第05話 告白の覚悟
「――くん……リョウ君。おーい、リョウ君起きて~」
「……ん、うぅん……」
深いところに沈んでいた涼太の意識が、鈴を転がすような少女の声によって引っ張り上げられようとしている。
しかし、それでもなかなか目覚めない涼太に痺れを切らした少女が「あぁ、もう~」と面倒臭そうにぼやいたあと――――
「えい」
「んがっ……!」
温かい、柔らかい、肌触りが良い、けど重い……そんな何かが、うつ伏せで寝ている涼太の頭の上に乗せられて、涼太は遂に観念したように目蓋を持ち上げた。
横向きの視界に映ったのは、白くて長い尻尾。
涼太が上体を起き上がらせると、その正体は「んなぁ」と鳴いてベッドの上から軽やかに飛び下りた。
中学三年の三学期。雨の日の下校途中に涼太と姫奈が見付けた捨て猫で、今ではすっかり清水家の一員となっている。
名前は――――
「ありがと、シュレディンガー」
「んおい、コイツは『おこめ』だ……勝手に生死の狭間を彷徨わせるなよ。ってか、絶対猫につけちゃダメな名前だから、それ。天敵だから」
大体命名したのヒメだろ、とまだ眠そうに目を擦る涼太が喉声で言う。
「寝起きからツッコミがキレてるねぇ」
「起きて間もない人にボケを振るな……」
涼太はようやく意識が鮮明になり始めたのを感じながら、自分が起き上がったベッドの隣に視線を向ける。
そこには、笠之峰高校の制服を着た姫奈の姿があった。
第一ボタンの外されたブラウスに薄茶色のカーディガン。その上から羽織っている濃紺のブレザーのボタンは開け放たれており、膝上に揺れるグレーのプリーツスカートはチェック柄。
胸元に緩く結ばれている落ち着いた赤色のネクタイは、学年ごとで色分けされている笠之峰高校の一年生であることを示している。
「それより、早く準備して欲しいんですけど。リョウ君ママ、もう朝食用意してたよ」
「…………」
「ん、どうかした?」
ぼーっと見詰めていると、姫奈が首を傾げてきたので、涼太は後ろ頭を掻きながら言った。
「うんにゃ、可愛い幼馴染に朝起こしてもらえる俺は幸せ者だな~って実感してただけ」
涼太は昔から朝に弱い。
小学生の頃は姫奈と蓮が二人で起こしに来てくれていたが、バスケ部で蓮が先に登校するようになってからは、涼太の目覚まし係は姫奈になったのだ。
なので、姫奈は涼太を起こす大ベテランである。
「今更私のありがたみを?」
「というか、これが当たり前になってるから、改めて感謝の気持ちを思い出してみたんだよ」
「殊勝な心掛けだね」
「何せ俺が遅刻するかどうかはヒメに掛かってるからな」
涼太はそう言ってベッドから降りると、部屋の窓を開けて換気を始める。
「さてさて、準備は何から……」
「顔洗って、制服着替えて、ゴートゥースクール」
「朝食は抜き?」
「代わりに私が食べて上げるよ」
「何の代わりにもなってないから、着替えたあとに食べることにするわ」
部屋をあとにして階段を降り、キッチンにいるであろう母親の「起きた~?」という確認に「起こされた~」と返事をしながら洗面所に向かう涼太。
姫奈はその後ろをついてきている。
涼太はまず顔を洗うべく、ヘアバンドで黒髪を持ち上げ、チラリと鏡越しに見える姫奈の姿を一瞥してからお湯を出す。
(にしても、マジで可愛くなったよな……)
もちろん自分のことではない。姫奈の話だ。
小さい頃から充分すぎるほどに可愛かったが、高校生になって更に磨きが掛かっている。
平均的な背丈に、線の細い身体付き。
手足は長くしなやかで、腰もキュッと引き締まっていてスタイルは充分良いはずだが、本人的にはもう一押し女性的な膨らみが欲しいらしい。
色白の肌にはくすみ一つ見当たらず、ただでさえ精緻に整った顔は、校則に見逃される程度のナチュラルメイクで控えめに彩られている。
大きな榛色の瞳は目尻が若干垂れ気味なこともあって、どこか困っているかのような印象を放ち、思わず助けてあげたくなるような男心をくすぐってくる。
また、セミロングに伸ばされた絹のように艶やかな栗色の髪は、ハーフアップにされて後頭部で小さな尻尾を作っていた。
(対して俺は……)
洗顔フォームも使用して洗い終えた自分の姿を鏡で見る。
清潔感はあるかなという黒髪に、覇気の感じられない黒い瞳。
肌が白いのはインドア派由来で、華奢な身体ではあるが適度に筋トレをしているので
身長に関しては、身体測定で百七十ちょっとを記録している。
「んなぁ、ヒメ」
「ん~?」
「俺ってフツメン?」
「え、自信過剰?」
「……泣くよ?」
「あはは、冗談」
鏡にジト目を反射させた涼太を、姫奈がけらけらと笑う。
「本当は?」
「ん~、わかんないけど中の上くらいじゃない?」
「思ったより高評価だな」
その割にはモテないけどな、と呟いて洗面所を出る涼太に、姫奈が呆れた声で言った。
「うわぁ~、顔でモテるかどうかが決まると思ってる頭がもうモテないわ~」
「いや、顔だろ」
「清潔感、気配り、コミュ力。これがあればモテるよ」
「後者二つが欠如してるヒメはどうしてモテるんだ?」
「ん~、圧倒的な……顔?」
「結局顔じゃねぇか」
恐らく重要なのは『圧倒的な』の部分だろうが、涼太はツッコミを入れずにはいられなかった。
そして、一旦自室に戻ってシャツ、ブレザー、ズボン、ネクタイと笠之峰高校の制服一式を前にして、パジャマを脱いで上裸になったタイミングで――――
「リョウ君はもうちょっと気配りを磨いた方が良いね」
「ん……?」
自分がいるのに構わず脱ぎ始めた涼太から、姫奈は仄かに頬を色付かせた顔を背け、部屋を出たのだった。
◇◆◇
キュッ!
キュキュッ――キャッ!!
バシュッ……!
笠之峰高校の体育館に、バスケットシューズの靴底が小気味の良い音を響かせている。
朝練も終盤に差し掛かり、バスケ部の皆が爽やかな汗を掻いている。
そんな練習風景を体育館の後扉から覗いているのは、涼太と姫奈――と言っても、正確には涼太は姫奈に付き添っているだけであるが。
「で、毎朝毎朝熱い視線を送ってる姫奈さんは、いつ蓮と付き合うんですかね?」
「もぅ、うるさいなぁ……」
コートを行ったり来たりする蓮の姿から、目を離せずにいる姫奈。
想いが確かであることは間違いないはずなのに、結局高校入学から半年経って秋になった今もなお、姫奈と蓮の関係性は昔と変わらない。
涼太も別に急かしたいわけではないが、いつまでも一歩踏み出せずにいると、ひょっと出の女子に蓮を取られる可能性だって充分あり得る。
まさしく、典型的な幼馴染ヒロインの負け方だ。
「……だって、蓮君全然気付いてくれないもん」
体育館の扉に片手を力なく預けてそう吐露する姫奈の横顔は、哀愁に満ちていた。
無理もない。
中学三年の後半から現在に至るまで、姫奈は自分なりに蓮にアプローチを掛けてきた。
積極的に話し掛けたり、ふとした瞬間のボディータッチの機会を増やしたり、休みの日には蓮と二人で遊びに行ったりもした。
こうして毎日練習を覗いているのも、もちろん姫奈自身が蓮の頑張っている姿を見たいという理由もあるが、同じくらい『貴方に興味があります』というアピールをする目的も含んでいる。
そんな戦略を共に考えてきた涼太は、姫奈の努力を自分のことのように知っていた。
(蓮、アイツ……とんでもなく鈍いのか、それとも……)
ここまでアプローチを掛けて一向に手応えを感じない蓮に、涼太は一瞬望ましくない想像をしかけて首を横に振る。
(いや、蓮に限ってそれはないな。アイツは誠実な奴だ)
「ねぇ、リョウ君」
「ん?」
姫奈の声に、涼太は思考を中断する。
「私、もし上手くいかなくて、蓮君と一緒にいられなくなるのは嫌だけど……」
涼太は静かに、ジッと姫奈を見詰めてその言葉に耳を傾ける。
「このまま前に進めずに時間だけが過ぎていくのも、凄く嫌だし、怖い」
だから――と、一呼吸置いた姫奈はバスケ部の練習風景から視線を映し、涼太に覚悟の籠った瞳を真っ直ぐ向ける。
「私、再来週の文化祭最終日。思い切って、蓮君に直接告白するよ」
とても勇気のいる言葉。
揺らがぬ覚悟が感じられる言葉。
そして、どうしようもなく涼太の胸の奥深くを抉る言葉。
それでも、涼太はいつも通りの振る舞いで。
しかし、姫奈の口にした覚悟を受け止めるに相応しい表情で。
「応援してる」
そう、言った――――
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