第04話 モテる女は辛いらしい②

「女子怖えぇ……」

「……ここ、女子トイレって知ってる?」

「見りゃわかるだろ。小便器ないし」

「わぁ、この人確信犯だよ~」


 けらけらと笑う姫奈。

 幼少から共に過ごしてきた涼太には、それが作り笑いだということは丸わかりだった。


「で、何でこんな人気のない女子トイレにリョウ君が?」

「迎えに行ってもヒメ教室にいなかったから」

「それでここかなって?」

「ああ、予感的中」

「エスパーじゃん」


 姫香はまた笑った。


 さらっと見付けたみたいな口振りとは裏腹に、涼太の額から汗が伝っていて若干呼吸も早いのが見てわかったからだ。


「で、先生は?」

「本当に呼んでくるような暇なかっただろ」

「あはは、ファインプレーだね」


 やはり姫香は笑みを絶やさない。

 半分は本当に面白がっているのだろうが、もう半分は――――


「ヒメ」

「ん~?」

「大丈夫か?」

「何が?」

「大丈夫じゃないところが」

「この人何言ってるのかわかんないんですけどぉ」


 大丈夫じゃないところが大丈夫か、なんて意味不明な質問だ。

 しかし、どう見ても大丈夫な人に「大丈夫か?」と声を掛ける人もいない。


 そう気遣うときは決まって、大丈夫じゃないところがあるとわかっていて聞くものだ。


 姫奈が相変わらずおどけた態度を取るので、涼太が無言の視線を注いでいると、数秒の沈黙を経てから改めて姫奈が答えた。


「……大丈夫だよ、本当に。慣れてるんで」


 笑っている。

 やはり笑っているが、作り直した微笑みには疲労がありありと滲み出ていた。


「いやぁ、モテる女は辛いですねぇ」

「ヒメが言うと自慢に聞こえないな」


 そう。自慢でなく、事実。

 姫奈は客観的に自分が人より容姿に優れ、異性の心を揺する能力に長け、つまりはモテることを自覚している。


 はぁ、とため息を一つ吐いて、姫奈はトイレの壁に背を預けた。


「横取りとか言ってもさ、誰が誰のこと好きとか知らないし、興味ないし……私がそれ知ってる前提で話されても困るんだよね」

「まぁ、俺らくらいの年頃の奴は、恋バナとかに花を咲かせるもんなんだよ」


 誰誰ちゃんが誰誰君のこと好き。

 今度告白する。

 結果がどうだったか。

 付き合うことになった、なってない…………


 思春期の若者にとってはメジャーな話題。

 特に、女子のその手の情報網は男子のそれとは比較にならないだろう。


「へぇ、そうなんだ」

「いやまぁ、知らんけど」

「え、さもその道のプロですがみたいな達観したこと言ってませんでした?」


 達観はしているかもしれない。

 涼太は自分が絶対に叶わない恋をしているために、すでに青春は終わったものだと勝手にどこか捉えていて、周りのその手の話を第三者視点で聞いている節がある。


「それにさ、色目ってなに?」

「思わせぶりな素振り」

「知ってますぅ。意味を聞いたんじゃないですぅ~」


 そうじゃなくてさ、と姫奈が両手を腰の後ろで組んでグイッと前のめりになり、上目遣いで涼太を見詰めた。


「私、色目とか使ったことないんですけど」

「言ってることとやってることが矛盾してるな」

「あはは、今初めてやってみた」


 涼太がスッと視線を逸らすと、姫奈は楽しそうに笑う。


「だって、色目なんか使う機会ないし」

「使わなくてもモテる女だもんな」

「リョウ君、うざい」


 言葉とは裏腹に、クスクスと笑いが零れている。

 涼太もそれにつられて口角を持ち上げた。


 こうして愚痴を吐き出せたお陰か、姫奈の笑顔の純度が少しずつ戻ってきた。


 少なくとも、もう気心の知れた幼馴染以外に向ける愛想の良い外面の笑顔でも、何かを我慢して表に出ないようにする仮面の笑顔でもない。


「そんなヒメに、俺から色目を使う機会を提案」

「えぇ~?」


 涼太の口振りから、姫奈は変な冗談でも飛んでくると思っている様子。


 しかし――――


「蓮に使えよ」

「…………」

「好きなんだろ? 蓮が」

「…………」


 またその話? と涼太は呆れられ、何なら今度こそ本気で怒られることを覚悟していた。


 だが、再三にわたる涼太の指摘に、遂に姫奈は観念したように頬に微かな朱を差して呟いた。


「……まぁ、ね」

「やっと認めたか」


 涼太は自分の胸がギュッと強く締め付けられるのをポーカーフェイスで耐える。


「今、蓮に彼女はもちろん好きな人もいない。けど、アイツも相当モテるからな……いつまでフリーかわからないぞ」

「なに、脅し?」

「不安になっただろ?」

「あぁ~、この人ホント意地悪だ~」


 赤みの差した顔で笑う姫奈だったが、すぐに曖昧な表情になる。


「でもまぁ、その通りなんですよねぇ……」

「うかうかしてると手遅れになるぞ。大抵どの作品でも、そうやってフラれるのが幼馴染属性の負けヒロインの宿命みたいなもんだからな」

「私の青春をリョウ君のオタク思考で考えないでほしいんですけど」


 姫奈が半目で睨んでくるが、実際そうなのだから仕方がない。


 それに、恋愛作品で幼馴染が負けヒロイン枠になりやすいのも、きっと現実でも幼馴染を恋愛対象として見にくいということが基になっているはずだ。


 どちらにせよ、油断は大敵。

 慢心は敗北を招き、負けヒロインルート一直線ということだ。


「ともかく、俺が言いたいのは……好きな人に好きな相手が出来る前に、想いは伝えとけってことだ」

「なんか、重い言葉だね」


 姫奈が少し意外そうに目を丸くするので、涼太はどこか誤魔化すようにニヤリと笑って言った。


「想いだけにな」

「わぁ~、寒いわぁ~」


 姫奈はけらけらと笑ったあと、その場で両腕を頭上に突き上げて伸びをした。


「ふぅ……まぁ、良いでしょう。リョウ君の口車に乗せられてあげるよ」

「そりゃどうも」

「その代わり、責任取って恋愛相談乗ってもらうから」

「モテる女がモテない男に?」

「恋に忙しい女が恋に暇そうな男に」

「うぜぇ~」

「あはは」


 一体女子トイレの中で何を話しているんだと馬鹿馬鹿しくなった二人は、長居して万が一誰かに見付かる前にこの場をあとにした。


 そして、帰路の途中。

 姫奈がふと疑問に思ったことを何気なく尋ねてくる。


「そういやさ」

「そいやっさ~?」

「掛け声じゃない」


 姫奈が隣を歩く涼太の脇腹を肘で突く。


「リョウ君って、何でここまでしてくれるの?」

「…………」


 横から首を傾げて向けてくるその大きな榛色の瞳に、涼太は一呼吸置いて、前を向いたまま小さく笑って答えた。


「幼馴染だからって理由以外あるか?」

「私、良い幼馴染を持ったなぁ~」

「感謝しろよ?」

「蓮と付き合えたらね」

「マジか。じゃあ、随分先になるな」

「ホント、ウザいわぁ~」


 隣を見なくても、姫奈が笑っているのは間違いなかった。

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