第1話
目を覚ました。
洞窟のような場所だった。むき出しの岩肌のところどころから、青白い光を放つ鉱石が見えている。
―どうして、私は……死んだはず。
もしかして、死んでなかったのだろうか。あれから助かって、ここに来た。じゃあ、ここは?ここはどこだろう?見覚えはないし、少なくとも病院ではない。
「いや…私は、死んだはず…」
その瞬間さえ、はっきり思い出せるのに、私には意識があって、体もある。
体…体……。
ふと、違和感に気づいた。
半分うつ伏せのような体勢だったから、体を起こして、自分の首から下を見る。
体を起こす時から、何かおかしかった。ショックで頭が真っ白になった。
首から下に見えたのは、17年間連れ添ってきた自分の体ではなかった。薄汚れた、華奢な、少女の体。しかも、服を着ていない。
私が冷静さを取り戻したのは、数分してからだった。
―いったい、どうしてこんなことに―?
なんとか、冷静に状況を把握しようとしてみる。
もし、私が霊体か何かになってこの洞窟にいた別の人間の意識に入ったのなら、一応説明はつく。それか、私が日本で生きて、死んだという記憶はすべて夢で、私が今のこの体で生きてきた記憶は記憶喪失で失っているだけ、とか。でも、それって大して違わないんじゃ…。それか――
私はぐるぐると巡りはじめていた思考をストップさせて、辺りを見回した。
考えれば考えるだけ混乱していく。とりあえず今は、考える材料が少なすぎてわからない。
ドーム状の空間に一か所、人一人が通れるくらいの穴が開いていた。
私はよろけながら、その穴に近づいた。壁のところどころから青白い光が見えるが、光が弱くて先が見通せない。ここを進んで外に出られるのか不安になる。それでも、この穴以外にこの空間からの出口はないのだから、慣れない体で進むしか、選択肢はなかった。
どれくらい歩いただろう。数十分にも、数時間にも感じる。景色は一向に変わらず、時間の感覚が完全にバグってしまっている。だから、もしかしたら、まだ数分しか歩いていないのかもしれない。
ふと、洞窟の先に何か見えた気がした。一瞬、胸の中にともった希望がすぐに絶望へと変わった。そこにあったのは壁だった。つまり、行き止まりだ。
心臓がすっと冷たくなったような気がした。
消えかかっている一縷の希望にすがって、その壁に近づく。
1mほどにまで近づいてようやく、その壁の中心に、縦に亀裂が入っていることに気づいた。
もう一度観察してみると、わかりにくいが扉になっているらしい。
けれど、見るからに重そうな扉だ。私は扉に両手をついて、思いっきり力を加えようとした。
扉は開いた。手をついた瞬間に、まるで何の抵抗もないかのように。
私は体の支えを失ってうつぶせに転んだ。
それでも扉は開いたのだ。私は立ち上がって周囲を確認しようとした。
扉の先は、私が目を覚ました場所のような、開けた空間になっていた。ただ一つ、違うのは中央にいる「それ」。
似てはいるものの明らかに人間とは違っていた。頭に二本の角が生えた「それ」は、しいて言うなら鬼だろうか?
鬼は、ゆっくりと瞼を開ける。その表情は、どこか無機質だった。
唐突に、鬼が視界から消えた。
何が起きたかわからないまま、気付けば身をよじっていた。
半拍も遅れずに、一瞬前まで私の顔があった位置を、ものすごい速さの拳が通過する。
私は風圧に押され、体勢を崩してしりもちをつく。
同時に浮遊感が私を襲った。次に感じたのは衝撃。その次は今まで感じたこともないほどの激痛だった。
殴られたのだと気づくより先に、壁に衝突して崩れ落ちた。
口から、地面が深紅に染まるほどの血を吐いた。鼓膜は破れてしまったのか「ジーーン」という音以外何も聞こえない。鼻腔に、鉄を何倍にも凝縮したようなにおいが充満する。
視線を下ろすと、殴られた位置が不自然に陥没していた。
よくこれで息があるなぁ。心の中の、妙に穏やかな部分がそうつぶやく。
視界の端に鬼の足が映った。一歩、一歩。私に近づいてくる。
私は、死ぬのか。すでに一度死んだはずなのにこんなことを思うなんて、変な話だけれど。
鬼は、私を見ていた。おもむろに、こぶしを振り上げて。
私は、瞳を閉じる。
不思議とその一瞬が永遠にも引き延ばされたようになって。
瞼の裏に移ったのは、歩いているときにちらりと覗いた蓮の横顔だった。
「し...たぅ...ぃ。」
死にたくない。震えるようにしか動かない口で、かみしめるようにつぶやく。
ここがどこかはわからない。もしかしたら死後の世界かも。蓮には、もう二度と会えないかもしれない。それでも。
私は償いたかった。冷たくしてきたこと、それを謝ることすらできなかったこと。無駄かもしれないけど、償いたい。
それまでは、どうか、どうか。死んで―――たまるか。
ブチブチと嫌な音がしたけど、そんなものは無視して立ち上がって、無表情に私を見つめる鬼を正面に見据える。
鬼が地面をける。ああ、私を殺す一撃が来る。
不自由な視界と、もうほとんど動いていない脳で私はそれを認識した。
不可視の力がうごめいて、虚空に幾何学的な文様を刻んでいく。その紋様が完成するのと同時に、地面に広がっていた血がまるで命があるかのように動き、収束していく。
血がうねり、瞬く間に一本の刀を成型する。
私はその刀のつかを握った。
―なんだこれは。
熱い。熱い。熱い。熱い。血がどくどくと巡る。傷口からあふれ出した血が燃えているように熱い。昂揚する。
踏ん張ると、ベキリと骨が折れる感触が伝わってきた。関係ない。その程度で、止まらない。その程度で、動けなくなるわけがない。
私が、私でなくなっていく。深紅に染まっていく。
血糊とともに雄叫びを吐いた。体と刀が一体となったような錯覚に陥る。
何もかもがうるさいのに、恐ろしいほど静かだ。
鬼の拳が、間近に迫って見える。
静寂の中。燃え上がるような熱の中で、私は・・・違う。”その生き物”は、剣を薙いだ。
一拍おいて、すべてが決壊する。手に握っていた刀は形をなくし、地面には血が広がった。
視界が暗くなる。破れた鼓膜は何の音も捉えない。鼻はむせるような血の匂いで馬鹿になっていた。
ただ、不思議な満足感が、そこにはあった。
意識に霞がかかっていく。死にたくない。そうつぶやいたが、ちゃんと発音できたかさえもわからない。
体が崩れ落ちた。けれど、冷たい岩肌の感触がいつまでたってもやってこないことに私は訝しみながら、私は意識を失った。
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