第3話
―また知らない場所にいる。
今度は硬い石の上ではなく、やわらかいベッドの中だ。服も、どうやら白い寝巻きのようなものを着ているようで、ひとまずホッとする。
首だけを動かして周りを見渡すと、洋風な装飾の部屋だった。
「―――――」
耳慣れない言葉が聞こえた。
声のしたほうを見ると、執事のような恰好をした老人が微笑んでいる。
この人が私をここに運んだのだろうか?
「―ゴホッ…、ゴホッ」
ここがどこなのか尋ねようとしたが、ガサガサに乾燥した喉からは咳が出てくるばかりで言葉が出てこない。
老人が近くのテーブルに置いてあったコップに水瓶から水を注いで渡してくれた。
体を起こしてそれを受け取り飲み干すと、少しはまともに声を出せるようになった。
「…えっと…ことばは、つうじますか?」
老人は、困惑したようにまゆをひそめた。
もしかして、日本語が通じないのだろうか?
老人が、机の上にあったベルを鳴らした。
まもなくドアが開いて、メイド服を着た女性が部屋の中に入ってくる。
一瞬コスプレかと思ったが、老人の方も女性の方も、服装について何か気にしている様子はない。
「―――――――――――」
老人がその女性に向かって何か言う。女性はぺこりとお辞儀をして部屋から出ていった。
数分後、再びドアが開いて、壮年の男性が入ってきた。
服装や態度が老人やメイドとは違っていて、何となく位が高そうな印象を受ける。
老人が深くお辞儀をして何か言った。壮年の男がおもむろに頷く。
男はゆっくりとした動作で近づいてきて、ベッドのわきにあった椅子に座った。
「―――――――――――――――」
茫然自失としている私に、やわらかい笑みを浮かべて話しかけてくる。
私が、分からないというように首をかしげると、男はもう一度微笑んだ。
男が出て行った後、食事が運ばれてきた。
スープの匂いを嗅いでようやく、自分がものすごくおなかが減っていたことに気づく。優しい味のするスープと柔らかいパンを夢中で食べて、食べ終わった後は暗闇に吸い込まれるように意識を失ってしまった。
温かく、心地いい微睡みが、風船のように破裂して、私は勢いよく体を起こした。
ここはどこ?
視線を左右に巡らせる。心臓がどくどくと脈打っていた。
そこにあったのは、眠りに落ちる前に見ていた景色と同じ景色。私がいるのは、あの洋風な部屋だった。昨日と違うのは、窓に引かれたカーテンと、その隙間から見える白い光だけ。
無意識に詰めていた息を吐き出す。
頭のなかを真っ白に染め上げてしまった不安が、潮が引くように消えていくのを感じた。
しばらくの間、カーテンを開けて外を見ていた。
窓の下は庭園になっているらしい。色とりどりの花が…、見たことのないような花も咲いている。その向こうは、3mほどの塀を隔てて市街地が広がっているようだ。
なんだか現実感がなくて、夢を見ているようだ。きっと、なんで自分がこんな景色を見ているのか一つもわからないせいだろう。
ノックの音が聞こえた。
「…どうぞ」
通じるとは思わなかったが、一応そう答えた。
ノックオンの主も、声色からか、大丈夫だと解釈したようでドアを開いて部屋に入ってきた。
部屋に入ってきた、あの執事っぽい老人は朝食らしきものを持っていた。
途端に遠慮が沸き上がるが、直ぐに今更だと思い直した。
それに、ものすごくお腹が空いている。
割り切るしかない。
朝食を食べ終わった後、メイド服の女性が(昨日の人とは違う)本らしき物を持ってきた。
メイドの人が本を開き、声に出して読み始めてようやく、これは私に言葉を教えようとしているのだと気づいた。
それからは一字と聞き漏らさないように集中して聞くようにした。
学校の授業でも、英語の点数は悪くなかった。英語を勉強する時も、基本的には自分がしゃべるのより、相手が何を言っているのか理解する方が簡単だ。
私が、日常会話程度なら聞き取れるようになるのに、1ヶ月程かかった。
その間、少しずつメイドさんに質問して、ここがギルウィスト帝国ハーレン領、領都のティグリスという場所であること。私はダンジョンと呼ばれる危険な場所で気を失っており、あの位の高そうな壮年の男、シュナイツが私を見つけて、自宅であるこの屋敷に連れ帰ってくれたことを知った。
私にはその事実をどう受け止めればいいのかわからなかった。少なくとも、ここは日本じゃない。ギルウィスト帝国なんて聞いたこともないから、同じ時代じゃないかもしれなくて、そもそも、同じ世界なのかもわからない。
だとしたら、もう、両親には会えない。学校の同級生も、塾の友達も。私の、たった一人の妹にも。何もかもが理解を超越していたけれど、ひとつだけわかった。
私は、今までのすべてを失ったのかもしれない。
その日も、朝食を食べた後、コンコンというノックオンがした。一週間ほど前に習った言葉で「どうぞ」と返す。
いつものように、言葉を教えてくれるメイドさんが入ってくると思っていたが、違った。シュナイツと、執事の老人、バウル、その後ろに、いつも言葉を教えてくれるメイドが控えていた。
シュナイツが、最初の日と同じように椅子に腰掛けて笑いかけた。
「君が、ダンジョン……教えてほしい」
聞き取れたのは断片的だったが、理解するのに時間はかからなかった。
君がダンジョンにいた理由を教えて欲しい。おそらくこう言ったのだろう。
そう、私が危険な場所で見つかったのだと教えられてから、この質問をされるのではないかと予想していた。そして多分、恐れてもいたのだ。
私は口を開く。
「目が覚めた…、洞窟にいて。道を行ったら、扉、ある。開けて……」
頭痛がして、言葉に詰まった。そこからが思い出せない。
「分かった。その前は、わかるかい?」
今度はっきりと聞こえてしまった。
土壇場になって、頭の中の天使と悪魔が騒ぎ立てる。
「私は……」
天使の声が大きくなった分だけ、悪魔の声が大きくなった。
「…覚えていません……。」
罪悪感で、口の中が苦くなった。
「…そうか。教えて…ありがとう。」
シュナイツとバウルが出て行った後、いつものように授業が始まったが、その日は内容が全く入ってこなかった。
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