第十二話 ご褒美
俺、愛洲玲寿は「竜殺し」の称号を得た。やったぜ。
中学二年生で達成したのだから、それなりに誇って良いと思う。俺は自分の成果を誇示しようと、鎧の隣に並び立ち、二人揃って両手を腰に当てて――
「「どやっ」」
ウルト〇マンの「胸筋バリア」よろしく、思い切り胸を張った。
すると、俺達から二百メートルほど離れた場所で、山羊角生やした悪魔が悔しそうに顔を歪ませていた。
悪魔――ユラの体からは、「再戦」を望む気配が漂っていた。
しかし、「今」の俺には、ユラの想いに応えることはできなかった。
魔力が――尽きた。
俺の隣に立つ鎧の体が、徐々に透け出した。暫くすると、鎧は胸を張った状態のまま、空気に溶けるように消えてしまった。
日本庭園の上に残っていたのは、ジャージ姿の一組の男女、俺とユラだけだった。
ここまでか。
見上げる空は未だ青い。こんなに早く召還合戦が終わったのは、いつ以来か。それを思い出そうと記憶を手繰っていると、
「玲君」
「!」
俺の至近でユラの声が上がった。それを直感して、俺は直ぐ様「隣」を見た。
すると、さっきまで鎧がいた場所に、ジャージ姿の女子が立っていた。
「…………」
ユラは不満げに顔を歪めながら、俺を見詰めて――いや、睨んでいた。その刺すような視線に晒されて、俺の心中に危機感が募った。
しかし、今の俺にはユラの機嫌を取ることも、その期待に応えることも、何もできない。唯一できたことは、
「ごめん、魔力切れ」
現状報告だけ。それを告げると、ユラは苦笑を浮かべだ。それは、俺には彼女なりの精一杯の虚勢のように見えた。
人間如きに勝ち逃げされるのは、悔しいだろうなあ。
ユラの表情を見て、俺は少しばかりの優越感を覚えた。その一方で、万倍もの罪悪感と、恐怖を覚えていた。明日からの対戦を想像すると、生きた心地がしなかった。
今の内に、機嫌を取っておくべきか? でも、何と声を掛けて良いのやら?
俺が言葉に詰まっていると、先にユラが声を上げていた。
「まさか、ここまでできるなんて」
ユラの声は震えていた。それは、「悔しさを堪えているのだ」と、俺は思った。
しかし、ユラは笑っていた。それも、先ほどまでの悔しげな苦笑ではなかった。心底嬉しそうに見えた。しかし、それを見た俺はトキメけなかった。むしろ、真逆の感情を覚えていた。
恐っ!?
ユラの笑顔は邪悪だった。「ニタリ」という幻聴が聞こえた。そのように錯覚した理由が気になった。ユラに確認したい気持ちも湧いた。
その直後、ユラの口から奇妙な言葉が飛び出した。
「これなら、『あいつ』に勝てる」
「あいつ?」
一体、誰のことなのか? そもそも、何の話なのか?
俺は訳が分からず首を捻った。
すると、再びユラの表情が変化した。彼女は「邪悪さ」を軽減させて、小悪魔的な意地悪な笑みを浮かべながら、俺にとっては「耳に胼胝ができるほど聞いた台詞」を告げた。
「内緒」
「えぇ……」
また一つ、ユラの秘密が増えてしまった。俺は少なからず不満を覚えた。その想いが口から零れ出た。
しかし、ユラは俺の心情など全く意に介さず、俺に向かって左手を突き出した。
「それじゃ、帰ろっか」
我が家への帰還。それを促されて、俺は反射的に右手でユラの左手を掴んだ。
その直後、瞬間移動の魔法が発動した。
我が家に帰ってくるなり、ユラは繋いでいた手を離した。
「また、後でね」
ユラは、俺に声を掛けるなり、自室に籠ってしまった。
「…………」
俺は暫く無言でユラのドアを見詰めた後、
「宿題でもするか」
独り言を呟いて、自分の部屋に入った。
その後、宣言通り宿題をやった。明日の授業の予習もやった、序にこれまでの復習もやった。
何か、久しぶりに家で中学二年生をしている気がする。
俺は時々息抜きを入れながら、充実した家庭学習を堪能していた。その最中、
「玲くうううんっ」
部屋の外、階下からユラの声が聞こえてきた。彼女は、続け様に用件を告げた。
「ご飯んんんっ、できたよおおおっ」
ご飯。その言葉を聞いた瞬間、俺の腹が「ぐぅ」となった。それが切っ掛けとなって、俺の胃袋が「飯をよこせ」と騒ぎ出した。その欲求に、俺は抗わなかった。
俺は直ぐ様勉強を中断した。続け様に一発の弾丸と化して、部屋を飛び出した。
今日の愛洲家の夕食は「アジフライ定食」だった。
アジフライは、草鞋と見紛う程大きかった。他にも鰹節を掛けた冷奴、法蓮草のお浸し、豆腐と若布の味噌汁などが並んでいた。
う、美味そう。
ユラの料理は、何であっても、どれであっても、俺にとっては百点満点中一万点のものばかり。今日の料理も文句の付けようもない。そんなことをしたら罰が当たる。そう思った。
しかし、今日の俺は少し傲慢だった。俺は愚かにも罰当たりな思考をしていた。
物足りない。
今日の俺は「竜殺し」の偉業を達成した。そんな目出度い日の晩餐として、アジフライ定食は質素に過ぎる。そう思った。そう思っていた。食事をする直前までは。
「「頂きます」」
いざ食事が始まると、俺はアジフライ定食に夢中になっていた。
これはこれで、竜殺しの報酬としては十分ではないか?
俺はアジフライの美味さに感動して、「こういうので良いんだよ」と全力で掌を返した。
美味い、美味い、美味い、美味い、うまあああいっ!!!
俺は頬を蕩け零しながら、十六ビートの舌鼓を鳴らしながら、ユラの料理を心行くまで堪能した。
「「ご馳走様でした」」
胃も心も、これ以上ないほど満たされた。「竜殺しの報酬は、これで十分だ」と納得した。
しかし、俺は余りに謙虚だったようだ。もっと強欲になって良かった。ユラは、料理とは別に「竜殺しの報酬」を用意していた。
夕食後、俺は「僅かばかりの恩返し」として、二人分の食器を片付けた。それを終えて居間に戻ってくると、ユラから声を掛けられた。
「玲君」
「ん?」
「ちょっと、話が有るんだけど。良い?」
ユラは長卓の自席に座ったまま俺を手招きした。俺は誘われるまま、再び自分の席に着いた。
すると、ユラは正座したまま俺の方に向き直った。その際、彼女は真っ直ぐ俺を見詰めていた。
「!」
ユラの表情は、「触れたら切れるのではないか」と錯覚するほど真剣だった。その迫力に気圧されて、俺は息を飲んだ。その瞬間、
「玲君」
ユラは、再び俺の名前を呼んだ。その際に発した彼女の声で「俺の耳が切れた」と錯覚した。それほど硬質的な声音だった。その真剣さに、俺は改めて強い緊張感を覚えた。
「お、おす」
俺は返事をしながら、ユラの方に向き直り、彼女に倣って正座した。
「「…………」」
俺達は、暫く黙って見詰め合っていた。その間、俺はユラの普段と違う様子に困惑して、「今から何を言われるのだろう?」と強い緊張を覚えていた。
その最中、見詰める先のユラの表情が変化した。
真剣の刃が零れ落ち、代わりに花が咲き綻んだ。
ユラは笑っていた。心底嬉しそうな、童女のような純真な笑顔だった。
「おめでとう」
ユラは、表情に見合った朗らかな声で、俺を祝福した。彼女の言葉が耳に入った瞬間、俺は反射的に声を上げていた。
「ありがとう」
俺は謝意を述べた。しかし、ユラの言葉の意味は、よく分かっていなかった。その為、あれやこれやと想像を巡らせていた。
尤も、俺に思い当たる節が有るとすれば、「竜殺し」の一件のみ。
俺は「きっとそれだ」と推測した。すると、見詰める先の可憐な口が開いて、そこから俺の疑問に対する答えが飛び出した。
それは、俺にとっても、人類にとっても、これ以上ないほどの朗報だった。
「玲君。あなたは悪魔の試練を突破しました。今日から正式に『勇者、一歩手前』になります」
「!!!」
勇者、一歩手前。あと一歩で、勇者。その可能性を想像すると、心中に歓喜の想いが溢れた。その一方で、疑念も覚えていた。
あと一歩って、何が足りないんだろう?
俺は「あと一歩」を踏み出す手段を考えた。しかし、直ぐには閃かなかった。その為、
「それって、どういう――」
俺はユラに尋ねた。いや、尋ねようとした。ところが、俺が声を上げた瞬間、見詰める先のユラの笑顔が、それまでの純真無垢なものから、意地悪そうな、悪魔的なものに変化した。
「!?」
ユラの表情の変化を直感して、俺は嫌な予感がした。その直後、邪悪に吊り上がった可憐な口が開いた。
「玲君は、『ご褒美』に何が欲しい?」
ご褒美? 何のこと?
唐突に告げられた意外な言葉。それを聞いて、俺は困惑して首を捻った。すると、見詰める先の可憐な口が、より一層意地悪に吊り上がった。
「勇者一歩手前になった『ご褒美』だよ。何が欲しい? 私に何をして貰いたい?」
「!!!」
一瞬、俺の脳内にアジフライの姿が閃いた。その瞬間、俺の腹の虫が「あれをもう一枚」と激しく強請った。確かに、それはとても魅力的なご褒美だ。しかし、
「えっと――」
俺は躊躇った。
この広い世界には、竜殺しの報酬に「不死の体」を得た英雄もいる。その事実(いや、事実ではないのだが)を思うと、もっと強欲になっても良い気がした。しかし、
「うむむ」
竜殺しに見合う報酬など軽々に閃くはずもなく。それがどんなものかと想像すると、俺の脳内には「アジフライ」しか閃かなかった。
まあ、うん。それで良いかも。
俺は考えるのを諦めた。口をアジフライの「あ」の字に開いた。
しかし、声が出せなかった。俺が躊躇っていたせいで、先にユラの方が声を上げていた。
「例えば――」
ユラは「ご褒美の一例」を告げた。それは――
「『私の体』でも良いよ?」
「!?」
ユラの体。その報酬は、俺には刺激が強過ぎた。その言葉を聞いただけで、強い興奮と、相反する罪悪感を覚えた。
とても、とても、とても魅力的だ。でも、人間が望んで良いものじゃないよな?
人間の立場で考えると、絶対に受け入れられないご褒美だ。だからと言って、拒否することにも躊躇いを覚えた。
ユラって、もしかして俺のことが――いや、うむむ。
俺は困った。俺の中には「受け入れたい」という気持ちも、少なからずあった。だから、迷った。そんな俺の想いは、続くユラの言葉で思い切り踏みにじられた。
「『複製』になるけど」
「ふくせい? コピーってこと?」
「うん」
「…………」
複製。本人ではない。その事実に、俺は少なからず落胆した。それを提案したユラの気持ちを想像すると、俺の心が嫌な音を立てて軋んだ。その痛みが、ユラの提案を全力で拒否した。その意思を表明する為に、俺はユラに向かって「自分が望むご褒美」を告げた。
「アジフライ」
「え?」
俺が告げた言葉を聞いて、ユラは首を傾げた。その反応を見て、俺は「意図が通じていない」と直感した。
もう少し言葉を足した方が良いのか?
俺は今一度ご褒美の内容を推敲した。その上で、改めて自分が望む報酬を告げた。
「これからも、俺にご飯を作ってくれるかな?」
俺は脳内にアジフライを浮かべながら、「美味しいご飯が食べられる生活」を要求した。すると、ユラは――
「!」
驚いたように目を開いて、息を飲んでいた。その反応は、俺にとっては全く予想外のものだった。
今まで普通にご飯作ってくれてたから、これからも――って思ったんだけど。
ユラの反応を不思議に思いながら、俺は彼女の様子を窺っていた。
「「…………」」
暫く無言で見詰め合った後、ユラは眉根を思い切り歪め、口の端を吊り上げて――多分、苦笑した。その表情を見た瞬間、俺の胸がズキリと痛んだ。
何だか、泣いているみたいだな。
俺は、ユラの表情が気になった。ユラに「どうしたの?」と、心境を尋ねたい気持ちも沸いた。
しかし、俺が覚えた疑念や違和感は、直後に聞いたユラの言葉に吹き飛ばされた。
「それって、『プロポーズ』かな?」
「えっ!?」
プロポーズ。それを聞いて、今度は俺が驚いた。
え? え? どういうこと?
俺はユラの言葉に困惑した。その意味を理解する手掛かりは、「先程俺がユラに要求したご褒美」しか閃かなかった。だからこそ、その内容を思い返した。それに付いて考察を重ねていく内、「そのように思えなくもないな」という結論に達した。
ユラは誤解している。その間違いは正すべきだろう。でも――
「えッと――」
何と言えば良いのやら?
俺、愛洲玲寿は啼鶯中学二年生。「違う」と言えるほど純粋な子どもではなく、適切な対応ができるほど大人でもなかった。中途半端な精神状態が、俺の心と体を縛っていた。
「その――」
俺は悩んだ。脳ミソをグルグル回転させながら、熟考と懊悩を繰り返していた。
暫くの間、俺は「えっと」と「その」を繰り返した。その煮え切らない優柔不断な態度は、ユラの目にじれったく映っていたようだ。
「玲君」
「!」
ユラから名前を呼ばれて、俺の心臓が跳ねた。その直後、続け様に聞いたユラの言葉に、俺の心臓は口から飛び出し掛けた。
「受けてあげても良いよ?」
「なっ!?」
悪魔が人間のプロポーズを受ける。彼我の立場を鑑みれば、妄想するだけでも不敬罪で終身刑を言い渡されかねない。この話を聞いた人間は、誰もが「天地が引っ繰り返っても有り得ない」と断言するだろう。かくいう俺も、全く信じられなかった。
嘘――だろう?
思わず自分の頬を抓った。すると、痛かった。その感覚が、俺に「これは現実」と教えてくれた。しかし、それでも、受け入れ難かった。
どどど、どうしよう?
俺は懊悩した。そこに、再びユラの声が耳に飛び込んできた。
「但し――」
「ただし?」
「玲君が勇者になって、それで――」
ユラは、「俺のプロポーズを受け入れる為の条件」を告げた。
勇者に成ること。それは俺の望みでもあった。それを叶える自信も有った。
しかし、続け様に告げられた「二つ目の条件」は、自信が持てないどころか、俺には理解不能だった。
「『私の望み』を叶えたなら、ね」
ユラの望み? それって何なの?
そもそも、俺が知っているユラの望みは「俺が勇者に成る」ことだけなのだ。それ以外となると、全く分からなかった。
「ユラの望みって?」
他に思い当たる節が無い以上、ユラに尋ねるしかなかった。しかし、この質問に対する回答は、聞き慣れ過ぎて耳に胼胝ができた「アレ」だった。
「内緒」
ユラは、またしても答えてくれなかった。その反応に対して、俺は「またか」と呆れた。
しかし、今回に限って、ユラの言葉には続きが有った。
「『今』は未だ――ね」
どうやら、答えてくれる気持ちは有るようだ。それを知れたことで、俺の不満が幾ばかりか軽減された。だからと言って、それが消えることは無かった。
一体、いつになったら教えてくれるんだ?
ユラの「秘密」や「内緒」は、他に幾つも有った。それらを数えようとすると、俺の脳内に「夜空に煌めく無数の星々」が閃いた。
第十三話に続く。
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