第十六話 出陣
啼鶯小中学生の平均的な起床時間は、午前六時。そこに通う俺の体にも、その習性が骨の髄まで染み付いる。例え外国で寝泊まりしようとも、俺の体はシッカリ反応していた。
体内時計が午前六時を指した。その瞬間、俺の瞼がパカリと開いた。すると、俺の視界に「板張りの天井」が映った。
その瞬間、俺は違和感を覚えた。
ここ、俺の部屋じゃないじゃない。
天井に張られた板は黒ずんでいた。それこそ、「築百年以上経っている」と錯覚するほどに。
因みに、俺の家は「俺が生まれた年」に建てられたものだ。毎日シッカリ掃除している訳ではないが、「新築」と言い張れるくらいには綺麗に見える(願望)。
ここは自分の部屋ではない。その事実に、俺は強い危機感を覚えた。その衝動に駆られるまま、直ぐ様飛び起きた。
その直後、俺の視界に「畳」が飛び込んできた。
そこは、俺の私室と同じく畳敷きの和室だった。しかし、俺の部屋の倍以上広かった。しかも、周囲は襖で仕切られていた。
えっと――どこだっけ?
広々とした和風の空間には、殆ど何も無かった。存在しているものは、「俺が横たわっていた布団」と、後は――「半袖シャツ」と「ハーフパンツ」。それらは、俺の枕元に畳んで置いてあった。
これって、俺のか。
嘗て身に着けていたものが、俺の視界に映っている。その事実を直感するや否や、俺は直ぐ様自分の格好を確認した。
すると、着崩れた「浴衣」が目に飛び込んでいた。
全裸じゃなかった。しかし、何だこれ?
俺は昨日の記憶を手繰りながら、現況の正体を思い出そうとした。そこで漸く、「それ」と思い当たる可能性が閃いた。
あ、ここは――「オークの旅籠」だった。
昨日、ユラと一緒に泊まった色欲地獄地区の宿屋。その正体を想起した途端、俺の不安が軽減した。その一方で、新たな不安が沸々と湧いてきた。
今、俺は一人きりなの? ユラはどこなの?
自分の家ならいざ知らず、異国異郷の地での「独りぼっち」は心細い。
俺は募る寂しさに耐え切れず、浴衣姿のまま部屋の出入り口、襖の方へと歩いた。いや、歩こうとした。
ところが、俺が一歩踏み出した途端、聞き慣れた美声が耳に飛び込んできた。
「玲君、起きてるかな?」
「!?」
ユラだ。ユラが襖の向こうにいる。
ユラの存在を直感した瞬間、俺は全力で踵を返した。
「とうっ!!」
俺は体を捻りながら、布団の敷いてある方向に向かって飛んだ。
その際、俺は空中で体を旋回させて、身に着けていた浴衣を無理矢理剥ぎ取った。続け様に枕元の体操服を取り上げて、超速で身に着けた。そこには靴下も有ったが、今は後回しだ。
俺は両手両足を使って布団を丸め込んだ。それを思いきり押し込んで、部屋の片隅に追いやった。その上で、漸く靴下を履いた。
その直後、出入り口、さっき俺が近付こうとしていた襖がガラリと開いた。
「!」
俺は直ぐ様襖の方を向いて、その場で正座した。その瞬間、俺の視界に「襖の向こう側の光景」が飛び込んできた。
そこには「豚面の大男」が立っていた。
この旅籠の店主――だったか?
オーク店主は、俺の方を向いて立っていた。彼は、左右それぞれの掌を上に向けていた。そこには「料理を盛った膳」が乗っていた。
「失礼しやす」
オーク店主はドスの効いた声を上げて、ドスドス足音を鳴らして部屋の中に入ってきた。すると、彼の後ろから別のオークが現れた。
二番目のオークは「宿の炊事係」だった。彼はお櫃と鍋を持っていた。それぞれの入れ物から、湯気が上がっているのが確認できた。その様子を見詰めていると、
「失礼しやす」
オーク店主に続いて、オーク炊事係も部屋の中へと入ってきた。すると、更に後ろから「見知った人影」が現れた。
それは、体操服の上から割烹着をまとった絶世の美少女だった。その正体は、その姿を見る前から直感していた。
やっぱり、あれはユラの声だったか。
状況から察するに、ユラが料理をして、それをオーク達に運ばせているのだろう。
まさか、異国の地でもユラの手料理を食べられるとは。
俺は望外の厚遇を目の当たりにして感動した。今直ぐユラに恩返したかった。何か手伝いたい衝動に駆られた。ところが、
「…………」
俺は動かなかった。いや、動けなかった。
俺が手伝う余地は――無いのでは?
俺は正座したまま静観することしかできなくなっていた。
俺の視界の中では、オーク達が部屋の中央(俺が寝ていた場所)に、それぞれの持ち物を並べ出していた。
膳は、横一列。お櫃と鍋は、俺から見て奥の膳の脇に置かれた。その様子は、俺の目には(恩知らずにも)滑稽に見えていた。
何か、「飯事」でもしているような?
巨人と見紛う程の巨漢の男達が小さな(人間用の)膳を並べている。その不釣り合いな様子を見ていると、何だか笑いが込み上げてきた。だからと言って、笑う訳にはいかない。俺は必死に堪えた。その我慢が限界に達するより先に、オーク達の作業が終わっていた。
「それでは」「ごゆっくり」
オーク達は、俺とユラに向かって頭を下げて、静々と部屋を退出した。その巨大な背中を目にしたところで、俺は慌てて声を上げた。
「あ、あ、ありがとうございましたっ」
俺の声に、オーク達は反応した。彼らは揃って振り返り、それぞれ右拳を掲げて、
「「d」」
親指を立ててサムズアップした。
何と気持ちの良い人達なのだろう。
正直に言えば、オークの豚面に嫌悪や不快感を覚えたことは一度や二度ではない。
しかし、その見た目に反して、オーク達の態度は紳士的だ。彼らの言動を目の当たりにする度、俺の口許が自然と綻んだ。
お陰で、良い朝が迎えられたな。
今、俺の目の前には「オーク達の誠意の結晶」というべき膳が有った。そこには、極彩色の刺身と、根菜類の煮しめと、菜っ葉の和え物が有った。
各料理を目する度に、俺の腹が「食わせろ、喰わせろ」と騒ぎ出した。
分かった、分かったから。
俺は食欲を必死に抑え込みながら、「俺用」と思しき膳の前に正座した。すると、俺の隣にユラが正座した。それと同時に、彼女は左手を突き出して、
「ん」
俺の茶碗を渡すよう催促した。それを拒む理由は、俺には無かった。
「ど、どぞ」
俺は直ぐ様ユラに茶碗を渡した。すると、ユラは右手に木製の杓文字を持って、お櫃から炊き立て御飯を盛り付けた。
「ん」
ユラは、俺に「御飯を盛った茶碗」を突き出した。それを受け取ると、再びユラの左手が突き出された。
「ん」
ユラは、汁物用の椀を渡すよう催促した。それに応じて、俺は自分の椀を渡した。
すると、ユラは右手にお玉を持って、鍋から汁を掬い出し、それを碗の縁までなみなみ注いだ。
ユラは絶妙のバランスを保ちながら、俺に椀を渡した。俺は、中身が零れないよう気を付けながら、それを自分の膳に置いた。
その後、ユラが彼女の分の飯や汁を盛り付け、注いだことを確認して、
「「頂きます」」
俺達は二人揃って手を合わせた。
朝食は、とても美味かった。味付け自体はユラのそれだった。それでも、普段と違った幸福感を堪能できた。
環境の違い、オーク達の気遣い、それらの要素が一層美味さを引き立てていたように思う。
とても満足。
俺とユラは、オーク達が運んだ卓袱台を囲みながら、茶を飲みつつ食後の余韻に浸った。叶うならば、このまま部屋でノンビリ寛ぎ続けていたかった。
しかし、現実は、相変わらず俺に厳しかった。俺の願望は、それを抱いた直後に潰えた。
「玲君」
「ん?」
茶を啜っている最中、唐突にユラから声を掛けられた。俺は一先ず湯呑を卓上に置いて、彼女の顔を見た。
そこには、「能面」と錯覚するほど無機質な表情が浮かんでいた。
「!」
ユラの表情を直感した瞬間、嫌な予感がした。それは、直後に具現化した。
「今、魔王様から『メッセージ』が届いたの」
魔王のメッセージ。その内容は、直ぐに予想できた。それもまた、思い切り正鵠を射ていた。
「『今日、玲君の試合が有る』って」
「!!!」
ユラの言葉を聞いた瞬間、俺の背中に冷汗が滝のように流れた。そのせいで、体操服がベッチョリ濡れてしまった。
正直、着替えたい。しかし、そんな暇は無かった。
「えっと、何時から?」
「午前九時。後、三十分くらいかな?」
「えっ!?」
俺は咄嗟に時計を探した。部屋の中には「それ」と思しきものはなかった。その事実を直感するや否や、今度は自分のスマホを探した。いや、探そうとした。
ところが、そんなものは最初から無かった。
スマホ、「家」に置きっ放しだ。
ユラと一緒に魔界に赴く際、俺は「戦闘に不要な物」を家に置いてくるようにしていた。その習慣が、今は思い切り裏目に出ていた。
後で、スマホを取りに行かないと。
スマホが無いと、親とも連絡が取れない。彼らには、俺の近況を伝えてあげたい。
俺は今も親達とは結構頻繁に連絡を取り合っていた。そもそも、俺は二人のことが大好きなのだ。離れていることを、寂しく思ない日は無かった。親達も、同様だったろう。
勇者決定戦の開催が決まって以降、親達は毎時間のように「大丈夫なのか?」と、メッセージを飛ばしたり、直接電話を掛けてきたり、俺の身を案じていた。
きっと、今も俺のことを心配しているんだろうな。
親達から大事にされている。そう思えるから、俺も親達を大事にしたい。その不安を解消したかった。
しかし、残念ながら「今」は無理だ。
「今から走って――間に合う?」
俺は直ぐ様立ち上がって、部屋から飛び出そうとした。必要とあらば、窓から飛び降りるつもりだった。しかし、その必要はなかった。
「それは大丈夫。『私が送る』から」
瞬間移動の魔法。それを使えば、一瞬で会場入りできる。それを聞いて、俺は安堵した。いや、したかった。それができない理由が、俺の口を衝いて出た。
「あの、『送る』って――」
瞬間移動を使う際、ユラはいつも「一緒に行く」、或いは「連れていく」と言っている。
しかし、今回は「送る」なのだ。その言葉に、俺は違和感を覚えた。それが気になって、ユラに尋ねた。すると、ユラは申し訳なさげに愁眉を浮かべた。
「あのね、さっき言われたんだけど――」
「うん」
「『勇者候補一人で来い』って」
「えっ!? じゃあ――」
「私は、一緒に行けない」
「なっ!?」
どうやら、俺は一人で試合に臨まなければならないようだ。その事実を目の当たりにして、急に心細さを覚えた。思わず、ユラに縋り付きたくなった。
しかし、俺が思うほど、悪魔は甘くなかった。
「玲君は勇者になるの。だから、自分一人で勝たなきゃいけないの」
ユラは、俺に「勇者の心得」を説いた。それを聞いて、「理不尽」とか、「そこをなんとか」と言いたくなった。しかし、それ以上に熱い想いが、俺の心底から沸々と湧いていた。
何の為に、ここ(魔界)に来たんだ? 頑張れ、俺。
俺は「自分はできる子」だと信じていた。俺がそのように錯覚した要因は、俺を突き放した目の前の悪魔であり、「妖刀ムラマサ」だった。
俺以外の誰が勇者に成るというのか?
「分かった」
俺はユラに向かって大きく頷いた。すると、ユラもコクリと頷いた。その反応を見て、俺は「今直ぐ会場に飛ばされる」と直感した。ところが、
「それじゃ、時間が来るまで『昨日の内容の確認』しよう」
時間は三十分しかない。そんな状況で、何を確認しようというのか?
「えっと?」
俺はユラの言動に疑念を覚えて傾げた。しかしながら、「ユラが言うことだから」と、念のために昨日の記憶を手繰った。
昨日の話って――何だっけ?
途中で寝てしまっていたので、正直よく覚えていなかった。それでも、必死に思い返している内に、「ユラが確認したいであろう内容」が閃いた。
俺は愚かにも内容を確認することもせず、そのまま口に出した。
「あの、『相手も魔王殺しを持っているかも』ってやつ?」
自分で口にしてから、心中で「有り得ない」と否定した。ところが、
「うん。多分――だけどね」
ユラは肯定した。その反応を見た瞬間、俺の額と背中にドッと汗が滴った。それと同時に、昨日、聞き流していた自分を思い切り殴りたい衝動に駆られた。
しかし、時既に遅し。
相手も、あんな出鱈目な魔法を使うのか? そんな奴に、俺は勝てるのか?
敵の魔王殺しの存在を想像像すると、俺の自信がグラついた。敗北の可能性も想像した。しかし、「それ」を伝えたユラ本人の方は、全く平静だった。
「大丈夫」
ユラは不敵な笑みを浮かべていた。その自信の理由は、俺には分からなかった。その想いは、俺の顔に出ていたようだ。
ユラは、さも可笑しそうに口許を歪めながら、「自信満々である理由」を告げた。
「『本物の魔王殺し』を持っている人間は、きっと、ううん、絶対に『玲君だけ』だもの」
本物の魔王殺しは、俺が持つ「妖刀ムラマサ」だけ。その言葉を鵜呑みにすると、「他の二人の魔王殺しは偽物、紛い物」ということになる。それが本当ならば、「俺の勝利は約束されたようなものだ」と思えた。しかし、
「ユラは、他の二人の魔王殺しを知っているの?」
「ううん、知らない」
「え?」
「だって、私が知っている魔王殺しは、妖刀ムラマサだけだもの」
「…………」
ユラの回答を聞いて、俺は彼女の言動に不信感を覚えた。その想いが、俺の口を衝いて出た。
「知らないのに、何で『本物じゃない』って言い切れるの?」
俺はユラに向かって、苛立ち交じりに疑問をぶつけた。すると、ユラの顔から表情が消えた。しかし、それは一瞬だけで、直後に邪悪な笑みが浮かんだ。
「それは――」
ユラは何事か言い掛けた。俺は自分の意識を「彼女の口」に集中した。ところが、俺の期待は裏切られた。
「内緒」
「!!」
ユラの返事を聞いて、俺は思わず身を乗り出していた。俺としては、「教えてくれ」と追い縋るつもりだった。
ところが、俺が口を開いた瞬間、ユラの左手の人差し指が、俺の鼻先に伸びた。
「?」
一体、何のつもりなのか? 俺は不思議に思いながら、ユラの指先を見詰めた。すると、ユラは「現況に於ける最優先事項」を告げた。
「そろそろ時間」
「!?」
話し込んでいる間に、試合時間が迫っていた。その事実を知らされて、俺は慌てて右手を伸ばし、俺の目の前に伸びたユラの左手を掴んだ。
すると、ユラは苦笑しながら、俺に一つ約束をしてくれた。
「帰りは迎えに行くから」
「うん」
試合が終わればユラに会える。その可能性を想像すると、俺の頬が緩んだ。しかし、直後に強張った。
もし、負けてたら――いや、勝つしかない。
俺は不安に負けないよう、心中で自分を鼓舞した。その瞬間、俺の視界がグニャリと歪んだ。
「!?」
俺の視界に映った全ての像が、視界の中心部に吸い込まれた。
一瞬、俺の視界は真っ暗闇になった。その直後、全てを吸い込んだ中心部から「全く別の色」が溢れ出した。
一体、これは何なのだ?
いつもの瞬間移動とは全く違う状況だった。その変化に戸惑っていると、視界に溢れた色が、様々な像を形作っていた。
視界に映った幾つかの像には見覚えが有った。何故ならば、俺は昨日「ここ」にいたからだ。
俺は黄土色の異世界、「円形闘技場」の中心に立っていた。
第十七話に続く。
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