第三話 私のパートナー

 西暦二千六十四年、四月某日。俺が地元の啼鶯小学校に入って、三度目の始業式を終えた翌日のこと。


 その日、教室は煩かった。

 児童達は、教室の前面を占める黒板型巨大モニターの前に並んで、そこに映った自分達の顔を見ながらお猿さんのようにはしゃいでいた。

 それぞれが、自分が成長した姿を見て喜んでいた。そんな中で、俺は異質な存在だった。

 俺は窓際最後列の自席に座ったまま、茫洋と外の景色を眺め続けていた。


 愛洲玲寿、八歳。趣味、空模様鑑賞、若しくは自然鑑賞。

 

 俺は誰かと一緒にはしゃいでいるより、一人で静かに自然を眺めている方が好きだった。春の空と、校庭を彩る桜並木は、俺の趣味嗜好を大いに満足させてくれた。


 このまま、ずっと外を眺めていたい。


 俺は天色と桃色の異世界に魅入られて、それに夢中になっていた。

 俺は完全に気配を断っていた。他の児童達から人として認識されていなかった。その為、俺の至福の時間はもう少し続くはずだった。


 ところが、俺が「このまま、ずっと――」と望んだ直後、それを邪魔する無粋な闖入者がやってきた。


 そいつは壮年の男性だった。しかし、とても優しそうな顔をしていた。

 実際、彼はとても優しい。それが分かるのは、彼が俺達にとっては既知の人間だったからだ。

 啼鶯小学三年担任、吉村雄二教諭。彼は教室に入るなり声を上げた。


「皆、席に着けっ」

「「「「「!?」」」」」


 吉村教諭は、保護者間でも「温和で生徒に優しい」と評判だった。そんな彼が威圧するような硬い声を上げて、居丈高な口調で俺達に命令した。

 不穏な気配を察知した児童は、我先にと席に着いた。その行為によって、吉村教諭の機嫌を全力で取った。そのつもりだった。


 ところが、俺達の気遣いは無駄だった。俺達は裏切られた。


「今から『テスト』を始めます」

「「「「「ええっ!?」」」」」


 まさかの抜き打ちテスト。その仕打ちを受けて、俺達は思わず悲鳴を上げた。中には声高に不満の意を表す者もいた。


 しかし、吉村教諭は怯まなかった。彼は無情・機械的な態度で前列に座る児童に

「問題用紙」と思しきプリントを配り出した。


「「「「「ちっ」」」」」


 前列の児童達が舌打ちした。それでも、彼らは担任に逆らうことなく、自分用の一枚を取って、残りを背後の席に回した。


 これも、吉村先生の日頃の行いの賜物か。


 俺はクラスメイト達の様子を他人事のように眺めながら、大人しくプリントが回ってくるのを待った。

 程無くして、前の席の児童が一枚のプリントを差し出した。


「ん」

「ども」


 俺は遠慮がちに会釈しながら、意外に大きなB4サイズのプリントを受け取った。それと同時に、俺は目敏く内容を確認した。


 そこには、たった「一問」しか記されていなかった。


〈貴方が『魔物』になるとすれば、どんな魔物になりますか?〉


 魔物。それが実在するものであることは、授業で習って知っていた。その内の幾つかの種類(種族)に関する知識も有った。


 何が良いかな? やっぱり――ドラゴン? いや、でも、うむむ。


 問題に制約は無かった。「何でも良い」となれば、最強を選択したくなるのは男子の性だ。しかし、「それが正解か」と考えると、何故か違和感を覚えて止まなかった。


 ドラゴンじゃないなら、コカトリス? ヒドラ? それともワイバーン?


 俺は知りうる限りの魔物を想起した。しかし、どれもピンとこなかった。


 ええ~~っ、何が良いのか分からん。何が良いのよ? 俺は?


 俺は苦慮する余り、知識に頼るのを止めた。開き直って自分の心に尋ねた。

 すると、俺の脳内に一つの明確なイメージが浮かび上がった。

 

 打刀を差した鎧武者。

 

 何故、それが閃いたのか? 一体、それはどんな魔物なのか? 何も考えずに閃いたものなので、理由を考えても分からなかった。


 俺は鎧武者の姿を閃くなり、問題用紙の解答欄にシャーペンを奔らせていた。


 最初、俺は「刀を持った侍」と書いた。しかし、その解答には違和感を覚えた。その為、俺は再考に再考を重ねて、終に納得いく解答に辿り着くことができた。


〈妖刀を持った鎧武者〉


 小学三年生にしては、ちょっと背伸びした表現だろう。尤も、実際の解答は殆ど平仮名で書いた。今にして思えば、「もう少し頑張れ」と言いたくなる。


 当時の俺も、本能で「これは情けない」と直感していた。だからこそ、俺は解答に細やかな「オマケ」を付けた。


 俺は脳内に閃いたイメージをなぞりながら、鎧武者のイラストも描いた。


「良いね」


 我ながら会心の出来だった。「絵画コンクールに応募したい」とすら思った。その身の程を弁えない願望を抱いたところで、吉村教諭の声が上がった。


「答えを書いた者は、前(教卓)に提出してください」


 児童達は、全員解答済みだったようだ。吉村教諭の指示を聞くや否や、我先にと教卓に走った。

 俺は、その喧騒が収まるのを待ってから、最後に一人悠々と教卓に進み出た。


「百点満点」


 俺は自己採点を告げながら、プリントを卓上のプリント群の最上部に置いた。


 このとき、俺は百点満点以上の評価を期待していた。脳内では、校内の表彰式で主役になる様子が閃いていた。


 しかし、残念ながら、直ぐには評価は下らなかった。

 何か月待っても、音沙汰無し。時間が経つにつれて、テストに対する興味も薄れていった。それを受けた事実すら忘れていた。


 しかし、俺の解答は評価されていた。その結果が、二年の時を経て、今、俺の目の前に現れた。


 西暦二千六十六年、五月某日。

 啼鶯小学校五年生となった俺は、小学三年生当時の記憶を想起した。その瞬間、俺の口から声が漏れた。


「あの時の――」

「思い出した?」


 俺が上げた声に対して、被せ気味に悪魔ユラが反応した。その問いに、俺はコクリと頷いた。


 まさか、あのテストに人類の命運を賭けるほどの意味が有ったとは。しかも、俺の解答が悪魔に評価されていたなんて。


 当時の俺としては自信作であったが故に、「ですよね」と納得する想いも沸いた。その一方で、真逆の想いも湧いていた。


「あんなので、俺が勇者候補に?」


 目の前の現実は、俺には受け入れ難かった。解答の評価は兎も角、俺自身が勇者に相応しいとは思えなかった。ところが、


「愛洲玲寿君」

「はい」


 悪魔ユラは、俺の名前を呼んだ。それは、彼女の「ご指名」だった。それに、俺は返事をしてしまった。


「君の解答。私、気に入ったの」

「!?」

「あれこそ私が求めていた理想そのものなの」

「!!!」

「だから、私は『私のパートナー』を君に決めたの」


 私のパートナー。女子から、それも見目麗しい美少女から言われて、俺は昇天するほどの喜びを覚えた。

 しかし、浮き掛けた俺の体を、「勇者候補」という役目が全力で畳に縛り付けた。


「そ、そう言われても」


 俺は乗り気ではなかった。もしかしたら、正気ではなかったかもしれない。上位存在である悪魔に対して、その要求を全力で断る気だった。


 しかし、被支配者である人間が、支配者である悪魔に逆らえる道理は無かった。


 俺が断る気満々でいると、悪魔ユラの可憐な口が嬉しそうに綻んだ。

 その瞬間、世界がパッと明るくなったように錯覚した。


 何て可愛いんだろう。


 俺は悪魔の微笑に見惚れた。このまま永遠に見惚れていたいとすら思った。

 しかし、甘かった。悪魔は飽くまで悪魔だった。


 悪魔の吊り上がった口から出てきた言葉は、死刑宣告に等しい、衝撃的な提案――いや、宣言だった。


「そういうことで、これからこちらでお世話になります」

「「「えっ!?」」」


 まさか、悪魔が我家に住み着くことになるとは。唐突な宣言に、俺は驚いて声を上げた。すると、俺の親達も同時に声を上げていた。


 どうしよう? どうすれば?


 俺は混乱した。脳内は「?」だらけだった。

 しかし、親達は冷静だった。彼らは自分達の立場をよく理解して、人類が取り得る最適解を選択した。


「「こちらこそ、宜しくお願い致します」」


 俺の親達は、悪魔ユラの同居を受け入れた。その瞬間、俺は正式に勇者候補になってしまった。


 え? 本当に?


 怒涛の展開に付いていけず、俺は固まっていた。すると、俺の視界に映っていた悪魔の口が、再び開いた。


「愛洲――玲寿君」

「は、はは~~っ」

「君のことは、これから『玲君(レイクン)』って呼ぶね」


 玲君。俺に初めて付いた「愛称」だった。

 しかし、その事実に気付いたり、喜んだりする余裕は、今の俺には無かった。


「え? あ、はい」


 俺は適当に返事をした。すると、悪魔は何を思ってか、俺により一層過酷な要求を突き付けた。


「私のことは『ユラ』って呼んで」

「あ、は、はい。ユラ様」

「ううん、呼び捨てで良いよ」

「え? えっと?」


 まさか、悪魔様を呼び捨てにするなんてっ!?


 目上の人に対する礼儀は、混乱している場合を除き、それなりに弁えているつもりだった。しかし、いや、だからこそ、


「ゆ~~ら」

「あ、はい。ユラ」


 俺は悪魔の要求に屈した。すると、見詰める先の悪魔の美貌が、一層嬉しそうに綻んだ。


「うふふっ、これか宜しくね。玲君」

「あ、はい。こちらこそ、宜しく」


 かくして、俺は勇者候補となり、悪魔ユラは俺の家の居候となった。とほほ。


 第四話に続く。


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