが脳内に溢れた」と錯覚した。しかし、直後に「違う」と直感した。
鎧の視界が――「光」で埋め尽くされているっ!?
俺は咄嗟に「肉眼」で状況を確認した。すると、俺の視界に直接「光」が飛び込んできた。
鎧と魔王がいた個所が眩い光に包まれていた。それを視認した瞬間、俺の脳内が真っ暗闇になった。それと同時に、鎧と繋がっていた全ての感覚も消えていた。
感覚が消える。その現象の意味を、俺は身に染みて理解していた。
負けた?
まさかの可能性を直感して、俺は強い精神的衝撃を受けていた。それが冷めやらぬ間に、鎧と魔王を包んでいた光が消えていた。
その場に立っていたのは、白金の騎士だけだった。俺の鎧の姿は、影も形も無くなっていた。
何で? 何がどうなった?
俺は訳が分からず混乱した。しかし、訳が分からずとも、結果だけはよく分かっていた。「それ」を全肯定する魔王の声が、俺の脳内に響き渡った。
(((次は――明日の午前十時でどうだ?)))
魔王の提案を聞いて、俺は――黙って頷いていた。
第二十四話に続く。
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