第二十一話 魔王の娘

 冥府の底のように薄暗い、座敷牢のような密室。そんなおどろおどろしい空間に、風鈴の音のような涼やかな美声が響き渡った。


「ここなら、魔王――ううん、『あの男』の目も届かない」

「!?」


 ユラは、魔王を「あの男」と呼称した。それを告げた彼女の口調は、茨のように刺々しかった。


 まるで、親の仇を呼ぶような物言いだな。


 ユラの立場を鑑みると、有り得ない話だ。俺は「聞き間違い」の可能性を想像していた。ところが、


「今から話すことは他言無用。私達が『魔王』と呼ぶ、『あの男』にも内緒にして」

「!!」


 ユラは、再び魔王を「あの男」呼ばわりした。「二度目」となると、聞き間違いを疑う訳にもいかない。その事実を直感して、俺の背筋が恐怖と忌避感で凍り付いた。


 ああ、こんな言葉、聞くんじゃなかった。


 俺は「この場に余人はいない」と知りながらも、咄嗟に辺りを見渡してしまった。その間抜けな行為の最中、再びユラの声が耳に飛び込んできた。


「玲君」

「は、は――いっ!?」


 ユラに名前を呼ばれて、俺は即応で彼女の方を見た。すると、底冷えするような冷たい視線が、俺の両目に突き刺さった。


 これ、もしかして、ユラに殺されるのでは?


 俺は最悪の可能性に怯えながら、ユラの顔色を窺った。すると、見詰める先の可憐な口から、全く予想外の言葉が飛び出した。


「覚えているかな?」

「え?」


 何の話だ?


 俺はユラの言葉の意味が分からず、首を捻った。すると、ユラは「俺が理解していない」と理解したらしく、先の質問が指し示す「対象」を教えてくれた。


「昔、『魔界の話』をしたことが有ったでしょ?」

「あ――うん」


 魔界の話。それを聞いたのは、小学五年生の頃だった。実に遠い記憶だ。しかし、「魔界滅亡」という衝撃的な内容の為、直ぐに「あれか」と想起することができた。

 俺はユラの質問の意味を理解した。しかし、今更魔界の話を持ち出す意図は、皆目見当も付かなかった。その想いが、俺の口を衝いて出た。


「それが――どうしたの?」


 そもそも、魔界滅亡は過去の話。俺にとっては「他所の星の話」だ。現況には全くかかわりが無い。そう思っていた。そう思い込んでいた。

 ところが、実は俺に関わりが有る話だった。それどころか、全人類にも関わりが有った。その事実を、ユラが教えてくれた。


「あれって、本当は『地球の話』なの」

「え?」

「尤も、二百年くらい後の――『未来の話』なの」


 地球の未来の話。ユラの言う「地球」とは、多分、俺達の地球なのだろう。その可能性は、直ぐに思い当たった。しかし、


「え? あれ? え?」


 俺の頭と心が、理解することを全力で拒んでいた。そうならざるを得ない理由が、俺の脳内に閃いていた。


 それって、俺達人類が滅亡するってことでは?


 二百年後、人類は滅亡する。そんな未来は有って欲しくは無い。俺の心は全力で「全否定」の方向に舵を切っていた。その想いが溢れて、


「何? 冗談――だよね?」


 俺は無理矢理な笑みを浮かべながら、やんわりと否定した。

 しかし、ユラは即応で首を横に振った。「それが現実」と言わんばかりに、同じ内容を、より詳細に繰り返した。


「滅亡したのは、西暦で言うと二千二百七十年代かな? その頃は、誰も時間を気にしていなかった(魔法で不老の上、戦争で時間を気にする余裕無し)から、詳しい年月までは分からない」


 二百年後であれば、俺は生きていないだろう。そういう意味では「俺にかかわりは無い」と言えなくもない。しかし、人類の一人として認めたくは無かった。


「それって、おかしくない?」


 俺はユラの話を否定する為に、疑念を口にした。その間にも、脳内で「否定する材料」を全力で検索していた。

 しかし、俺は遅かった。俺が何か閃くより先に、ユラが声を上げた。


「妖刀ムラマサ」

「!」

「何で『日本に有る刀』が、魔王殺しの名前になっていると思の?」

「それは――」


 ユラに指摘されて、それで漸く気付いた。いや、「今まで気付かない振りをしていた」と言うべきか。


 思えば、魔王が地球人の前に現れた際、何故か「西洋騎士の格好」をしていた。尤も、それは現況の魔界のように、「地球文化を研究した成果」と思えなくもない。

 しかし、魔王も、悪魔(ユラ)も、余りに詳しく地球の文化を知っていて、それに馴染んでいた。彼らの思考も、全く理解不能なものではなく、むしろ共感を覚えることの方が多かった。


 そもそも、「悪魔」という存在自体が地球由来なのだ。


「それにしたって――」


 俺は全力で「ユラの言葉の粗」を探した。しかし、考えるほどに「魔界は未来の地球説」を信じたくなった。そう思わざるを得ない出来事に、俺は幾度となく遭遇してきた。それら一つひとつを想起する度、脳内で閃き掛けた反論の言葉が霞のようにスウッと消えていった。


「それにしたって? 何?」

「…………」


 俺は反論できなくなっていた。しかし、それでも、心は頑なだった。人類の一人として、滅びの運命は受け入れ難い。絶対に、認められない。

 金剛石並みに凝り固まった意固地な想いが、俺の口から零れ出た。


「俺には――分からない」


 俺は理解することを拒否した。それに対してユラは、


「…………」


 何も言わなかった。彼女は、その美貌に悲しそうな、悔しそうな、どちらとも取れる複雑な表情を浮かべて、俺をジッと見詰めていた。その表情を見ていると、俺の胸がキュウっと締め付けられた。


 何て顔をしているんだ。


 ユラの顔を見詰めるほどに、彼女の心境が気になってくる。それを知る手段は、今の俺には一つしかなかった。


「話を、続けて」


 俺が促すと、ユラは小さく頷いた。


「大まかなところは、前に話したことの繰り返しになるけど――」


 ユラは魔界滅亡の経緯、魔法を得た人類が辿った悲惨な末路を語り出した。その殆どの内容は、ユラが言った通り、俺にとっては既視感を覚えるものだった。

 ところが、魔界(未来の地球)滅亡の切っ掛けとなった「魔王殺害」のところで、全く初耳の情報が追加された。


「最初に殺された魔王は、『氷片の剣聖(ソードマスター・オブ・アイスピース)』と呼ばれたお方。そして――」


 氷片の剣聖。その名前自体は、全く初耳のものだった。しかし、俺は奇妙な既視感を覚えていた。


 あいす、ぴーす? どこかで聞いたような? 誰かの名前に似ているような?


 俺は脳内で何度も「あいすぴーす」と繰り返した。そうすることで既視感の正体が分かる気がした。しかし、それに手が届く前に、俺の脳に新たな情報が追加された。


「彼を殺めた魔王、それが――」


 魔王殺しの魔王。その正体は、実は俺達にとっては既知の存在だった。


「私達が『魔王』と呼んでいる男」

「!?」

「当時は、『光の支配者(ライト・ルーラー)』って呼ばれてたかな」


 まさか、あの魔王様が全ての元凶だったなんて。


 未来の地球、未来の人類が辿った末路を考えると、魔王のことを「全人類の敵」と呼びたくなった。その一方で、「魔王達が俺達の地球に来た理由」が、分かったような気がした。


 もしかして、贖罪のつもりなんだろうか?


 過去改変。そんなことをしても、魔王達がいた未来の地球は救われないのかもしれない。それでも、「人類を救いたい」という想いは、同じ人類として分からなくもなかった。その可能性を想像して、俺は一旦首を縦に振りかけた。しかし、俺は途中で顎を真横に捻っていた。


 本当に、「それ」が魔王の望みか? そうだとしたら、何か――嫌だな。


 これまで、俺は勇者に成る為に様々な努力や苦労を重ねてきた。その苦難に耐えてきたのは、それが「人類の希望」と信じていたからだ。

 しかし、もしかしたら「魔王の自己満足」なのかもしれない。そう思うと、「これまでの努力は無駄だった」と虚しさを覚えて止まなかった。その想いが募るほどに、魔王に真意を問い質したくなった。その想いを遂げる機会と権利が、俺には有った。


 魔王様への願い事、「これ」にするかな?


 俺は「勇者になった御褒美」を利用しようかと考えていた。その最中、


「玲君」

「!?」


 唐突にユラから声を掛けられた。それに気付いて、彼女の方を見た。その瞬間、俺の両目が「殺意」で射抜かれた。


 えっ!? 恐っ!!


 ユラの瞳の中で、殺意の炎が燃え盛っていた。彼女は、その炎で俺の両眼を焙りながら、より一層怨念の籠った声を上げた。


「あの男――魔王を殺して」

「!!!」


 一瞬、聞き間違いかと思った。思いたかった。

 しかし、残念ながら間違いでは無かった。ユラは俺に向かって、「魔王への願い事」の内容を指定した。


「勇者になった報酬で、『魔王との対決』を要求して」

「なっ!?」


 魔王との対決。それは、「古今東西、勇者の使命の定番」と言えるものだろう。

 しかし、「それ」を実行すれば、俺の命は、多分、いや、絶対尽きる。それでも、


「どうしても、殺して欲しいの」


 ユラは、重ねて俺に要求した。


 何で、こんな無茶を頼むの?


 俺にはユラの真意が見えなかった。頭の中は「?」だらけだった。思わず眉間を抑えて考え込んでしまった。その様子は、ユラの目のもシッカリ映っていた。


 俺が困惑していると、ユラは殺意に燃える瞳を伏せた。彼女は俺の胸元を見詰めながら、震える声でポツリポツリと、降り始めた小雨のように言葉を漏らし出した。


「あいつに殺された魔王、氷片の剣聖――ううん、『愛洲P寿(アイス・ピース)』には、『娘』がいたの」


 娘。それが誰のことを言っているのか、俺には分かる気がした。その直後、想像通りの内容が、俺の耳に飛び込んできた。


「それが私、『愛洲U良(アイス・ユーラ)』」


 ユラは魔王の娘だった。その事実は、俺にとって衝撃だった。驚いて息を飲んだ。いや、 飲み掛けた。ところが、その一瞬の機会すら与えられなかった。


 俺が反応する間も無く、ユラの口から「更なる衝撃的な事実」が次々飛び出した。


「私達は貴方――『玲君の子孫』なの」


 ユラが俺の子孫?


「貴方は、『私達の御先祖様』なの」


 俺がユラ達の先祖?


「今の私の体は、貴方と結婚するはずだった人――『前世の私』なの」


 ユラが俺の嫁――の、前世? え? ど、どどどどういう、どういうこと?


 ユラからもたらされた全ての情報が、俺の脳ミソを激しく揺り動かしていた。


「――――――――――――――――…………」


 俺の思考回路は短絡した。もう、ユラが何を言っているのかサッパリ分からない。理解できない、したくない。


 その後も、ユラから色々な情報を聞いた――気がする。しかし、それを気にするだけの精神力は、俺には無かった。


「ちょっと、待って」

「えっ?」

「暫く、一人で考えさせてくれ」


 全ての話を聞き終えた後、俺はユラに暇を請うた。すると、


「分かった。けど、時間は余り無いかも」


 ユラは、俺の要求を飲んでくれた。その際、彼女の美貌に悲しげな表情が浮かんでいた。それを見てしまうと、彼女の今の心境が気になった。しかし、


「…………」


 俺は何も言わなかった。今の俺にはユラを気遣う精神的余裕は無かった。


「ここから――出して」


 俺は、ユラに座敷牢からの脱出を願った。彼女は、それに応えてくれた。


 座敷牢を出た後、俺は心労で重くなった体を引き摺りながら、一人で天守閣の最上階に上っていた。


 第二十二話に続く。

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