第七話 妖刀ムラマサ

 妖刀ムラマサ。

 俺がその存在を知ったのは、今を遡ること三年。ユラを愛洲家に迎えてから、初めて迎えた夏休みの頃のこと。


 その日、俺は初めて鎧を召喚した。しかし、それまでに費やした三カ月は、とても辛かった。それこそ、薪のベッドで寝たり、熊の胆を舐めたりするような、散々な日々だった。


 ユラが愛洲家に来た翌日から、俺達は毎日のように魔界に赴いて、そこで魔法の修行に励んだ。


 しかし、俺は、まあああったく魔法が使えなかった。


 俺はユラに何度も助言を請うた。その度に、ユラから「召喚魔法のやり方」だけを聞かされた。


「『玲君の魔物』を想像して、それが現実になるよう念じるの」


 俺の耳に「玲君の魔物」型の胼胝ができた。そのように錯覚するほど、何度も同じ内容を聞かされ続けていた。

 俺としては、ユラに言われた通りにやっているつもりだった。ところが、幾ら念じても「鎧武者」は現れなかった。

 そもそも、俺の中に有る「魔力」が全く反応しなかった。


 もしかして、俺には才能が無いのでは?


 時間の経過に比例して、俺の心中に諦めの感情が募った。「心が折れた」と思ったことは、一度や二度ではなかった。その度に、


「頑張れ、頑張れ、玲君ならできる」


 ユラは俺を励ましてくれた。それを心の支えにして、俺は三か月間頑張ることができた。


 我ながら、「よく頑張った」と自分を褒めたい。成果は出なくとも、俺は鎧の召還を念じ続けた。毎日鎧のことばかり考えた。

 終には、夢の中に鎧が現れるようになった。


 夢の中の俺が、終に鎧を召喚した。その瞬間、俺は「これは現実だ」と錯覚した。その感覚が「魔法発動のトリガー」だったようだ。


 その翌日、夏休みも終盤に差し掛かった八月某日。

 俺とユラはいつもの訓練場所、ユラの持ち家、色欲地獄城の中庭にいた。そこで、俺はいつもそうするように、目を閉じながら鎧の姿を念じた。

 その瞬間、初めて俺の中の魔力が反応した。


「!?」


 初めての発動、初めての感覚。それに驚きながらも、俺は必死に念じ続けた。

 すると、俺の中から「何か」が抜け出たような感覚が有った。それを直感したところで、俺はユックリ目を開けた。

 すると、俺の視界に「鎧武者の姿」が飛び込んできた。


「!」


 俺は息を飲み込みながら、恐る恐る鎧武者に近付いた。そのまま右手を伸ばして、鎧武者の胸に触れた。

 すると、掌に冷たい鉄板の感触が伝わった。それを直感した瞬間、俺の中で歓喜の想いが爆発した。


「やったあああああああああああああああっ!!!」


 俺は絶叫した。俺の声が色欲地獄城の中庭中に響き渡った。


 終に、俺は魔法を発動したのだ。


 召還魔法の成功。それは、俺にとって大きな一歩だった。人類にとってはもっと大きな一歩だったろう。

 俺は無上の喜びと優越感を覚えていた。それらの感情が、俺の好奇心を始めとした諸々の欲求を強力に掻き立てた。


 こいつを動かしてみたい。魔物と戦わせてみたい。


 俺の欲望は、どうやら顔に出ていたようだ。俺がワクワク期待に胸を膨らませていると、俺の耳に風鈴の様な涼やかな美性が飛び込んできた。


「玲君」

「え?」

「戦わせてみる?」

「!」


 ユラは、俺に「魔物同士の対戦」を提案した。その誘惑に、俺は抗えなかった。


「やろう」


 俺は即答した。すると、ユラはニンマリ満足げに微笑んだ。


「それじゃ、先ずは『魔物の操作方法』を説明するね」


 魔物の操作方法。それは意外に簡単で、基本的には「念じる」だけ。

 しかし、ユラは存外に親切で、他にも「五感の共有」とか、「生ける鎧の特徴」など、様々な有用な情報を提供してくれた。それらを複数回確認して――


「分かった。覚えたっ」

「それじゃ、戦ってみよっか」

「宜しくお願いしますっ」


 俺の初対戦が始まった。

 その際、「初めての対戦相手」として選ばれた魔物は、小学五年生の俺より背が低い、「小人」だった。


「これ――は?」

「『ゴブリン』っていうの。この色欲地獄の主要住民で、私の眷属。他にも『オーク』っていうのがいるよ」


 ゴブリンは、地獄絵図に出てくる「餓鬼」のような魔物だった。「色欲地獄に暮らす住人」ということは、魔界の一般人なのだろう。「ユラの眷属」という話も、気になるところではあった。

 しかし、今の俺は「そんなこと」はどうでも良かった。


 こんな奴、鎧袖一触だ。


 ゴブリンの体は矮小で、武器は右手に持った小刀のみ。その見た目に、俺は心囚われていた。「それが全て」と高をくくり、勝利を確信した。

 しかし、実際に戦闘に入ったところで、俺の確信は木っ端微塵に打ち砕かれた。


 攻撃が――当たらないっ!?


 ユラのゴブリンは「回避能力」が異様に高かった。俺の繰り出す攻撃は、悉く躱されていた。


 何で? 何で当たらないんだっ!?


 俺はゴブリンに翻弄されて、焦りを覚えていた。その為か、俺は攻撃ばかりに気を取られて、防御を疎かにしていた。

 その隙を、ゴブリンは見逃さなかった。


 俺の鎧が大空振りした瞬間、ゴブリンは右手に握った刀を突き出した。その切っ先が、鎧の右脇にズブリと減り込んだ。


「!?」


 致命傷ではない。しかし、普通の人間であれば重傷だ。そこで「勝負あった」と言われても、納得する他無い。俺は思わずユラの方を見た。すると、


「…………」


 ユラは全く無反応だった。ジッと俺の鎧の方を見ていた。その様子を確認してから、俺は改めて鎧に向かって念じた。


 攻撃っ、何とか攻撃を当ててくれっ!!


 ゴブリンに対して覚えた優越感は、とっくに消えていた。兎に角、一撃でも当てようと、鎧に向かって「もっと速く、もっと正確に」と、無茶振りを念じ続けていた。

鎧の方も、俺の想いに全力で応えてくれた。

 鎧の横薙ぎの一撃が、ゴブリンの胸元を捉えた。


 当たった? 違う? 掠っただけ?


 ゴブリンの胸元に薄っすら切り傷が浮かんでいた。それが、俺の攻撃の成果だった。しかし、俺は全く満足できなかった。


 何だよっ!? こんなものなのかっ!!


 鎧が付けた掠り傷は、致命傷には程遠かった。その事実が、とても、とてもとてもとても――悔しかった。


 くそっ、くそっ、くっそおおおっ!!!


 俺はゴブリンの胸元の傷を睨み付けた。そこに恨みの想いを念じた。それこそ、思念で傷口を引き裂くくらいに強く念じた。

 その直後、奇跡が起きた。


 見詰める先のゴブリンの胸元の傷が、勝手にバクリと大きく開いた。


「!?」


 俺は驚いて息を飲んだ。その間も、ゴブリンの傷がドンドン拡大していった。

 終には、背中まで貫通して、ゴブリンの体を上下真っ二つに引き裂いてしまった。


「ギロロロロロロロオオオオオオオオオッ!?」


 色欲地獄城の中庭に、ゴブリンの断末魔が響き渡った。二つに分かれたゴブリンの体が、白砂利の上にポトリ、ポトリと零れ落ちた。

 それぞれの部位は、独立した生き物のように、ビクンビクンと蠢いていた。それも時間が経つにつれて動きが緩慢になり、終には微動だにしなくなった。

 ゴブリンの最期。その様子を視認したところで、俺は自分の所業と現況の意味を直感した。


 俺が――殺した。


 元より殺し合いのつもりで臨んだ戦いだった。俺自身、ゴブリンを殺す気満々だった。それが実現したのだから、喜ばしいことのはずだった。

 しかし、俺はゴブリンに対して強い罪悪感を覚えて止まなかった。


 俺は魔物殺しの犯罪者だ。


 俺の脳内に、警察に連行される自分の姿が閃いていた。俺は「このまま刑務所に入るんだな」と予想した。

 ところが、俺がパトカーに乗り込もうとした寸前、「待った」を掛ける声が上がった。


「気にしなくて良いよ」

「!?」


 ユラは、俺に慰めの言葉を掛けてくれた。それを聞いた俺は、「気休め」だと思った。そのまま脳内に描いたパトカーに乗り込もうとした。

 ところが、今度は被害者であるゴブリンが、「本当に気にしなくても良い」と言わんばかりに、遺体を使って俺の無罪を主張した。


 白砂利の上に転がるゴブリンの遺体が、唐突に薄っすらと透け出した。


「!?」


 俺は困惑しながらも、ゴブリンの体を観察し続けた。

 すると、ゴブリンの体は一層透明度を増して、終には白砂利の隙間に吸い込まれるように消えてしまった。


「え? 何? え?」


 ゴブリンの消失。その摩訶不思議な現象を目の当たりにして、俺は混乱した。反射的にユラの方を見た。

 すると、ユラはシニカルな笑みを浮かべて、俺の疑問に対する回答を告げた。


「あのゴブリンは、玲君の生ける鎧と同じ」

「鎧と――同じ?」

「私の想像から生まれたものだから、私の頭の中、ううん、想像の世界の『還った』んだよ」


 死んだのではなく「還った」。その表現を聞いて、俺は一つの可能性を想像した。


 なら、俺の鎧も――死んでも、俺が念じれば返って来てくれるのかな。


 召還した魔物は、或る意味「不死身の生物」だった。その可能性、いや、事実を知って、俺の胸中を占めていたゴブリンへの罪悪感が急速に縮小した。


「そうか、それなら――良いのかな?」


 俺は安堵の溜息を吐いた。その直後、俺の至近でユラの声が上がった。


「そんなことより――」


 ユラは、ジッと俺の鎧を見ていた。その視線の先を確認すると、鎧の右手に握られた「打刀」に辿り着いた。


 打刀? それがどうしたんだろう?


 鎧の打刀は、特徴の無い、普遍的なものだった。それこそ、時代劇に出てくる浪人や木っ端役人が持っていそうな凡庸なものだった。少なくとも、特別なものではないように思えた。ところが、


「やっぱり」

「え?」

「私の目に、狂いは無かった」


 悪魔の目には、鎧の打刀は「特別なもの」として映っていた。それが何なのか、俺は気になった。その想いが、俺の口から飛び出した。


「それって? どういう――」


 俺はユラに言葉の意味を確認しようとした。

 ところが、ユラは「それ」を予想していたようだ。俺が最後まで言い切らない内に質問の答えを告げていた。


「絶対にそう。これは『妖刀ムラマサ』だよ」


 妖刀ムラマサ。それは、実在する日本の刀剣だった。三重県の刀鍛冶が打った刀だった。

 しかし、ユラの言う「ムラマサ」は、全く別物だった。

 それは、世界を滅すほどの強力な魔法が掛けられた「魔王が創りし伝説の武器」だった。


 第八話に続く。

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