第十八話 約束
歓声、怒号、絶叫。津波か、或いは雪崩を彷彿とする豪音が、円形闘技場を揺らしていた。
まるで、一匹の巨大な化け物だ。
俺は「化け物に飲み込まれている自分」を想像して、その可能性に恐怖していた。しかし、それ以上の歓喜が俺の心を弾ませていた。
ヤバかった。けど、勝てて良かった。
勇者決定戦の初戦に勝利した。その事実に想いを馳せると、俺の心はピンボールのように跳ねた。それに触発されて、俺の脚が地面にステップを刻んだ。
俺は踊り狂った。傍から見れば狂人の所業だった。
しかし、円形闘技場にいる者は、誰も彼もが狂っていた。俺の奇行を咎める者はいなかった。そのはずだった。ところが、
「何しているの?」
俺の隣から、声が上がった。そちらを見ると、体操服姿の少女が立っていた。彼女は俺の奇行を見て苦笑した。その反応を目の当たりにして、俺は――
「えへへ」
照れ笑いした。しかし、感情が制御できず、そのままステップを刻み続けていた。すると、
「それ、面白いの?」
ユラは、俺に行為の意義を尋ねながらも、俺に合わせてステップを踏み出した。
俺達は、歓声に揺れる闘技場の中心で、喜びの舞を披露していた。俺は衝動に書かれるまま、思い切り地面を踏み締めて、空に飛び上がろうとした。
ところが、これ以上の奇行は、俺のパートナーが許さなかった。
「玲君」
「えっ?」
「そろそろ帰ろうよ」
ユラは、俺に帰還を促した。俺の心中には、もう少し奇行に耽りたい気持ちも有った。しかし、
「あ、うん」
俺は素直に従った。従わざるを得ない理由が、今の俺には有った。
戦いは、未だ終わった訳じゃないもんな。
選ばれし勇者候補は、俺を含めて三人いる。
俺が勇者に成る為には、「もう一勝」が必要だった。
「宜しくお願いします」
俺が頭を下げると、ユラはニッコリ微笑みながら左手を突き出して、俺の右手を掴んだ。
その直後、俺の視界がグニャリと歪んだ。
視界が元に戻ると、そこは「見慣れた畳敷きの和室」だった。その事実を直感した瞬間、俺の脳内に現在地の正体が閃いた。
オークの旅籠。
二日ほど世話になっている、今の俺達にとっての「魔界の拠点」と言える場所だ。その為か、部屋に入った瞬間、安堵と共に懐かしさを覚えた。
今直ぐ畳の上に寝転がって、ノンビリしていたい。
俺の体は休息を要求していた。俺としても、それに応えたかった。しかし、それが許される立場に、俺は立っていなかった。
「それじゃ、今日の反省と、次の試合の作戦会議――しよっか」
「はい」
ユラの提案に、俺は即応で頷いた。すると、折良くオーク達が卓袱台と喫茶セット(急須、湯飲みなど)と持ってきて、それを俺達の前に並べた。
「お帰りなさいませ」「ごゆっくり」
喫茶の準備を終えるや否や、オーク達は微笑みながら部屋を退出した。二人が去りし後、俺は卓袱台前の適当な場所に胡坐を掻いた。すると、ユラも卓袱台の方にやってきて、俺の対面に座った。
ユラの席は、「食事は『俺の隣』、作戦会議は『俺の対面』」と決まっていた。
対面に座られると、「面接」を受けているような気分になって落ち着かなかった。
尤も、中学二年生の俺には面接の経験など無い。しかし、それに近しい、いや、より以上に緊張を強いられる出来事は、俺の人生の中には有った。
初めてユラに会ったときも、こんな風に見詰められていたなあ。
俺の視界に映ったユラの目に、俺の顔が映り込んでいた。俺の顔が赤らんでいるように見えるのは、きっと気のせいではないだろう。その事実に気付くや否や、俺は右手で顔を覆った。
その直後、ユラの美声が耳に飛び込んできた。
「それじゃ、『今日の試合』のことを教えて貰えるかな?」
「!」
今日の試合って、えっと、どんなだったっけ?
他所事に気を取られていたせいで、ユラの質問の答えが直ぐに閃かなかった。
「えっと、えっと――」
俺は必死に直近の記憶を手繰った。「兎に角これ以上醜態を晒すまい」と、閃くまま口に出した。
「確か、相手は俺と同じ東洋系の人――だったかな? それで――」
試合の記憶。その「最初の一歩」を踏み出すと、後は芋蔓のように次々閃いた。それら全てを、本当に思い付くまま、たどたどしい日本語でユラに伝えた。
「魔物は、鉄人形――だったかな? 確か、『ナタ』って呼んでたっけ? それから、鉄の輪っかを飛ばしてきたんだった? それから――……」
「…………」
とりとめのない、閃くままに告げた言葉。そんな暗号じみた内容を、ユラは黙って聞いていた。その静けさが、俺には不気味に思えた。「これで、良いのかな?」と不安を覚えながらも、俺は想起した全ての記憶を伝え切った。すると、
「…………」
ユラは、変わらず無言のままだった。その態度を見て、俺は彼女から「もっと有用な情報を出せ」と、無言の圧力を掛けられているように錯覚した。
しかし、そんなものは無い。幾ら記憶を手繰っても、他に思い付くことは何も無かった。それほど、微に入り細に入り、徹底的に話しつくしたつもりだ。その為、俺にできることは愛想笑いを浮かべることだけだった。
俺がニコニコ笑っていると、ユラが声を上げた。
「『ナタ』って言うのは、古代中国の伝説、『封神演義』に出てくる人型兵器だね」
「兵器?」
「うん。使っていた武器は、『乾坤圏』だね」
ユラは、俺に「ナタ」の意味と、彼が使っていた武器の名前を教えてくれた。一つ賢くなったので、それはそれで嬉しかった。気遣ってくれたユラに感謝したい念を覚えた。
しかし、俺を見詰めるユラの目は、とても厳しかった。
「玲君」
「は、はい」
ユラの声は、鋼鉄製と錯覚するほど硬かった。その為、俺は「怒られる」と直感した。その直後、俺の予想は具現化した。
「先手を取られたり、相手の接近を許したり、ちょっと油断が過ぎるかな?」
「!」
ユラの苦言。その一つひとつが、俺の胸に「グサリ」と音を立てて突き刺さった。その一方で、「言われっ放しで悔しい」とも思った。しかし、何か言い返そうにも、返す言葉は無かった。
ユラの仰る通り。ずっと相手のペースだったもの。
俺は相手に翻弄されるまま、良く言えば「臨機応変」、悪く言えば「行き当たりばったり」で対応していただけだ。俺が勝てたのは、有体に言って「ムラマサのお陰」だろう。
俺にとって、「ムラマサ頼みの戦法」は、「定石」といえるものになっていた。今更それを変えることは、俺もしたくはないし、ユラも許さないだろう。
しかし、ユラは敢えて苦言を告げた。
ユラの発言の理由。それは、実は昨日の時点で聞いていた。今日も、試合前に聞いていた。その内容を、ユラは繰り返した。
「相手の武器が『本物の魔王殺し』だったら、玲君は負けていたかもだよ」
「!」
魔王殺し。対戦前、ユラから「相手が『それ』を持っている可能性」を伝えられていた。しかし、先の戦闘に於いて、俺は愚かにも「その可能性」を失念していた。
あのチャクラム、「乾坤圏」だったか? あれが魔王殺しなのかな? あれが本物だったら、ムラマサの魔力は通じなかった?
ムラマサの刃が防がれていたならば、俺は負けていた。実際、「あの瞬間」は、俺も敗北を直感していた。
「魔王殺し――か」
魔王殺しの力は絶大無比。俺自身ムラマサを所持しているだけに、身に染みて理解している。
実際、魔王達が魔王殺しを使って魔界を滅ぼしている。その事実を鑑みるほどに、「この世に有って良いものじゃない」と言いたくなる。
しかし、いや、だからこそ、「魔王殺しを知っている」というユラに疑念を覚えずにはいられなかった。
「まあ、本物を持っているのは、『玲君だけ』なんだけど」
「…………」
何故、ユラは断言できるのか? それが気になって仕方がなかった。その想いが、俺の口から零れ出た。
「あの、さ」
「ん?」
俺が声を掛けると、ユラは俺をマジマジと見詰めてきた。その反応を直感した瞬間、俺は彼女から返ってくる質問の回答を直感した。
きっと、いや、絶対に「秘密」って言うに決まってる。
「ううん、何でも――無い」
俺は質問を躊躇った。すると、ユラは「そう」と、素っ気ない返事をした。その反応を見た瞬間、俺の心中に不満が募った。
ユラは、いつになったら秘密を教えてくれるんだろう?
ユラの隠し事に付いて考え出すと、その数の分だけ不満が募った。その想いが、俺の口から零れ出た。
「はあっ」
俺は盛大に溜息を吐いた。その行為に対して、ユラは「どうしたの?」と、俺のことを気遣ってくれた。その優しさは、有り難くも有り、腹立たしくも有った。それらの想いが、俺の心の箍を緩めてしまった。
「いつになったら、教えてくれるん――あっ!?」
俺の口から、ポロリと不満が漏れた。その言葉自体は意味不明で、「何」に対して言っているのかサッパリ分からないものだった。ところが、
「それって――私が『秘密』にしていること?」
「!」
悪魔の脅威の読解力。ユラは俺の言葉の意図を読み取っていた。図星を突かれて、俺は思わず息を飲んだ。
どうしよう。誤魔化す? それとも、正直に認める?
支配者階級の悪魔から尋ねられたのだから、被支配者階級の人間としては、直ぐに返事をすべきところだ。しかし、
「…………」
俺は何も言えなかった。無言でユラの顔を見詰めていた。ユラの方も、
「…………」
無言で俺を見詰めていた。その沈黙を破ったのは、ユラの方だった。
「玲君が――」
「!」
ユラに名前を呼ばれて、俺の体がビクリと震えた。その瞬間、俺は彼女に「質問に答えない無礼」を詰られる可能性を想像した。
しかし、俺の予想は外れた。続け様に告げられた内容は、俺にとっては「念願叶ったり」というものだった。
「勇者に成ったら、その時に全部――ではないかもだけど、今まで秘密にしてきたこと、幾つか教えてあげるね」
「!!!」
ユラの秘密が開かされる。その朗報を聞いた瞬間、俺の心底で燻っていた疑念や不満が、幾分か沈静化されたように錯覚した。
これは、絶対に勇者に成らねば。
俺の心底に於いて、疑念や不満が鳴りを潜めた直後、マグマのような熱い想いが込み上げた。それは「勇者としての使命感」だったのか? 或いは「悪魔の謎に対する探求心」だったのか? 俺自身、良く分からなかった。しかし、その想いを如実に表した言葉が、俺の口を衝いて出ていた。
「次の試合も、絶対勝つ」
俺はユラに勝利を約束した。すると、ユラは満面の笑みを浮かべて、
「うん。玲君ならできるよ」
俺の勝利を全力で保証した。それを聞いて、俺の自信は深まった。思わず胸を張った。鼻も伸びた気がした。
しかし、調子に乗っていられたのは、ほんの僅かな時間だけだった。
「でも――」
俺が「フンス」と荒い鼻息を吐いていると、ユラが声を上げた。
「これからは自分から試合の流れを作っていくように。先手必勝を心掛けて、もっと積極的に行動してね」
ユラは俺の慢心を諫め、俺の心に「苦言」という名の五寸釘をブスリと刺した。それに対して、俺は素直に頷くしかなかった。
「次の試合は気を付けます」
俺は心のノートに「先に攻撃する」と太字で書き込んだ。
果たして、俺は今日の反省を活かせるのか否か? それを試す機会は、存外に早く巡ってきた。
第十九話に続く。
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