BACKWORKER'S ROCK

七ツ枝葉

Season1 INTRO

 そこは、地上から約四百二十メートルの高さ。下から吹き上げる上昇気流が、百五階建て高層ビル最上域の外壁に設置された、雨どいのガーゴイル像をわずかながらに揺らす。

 大地から遥か離れた場所である。現在、時刻は午後九時を過ぎた夜間だ。ネオンに彩られた摩天楼の街並みが、夜闇に沈む地平線の彼方まで続いている。

 見下ろせば電動車くるまのひしめく幹線道路。ヘッドライトの光が、まるで川のように流れている。

 落ちれば当然、命はない。

 そんな危険極まりない場所にも関わらず、一人の青年が、ガーゴイルのそばに座っている。

 常人ならば、あまりの高さに目を回し、立つこともままならないだろうに、彼は張り出したコンクリートの縁に座って、足をぶらぶらと揺らしていた。

 年の頃は二十一か二。縁に赤いラインの入った黒いスウェットパーカーに、ヴィンテージ風のジーンズ、黒いワークブーツと、服装はカジュアルである。

 夜の闇にも負けない、炎を思わせる緋色の瞳の持ち主で、どこにでもいそうな「ちょっとやんちゃな若者」といった風貌だ。

 茶色混じりの金髪から覗く耳には、右に三つ、左に五つ、合計八つのリングピアスが着けられている。

 右耳にはピアスのほかに、小さなイヤホンが嵌められていた。そのイヤホンから、ピピッという小さな電子音が発せられた。

「お、始まったか」

 青年は独りごち、楽しげに口の端を持ち上げる。

 風の音が少し邪魔だが、聞きとりにくいほどではない。彼はイヤホンから流れてくる音声に、しばし耳を傾けた。



 ビルの五十三階の一室。

 薄暗い部屋の中は、極北地かと思うほどに凍りついていた。

 家具調度品を氷が覆い、窓には霜が張っている。かすかに流れる空気も、まるで真冬の朔風だ。

 まだ秋の始めだというのに、このビルに数ある部屋の中、いや街全体で見たとしても、極寒の地と化しているのはここだけだろう。

 骨の髄まで凍てつきそうなその部屋に、蠢く影が二つある。

 影の一つは人間。短く整えられた髪は黒く、眼鏡をかけた碧眼には、知性の光が宿る。着こなされた紺色のスーツは、彼のスタイルの良さや足の長さを強調していた。

 外を歩けば、すれ違う女性が振り返るほどの美形である。

 これほどの低温の只中にいながら、彼は寒さなど感じていないように、平然と立っていた。右手には蒼い機械製の剣が握られており、心臓の鼓動さながらに蒼い光をまたたかせている。

 もう一つの影は、人間ヒトではない。

 隆々たる筋肉を誇る、巨躯双頭の怪物だ。

 ドゥックスという名称を冠した怪物の鋼の肉体には、無数の傷が刻まれていた。深く斬り裂かれた傷は、えぐれたまま凍り、厚い皮膚の下の肉が丸見えになっている。

 したたり落ちる血もすでに固まり、部屋の壁や床に散った赤黒いシミだけが、怪物が流した血の証だった。

 ドゥックスが憎しみのこもった唸り声をあげ、斧のごとき牙をむき出しにした。粘り気のある唾液が、牙を伝って床に落ちる。

 身をすくませたくなる恐ろしい重低音だが、男は少しも動じなかった。

「ドゥックス相手に、人の言葉が通じるとは思えないが」

 凍てつく部屋にふさわしい冷ややかな口調で、彼は淡々と述べる。

「二択だ。好きな方を選べ。このまま凍えて死ぬか、それとも焼かれて死ぬか」

 ドゥックスの双頭が大きな口を開け、血の唾を吐きながら絶叫をほとばしらせた。そして男に背を向け、手負いの巨体で窓に突進し打ち破ると、ビルの外壁に飛び移った。

 怪物に逃げられた男は、しかし慌てることなく、破壊された窓に駆け寄る。

 首を外に出し、上を見上げ、ドゥックスが屋上に向かって外壁をよじ登っていく様子を確認すると、速やかに部屋を出た。

 誰もいない廊下を、急ぎ足で進みながら、男は言う。

「燃やされたいそうだ」

 独り言のようだが、その言葉は右耳に嵌めたイヤホンを通して、彼の合図を待つ者に届いた。



「了解!」

 イヤホンから聞こえてきた相棒の言葉に、ビルの最上域で待機していた青年――エヴァン・ファブレルは嬉々として立ち上がった。

 髪やパーカーが風にあおられるのをものともせず、眼下を見下ろす。

 エヴァンの足元から地上まで続くビルの外壁を、巨大な筋肉の塊が、かなりのスピードで這い登ってくる。

 エヴァンは面白がるようにニヤリと笑うと、無造作にその身を宙に躍らせた。

 引力に従い、エヴァンは頭から落下していく。外壁を登ってくる怪物が、どんどん迫る。

 衝突直前、エヴァンは落下しながら身体を一回転させた。体勢がまっすぐに整ったと同時に、彼はドゥックスの双頭部に着地。怪物の顔面を踏みつける形になった。

「ご指名ありがとうございます! 〝燃やす〟担当のエヴァン・ファブレルですヨロシク!」

 腰のホルスターから銃を抜き、ドゥックスの頭の片方に狙いを定める。

 引き金を引くと、銃口から火花が散った。撃ち出されたのは鉛の弾丸ではなく、エネルギー弾だ。容赦なき何十発もの熱い弾丸を受け、怪物の頭部が肉片を撒き散らしながら破壊されていった。

 怪物の動きが止まる。エヴァンは射撃をやめ、空いた左腕を高らかに掲げると、拳を握りしめた。

 その拳でとどめの一撃を見舞おうとした瞬間。

 生き残った双頭の片割れが、エヴァンに牙をむいた。太い片腕を振り上げ、エヴァンの右腕を掴む。

「お!?」

 エヴァンが事態を把握するより先に、彼の身体は軽々と持ち上げられた。

 一つ頭になったドゥックスが、片割れの仇討ちと

 ばかりに何度も何度も、エヴァンを壁に叩きつける。壁は衝撃で大きくくぼみ、蜘蛛の巣状にヒビ割れた。

 普通の人間であれば、すでに絶命している。しかしエヴァンは、かすり傷ひとつ負っていなかった。

「ってえな! この怪力野郎!」

 軽口を叩く余裕すら見せたとき、イヤホンから涼しげな相棒の声が聞こえた。

『仕留めたか?』

「レジーニ、こいつ思ったより体力あるんだけど!」

 相棒のレジーニ――レジナルド・アンセルムに訴えるが、返ってきた言葉は限りなく冷たいものであった。

『お前が体力勝負で負けてどうする、この役立たず』

 エヴァンは労わりの欠片も見せない相棒に、文句を言ってやろうとしたのだが、邪魔された。ドゥックスが彼を掴んだまま、更なるスピードで屋上を目指し始めたのだ。

「止まりやがれコノヤロー!」

 エヴァンは猛走を止めようと、ドゥックスの筋肉の盛り上がった胴体を、自由な左拳でしたたかに殴りつける。

 しかし、手負いの獣には通用しない。ドゥックスは止まらず、ついに最上部に到達。転落防止の柵を飛び越え、屋上に降り立った。

 そこには剣を携えたレジーニが、すでに待ち構えていた。

 ドゥックスが咆哮を上げ、掴んでいたエヴァンを、レジーニに向かって豪投した。

 あっさり投げられたエヴァンと、その的にされたレジーニだが、どちらも少しも慌てなかった。

 エヴァンは宙に放られた状態で、右腕をまっすぐ伸ばした。自分自身の内面に意識を傾け、身体の中に眠る〝力〟を呼び起こす。

 エヴァンの意思に応じて、彼の〝力〟――〈細胞装置ナノギア〉が起動した。右手の五本指すべてがワイヤー状に変形し、ドゥックスに向けて放たれる。五本のハンドワイヤーで怪物を捕らえることで落下を止め、相棒との衝突を防いだ。そのまま地面に着地すると、暴れるドゥックスをものともせず、自分の倍以上はある巨体を苦もなく引き寄せる。

 引っ張られて勢いのついたドゥックスの巨体が、宙に放り上げられた。巨体は放物線を描いてエヴァンの頭上を跳び越し、レジーニの方へ落ちていく。

 レジーニは冷静に怪物を見据え、蒼い光を湛えた機械剣〈ブリゼバルトゥ〉を下向きに構えた。柄に備え付けられたスイッチを押すと、刀身の蒼い光が一層強まり、周囲に冷たい空気が漂う。

 剣の内部に仕込まれた具象装置――フェノミネイターが起動した合図だ。

 ドゥックスが間近に迫った瞬間、レジーニは〈ブリゼバルトゥ〉を振り上げた。フェノミネイターによって発生した冷気が蒼い刀身からほとばしり、ドゥックスの胴を斬り裂いた。

 怪物は絶叫を上げながら、地面に墜落した。だが、相手はタフな怪物だ。勢いは失ったものの、冷気の剣撃だけでは死ななかった。

 倒れ伏したドゥックスがのそりと起き上がり、復讐心で眼(まなこ)をぎらつかせる。その胴体は、徐々に凍りつきつつあった。

 ドゥックスがレジーニめがけて走ってくる。エヴァンは素早く駆けつけ、相棒とドゥックスの間に割って入った。

 格闘技の構えをとる一瞬の間に、エヴァンの両腕が二度目の変形を遂げた。指先から肘まで、まるで籠手を嵌めたかのように真紅の金属に覆われる。〈細胞装置〉によって、エヴァンの身体組織そのものが、特殊強化金属と化したのだ。

 真紅の籠手の名は〈イフリート〉。敵を砕く、炎の拳だ。

 迫り来る巨人を前に、エヴァンは余裕の笑みを浮かべた。

「よっしゃバッチ来ォい!」

 弾みをつけて懐に潜り込み、強烈な左右コンボを決める。ドゥックスの巨体がぐらりとよろめく。エヴァンは敵に反撃の隙を与えず、攻撃を連続で繰り出した。

 エヴァンが拳を振るうたびに、その拳先で火花がまばゆく閃く。〈イフリート〉の火気が、エヴァンの闘志に呼応して舞い上がる。

 胴全体への連続殴打を受けたドゥックスが、徐々に後退していく。この間にも〈ブリゼバルトゥ〉から受けた凍結化は進行しており、怪物の下半身は氷の彫刻と変貌しつつあった。

 手負いの獣は、それでも復讐の炎を絶やしてはいなかった。エヴァンが次の攻撃に移る、わずかな一瞬をつき、岩石のような頭を彼の額に打ちつけたのである。

 だがエヴァンは倒れることなく、額同士が衝突した瞬間、ドゥックスの頭を両手で掴んだ。

「残念。頭の硬さなら俺の方が上」

 跳躍し、膝蹴りをドゥックスの顔面にめり込ませる。鮮血を吹き上げるドゥックスは、ゆっくりと後ろに傾いていった。

 しかし地に伏すことはなかった。倒れる直前、ドゥックスの全身に氷がまわり、ついに完全凍結したのだ。

 ちょうど屋上の端、あとわずかで転落、というギリギリの場所だった。

 怪物の動きが止まった。エヴァンはおぞましい氷のオブジェクトと化したドゥックスに、とどめの回し蹴りを叩き込む。

「よせ! この馬鹿!」

 背後からレジーニの叱責が飛んできた。

「え?」

 なんで? と問うエヴァン。

 回し蹴りを受けた氷漬けの怪物が、転落防止柵の上に倒れた。その重みで柵がへし折れる。くい止めるもののなくなった氷漬けのドゥックスが、壊れた柵を越え、地面に向かって夜の闇に落ちていった。

「あーーーーーー……らら」

 エヴァンは慌てて駆け寄り、柵の外を覗き見るも、もはや巨人の姿は遥か彼方であった。今頃は地面に衝突し、砕け散っているであろう。

「やべ、やっちゃった」

 顔を引きつらせるエヴァンの背後に、レジーニが忍び寄る。

「この馬鹿猿が」

 地獄の底から這い出てくるが如く、低く恨めしげな声。双頭の巨人よりも、命綱なしで空中戦を繰り広げるよりも、エヴァンにとっては何より恐ろしい瞬間だった。

「念のためにビル周辺を封鎖しておいて正解だった。お前、アレが落ちた地点に、通行人がいたらどうするつもりだったんだ?」

「あ、いや、ごめんマジで。ちょっとはりきり過ぎた。反省」

 エヴァンは慌てて両手を上げて弁解する。しかし、レジーニには通用しない。

 静かに怒れる相棒は、右手の指を三本立てた。

「三度目だ、猿。二日間で三度、僕の注意を受けているわけだが、それについてお前はどう思う?」

 声が怖い。冷たい威圧感に圧されたエヴァンは、無意識のうちに後退していた。

「んーと、徐々に少なくなってきてるような? それって成長じゃね?」

「ふざけてるのか。調子に乗るな、無闇に敵に突っ込んでいくな、状況を把握してから行動しろ。何度似たような注意を僕にさせれば気が済むんだ愚か者。今日の落とし前、どうやってつけるのが正しいか、言ってみろ」

「そ、そうだな」

 エヴァンは一瞬考えて、パチンと指を鳴らした。

「『次で挽回』!」

「違う! 『死をもって謝罪』だろうが!」

 レジーニの怒りの一蹴が、エヴァンの腹にヒットした。蹴りの勢いで宙に放り出されたエヴァンは、

「ごめんなさーーーーーーーいッ!!」

 謝罪も虚しく、墜落するのであった。


     *


 メメントと呼ばれる異形のモノたちが、闇の中を跋扈している。

 それがいったい、いつの頃から存在していたのか。なぜ在るのか。まだ明らかになっていない。

 ただ一点明確なのは、メメントは人類とっての脅威である、ということだ。

 メメントはあらゆる生物の死骸が、何らかの原因によって異形へと変貌したものである。メメント化した生物は、生前の生態を失い、暴虐の限りを尽くすだけの魔物となる。

 この恐るべき化け物を倒すには、特殊な武器が必要だった。このためメメント討伐は、主に軍部が執り行っている。

 しかし、軍部とは別のところに、メメントに対抗する勢力があった。

 それは裏社会の職業の一つ。

 数ある裏稼業者バックワーカーの中でも、屈指の猛者もさたちが集まる危険な職種。

 軍の正式な委託を受けぬままメメントを狩る、彼らは〈異法者ペイガン〉という。

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