第四話 啼鶯中学生

 俺、愛洲玲寿は勇者候補に選ばれた。その事実を伝えた悪魔ユラは、俺に「勇者に成る為の条件」を教えてくれた。


「魔法を身に着けて、それを使い熟して、魔王様にお伺いを立てて、『其方、勇者の資格有り』と認められたら――」」」


 どうやら、悪魔に見初められるだけでは駄目なようだ。魔王に認められるほどの実力を発揮、証明する必要が有った。


 そんなこと、俺にできる訳がないじゃない。


 俺には「人間の領域を超えた無理難題」と思えた。しかも、その前人未到の試練を乗り越えた先にも、未だ試練が有った。


「それで、勇者を一人に決める為に、『勇者決定戦』っていう試合をするの」

「勇者決定戦――」


 勇者を決めるから「勇者決定戦」。分かり易い。それだけに、その内容も何となく想像できた。


 魔法で殺し合いするのではなかろうか?


 俺の想像は、正鵠に深々と突き刺さっていた。


「戦闘になる」

「!」

「でも、きっと死なない」

「え?」


 ユラは、俺の想像を肯定した。しかし、俺が最も恐れた事態は、どうやら杞憂だったようだ。


「勇者候補同士の戦いだけど、『本人同士では戦わない』から」


 本人同士では戦わない。それが何なのか? 俺には全く想像が付かなかった。だからこそ、


「それって、どういうこと?」


 俺はユラに尋ねた。すると、彼女はその美貌に意地悪な笑みを浮かべた。


「『魔法の修行』をしてみれば分かるから」


 一体、俺は何をさせられるのだろう?


 魔法の修行。その内容を想像すると、俺は「頭が漬物石になった」と錯覚するほどの憂うつさを覚えた。逃げ出したい気持ちも沸いた。


 しかし、既に俺の退路は断たれていた。


「じゃあ、宜しくお願いします」


 俺は意地悪そうな笑みを浮かべる悪魔に、頭を下げて教えを乞うた。すると、


「宜しくされます。それじゃ、今日から始めよっか」


 悪魔はにこやかに微笑みながら、俺の右手を引いて、俺を魔物が跋扈する「地獄」に引き込んだ。


 時は流れて――訳三年。西暦二千六十九年五月某日。

 俺、愛洲玲寿は無事中学二年生になった。「勇者候補」という、地元を離れがたい理由も有り、地元の啼鶯中学校に進学した。

 当然ながら生活拠点は同じ。クラスメイトの顔ぶれも変わりなし。どこにでもありそうな、平均的な中学生の生活を送っていた。


 ああ、学校に通えるって、面倒だけど、幸せなことなんだなあ。


 勇者候補に指名されてから三年。俺は「普通」、「平凡」の有難みが身に染みて分かるようになっていた。


 尤も、俺に許された「普通」は時限付き。それを余すことなく満喫したい。

 俺は今日も啼鶯中学指定の制服(黒の詰襟。女子は黒のセーラー服)を身に着け、愛車(篭付きのママチャリ)に騎乗して、朝の通学路を全力疾走していた。

 季節は春。麗らかな陽射しが地表に降り注ぎ、寂れた港町を眩しく照らしている。


 ここも人が少なくなったなあ。


 故郷が弱っていく様子を見ると、複雑な感情が胸を衝いた。しかし、人は少なくても、それを補って余りある賑やかさが、この街には有った。


「「「「「ほーほけきょ」」」」」「「「「「ぴーひょろろ」」」」」「「「「「ぴーちく、ぱーちく」」」」」


 鳶やら、鶯やら、雀やら、燕やら、烏やら、様々な鳥達が一生懸命鳴き声を張り上げている。

 鳥類大合唱。時折リズムを外す鳥もいる。それもまた、俺には個性的に思えて、口許に笑みが零れてしまう。そんな穏やかな心持ちでいられるのは、春の陽射しと、海から来る潮風のお陰だろうか。


 春の陽射しは、まるで母のように優しく俺を包み込んでくれる。

 潮風が運ぶ「磯」の匂いは、俺の遺伝子に刻み込まれたプリミティブな感情、懐かしさを掻き立てた。

 その他、様々な自然の恩恵が、俺の心を温かくしていた。


 ああ、この町に生まれて本当によかった。地球に生まれて本当に良かった。

 

 俺は「自然の贈り物」を十分に堪能して、俺は幸せ気分に浸りきっていた。叶うならば、このまま飽きるまで浸り続けたかった。


 しかし、人生には山が有れば谷も有る。幸せな時間は、そう長くは続かなかった。

 

 俺が気持ち良く愛車を走らせていると、「それ」は唐突に視界に飛び込んできた。

 それは、一言で言えば「山」だった。

 啼鶯町の最高峰、「朋萌山(ともやま)」。対外的には「観光名所」として知られている。

 しかし、俺達啼鶯中学生、及び小学生にとって、朋萌山はこの世で最も邪魔に思う――地獄だった。その理由を説明することは、とても簡単だ。


「校舎が山頂に有る」


 俺達は、毎朝登山を強いられた。より正確に言うならば、山頂に続く坂道、「朋萌山坂」を上らなければならなかった。


「一体、何故? 何の為に?」


 大声を張り上げて質問したことは、一度や二度ではない。それに対する犯人――啼鶯町の大人達の回答は、いつも同じだった。


「お前達、啼鶯町に生きる子ども達の為だ」


 何がどう俺達の為なのか? 疑問に思う児童生徒は、存外に多いだろう。

 しかし、大人達にも「そうせざるを得ない」、或いは「そうしたくなる」事情が有った。

 その事情を一言で言えば、「天災」。

 今の大人達が幼少の頃、日本の太平洋側で大きな地震が有った。その際に起こった津波が啼鶯町を襲った。

 当時、小中学校の校舎は海の近くに有った。多くの児童生徒が逃げる間も無く波に攫われてしまった。その出来事は、生き残った児童生徒達の心に深い傷を残した。


「あのような悲劇を二度と繰り返すまい」


 かくして、新たな啼鶯小学校、及び中学校の校舎は、町の最高峰に建てられることとなった。


 大人達の子どもを大切に想う気持ち。想われる側としては否定し難い。だから従っている。文句を言うべきでは無いとも思っている。しかし、それでも――


「「「「「クソがっ!!」」」」」


 頂上へと続く坂道は、児童生徒の怨嗟の声で溢れ返っていた。その想いは、同じ境遇にある俺にとって、余りに分かりみが深かった。


 毎日の早朝登山は、小中学生には余りに過酷。それを恨みに思う余り、いつしか学校に続く坂道のことを「クソが坂」と呼称するようになった。


 俺達は、今日も今日とて「クソが、クソが」と悪態を吐きながら、山頂目指して長い坂道を上り続けていた。


 何て辛いんだ。


 呪詛の言葉で紛らしながら、俺達は苦行に耐えた。耐え続けた。

 坂を上る道中、小休止を挟む児童生徒の姿を見付けた。それらを横目に見ながら、俺は愛車を押して坂を上り続けた。


 暫くすると、俺の視界に遊園地の入口のような、馬鹿でかいアーチ、いや、校門が飛び込んできた。


 もうひと踏ん張りだ。


 俺も、俺の周りにいた児童生徒達も、最後の力を振り絞って坂を駆け上がった。

それぞれの脚が校門の範囲に入った。俺達はそのまま潜り抜けた。その瞬間、


「「「「「やったああああああああああああああああああああああああっ!!!」」」」」


 俺達は一斉に歓声を上げた。周りを見れば、抱き合ったり、ハイタッチし合ったりと、想い想いの表現で喜びを分かち合っていた。そんな中、俺はと言えば――


「…………」


 蚊帳の外にいた。悲しいかな、俺に喜びを分かち合う仲間がいなかった。


 勇者とは、孤独なものだ。


 勇者候補を拝命して以降、俺は一層周りと関わらなかった。関わりたくとも関われない事情が有った。


「玲君が勇者候補ってことは、絶対に秘密にしてね」


 悪魔ユラは、俺に「魔王からの厳命」という呪いを掛けていた。それを忠実に守って、俺は周りから遠ざかった。


 俺は孤独だった。その境遇を、恨みに思わないこともない。しかし、これが勇者の運命(さだめ)なのだ。


 俺は口許にシニカルな笑みを張り付けながら、周りの喧騒を他所に、足早に自転車置き場へと移動した。


 啼鶯中の自転車置き場は、小学校と兼用だった。

 巨大なトタン屋根の下に、様々な自転車がひしめき合っていた。そんな場所に適当に自転車を置いたなら、帰りはそれを探す羽目になる。


 俺は過去の苦い経験から学び、その反省を活かして、「自分専用」と決めた場所に愛車を置いた。続け様に、両輪に鍵を掛け、それがシッカリ掛かっていることを確認した。


 ここから先は徒歩。俺は愛車の籠から学生鞄(スポーツバッグ)を取り出した。


「いざ」


 俺は披露し切った体に活を入れて、俺達生徒の主戦場、中学校校舎へと突入した。


 俺の教室は、校舎二階の奥に有った。過疎化が進む啼鶯町に於いて、小中学校のクラスは全学年とも一つずつしかない。その事実を寂しく思いながら、俺は階段を上って二階の廊下を進んだ。


 他の学校はどうか知らないが、啼鶯小中の朝の校舎内は、とても静かだ。教室に近付いても、俺の聴覚は自分が奏でる足音しか拾っていなかった。


 もしかして、誰もいないのでは?


 無人の可能性を想像したことは、一度や二度ではない。しかし、その疑念や違和感は、教室の中に入ればたちどころに解消された。


 教室の中には、確かに生徒達の姿が有った。全員生存している。その事実は、見た瞬間に直感した。

 しかし、彼らは殆ど動いていなかった。動けなかった。全員、机に突っ伏して、眠っていた。


 皆、お疲れ様。


 生徒達は、登校時の早朝登山で疲れ切っていた。俺も、絶賛疲労困憊中。今直ぐ皆の仲間入りをしたい。しかし、この場で横になることには躊躇いを覚えて止まない。


 未だだ。自分の席に着いてからだ。


 俺の席は、窓際、最後列から数えて二番目に位置していた。俺はそこまで歩いた。続け様に机下にスポーツバッグを置いた。それを確認してから、木版と鉄パイプでできた椅子に腰を下ろした。


 ああ、これで、俺も夢の世界へ旅立てる。


 俺は直ぐ様机上に突っ伏した。そして、そのまま寝た。寝ようとした。ところが、


「玲君」

「!」


 至近から声を掛けられた。それを「声」と認識する間も無く、俺は反射的に面を上げて「背後」を見た。

 すると、俺の視界に大量の「髪の毛」が映った。


「!?」


 一瞬、幽霊か、或いは化け物だと錯覚した。その原因は、やはり「髪の毛」だった。

 その女子は、髪を両サイドで「おさげツインテールのグルグル巻き」にしていた。その上、前髪が異様に長い。顔半分が隠れていた。彼女を遠目から見たら、「世界一有名な黒鼠」と錯覚するだろう。

 思わず「ははっ」と、世界一有名な黒鼠を真似て乾いた笑い声を上げたくなった。その格好に対して、ツッコミも入れたくなった。しかし、


「…………」


 俺は堪えた。無言のまま、髪に埋もれた女子の顔をジッと見詰めた。

すると、前髪の下から覗く可憐な口が開いて、そこから天上の美声が飛び出した。


「今日も頑張ってね」

「!」


 女子の激励。男子として、これ以上の活力剤は無い。思わず「うん」と全力で頷きたい衝動に駆られた。謝意を述べたい気持ちにも駆られた。しかし、


「――――」


 俺は何も言わなかった。いや、言えなかった。

 女子の激励を聞いた瞬間、俺の背筋に悪寒が奔っていた。その直因というべき記憶が、俺の脳内に閃いていた。


 嘗て見た、そして体験した――魔物同士の戦闘の様子。それらは、「死闘」と呼びたくなるものも有れば、「リンチ」というべき一方的な虐殺も有った。


 正に、「地獄絵図」か。


 地獄絵図の中心に、「鎧武者風の魔物」がいた。彼は無数の魔物達と戦い、何度も殺し、何度も殺されていた。

一振りの打刀で魔物に立ち向かう鎧武者。その姿を想起するほどに、応援したい気持ちが沸いた。その想いが、俺の口から零れ出た。


「今日は、俺が勝つ」


 傍から見れば、噛み合わない会話に思えただろう。しかし、後ろの女子は、俺の言葉の意味を完全に理解していた。


「ふふっ、楽しみにしているね」


 女子は嬉しそうに笑った。とても魅力的な笑顔だった。誰もが見惚れると確信できた。しかし、至近で見詰める俺の眉根は、思い切り不機嫌に歪んだ。


 俺の「分身」を殺しまくってるくせに、こんな可愛い顔をしやがって。


 俺の記憶の中に、魔物達の後ろで高笑いする女性の姿が有った。そいつは、間違いなく「後ろの席にいる女子」だった。


 彼女の正体は悪魔。その名前を「ユラ」という。


 由良は、学校では俺の遠縁の親戚、「愛洲由良」と偽って、俺の同級生に成りすましていた。その為、今は普通の啼鶯中学二年生だ。


 しかし、ユラの目的は飽くまで勇者育成。俺が想起した魔物同士の戦闘の数々は、彼女による勇者育成の為の修行の一環だった。


 学校にいる間、俺は普通の啼鶯中学生でいられた。しかし、家に帰ったらならば、文字通り「地獄送り」だ。


 果たして、俺は宣言通り勝てるのか否か? 無事に生きて明日の太陽を拝めるかどうか。放課後のことを思うと、脳ミソが漬物石化するほど気が重くなった。しかし、今は――


「じゃ、そういうことで」


 俺はユラに背を向けて、直ぐ様机上に突っ伏した。


 今度こそ、寝る。


 俺は「普通の啼鶯中学二年生」でありたかった。その願望を、全力で遂行した。いや、するはずだった。ところが、


「えいっ、えいっ」


 何のつもりか、ユラは俺の背中を執拗に突いた。その奇行が、俺の睡眠を全力で妨げた。


 一体、何の恨みが有るというのか?


 俺はユラに文句の一つも言いたくなった。しかし、俺の気力体力は、とっくに限界を超えていた。


「…………」


 俺は背中の痛みに耐え続けた。睡眠に全神経を集中した。しかし、俺の努力は報われなかった。


 結局、俺は全く眠れずに、始業のチャイムを聞いてしまうのだった。ちくせう。


 第五話に続く。

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