第6話
朝の気配を感じて、目を覚ました。
ベットから起きて、カーテンを開ける。空はまだ明るくなりきっていない。おそらく、いつもと同じ時間だ。
ノックの音がした。
「起きてるよ」
「おはようございます。お嬢様」
入ってきたのは、メイドのリタだ。私の身の回りの世話をしてくれている。
「それじゃ、着替えるから出ててくれる?」
衣装棚からおもむろに服を取り出すリタに、そう釘を刺しておく。
「…もちろんです。お嬢様」
どうやら、私の世話をする上で、着替えを手伝えないことが唯一の不満らしい。
リタが出ていったのを確認してから服を着替えて、裏庭に出た。
裏庭では、すでにシュナイツが木剣を振るっていた。
「お父様。おはようございます」
「ああ、イヴか。おはよう」
シュナイツが素振りを止めて振り返った。朝日に照らされたシュナイツの目元にはうっすら隈が浮かんでいた。
「お父様。あまり顔色が良くないみたいですが、大丈夫ですか?」
「あ、ああ––気にしないでくれ。昨夜は、その…少し忙しくてな。あまりよく寝れてないんだ」
すこし口調が怪しかったが、シュナイツはハーレン領の領主であるだけでなく、帝国軍の軍団長も務める忙しい身だ。一応納得しておく。
「お仕事、お疲れ様です」
「いや、気にするな。それより、始めよう」
シュナイツが、足元に置いてあったもう一本の木剣を放ってよこした。
シュナイツが使っているものより30cmほど短く、幅は二分の一ほどしかないが、私が振るにはちょうどいいサイズ感だ。
2人は距離を取り、木剣を構える。シュナイツの掛け声で、毎朝恒例の模擬試合が始まった。
何合か打ち合った後、模擬試合はいつものように私のボロ負けで終わった。
「仕掛け方は前より良くなった。次はもっと、相手のカウンターを意識して攻撃しなさい」
シュナイツのアドバイスを聞きながら立ち上がる。こっちは息が切れて返事することさえできないのに、シュナイツは汗ひとつかいた様子がない。
私は距離をとって剣を構え直した。悔しさは、少しも闘志を萎えさせなかった。
シュナイツが口元に笑みを浮かべて剣を構える。シュナイツからの無言の合図を受け取ると同時に、私は本日二度目の負け戦に飛び込んで行った。
汗を流してからいつもより質素な服に着替えて、ダイニングルームに行く。
ダイニングルームで先に席についていたシュナイツもまた、いつもより質素な服装をしていた。
今日はこの後、街に出かける予定になっている。そのための服装だった。
シュナイツが「場所から眺めるだけじゃ退屈するだろう」と言ってくれたおかげで、身分を隠して出かけることになっている。
この屋敷での生活に慣れてきてからようやく、この世界への好奇心が生まれてきていて、私は内心、この日を楽しみにしていた。
私たちの朝食は、今日の予定についてあれこれ話しながらもいつもより早く終わった。
「一応、これを持っておきなさい」
玄関前で、シュナイツはそう言って一本のナイフを差し出した。
「自衛用だ。私の街は治安はいいが、貴族という身分はよからぬ輩を引き付けてしまうこともある。念の為だよ」
思わず警戒してしまった私に、シュナイツが優しくそう言った。
「…わかりました、お父様」
私は、日本にいた頃は持つことなんてなかったそれを服の下に隠して身に着けた。
シュナイツの目が柔らかく微笑んだ。
「それじゃあ、いこうか」
「わあぁぁぁ…」
私は歓声をあげた。
西洋風な街並みに、露店の周りを走り回ってどやされる子供たち。朝っぱらから酒場で飲んでいる男。値引き交渉の声と、赤子のお守りに奔走する女性。
笑い声、泣き声、いろんな声が飛び交い、すれ違う人々も様々な表情を浮かべている。
日本じゃ見たことがない種類の活力が渦巻いていた。
午前中はシュナイツといろんな店を見て回った。お昼も、予定通り屋台で買った。串焼きとサンドイッチは、屋敷の料理と違って庶民派な味付けで、たまにはこういうのが食べたくなる。午後は芝居小屋を見に行った。演目は「ユイガランの聖女」。聖女に選ばれた田舎の村娘が、ドラゴンの襲来から王国を守るという内容の冒険譚だった。
芝居小屋を出た時には、空は既に橙色に染まり始めていた。
「ドラゴンって本当にいるんでしょうか?」
「ああ、いる。数は少ないがな。魔物の中でも最上位とされている」
この世界には、魔物と呼ばれる物がいる。魔術の源でもある魔力を体内に宿し、それを自在に操れる動物だ。大抵は凶暴で攻撃性が高く、人間を見ると襲ってくるらしい。
「コホンッ」
シュナイツがわざとらしい咳払いをした。
「実はこう見えても、私はドラゴンと戦ったことがあってな。その時は…」
シュナイツの纏う雰囲気が急に変わっていきなり手を引っ張られた。
私はいぶかしみながらも、一生懸命に足を動かす。質問している暇などなかった。
右に、左に、いくつか道を曲がって、シュナイツは人気のない路地で足を止めた。後ろから覗ける表情は真剣そのものだったが、どことなく楽しそうな色が混じっている。
「私の後ろに隠れてなさい。そして、目をそらさないように」
そう命令する声は、今まで聞いたことのない冷たさを孕んでいる。私は、訳がわからないままに頷いた。
シュナイツは、隠し持っていた短剣を抜く。
「さっさと出てきたらどうだ」
シュナイツが虚空に向かって話しかける。
数秒もしないうちに、路地の曲がり角、それも前と後ろから挟むように数名の人影が現れた。暗くて人相はわからないが、全員武装していることはシルエットから分かる。
人影のうちの一つが動いた。
それを合図に両側から突進してくる。
シュナイツは絶え間ない攻撃を巧みにさばきながら、反撃を加えていく。
暗い色の血が飛び散る。嫌な臭いが鼻を刺激した。静かな闇に、短剣を振る音と悲鳴が響く。
私は吐き気を必死にこらえた。父は言ったのだ「目をそらさないように」と。
いつの間にか、戦闘音も悲鳴もやんでいる。
それからの記憶はあいまいだ。けれど、ぎこちない手つきで頭をなでられたことだけは覚えている。
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