【引っ越し編】
第6話 突然の別れ(1)
あれから5年後――10歳になった俺は順調に人生を送っていたはずだった。
しかし、その平穏は突然崩れるものである。
あの事件以降――アンズから魔法を教わったこともあり、いとも容易く実験や研究が出来るようになった俺は、学校に行くものの、休みの日はずっと自分の部屋にこもる生活を送っていた。俺の場合、『この世界に存在する植物は何があるんだろう?』と興味を持ったら、ひたすら実験し、その植物について研究するのだ。そこでわからないことや調べたいことがあれば、図書館に行って、知識を吸収していった。ちなみに、どこの図書館というと……誘拐事件の時に初めて行った例の図書館である。あの事件以降、図書館長のおじさんとは世間話をするくらい仲良くなった。
そうだ。事件で思い出した……アンズとどういう関係になったか説明しよう。アンズと俺は卒園後、同じ小学校に進学した。幼稚園の次が小学校なのは、異世界でも同じらしい。アンズとは帰り道が途中まで同じなので、一緒に帰る仲――つまり、よくある幼馴染の関係になった。事件当時、幼稚園児だった彼女は頭にリボンを載せていたが、今は載せていない。彼女曰く、「だって、流行りじゃないから!」とのことだ。
なお、アンズのお母さんは俺の母さんのもとで働いていたが、色んな事情があって、俺たちが小学校に進学したタイミングで辞めた。アンズのお母さんは『色んな事情』と言ってくれたが違う――明確な事情があった。なぜなら、俺は父親が仕事帰りに酔っ払って、母さんだけでなく母さんの従業員であるアンズのお母さんにも暴言を吐いていたのを何度も目撃したからだ。それだけではない。父親はあろうことか、母さんへ定期的に暴力も振るっていた。
お察しの通り、そもそも俺の家は元々夫婦仲が悪い家庭で、特に父親は俺が小さい時からよく母さんに手をあげていた。母さん曰く、父親は公務員として働き、悪魔族に気にいられて管理職のポストに就いているらしい。仕事はできるが、ストレスの反動で職員に八つ当たりをするパワハラ系上司として有名なんだとか。それだけでなく、毎日飲み会に通うアルコール中毒者でもあるため、酔った勢いで帰ってくることが多い。要するに、父親は公私とも問題がありすぎる人物なのだ。俺自身、父親とは数回しか話したことがない。それが故に暴言を吐かれたことはないし、手を出されたこともないから、まだマシな方だ。母さんは『稼いでくれるから気にしない』と言って、ずっと我慢していたけど、限界がきたらしい。数年前、謎の宗教にハマり込んで、精神がより不安定になっていった。
そして今日――衝撃的な出来事が起こる。母さんは所属している宗教団体から「夫婦仲に支障が出ている原因が分かりました、息子さんの存在です。そのため、息子さんと距離を取ることで、運気が上がります」と助言をもらったそうだ。完全に信じきっているため、学校から帰宅した俺にその助言を伝えた上でこう言ってきた。
「つまりね……あなたがいることで、私はお父さんとうまくいかないの。お父さんが数年前に買った一軒家があるから、そこで一人暮らしをしなさい。明日までは学校に通っていいから。安心して。学校には『明日まで通うけど、来週からはいない』と連絡しといたから」
(はぁ? 何言ってるんだ? 夫婦仲を戻したいがためにインチキ団体の助言を参考にして、未成年の子供を一人暮らしさせるとか……前世独身だった俺でも、考え付かないぞ)
とんでもない提案を言われ、思わず眉間に皺を寄せてしまった。それに、10歳という年齢で大人なしで生活するのは厳しいと思い、本音を伝えることにした。
「母さん、何言っているの? まだ10歳の子供に一人暮らしさせるなんて、危ないと思わない? それに、その宗教団体の人たちの話は胡散臭いし、何も根拠がないから信じられない……」
「根拠がない……? 私たちのことを馬鹿にしてるの! わかったわ、明後日にはこの家を出なさい。こっちで汽車の切符を用意しとくから。お金も毎月、生活費分を郵送で送るから気にしなくていいわよ!」
母さんの怒声が響き渡る。そして言い切った後、怒りに身を任せながら、リビングの方へ消えていった。
俺は感情に左右されることなく、冷静に判断する。
(うーん、なぜ怒ったのだろうか?)
本音を伝えたはずだが、話が通じなかった。むしろ、火に油を注いでしまった。もしかして、その宗教団体を小馬鹿にする発言をしたことが原因だったのか。俺は根っから、根拠のない思考――宗教にハマらない側の人間なので、母さんの思考が全く理解できない。
この家を出るのは億劫であるが、もうこうなってしまった以上、仕方がない。むしろ、家庭内の人間関係でストレスが減るのならラッキーだ。
(めんどくさいけど、とりあえず明日は通学前に図書館で今まで借りてた本を返そう……)
この時の俺はとにかくすぐにこの家を出なければと支度に追われていて、気付いていなかった。
この家を出るということは、この地域から離れることになる――つまり、家族以外にもお別れをする人々がいるということを。
翌朝、俺は家族に挨拶もせず、家を出てすぐに図書館へ向かった。
受付で借りた本の返却をしている時に、図書館長のおじさんが驚いた表情で俺を見ていた。
「おやぁ! 朝から来るとは珍しい。どうなされたのですかい?」
「実は、急遽明日引っ越すことになりました……」
流石に「家を追い出されました〜」とは言えず、引っ越すという表現にしといた。
「えぇ! 本当に。いやぁ……初対面で会った時は事件に巻き込まれて無事か本当に心配だったけど、アンズちゃんと一緒に脱出した姿を見て、たくましいなぁと思っていましたよ。それに君は、よくここへ来てくれたから……寂しくなりますね。どちらに引っ越すのですか?」
「西側の海近くです。この辺りってどうなんですか?」
『いつもより早めに出たけどあんまり長話すると、学校の朝礼に間に合わないんだよな〜』と思いつつも、一人暮らしする場所の詳細を聞いてみてもいいと思い、質問してみた。
すると、図書館長のおじさんは地図を取り出し、丁寧に指で場所を示してくれた。
「この辺りは、森に囲まれています。人がほとんど住んでいない地域……つまり、一言で言うとド田舎ですな! 汽車を降りてから、子供の足だと2時間程度歩かないと辿り着けない。何人で行く予定ですか?」
「それが俺一人で……」
「えぇ……大丈夫なんですか? ちょっと待ってください。確か、その辺りに後輩が住んでたはず」
図書館長のおじさんは驚いた反応をしていた。やはり子供一人で行くにはかなり辺鄙な場所であると思われたようだ。彼は名刺の入った手帳をペラペラめくり、とある1枚の名刺を俺に差し出す。
「アダムおぼっちゃま。困った時は、彼に相談すると良いです。彼はあなたが新しく住む家の近くに住んでいるはず」
(えっと、名前はニボル……さん。一応もらっとくか)
図書館長のおじさんは親切に名刺だけでなく、「迷子になっては行けないから、これも持って行きなさい」と地図を渡してくれた。優しいおじさんだ。お礼とお別れの挨拶を告げた俺は図書館から出ることにした。
そして学校へ向かうため、通学路を歩いていたところ――後ろから誰かが俺の肩に両手で触れる。
「アダム、おはよう! なんで今日、朝から図書館に行ってたの〜?」
声でわかる――アンズの声だ。「本を返す予定があったから」と適当な理由を告げる。本当は図書館長のおじさんだけでなく、彼女にも明日去ることを伝えなければならないと思っていたが……どうやって言えばいいのか分からなかった。彼女は俺がそんなことを考えているとは思わず、「そうだったの!」と相槌を打つ。むしろ、彼女は「そうだ、話変わるけど私ね。最近歌のレッスンを習い始めたんだよ〜。上手くなったら、アダムの前で披露するね」とまるで俺がこれからもずっと隣でいるような発言をしていた。
(アンズの歌は聴きたいと思う。でも、「明日にはもういない」なんて……言いづらい)
結局、俺が学校を辞めて遠いところに住むことを朝礼で先生が発表してくれた。その事実を先生が言った直後、彼女の大声が教室に響き渡る。
「えー! そんなぁ!」
朝礼が終わってすぐ、アンズは不満気に頬を膨らませながら、「どうして早く教えてくれなかったの!」と言って、俺のところへやってきた。
「実は……昨日突然決まったんだ」
「なんで? 遠くに行かないでよー」
「俺も行きたくないよ。でも、母さんに行けって言われたから、これはもう決まったことなんだ」
「そんなー!」
アンズは俺がいなくなるのを寂しいと思ったみたいで、授業中から帰り道までずっと俺の隣で話し続けていた。授業中のお喋りは先生に怒られるだろうと思っていたが、先生からは「知ってますよ。アンズさんはアダム様のこと、今でもずっと命の恩人だと言ってましたから。今日は最終日なので、喋り尽くしてください」とむしろOKサインをいただいた。
アンズは喜んで、俺にどんなクッキーが好きなのかを聞いてきた。俺もクッキーのことになると話が止まらなくなってしまい、自分の嗜好を語り尽くした――だってクッキーは美味しいからね。ずっと楽しい話をしていたものの、帰り道で二手に別れる際、彼女から明日のことを聞かれた。
「あのさ……アダムは明日何時出発の汽車に乗るの?」
「午後2時の電車だ、大丈夫。気をつけて行ってくる……」
「わかったわ……気をつけて。じゃあね!」と俺に別れを告げたアンズは走り去っていった。
(はぁ……。いきなり俺がいなくなることに驚いてたし、かなり動揺させてしまった……)
彼女の背中を見て、俺はそう思いながらトボトボ歩いて帰宅した。
一方、彼女は急いで自宅に戻った後、「お父さんお母さん、聞いて! アダムが……」と両親に大好きなアダムが明日にはいなくなることを泣きながら報告した。
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