第二話 招かれざる来訪者

 俺、愛洲玲寿と、悪魔・ユラとの出会いは、今を遡ること三年前のこと。


 当時、俺は地元の啼鶯小学校に通う小学五年生だった。その日は黄金週間の最終日で、俺は自宅一階の居間で、俺の両親と一緒にマッタリ寛いでいた。


 我が家は父・「豪寿(ゴウス)」と母・「玲奈(レイナ)」と俺の三人、核家族だ。親しい親戚と言えば、「吾郷町(アゴウチョウ)」という隣町に住む父方の祖父母だけ。他は疎遠。母に至っては、天涯孤独の施設育ち。

 母・玲奈は、まあ、昔は色々有ったと聞く。しかし、父・豪寿と知り合ったことで人生の軌道修正に大成功。現在夫婦仲睦まじく、俺にとっても最高の母親だった。


 父・豪寿は市役所員。その為、世間の祝日休日は大抵家にいる。

 母・玲奈の方はと言えば、主婦兼動画配信者だった。必然的に、大抵家にいる。

 そんな二人の間に生まれた俺、愛洲玲寿は、自他ともに認める両親大好きっ子だ。二人の傍にいることが、俺にとっての至福のひと時。その為、学校以外は大体家で過ごしていた。


 連休中、俺達が何をしたかと言えば、初日に近場の遊園地に遊びに行っただけ。後は母の動画投稿の協力をしたり、三人で家事を分担したり、それ以外は、主に居間でゴロゴロしていた。


 最終日の今日も、俺達は「居間」という畳敷き八畳の空間で、何をするでもなく、ゴロゴロゴロゴロゴロゴロと――三人一緒に寝転がっている。

 そんな姿を他所の人が見たならば、「休日なのに勿体ない」と嘆くか、呆れるか。いや、殆どの人は我が家の様子に無関心。「ふ~ん」と言って通り過ぎるだろう。


 俺達愛洲家の人間もまた、他人のことを余り気にしない性分だった。

「好きなように生きて、好きなように死ぬ」

 それが、愛洲家の家訓だった。今も、全力で家訓に従って、三者三様に奇行に耽っている。


 父・豪寿は、寝転がりながら天井を見詰めていた。

 母・玲奈は、寝転がりながら畳の目を数えていた。

 息子・玲寿(俺)は、窓際に寝転がりながら、茫洋と空を眺めていた。


 本日は快晴なり。


 巨大な青いキャンバスに、「雲」と言う名の白い筋が僅かばかりに棚引いている。それが千切れたり、くっ付いたりを繰り返しているのを見て、俺は心中で「合体、分離、合体、変形」と、勝手に「雲型ロボット」の設定を盛っていた。


 何て幸せなんだろう。


 俺はこの空虚な時間が好きだった。このまま終日過ごしても後悔は無かった。

 しかし、俺達の至福の時間は、唐突に終わりを告げた。


 俺が三体目の雲型ロボットの設定を盛っていると、


(((((ピンポーン)))))


 我が家の玄関から小気味い良いチャイムの音が鳴り響いた。それを聞いた瞬間、俺達はそれぞれ顔を見合わせて――


「「「誰?」」」


 頭上に「?」を浮かべながら、一様に首を捻った。

 突然の来訪者。俺には(悲しいかな)抜き打ち訪問をする友達はいない。思い当たる節は無い。親達の方も全く覚えがない様子。

 何れにせよ、「アポ無し」となれば、嫌な予感を覚えずにはいられなかった。


(どうする?)(無視する?)(分かった)


 俺達は小声で相談して、居留守を決め込む作戦を採用した。ところが、招かれざる客は「俺達が在宅である」と勘付いていた。


(((((ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポ――ン)))))


 玄関の呼び鈴は、しつこいくらいに連打された。その猛攻を受けて、俺達の額に脂汗が滲んだ。


 周りは殆ど空き家とは言え、人が入っている家も有る。数少ないご近所に迷惑を掛けることに、罪悪感が募って止まない。その想いに耐え切れなくなったところで、父・豪寿が動いた。


「ちょっと、行ってくる」


 愛洲豪寿は立ち上がった。しかし、そこは夫婦仲、親子仲、共に良好な愛洲家。彼一人に面倒事を押し付けるほど薄情ではなかった。


「では、私も」

「なら、俺も」


 父・豪寿に続いて、母・玲奈、そして、息子・玲寿(俺)も立ち上がった。

 俺達は顔を見合わせて、コクリと頷き合った。その間、相変わらず玄関の呼び鈴が鳴り響き続いていた。


 一刻も早く止めさせなければ。


 俺達は、気持ち早歩きで廊下を突っ切った。そのまま減速せずに、玄関の三和土に下りた。

 玄関の扉は、当然ながら閉まっていた。その重厚な鋼鉄製のドアの向こうには、他家の呼び鈴を連打する傍若無人な無礼者がいる。


 さて、父さん、母さんは――どうするんだ?


 愛洲家の玄関ドアは外開き。鍵を外して押し出せば、それで外界と繋がる。

 しかし、態々ドアを開かずとも、その中心には覗き穴も有る。内側から玄関先の様子を窺うこともできる。慎重さを期すならば、相手の姿を確認すべきとは思う。


 果たして、父さん達は――どっち?


 俺の予想した選択肢は、残念ながらどちらも採用されなかった。父・豪寿は別の手段に打って出ていた。


「何方かな?」


 父・豪寿は、ドアの向こう側の人物に声を掛けていた。

 父の口調は丁寧だった。しかし、声音には抑えきれない警戒心と、少々の苛立ちが滲み出ていた。それを発したところで、


(((((ピンポピンポピンポーン――――――…………)))))


 連打されていた呼び鈴が収まった。


「「「…………」」」


 俺達は、無言でドア向こうの反応を窺った。

 すると、静まり返った玄関に、聞き覚えの無い声が響き渡った。


「こんにちは」

「「「!」」」


 流ちょうな日本語の挨拶。それを聞いて、俺は「相手は日本人」と直感した。

 しかし、「そんなこと」より気になることが、相手の「声」には有った。


 何て、綺麗な声なんだろう。


 この世のものとは思えない天上の美声。平時であれば、絶対に聞き惚れていた。

 しかし、相手は無礼な訪問者。しかも、俺達の心中には先程まで敢行されていた「呼び鈴連打攻撃」に対する苛立ちが燻っていた。


「「「…………」」」


 俺達は、それぞれ「失礼かな?」と思いながら返事をしなかった。

 すると、再びドアの向こうから天上の美声が響き渡った。


「私は、あま――ううん、『ユラ』と、言います」


 ユラ。それが招かれざる来訪者の名前なのだろう。その可能性を想像して、俺は「あれ? もしかして外国人では?」と、相手の国籍に疑念を覚えた。それが気になって、確認したい気持ちも沸いた。しかし、


「「「…………」」」


 俺達は、またも返事をしなかった。その無礼を続けることが、相手に対する「お帰り下さい」という意思表示でも有った。

 故に黙り続けた。しかし、俺達の無礼は、現代を生きる「人間」には許されないものだった。


 俺達が返事をしないでいると、「ユラ」と名乗った女性は「自分の正体」を告げた。それは、「現代における万物の霊長」だった。


「私は、魔王様から遣わされた『悪魔』です」

「「「!!!」」」


 悪魔。相手の正体を知った瞬間、俺も、両親も、一斉に膝を屈した。俺は思わず平伏し掛けた。母・玲奈も同様だった。

 しかし、父・豪寿だけは冷静だった。


「暫くお待ちをっ。直ぐにドアを開けまするっ!」


 父・豪寿はドアノブに飛び付いて、そこに掛かっていた鍵を外し出した。それを見て、俺と母・玲奈は立ち上がった。しかし、特にやることは無かった。その為、


「「早く、早く」」


 俺達は父・豪寿を急かした。その期待に、彼は全力で応えてくれた。


 父・豪寿は超速で解錠した。続け様に「失礼します」とドア向こうにいる「賓客」に声を掛けながら、重厚な鋼鉄のドアをユックリ押し開いた。

 その直後、俺達の視界に外の光景が飛び込んできた。


 見慣れた我が家の庭に、一人の女性、いや、少女が立っていた。

 少女の年齢は、俺と同じくらいと思えた。只、何故か振り袖姿だった。その為、親達は「七五三の帰り」と錯覚したようだ。彼らは「それが気になった」と、後で言っていた。しかし、今、この瞬間は、


「「「…………」」」


 誰も何も反応できなかった。反応しようにも、俺達の視線と意識は「少女の顔」に釘づけにされていた。


 少女の暗色の髪は、黒真珠と錯覚するほど煌めいていた。それに覆われた顔は、世界的神絵師の作画と錯覚するほど魅力的だった。


 こんな綺麗な人が、この世界にいるなんて。


 俺の目に、少女の姿は光り輝いているように映っていた。それこそ「天使」、或いは「女神」と錯覚した。しかし、彼女は「真逆の存在」だった。


 少女の頭、側頭部に「捻じれた山羊の角」が生えていた。それに気付いた瞬間、俺の脳内に先程聞いた少女の言葉が閃いた。


「魔王様から遣わされた『悪魔』です」


 悪魔が目の前にいる。その事実を直感した瞬間、俺の頭に鉄鎚で殴られたような強い精神的衝撃が奔った。それと同時に、強い畏怖の念を覚えていた。


 現代(西暦二千六十六年)に於いて、悪魔は人間の上位、支配者側の存在だった。俺達人間如きが、同じ場所に並んで立って良いはずがなかった。


 俺も、母・玲奈も、今度は父・豪寿も、揃って玄関で膝を着き掛けた。ところが、膝が地面に着くかどうかというタイミングで、天上の美声――悪魔の声が上がった。


「『大切なお話』が有ります。中に入っても良いですか?」


 大切なお話。それが何なのか、とってもとっても気になった。しかし、それを尋ねようとは、俺も、親達もしなかった。


「「どうぞ、どうぞ」」


 親達は、それぞれの顔に引きつった無理矢理な笑みを浮かべながら、悪魔を家の中へと招き入れた。

 すると、振り袖姿の悪魔が、静々と玄関の扉を潜って――俺に最接近した。


「!」


 俺は直ぐ様悪魔に場所を譲った。そのまま下駄箱に背中をくっ付けて、その一部と化した。

 その直後、俺の目の前を悪魔が通り過ぎた。


「…………」


 俺は息を止めながら、悪魔の横顔を見詰めていた。すると、見詰める先の顔がこちらを向いて――目が合った。


「!」


 俺は驚いて息を飲んだ。

 俺を見詰める悪魔の目には、目を一方井に開いた俺の顔が映っていた。

 しかし、それ以上のことは何もなかった。

 悪魔は俺を一瞥しただけで、直ぐに視線を父母の方に戻して、そのまま俺の横を通り過ぎていった。


 俺のことなんで、眼中にないんだろうな。


 俺は「自分」という存在に矮小さを覚えて、少し情けなくなった。しかし、そんな他所事を気にしている場合では、既に無くなっていた。

 親達や悪魔の姿が、家の奥に消えていた。俺だけが玄関に取り残されてしまった。


 これは拙い。


 俺は「急げ」と自分を急かしながら、皆の後を追い掛けようと廊下の奥を見た。すると、客間の障子戸が開いていた。

 俺は直ぐ様廊下を走った。後先考えず、そのまま客間の中へと飛び込んだ。

 その瞬間、俺の耳に親達の声が飛び込んできた。


「「はは~っ」」


 八畳の和室、その真ん中に据えられた長卓の下座で、俺の親達が平服していた。彼らの頭が向いた先、上座を見ると、振り袖女子が上等な座布団(法事用)の上で正座していた。


 これって、殿様と家臣みたいだな。


 俺の好奇心が「殿様役をやりたい」と騒いだ。しかし、その欲求を満たす勇気は、俺には無かった。


 俺は俯きながら下座に移動した。

 父・豪寿は窓側に位置していた。母・玲奈は廊下側だった。俺は、母を挟んで更に廊下側で跪いた。


「はは~っ」


 俺は親達に倣って平伏した。

 俺達は自分達の立場を弁えた。目上の存在に全力で礼を尽くした。その気遣いに、悪魔は優しい言葉で応えてくれた。


「そんなに畏まらなくとも良いです。面を上げて」


 悪魔の慈悲に、俺達は少し甘えた。それぞれがユックリ、オズオズと顔を上げた。

 このとき、俺は思い切り顔を上げて悪魔の方を見た。しかし、これは無礼だったようだ。

 親達の方を見ると、二人は顔を上げながらも目線は床の方に向いていた。


 しまった、目線は下げておくものなのか!?


 俺は慌てて目線を下げた。そのまま畳の目を数えて悪魔の反応を待った。

 すると、俺の耳に天使のような美声が飛び込んできた。


「今日、私がこちらにお伺いしたのは――」

「「「!」」」


 悪魔が俺達に何用なのか?

 俺達は固唾を飲みながら耳に意識を全集中した。

 すると、俺の耳に「全人類の希望」というべき言葉が飛び込んできた。


「『勇者候補』を育てる為です」

「「「!!!」」」


 勇者候補。それは、魔王が人類に要求した「進化」の可能性を示せる唯一無二の存在だった。その言葉の意味を考えると、「天才」と呼ばれるような人間が該当すると思われた。実際、あらゆるメディアがそのように嘯いている。だからこそ、「俺には関係の無い話」と思い込むことができた。

 ところが、この家に勇者候補がいた。


 一体、誰のこと? 父さん? 母さん? まさか――俺?


 俺も、親達も、伏せた目を全力で泳がせていた。その最中、さまよっていた視線を一点に集約する言葉が耳に飛び込んできた。


「えっと、『玲寿君』って言ったかな?」


 玲寿君。その名前には覚えが有り過ぎた。それを聞いた瞬間、その名前の意味が、俺の口を衝いて出た。


「俺っ!?」


 まさか、俺が勇者候補だったとは。その事実を告げられて、俺は許しも得ずに面を思い切り上げてしまった。

 すると、俺の視界に天上の美貌が飛び込んできた。

 

 悪魔の可憐な口許は、僅かに吊り上がっていた。嬉しそうな、しかし、少し意地悪そうな印象を覚えた。何だか揶揄われているように思えた。その思い込みが、俺の幼稚な感情を刺激して、余計な蛮勇を与えた。


「俺なんかが勇者候補ッ!?」


 そもそも、自分自身に「人類の最後の希望」になるほどの才能があると思ったことは一度も無い。悪魔に指名された今も、役者不足と運命を全力で拒否する気満々だった。それなのに、


「君には勇者の才能が有る。ううん、きっと、君しか勇者に成れない」


 悪魔ユラは、「君こそ勇者」とハッキリ断言した。その自信満々な回答を聞いて、俺は思わず「そうかも」と頷き掛けた。しかし、俺は下ろし掛けた顎を全力で真横にスライドして、それを左右にブンブン振り回した。


「どどどうしてっ!?」


 俺は立場を弁えず、醜態を晒し続けた。そこまで無礼を働くと、流石に親達が黙っていなかった。


「玲寿っ」「控えてっ」

「!?」


 親達の叱責が、俺の耳毎体を激しく叩いた。その衝撃は、俺のプリミティブな忠誠心を揺さぶった。普段の俺であったなら素直に従っていただろう。しかし、


「だって――」


 今の俺は絶賛錯乱中だった。勢い余って悪魔を睨み付けるほどに。その無礼千万な視線を、彼女は真っ向から受け止め、逆に見詰め返していた。


 俺の視線と、悪魔の視線がぶつかり、空中で火花を散らした。その激しさが増すにつれ、客間の緊張感が高まっていった。


 先に動いた方が負ける。


 ガンマンの抜き打ちか、或いは侍の居合か。俺は悪魔と決闘しているように錯覚して、相手の様子、いや、隙を窺っていた。

 すると、見詰める先の可憐な口が開いた。

 

 来たっ、これにカウンターを合わせれば、俺が勝つ。


 俺は自分でもよく分からない勝利条件を想像して、それを達成するべく、相手の攻撃に対する返答を考えていた。


「貴方が――」


 貴方が? 俺がどうした? 俺は――愛洲玲寿、小学五年生。趣味は空模様鑑賞。それから読書。主に百科事典が好きです。後は――えっと?


 俺は瞬時に様々な可能性を想像した。

 しかし、全て無駄だった。カウンターなど無理、不可能だった。相手の攻撃は、俺の想像を超えていた。


「『魔物』になるとすれば、どんな魔物になりますか?」

「え? まもの?」


 魔物。それは悪魔達が使役している異形の化け物だ。そんなものになりたがる人間は、きっと少数派だろう。その中に、俺は含まれて――いやいや、問題は「そこ」じゃない。


「えっと? どういう――」


 俺は悪魔の言葉が全く理解できなかった。思わず首を傾げながら、言葉の意味に付いて尋ねてしまった

 すると、見詰める先の可憐な口が更に吊り上がって、そこから俺の質問に対する回答が飛び出した。


「二年くらい前のことかな? 何処かで『変なテスト』を受けたことない?」

「変なテスト――って、あっ!?」


 変なテスト、それがどんなものか考えた瞬間、俺の中で「それか」と思い当たる出来事が閃いた。


 それは、今(西暦二千六十六年)を遡ること二年前、俺が小学三年生の頃のこと。


 第三話に続く。


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