第5話

「私の娘にならないか?」

 朝食の席で、シュナイツがそう言った。

 最近では、朝食と夕食はダイニングでシュナイツと一緒に取るようになっていた。

 私は、ちぎったパンを食べようとした体勢のまま固まってしまう。

 どう意味かと聞きなおそうとして、思い直す。言葉通りの意味だろう。日本と同じ制度かはわからないが、養子になるとか、そんな感じに。

 混乱した頭を整理して、私は自問した。

―私は、この人の子供になりたいのだろうか。

 なりたくない。とは、思わなかった。この人が私を見つけて、ここに連れてきてくれたし、毎日様子を見に来てくれて、何処の馬の骨ともわからない私に優しく接してくれて。

 この、右も左もわからない場所で、もし、この人が私の家族になってくれたら……。

「…考えて、おきます」

 やっとのことで、そうひねり出した。

 脳裏には、日本にいたときの両親のこと、そして蓮のことが浮かんでいた。そこにまだ、見えない繋がりがあるような気がして。

 幸いにも、シュナイツは心得ているというようにうなずいてくれた。

「…そうか。分かった。…それと、名前がないと不便だろう?」

 深月という名前は、名前だけ覚えているのも不自然な気がして、名乗れなかった。そもそも、発音が違いすぎる。

「良ければ、私がつけてもいいか?」

 私は小さくうなずいた。

「じゃあ……イヴだ。君は今から、イヴと名乗りなさい」

―イヴ…。

 イヴ。その名前を、私は口の中で転がしてみた。

 自分が別人になってしまったような、不思議な気分だった。


 養子縁組の件について、一昼夜考えた。言語の勉強にはなかなか身が入らなくて、いつもの半分ほどしか内容がわからなかった気がする。

 次の日の朝、私は結論を出した。いや、そもそも、最初から決まっていたんだ。

「養子に、なりたいです」

「そうか!」

 シュナイツの表情が、ぱっと明るくなって、私も嬉しくなる。心臓のあたりがじんわり暖かくなるなかで、片隅に、どうしても温まらない部分がある。

―最低だ。

 心の片隅で冷たく、私じゃない誰かが吐き捨てた気がした。


 朝食の後、書斎に連れていかれて、養子になる手続きをした。思いのほか、手続きは書類だけであっさりと終った。

 私の年齢は、外見から13歳か14歳くらいだと推測され、養子縁組に当たり、戸籍上は13歳だということになった。

 ”深月”だったころから4歳も若返ったのか、私。

「これで、君は正式にイヴ・ハーレンになった。改めて、私の娘として、よろしく頼む」

「よろしくお願いします。父さん」

「一応、お父様と呼んでくれ。貴族の慣例だな」

「わかりました、―お父様」

 一瞬、シュナイツの表情がだらしなくゆがんだ気がしたが、気のせいだろう。うん、きっと気のせいだ。


 次の日から、少しづつ貴族の子女としての教育が始まった。

 最初は礼儀作法に歴史の勉強。そこから段々と、ダンスのレッスンや、芸術、算術などの授業が増えていった。

 時を経るごとに、特に、歴史や地理の授業を受けるごとに、ここが異世界かもしれないという疑念は確信に変わっていった。学校でそこそこ真面目に授業を聞いていた私の知識の、どの場所にもどの時代にもここの地形や歴史は合致しない。

 それに加えて、もう一つ、ここが異世界だと私を確信させる要素があった。

 魔術だ。ゲームや漫画に出てくる魔法のようなものが、この世界にはある。空想やお伽話ではなかった。歴史と地理は同じ先生の授業なのだが、その先生が実際に見せてくれたから間違いない。

「ウォティア オト・ウェル リヴィオール」

 先生がそう呟くと、かざした手の先の空間に幾何学的な模様の円陣が描かれ、そこから球体の水が生まれて放物線を描き床を濡らした。

 不思議な光景だった。

 それから何度か魔術について質問したが、詳しいことは教えてもらえなかった。魔術は、資格を持った専門の教師から教えてもらうもの、だそうだ。

 これで、元の生活に戻れるという一縷の望みも絶たれた訳だけれど、学ぶこと全てが真新しい日々の中、幸いにもその事実を咀嚼している時間はなくて。気がつけば、あっという間に一ヶ月が経っていた。

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