第十九話 神剣フラガラック

 普段の起床時間通りに目を覚ますと、室内は陽光に焙られていた。


 ああ、南国。


 魔界は日本の沖ノ鳥島近海に在った。気候は亜熱帯に属している。そのせいか、俺は「陽射しが割増しで強化されている」と錯覚した。


 何だか、「早く起きろ」と急かされているような?


 剥き出しの肌に陽光の刺激をヒシヒシ覚えながら、俺はノロノロと起き上がった。その際、俺の体を覆っていた羽毛布団がハラリと捲れた。


 布団の中には誰もいなかった。


 昨夜もユラと同衾していた。その匂いや温盛も、未だ残っている。しかし、彼女がいないのは、全くいつも通りのことだった。

 ユラはいつも俺より先に起きて、俺を放って部屋を出ていく。これまでの出来事を鑑みれば、現況は至極当然と納得できた。

 しかし、俺は一つの疑念を覚えていた。


 もしかして、今朝もユラ達がご飯を運んでくるのかも?


 ご馳走を頂く。その行事は、今の俺にとって「唯一無二の心のオアシス」だった。それを恙なく完遂する為には、現況のままでは拙い。とても拙い。

 俺は危機感と焦燥感に駆られるまま、急いで布団を片付けた。


 全ての寝具を丸めて部屋の隅に追いやると、今度は開けた浴衣を脱ぎ、キチンと畳んで布団の傍に置いた。


 今、俺は下着姿となった。


 下着(トランクス)を見ると、それは綺麗だった。それこそ「洗い立て」と錯覚するほど綺麗だった。その状態に対して、違和感を覚えて止まない。序に言えば、俺自身の体も、「魂を洗濯した」と錯覚するほど爽快だった。


 昨夜の内に何が有ったのか?


 記憶を手繰ると、山羊角生やした悪魔の顔が閃いた。

 昨夜、俺はユラから魔力を補充されている。その副作用、或いは後遺症が、「現況」だった。


 いつものことながら、「何」が有ったのか気になる。


 起床時の出来事。それは、小学五年生以来、毎日のように経験してきた。しかし、現況の原因や理由は未だ謎のままだ。それを解明しようとすると、脳内に閃いたユラの可憐な口が開いた。


「内緒」

「!」


 ユラの秘密は存外に多い。それら一つひとつを想起する度、不満やら、苛立ちやら、諸々の負の感情が湧いてくる。それら全てを解決したいし、解消したかった。

 これまでは、彼我の立場上、俺が我慢するしかなかった。しかし、今の俺には希望が有った。


 俺が勇者に成れば、ユラの秘密が明かされる。


 全ての秘密が――という訳ではなかった。それでも、幾つかの謎が明かされれば、その分だけ俺の不満は解消される。その可能性想像すると、俺の心底に「ヤル気」という名の熱い想いが沸々と湧いてきた。それに衝き動かされるまま、俺は天に向かって右手を突き上げた。


「俺は勇者に成るっ!!」


 俺は大声で決意を叫んだ。その際、俺は全く気付かなかったのだが、既に部屋の出入り口の襖が開いていた。

 襖の向こう側で、ユラとオーク達が立ち尽くしていた。


「「「…………」」」


 ユラと、二人のオークは、無言のまま、生暖かい目で俺の奇行を見詰めていた。


「「「…………」」」

「…………」


 俺達四人、暫く無言で見詰め合った。その沈黙を破ったのは、俺だった。


「にゃあああああああああああああああっ!!」


 俺は恥ずかしさのあまり、奇声を上げて畳の上に蹲ってしまった。


 今朝、色々な出来事が有った。その中に、俺にとって「忘れたい記憶」も含まれていた。


 ああ、時間を巻き戻して、起床からやり直したい。


 俺は必死に「時間の巻き戻し」を念じた。しかし、俺の中の魔力は全く反応しなかった。

 そもそも、時間を操る魔法は、悪魔であるユラにも使えない。人間如きが使えるはずもなく、俺は羞恥に耐えながら生きていくしかなかった。


 俺は全身を茹蛸のように火照らせながら、ユラの隣に座った。それから暫くして、


「「頂きます」」


 ユラと一緒に朝食を頂いた。

 それは、至福の時間だった。俺の胃袋は、完全にユラ色に染まっていた。彼女に調教され尽くした奴隷だった。俺は食欲の命じるまま、超速で箸を動かして、膳に乗った料理を徹底的に味わい尽くした。

 その間、俺は「忘れたい記憶」を完全に忘れていた。食事が終わって、ユラから茶を入れて貰い、それを一口啜ったところで、漸く――思い出した。


 さっきのこと(奇行)、ユラはどう思っているんだろう?


 俺は茶を啜りながら、横目でユラの様子を窺った。すると、


「…………」


 ユラは呆然と虚空を見詰めていた。それが気になって、彼女の視線を負った。そこには――閉まった襖が有るだけだった。


「?」


 襖がどうかしたのだろうか? 


 俺は不思議に思いながら、ユラの様子を観察し続けた。

暫くすると、ユラ先の美貌がピクリと震えた。続け様に、ユラはこちらを向いて、


「玲君」

「はい」


 ユラが俺の名前を呼んだ。俺は彼女を観察していたので、その行動は何となく予想できた。だから、返事ができた。

 しかし、ユラの口から続け様に出てきた言葉は、俺の予想を超えて――いや、予想して然るべき大事だった。


「今日、また十時から『試合が有る』って」

「えっ!?」


 試合が有る。即ち、勇者決定戦の二戦目。「これに勝ったら勇者に成れる」という大事な一戦だ。その事実を思うと、緊張で体が石化した。

 しかし、元より覚悟の上。俺に迷いは無かった。


「分かった」


 俺が承知すると、ユラは即応で作戦会議を開催した。


 俺達は試合時間ギリギリまで作戦を練った。その成果が出るか否か? それを試すべく、俺は一人で円形闘技場に瞬間移動した。


 グニャリと歪んだ視界が戻ると、そこは黄土色の異世界だった。その光景が目に入った瞬間、


「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」」」」」


 雪崩のような歓声が耳に飛び込んできた。その轟音で、円形闘技場が震えていた。序に俺の体も震えた。その変調を意識した瞬間、俺は「自分が怖じ気付いている」と錯覚した。


 そんなこと、無いのに。


 俺は恨みがましく轟音の発生源を見た。すると、俺の視界が「魔物の大群」で埋め尽くされた。


 今日も満員御礼だなあ。


 魔界中から集まった、各地獄の住民達。その中に紛れて、世界各国の指導者、為政者達の姿が有った。


「ごおおおおおおっ!!」「うらあああああっ!!」「かあゆうううううっ!!」


 魔物の熱気に中てられたか、今日も為政者達は狂人化していた。彼らは人語とは思えぬ騒音をがなり立てながら、俺に向かって右拳を突き上げていた。


 皆、元気だなあ。


 俺は心中で「毎日ご苦労様」と、慰労の言葉を呟いた。しかし、「それ」だけだ。それ以上の気遣いは、今の俺には許されなかった。そもそも、他所事にかまけている場合ではなかった。


 俺が茫洋と観客席を眺めていると、俺の顔に「錐のような視線」が突き刺さった。


「!」


 俺は驚いて息を飲んだ。それと同時に、反射的に楕円の地面の最奥を見た。

そこには貴公子然とした、フォーマルな衣装に身を包んだイケメン西洋人男性が立っていた。その姿が目に入った瞬間、俺は彼の正体を直感した。


 今日の対戦相手。


 選ばれし勇者候補は三人。俺以外の二人とは、開会式のときに出会っている。その為、遠目でも「あの人だ」と分かる。しかし、分かっているのは「それ」だけだ。


 名前も知らないんだよな。


 互いに恨みは無い。それでも、殺し合い(分身同士)をしなければならない。その事実に想いを馳せると、不満やら、悲しさやら、理不尽さ――等々、諸々の負の感情が募って止まなかった。

 しかし、全ての感情を凌駕して余る熱い想いが、俺の中で燃え盛っていた。


 これに勝ったら、俺が勇者だ。


 本物の魔王殺しを持つ者として、負ける訳にはいかなかった。それに加えて、勝った後の報酬(ユラの秘密)のことを思うと、心底に燻る「勝利に対する執着」が一層粘度を増した。その想いに駆られるまま、俺は腹の底で眠りこけている異物、「魔力」に向かって念じた。


 俺の分身の鎧、生ける鎧を顕現させて下さい。


 魔力は、俺の望みに全力で応えてくれた。

 程無くして、俺の目の前に、見慣れた鎧武者が現れた。その姿を視認して、俺は「もう一人の俺」に向かって念じた。


 絶対勝つぞ。


 俺の想いに、鎧は即応した。彼は右手を突き上げて、親指をグッと立てた。

 鎧武者のサムズアップ。その行為に、俺は少し違和感を覚えた。しかし、それ以上の安心感、或いは心強さを覚えていた。


 これで、こちらの準備は整った。


 俺は再び対戦相手の方を見た。すると、俺の視界に「二つの人影」が映った。

 

一つは、先程見た西洋人男性。もう一つは、「鎧をまとった騎士」。


 騎士の鎧は、金属板と布を組み合わせた、所謂「コンポジットアーマー」だった。それを直感した瞬間、俺は強い既視感を覚えた。


 あれって、もしかして「生ける鎧」か?


 昨日の鉄人形に比べれば、魔物としての戦闘力は劣る。だからと言って、「楽勝」と侮ることはできなかった。

 その理由が、相手の騎士の腰にぶら下がっていた。


 それは、簡素な鞘に収まった、古めかしい造りの「直剣」だった。その存在を視認した瞬間、俺の脳内に不穏な単語が閃いた。


 もしかして、「魔王殺し」?


 ユラの言葉を信じるならば、あれは本物ではない。しかし、「昨日の試合」という過去の経験を鑑みると、俺の脳内に「敗北の可能性」がチラついた。


 一体、どんな魔法が掛かっているのだろう?


 俺は鎧の視界越しに「相手の直剣」を見詰めていた。脳内では、直剣の性能、魔法に付いて想像を巡らせていた。

 その最中、聞き慣れた低音の美声が俺の耳に、いや、脳内に響き渡った。


(((既に試合の準備はできているようだな)))

「「!!」」


 聞き違えようもない、魔王の声。それを直感した瞬間、俺は息を飲んだ。それと同時に、鎧の視界に映っていた西洋人男性の体がビクリと震えた。

 観客席の方を見ると、いつの間にか水を打ったように静まり返っていた。


 時間が――止った。


 誰も何も言わない。誰も動かない。世界(円形闘技場)が静止している中で、魔王の声だけが静かに響き渡った。


(((いつでも良いならば、今直ぐ始めよう)))

「「!」」


 魔王の言葉を聞いた瞬間、俺は身構えた。今日の対戦相手――貴公子(仮称)の方を見ると、彼も身構えていた。


 一触即発。不穏な空気が漂う中、魔王の美声が響き渡った。


(((それでは――試合開始)))


 勇者決定戦、第二試合。その闘いの火蓋が、たった今、切って落とされた。その事実を直感するや否や、俺は鎧に「必殺技」の使用を念じた。


 愛洲妖刀流奥義、虚空剣――真っ向真空斬りっ!!!


 俺の命令に、鎧は超速で反応した。腰に差したムラマサを抜き放つや否や、それを上段に構えて思い切り振り下ろした。


 その瞬間、「パツン」と破裂音が聞こえた。それは、鎧の前面を覆う「空気を裂いた音」だった。


 空気の裂け目は超速で空間に伝播した。その進路上に「コンポジットアーマーを着込んだ騎士の姿」が有った。

 裂け目が騎士の体に届いたら、その時点で試合が決着する。その可能性を、俺は直感、いや、確信していた。

 しかし、届かなかった。


 コンポジットアーマー騎士が、真横、正面から見て左側に大きく飛び退いていた。


「!?」


 まさか、こちらの攻撃を予想していた? それとも、本能で回避したのか?


 既知のものならいざ知らず、全くの初見で妖刀ムラマサの魔力に反応する人間がいようとは。その事実を目の当たりにして、俺は対戦相手の戦闘センスに恐怖した。


 しかし、妖刀ムラマサの魔力は人知の埒外に有った。どれだけ天賦の才に恵まれようと、完全に対応することはできなかった。


 ムラマサの刃に、「逃げ遅れた」騎士の右脚が引っ掛かっていた。


 鉄板と布に覆われた右脚、その膝から下の部分が宙を舞った。その光景は、鎧の視覚でバッチリ捉えることができた。


 今直ぐ追撃を――って、あれ?


 俺は続け様に真空斬りを放とうとした。そのつもりだった。しかし、それを念じようとした瞬間、俺は違和感を覚えた。


 騎士の直剣が――無い?


 騎士の腰には「鞘だけ」がぶら下がっていた。その事実を直感した瞬間、俺は強い危機感を覚えた。


 鞘の「中身」は――どこ?


 俺は直ぐ様「肉眼」と「鎧の視覚」を使って周囲を確認した。すると、俺の肉眼の端で「何か」が光った。それを直感した刹那、胸に激しい痛みを覚えた。


「痛ってえええええええええええっ!?」


 一体、何が起こったのか? 俺は自分の胸を見た。それは――全くの無傷だった。それを確認したところで、今度は鎧の胸を見た。


 すると、鎧の胸から「直剣の切っ先」が生えていた。


 やられたっ!?


 騎士の直剣は、単体で空中を飛翔して、俺の鎧の後ろに回り込んでいた。俺が直感した刹那、直剣は鎧を背中からグサリと突き刺していた。


 ドローンみたいな剣だな?

 後で知ったことだが、彼の騎士の直剣は「フラガラック」というケルト神話に出てくる伝説の武器だった。

 フラガラックには「距離や場所を問わず、持ち主の意のままに操ることができる」という魔法が掛けられている。その能力をフル活用されていたならば、多重分身したフラガラックが、俺の鎧を斬り刻んでいただろう。


 しかし、貴公子のフラガラックは、俺の鎧の胸に固定されていた。その光景は衝撃的ではあった。しかし、俺にとっては危機ではなく「好機」だった。


 その剣を斬り落とせっ!!!


 俺が念じると、鎧はムラマサを振り上げた。それを地面と水平、胸から突き出た直剣と垂直に重なるように構えて、そのまま思い切り下げた。

 その刹那、激しい金属音が鳴った。それと同時に、鎧の両手に巨岩を叩いたような硬く重々しい衝撃が奔った。その感覚は「ムラマサの刃が阻まれた」という、最悪の現実を意味していた。

 しかし、ムラマサに掛けられた魔法は物理を超越した。


 愛洲妖刀流奥義、斬鉄剣――鎧戸落としっ!!!


 俺はムラマサ、それに掛けられた魔法に向かって一心に念じた。

 すると、ムラマサの刀身が、胸から生えた直剣の半ばまで食い込んだ。


 そのまま叩き折れっ!!!


 鎧は右手で柄を握ったまま、左手を刀身に添えて思い切り押し込んだ。

 すると、胸から突き出た直剣が、その生え際辺りから真っ二つに折れた。


 やったっ、折ったっ!!!


 俺は勝利を直感した。しかし、相手は未だ「参った」とは言っていなかった。

 騎士は、右足を失いながらも、地面を貼ってこちらに向かっていた。


 戦う意思が有るならば、全力で応えなければ武士の名折れ。


 俺は鎧に向かって更なる攻撃を念じた。


 次は本体を斬れっ、虚空剣真っ向真空斬りっ!!!


 鎧はムラマサを逆袈裟に斬り上げた。すると、再び空気に亀裂が奔った。

 相手の騎士は、地面を転がりながら必死に避けた。しかし、避けられたのは、その一撃だけだった。


 二撃目、三撃目、四撃目、五撃目――と、こちらが攻撃を繰り出すほどに、騎士の体がバラバラに分解されていく。その様子を、俺は鎧の視覚越しに確認していた。


 ごめんなさい。けど、容赦しない。


 こちらの攻撃回数が二桁を超えた。その事実を直感した瞬間、俺の脳内に魔王の声が響き渡った。

 

(((勝者、生ける鎧――鎧武者の勇者候補)))


 俺、愛洲玲寿は勝利した。その成果を以て、魔王、そして、全人類が望んだ人類の可能性、「勇者」が誕生した。


 第二十話に続く。

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