第二十二話 悪魔の涙

 ユラは、俺の遠い子孫だった。ユラが隠していた真実を聞いた後、俺は色欲地獄城天守閣最上階に有る「展望室(俺が勝手に命名)」へとやってきていた。


 展望室は、色んな意味で色欲地獄の頂上部。ベランダから外を見ると、色欲地獄の全貌が確認できた。それは、色欲地獄城に入ったならば絶対見たい、ご当地随一の絶景だった。

 しかし、俺は見ていなかった。そもそも、ベランダに立っていなかった。


 俺は展望室の板張りの床のど真ん中で、全身で「大」の字を描きながら寝転がっていた。

 俺の視界に映っているのは、太い柱を何本も組み合わせた展望室の天井だった。匠の技を凝らした建築様式ではあった。しかし、それを見ても、俺の心は騒がなかった。そんな気には全くなれなかった。

 俺の心も、脳内も、全く別儀で埋め尽くされていた。


「…………どうしたものか」


 ポツリと、正直な気持ちが漏れた。それと同時に、俺の脳内でユラから聞いた話が次々閃いた。その内容想起するほどに、頭の重量が増したように錯覚した。その感覚を意識するほどに、俺の心が磨り潰された。胸も痛くなった。吐き気もした。

 それでも、考えずにはいられなかった。


 あれは、とっても大事な話だ。きっと、俺にとっても、人類にとっても、魔王にとっても。何より、ユラにとって「存在意義そのもの」と言えるくらいに。


 ユラの話に付いて、俺なりに分かったことを時系列順に簡単にまとめると、以下の通り。

 俺達が「魔王」と呼ぶ男、「光の支配者」は、「氷片の剣聖」と呼ばれる魔王と親友同士だった。

 氷片の剣聖は、その本名を「愛洲P寿」という。ユラの実父にして、この俺、愛洲玲寿の子孫に当たる存在だった。


 二人の魔王達は、それぞれの国を発展させるべく、共同で魔法の研究をしたり、共同で後進を育成したりする機関(ユラの母校など)を作ったり、様々な分野で協力し合っていたようだ。


「「何れ一つの国となる」」


 二人の魔王達は同じ夢を見て、それに向かって邁進していた。

 しかし、二人の願いは叶わなかった。


 魔王達が互いを殺し切る武器、「魔王殺し」を生み出した。それを使って、実際に魔王を殺した魔王がいた。


 それが、光の支配者。そして、殺された魔王が氷片の剣聖だった。


 何故、「親友殺し」と言う凶行に踏み切ったのか? その理由は、以前闇の中だ。知りたくば、魔王、光の支配者に聞く他無いだろう。


 分かっていることは、魔王殺害の凶行が切っ掛けとなって、世界を巻き込む戦争、「魔王殺し大戦」が勃発した。


 魔王同士の凄まじい魔法合戦の末、世界は滅びた。その最後の瞬間を迎えた瞬間、光の支配者は何を思ったのだろうか?


 俺は魔王のことはよく知らないので、想像も付かなかった。しかし、悪魔のユラにはなんとなく想像が付いたようだ。


「そんなことになってから、漸く自らの過ちを悔いたみたい」


 ユラは憎々しげに、吐き捨てるように言っていた。それが当りかどうかは、俺には分からない。しかし、その後彼が何をしたのかは、俺もよく知っていた。


「光の支配者は、悪魔達を連れて過去の地球に移住した」


 現実として、悪魔達は俺達の前に現れている。それは「現実」として認めざるを得ない。

 しかし、俺達の目に映っている事象が「全て真実」という訳ではなかった。


 まさか、ユラ達の体が「借り物」だったなんて。


 未だ光の支配者と氷片の剣聖と懇意であった頃、彼らは「もしもの場合に備えて」と、複数名の悪魔の生物情報、所謂「魂」を保管していた。


 光の支配者が「過去への移住」を決めた際、自分の従者(眷属)として特別性格の良い者を選抜した。その中に、氷片の剣聖の娘、「愛洲U良」、俺の知るユラも含まれていた。


 光の支配者がユラを選んだ真意に付いて、ユラは「分からない」と言った。俺も、当然ながら分からない。そのはずだ。

 しかし、今の俺脳内には「もしかして」と思える可能性が閃いていた。


 魔王様はユラに討たれることを望んでいるのかもしれない。


 俺の憶測が「当り」であって、ユラが俺に魔王討伐を望むのなら、その役目を担うのは「俺」ということになる。その可能性を想像すると、これまでの出来事が「全て意図的」であるような気がしてならなかった 


 ユラの言う通り、俺は「勇者に成るべき存在」ってことなのかな。


 ユラが言うには、「俺はユラとユラの父、氷片の剣聖の先祖」とのこと。それを信じるならば、「元々魔王殺しを生み出す素質が有った」と思えなくもない。ユラが俺を見染めたことも、彼女が「俺の子孫」ということを鑑みると、偶然とは思えない。その上、彼女には「俺の子孫」という以上に、もっと深いかかわりが有った。


 まさか、俺の未来のお嫁さんが、「前世のユラ」だったなんて。


 俺が知っている「ユラ」という悪魔は、元は「天城由良(アマギ・ユラ)」という人間だった。その女性が、ユラが言うには「愛洲U良(ユラ)の前世の姿」だった。


 魂だけの存在だったユラは、人間・天城由良と融合することで「現世の悪魔」として蘇った。そのような方法で顕現した悪魔は、他にも何人かいるらしい。

 前世の体が無い悪魔達に付いては、「相性の良い人間にとり憑いた」とのこと。


 何れにせよ、現世の人間が犠牲になっている。その事実を知らされて、俺は「頭が割れた」と思えるほど強い精神的衝撃を与えた。それと同時に、吐き気を催す忌避感も覚えていた。


 今を生きる人間を犠牲にするなんて。


 思わず、「流石悪魔。血も涙も無い」と詰りたくなった。しかし、


「…………」


 俺は何も言わなかった。

 別に「悪魔達に遠慮した」という訳ではない。少なくとも、ユラの場合は「俺でもそうする」と思いたくなる事情が有った。


「私達が現世にやってきたことで、天城由良の運命が変わってしまったの」


 この世界は、「二人の同一人物の存在」を許さなかった。世界が選んだのは「ユラ」の方だった。


 元々、天城由良は病弱だった。「生命力が弱い」ということは、「現世に留まる力が弱い」ということでも有った。


 結果、ユラが何もしなくとも天城由良の命運は尽きた。いや、尽き掛けていた。それを、ユラが融合することで何とか一命をとりとめることができた。

 しかし、救えたのは「命」だけだった。


 悪魔ユラが顕現したことで、「天城由良」という存在は消えた。彼女を取り巻く全ての人々の記憶から消えてしまった。それが、「魂の融合」という神をも恐れぬ所業の弊害だった。


 むしろ人間として死なせてやった方が、幸せだったのかもしれない。


 天城由良のことを覚えている者は、人間の中には誰もいない。誰からも覚えて貰えないなど、何の為に生まれてきたのか分からない。その結末に思いを馳せるほど、やりきれない思いが胸を衝いた。


 どうすれば良かったんだろう?


 何が正解で、何が間違いだったのか? 幾ら考えても、答えは全く見えなかった。余りにも難解で、何もかも投げ出したくなった。俺の脳何「勇者を辞退する」という選択肢が閃いていた。それを意識した瞬間、


「玲君」


 風鈴のような涼やかな美声が、俺の耳に飛び込んできた。それを直感するや否や、俺は即応で上半身を起こした。

 すると、俺の視界に体操服姿の少女の姿が映った。


「ユラ――」


 俺が名前を呼ぶと、ユラは俺の傍に寄ってきて、そのまま両膝を着いた。

 ユラの美貌が、息が掛かるほどの至近に迫っていた。そこには、今にも泣き出しそうな表情が浮かんでいた。


 何て顔をしているんだ。


 ユラの顔を見ているだけで、俺の胸が軋んだ。俺の心底から、ユラを励ましたい衝動が沸き上がった。俺の脳内では慰めの言葉が幾つも閃いた。


 ああ、もう。女の子の涙は――苦手だ。


 何とかして、何とかしてやりたい。その想いは、秒毎で募っていた。しかし、


「…………」


 俺は何も言えなかった。俺の体は「待ち針」で留められているかのように、全く動かなかった。ユラも、直ぐには何も言ってこなかった。


「「…………」」


 暫く、俺達は無言で見詰め合っていた。その沈黙を破ったのは、ユラだった。


「玲君」

「!」


 至近で名前を呼ばれた。その瞬間、ユラの息が顔に掛かった。しかし、俺はユラの反応に集中していて、そんなことは全く気にならなかった。


「…………」


 俺は無言のまま、ジッとユラを見詰めていた。すると、ユラの可憐な口が僅かに開いた。


「『全部』終わったら――」


 全部。それが「魔王討伐」であることは、何となく想像が付いた。その可能性を想像すると、俺の脳内に「拒否」とか、「無理」とか、ネガティブな言葉が幾つも閃いた。それを吐き出したい衝動にも駆られていた。しかし、


「…………」


 俺は堪えた。いや、「言えなかった」というべきか。俺の中で「ユラの願いに対する答え」は、まだ出ていなかった。

 俺は黙ってユラの話の続きを待った。すると、ユラの顔から表情が消えた。


「!」


 能面の様な無表情。それを直感した瞬間、俺の体に電撃が奔った。その感覚に体を振るわせていると、能面の裂け目と化したユラの口が開いた。


「私は――」


 ユラの声は「鋼鉄製」と錯覚するほど硬かった。しかし、感情を抑えきれていないのか、僅かに震えていた。


 まるで、泣いているみたいだ。


 ユラの変調を直感した瞬間、俺の胸が一層激しく軋んだ。「心臓が裂ける」と錯覚した。しかし、俺が覚える「痛み」は、きっと、ユラが覚えている感情には遠く及ばないのだろう。そう思わせる言葉が、能面の裂け目から飛び出した。


「私は『罪』を償おうと思うの」

「!」


 罪。その言葉を聞いた瞬間、真っ先に「天城由良」の名前が閃いた。その直感は、正鵠を射ていた。


「許されるなら、『天城由良』として生きたい」


 天城由良の復活。彼女はユラと同化したことで、「彼女が存在した」という記憶毎この世から消えた。今や彼女のことを覚えている者は誰もない。そのはずだった。


 しかし、唯一人だけ、彼女を覚えている者がいた。


「私の中に、『天城由良の記憶』が有るの」

「!」

「私なら、彼女と関わってきた人達に、彼女のことを思い出させることができる」


 ユラの魔法を使えば、天城由良に成りすますなど造作もないのだろう。そうすることで、「天城由良が存在した」という事実が周りの人々の記憶に刻まれる。その可能性を想像すると、「やらないよりは、余程マシ」と思わなくもない。しかし、


「…………」


 俺は何も言わなかった。いや、言えなかった。それを躊躇う理由が、俺の脳内に閃いていた。


 今度は「悪魔の方のユラがいなくなってしまう」んじゃないのか?


 ユラと天城由良は同一人物だ。天城由良が表に出れば、嘗ての天城由良がそうであったように、「悪魔ユラ」という存在は誰も認識できなくなる。

 ユラの消失。その可能性を想像すると、軽々に頷くことはできなかった。


「…………」


 今の俺には、黙ってユラを見詰めることしかできなかった。

 すると、俺の視界の中で、ユラの美貌がクシャリと歪んだ。


「!?」


 ユラの目がウルウル潤み出した。その眦に涙が溜まり出した。ユラは、それが流れ出すのを必死に堪えながら、震える声を上げた。


「わ、私には、それくらいしかできないから」


 ユラの決断。彼女のことを大事に思うほどに、それを無視することは難しい。だからといって、軽々に頷くこともできなかった。


 俺は、どうしたら良いんだろう? 何て言えば良いんだろう?


 一人の人間として、「天城由良の復活を望むべき」と思う。しかし、「愛洲玲寿」という個人にとって、天城由良は遠い存在だ。将来的に「俺の嫁になる」と聞いていても、今は他人だ。少なくとも、ユラより親しくは無かった。


 今の俺には「ユラの方が大事」、なんだよな。


 親しい人がいなくなる。その悲しみを受け入れることは、俺には難しかった。その為、ユラの決断を受け入れることに、躊躇いを覚えて止まなかった。


「…………」


 俺は固まっていた。ユラの決断に付いて考えるほど、俺の体を留める「精神的待ち針」が数を増していった。今の俺には無言でユラを見詰めることしかできなかった。その行為は、愚行中の愚行、完全な過ちだった。


 俺が黙っていると、ユラの両眼から涙が溢れた。


「!?}


 俺はユラを泣かせてしまった。その反応を見て、それで漸く自分の愚かしさを思い知った。今更ながら「何か声を掛けるべきだった」と反省した。

 しかし、先に声を上げたのは、俺ではなくユラだった。


「玲君のことも――」


 ユラは流れる涙を隠そうとも拭おうともせず、震える声を上げ続けた。


「私にできることなら、何でもする。だから、それで、どうか――」


 ユラの声は、完全に「涙声」になっていた。両眼から溢れた涙は幾筋もの川となって、彼女の頬を濡らしていた。その様子を、俺は――


「…………」


 黙って見詰めていた。情けないことに、それしか今の俺にできることは無かった。それ以外は、何も閃かなかった。


 しかし、「俺がユラの為にできること」が、もう一つ有った。それを、ユラが教えてくれた。


「勇者、愛洲玲寿」

「!」

「魔王殺し、妖刀ムラマサで、魔王を――光の支配者を殺して」

「!!!」

「魔王、氷片の剣聖の、私の父の仇を討って」

「!!!」


 ユラは、俺に「魔王討伐」を依頼した。それを果たせる者は、「勇者」を措いて他に無い。この地球上に存在する勇者は、現在のところ唯一人。


 勇者は――俺だ。


 勇者の使命を躊躇う理由は、俺の中には幾つも有った。しかし、それを凌駕して余り有る理由が、俺の目の前に有った。


 俺以外、ユラの涙を止める者はいない。


 我ながら、「ちょろい男」と思わなくもない。それでも、目の前で泣かれて、それを無視することは、勇者となった俺にはできなかった。


「分かった」


 俺はユラの願いを受け入れた。それを告げた瞬間、俺の体が勝手に動いていた。


 俺の両腕が、ユラの背中に回った。そのまま背中を抑え込んで、彼女の小さな体を抱き締めた。その瞬間、


「!?」


 ユラが息を飲む気配が伝わった。その反応を直感して、俺は彼女が嫌がっている可能性を想像した。

 しかし、俺はユラを離さなかった。むしろ、より一層強く抱き締めた。すると、直ぐ耳元でユラの声が上がった。


「れ、玲君?」


 ユラは困惑していた。それを聞いても、俺は彼女を離さなかった。


 何故、俺はこんなことをしているのか?


 実のところ、俺自身が自分の行為に困惑していた。しかし、その動機と理由は理解していた。


「俺にできることが有れば、何でもしてやる。だから――」


 俺はユラの望みを叶えることを約束した。しかし、これには交換条件が有った。「それ」が、俺の行為の動機と理由だった。


「泣くな」


 俺が提示した条件は、直後に破られた。


「ううっ、うあああああああああああああああああああああああああああっ!!!」


 ユラは俺の腕の中で泣いた。号泣した。その嗚咽混じりの慟哭を聞きながら、俺はこれまで紡いできた「ユラとの思い出」を一つひとつ想起した。


 そう言えば、ユラが泣いたところって――見たこと無かったかな?


 ユラの笑顔は何度も見た。怒った顔も、それと同じくらい見てきた。しかし、涙を見たのは今日が初めてだった。


 ユラは、今までずっと――こんな想いを抱えていたんだな。


 ユラは幾度となく「秘密」とか、「内緒」と言い続けてきた。その事実を想起するほどに、俺の胸も切なさで軋んだ。


 せめて、今だけでも。


 俺は当時のユラの心情を慮りながら、彼女の頬を伝う真珠の煌めきが潰えるまで、腕の中に有る小さな体を抱き締め続けていた。


 第二十三話に続く。

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