16.GWデート・フェスティバル ―視点C―
オペラやクラシック、ミュージカルなどは見に行ったことがある。
今だって、赤レンガ倉庫前の広場の中心にあるステージでは、女性ボーカルを中心とした四人編成のバンドが曲を奏でている。
なのに、自分たちは彼女らの演奏をBGMにして、目の前に置かれたカレーライスに夢中だった。
真剣に聴かなければと思う一方で、カレーも味わいたく、加えて
「なんだか、贅沢を超えて、申し訳ないような感じがしますね。ちゃんと演奏を聴いてあげられなくて」
「もー。千尋は真面目すぎるんだって。カレーも音楽も芸術なんだから、自由に楽しめばいいんだよ」
隣に座る紗良が太陽みたいににこやかに笑う
快龍と
それぞれの席の前には、プラスチックの容器に盛り付けられた彩り豊かなカレーライスが置かれていた。
「カレーも芸術、ですか」
「そうだよー。千尋はどんなカレーにしたの?」
「私のは、鯛のお出汁を使った『和風鯛カレー』です」
「それなんてまさに、海のエキスと陸のスパイスの融合、そして和風のテイストがお米の魅力を最大に引き出す芸術作品じゃん!」
海と陸の融合。
なるほど、そういう捉え方もあるのだろうか。
キラキラと目を輝かせる紗良の自由さが羨ましい。
「確かに芸術、かもしれませんね。紗良や快龍さんはどんなカレーにしたんですか?」
千尋が尋ねると、紗良、快龍、そして綾世が順に器を持ち上げた。
「私はね、激辛ハバネロカレー『羅生門』!」
「……、鶏ささみ高タンパクカレー『筋金』だな」
「俺のはねー、パリピナイトプール・ダムカレー『ギンギラギン』ってヤツ!」
ジャジャーンと言いながらカレーを見せつける3人。
……芸術とは?
芸術の定義があいまいになり、あわあわとリアクションに困ってしまった。
「羅生門って言うのはねー、辛すぎて唇が真っ赤に染まるからなんだって! ネーミングセンスいかしてるよね」
「……、私、芸術が何かわからなくなってきました」
ナイトプールを模したダムカレーってどんなだろうと思って綾世の皿を覗き込んだら、黒々としたカレーの上にカラフルなグミやマシュマロが載っていた。
「綾世さん、それ美味しいんですか?」
「うん。バカうまい! マシュマロとカレーって合うのな!」
赤い革ジャンの彼がグーサインで応えた。
千尋の人生では絶対に関わりがなかった人間だ。
味覚のタイプまで全然自分と違うのだろう。
「ひとくち食べる?」
「い、いや、私は遠慮しておきます」
慌てて目を逸らしたら、今度は快龍と目があった。
快龍は口をライオンのように大きく開けてスプーンを口元に運んでいる。
なんだか微笑ましくて、彼がその大きなひとくちを飲み込むまでそのまま眺めていた。
「……、ほしいのか?」
「え、いや、あっ」
快龍が腕を伸ばしてカレーの皿を差し出したので、反射的に受け取ってしまった。
そんなにもの欲しそうな目をしていただろうか。
(どうしましょう。綾世さんのを断ってしまったのに……。快龍さんのだけ食べたら、私、どう思われるのでしょう)
「筋トレ始めたなら、タンパク質も必要だからな」
(ああそうでした。この人はそんなに深く考える人じゃありませんでした)
「ありがとうございます。いただきます」
手を合わせて、鶏ささみ高タンパクカレー「筋金」に自分のスプーンを伸ばす。
ゴロッと転がる塊のようなお肉を掬って、口に運んだ。
とても質素でシンプルな味がした。
「……、辛かったか?」
快龍が心配そうに見つめてくるので、不思議に思った。
別に、辛さは普通のカレーくらいだったからだ。
自分は特に辛さに弱いとか、そういうことはなかったのに。
「千尋、顔真っ赤だよ??」
隣から紗良の声がして、そこでようやく気がついた。
――ふわわっ!!
慌てて手でパタパタを顔を仰ぐ。
紙コップに入った冷たい水をゴクゴク飲み干す。
別に、辛かったわけじゃない。
辛かったわけじゃないのに――。
「水、もっと飲むか?」
快龍がコップを差し出すので、余計に耳まで赤くなっていくのが、自分でもわかった。それでもとにかく、彼の厚意を受け取った。
(そういう不意な優しさは、反則です……)
心配そうに見つめる快龍を見て、ふっと微笑みが漏れる。
ずっと見ていたいなと思って、それは失礼なことだと反省した。
カレーも音楽もあるのに、贅沢がすぎるというものだ。
ありがとうございますと、コップを彼に返した。
一口だけ、ほんの少しだけ口をつけだけだった。
***
――?
そろそろ最後の一口を食べ終わるという時、不思議な視線を感じた。
さりげなく、それでいて何かを主張するような熱を持った視線。
ふと顔を上げる。
千尋を見ていたのは綾世だった。
「なんですか?」
綾世はすでに『ギンギラギン』を完食していた。
センターパートの髪を整えながら、「いやぁ」と切り出す。
数秒間の沈黙。
ステージ上ではバンドの入れ替えが行われていて、司会者が繋ぎのコメントで場を盛り上げていた。
「……、水城さん、よかったらステージ観に行かない?」
「はい?」
一瞬、彼が何を言いたいのかよくわからなかった。
千尋には男性に対する抗体がない。
言葉の裏を瞬時に読み解けはしなかった。
「……、紗良がまだ食べていますが」
「うん。だからさ、ゴミ捨てるついでに、ちょっと二人で行きたいなぁと思って」
「はぁ、わかりました」
綾世が立ち上がったので、千尋もカレーの皿を持って立った。
紗良がハッとした様子でこちらを見ていた。
快龍は、腕組みをしたままじっと座っていた。
「俺は残るぞ。紗良がいるしな」
「おっけぇ〜。快龍は紗良ちゃんをしっかり護衛してやってくれ」
じゃ、と言って手を振る綾世の後ろに千尋はついていく。
広場の端に設置されたゴミ捨て場を一度経由して、ステージの後方に二人で並んだ。
舞台の上では既に次のバンドが演奏を開始していた。男性ボーカルのスリーピースバンドだった。
「俺さぁ、水城さんとは二人で話してみたかったんだよねー」
「……、そうなんですか」
正直、彼と自分が話していて盛り上がるかは謎だった。
しかし綾世はすでに機嫌が良さそうで、ハイテンポな演奏に合わせて頭を左右に揺すっていた。
「この曲、ご存知なんですか?」
ショパンやバッハの曲には詳しくても、J-POPには疎い。
綾世はそういうものが好きそうだと勝手に思った。
「いーや、全然知らないけどなんか良いよね。頑張れって言われてる感じがして激アツじゃん!」
しかし彼はサラッとそう言うと、リズムに乗ったまま微笑んだ。
今日という一日、彼はずっとそんな感じだった。
今まであまり関わりがなかったグループの中に放り込まれても、場の空気を盛り上げてくれる。
よほど周りのことが見えているのだろう。
「綾世さんは凄いですね。場の雰囲気に合わせられて」
「そうかなー。俺のやりたいようにやってるだけだよ」
綾世が首をかしげる。
――やりたいようにやってるだけ?
確かに、彼は心底楽しんでいるように見えた。
〈ここでゲストを紹介しまーーーす!!!〉
スリーピースバンドの前で、先ほどステージに上がっていた女性ボーカルがマイクを取った。どうやらセッションをするみたいだ。
おー!!と拳をあげる綾世の目が、キラキラと輝いていた。
自分のやりたいようにやる。
ピアノも含め、今までは、母親に言われたことを完璧にこなそうと必死だった。
自分が満足することよりも、誰かを満足させることを考えてきた。
でも、実はそれって、逆だったりして。
自分が楽しんでいることが、何よりも周りの人間を盛り上げることもあるのかもしれない。
「綾世さん、アツいですね」
右手を高く掲げると、肩の力がふっと軽くなった気がした。
自分が楽しむことを優先してもいいのなら。
もっと自由に、もっと思いっきり生きてみよう。そう思えた。
「水城さん!」
「はい!」
綾世の頬も上気している。
ハキハキとした威勢のいい声で、音楽に負けない声で、彼は言った。
「今度、二人で遊ばない?」
――え?
すっと周りが無音になるような気がした。
その時ふと気に掛かったのは、
紗良と二人きりでいる快龍のことだった。
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