3.先が思いやられるね

 昨日の雨が嘘みたいに、四月の空は青く澄んでいた。

 午後のほとんどが身体測定で潰れた一日を終え、鞄に教科書を詰めていると、早速紗良さらが教室の前の扉にダッシュで現れた。


快龍かいたつくん! 行こ!」


 まだ残っているクラスメイトの視線が、スカートをひらひら揺らしながら快龍の机に向かう彼女に注がれる。

 明るく、人付き合いも得意な紗良は学年でもちょっとした有名人であるようだった。


「わかってるから。そう急かすなって」


「ダメだよ。快龍くん、ほっといたら急にいなくなりそうだし」


「俺のイメージ、5歳のままで止まってないか?」


「あ、それより聞いて! 私、身長161cmだったんだよ。去年から1cmちょい伸びて、ついに160cmの大台突破!」


 腕組みをして、ふんっと鼻息を出す彼女の前で快龍はゆっくりと立ち上がった。

 快龍の身長は187cm。去年よりさらに2cmも背が伸びていた。


「はいはい、頑張ったな」


「あ、文字通りの上から目線やめてくれへん?」


 しかめっ面をする紗良を軽くあしらって、快龍はリュックを背負って歩き出した。

 紗良も隣に並んで、二人で階段を降りる。


「背伸びたの偉いなとか、髪型変わって良いなとか、そういうちょっとした褒め言葉でも女の子は嬉しいんだよ」

 

 一段飛ばしで駆け降りる紗良が、踊り場で立ち止まった。


「髪型、変えたのか?」


 快龍には昨日と全く同じように見えた。


「前髪、1cm切りました!」


「たったの1cmかよ」


「この1cmの違いが大きいんだよ」


 紗良は前髪を指先で持ち上げて、「どう?」と上目遣いに快龍を見た。


「身長の違いの方がでかいだろ」


 快龍は彼女の横を通り過ぎ、階段を先に進んだ。


「お ん な ご こ ろ ! 大事にしよ!」

 

 紗良が呆れたように言って、また階段を駆け降りる。

 下駄箱で一旦別れて、すぐにまた合流した。


「桜、散っちゃったねー」


「そうだな」


「昨日の雨のせいだよね。寂しいね」


 アスファルトの上に散らばっている花びらを見て、歩きながら紗良が呟く。

 彼女の歩く方向からして、部室棟に向かっているようだった。


「……、そういえば、俺はどこで着替えたりしたらいいんだ?」


 マネージャーをするにしても、多少は動くことになるだろうから、ジャージを持ってきていた。しかし、着替える場所のことを全く考えていなかった。


「えっ、あ、そうだね。私らの部室、使う?」


「初日から犯罪者にはなりたくないな」


「じゃあ、体育館裏の倉庫は? ほとんど人来ないよ」


「お、そんなところがあるのか」


「うん。結構有名だけど知らない?」


「知らなかった。そんな穴場スポットがあるとは」


「うん。カビ臭いし、霊が出るらしいよ」


「……、だから人が来ないんだな」


 隣を歩く紗良はわざとらしく神妙な顔をしていた。


「お化け、怖い?」


「別に」


 そのように強がってしまったことより、快龍の部室は体育館裏、校庭の端に位置する倉庫になった。


 新しい倉庫が建っているので、今はその古びた倉庫は使われていないようだ。

 鍵がかかっていないのは不思議だったが、倉庫の内部に取り立てて不自然な部分はなかった。もう使われていないハードルや、数十キロはありそうなダンベルが並べられているだけだ。


 少しだけカビの匂いがすることを気にしなければ、着替えるのに何の問題もない。

 快龍はできるだけ急いでジャージに着替えたが、できるだけ急いだことを紗良にバレたくなかったので、倉庫の前でスクワットを100回してから体育館に向かった。

 お化けが怖かった、なんて思われたくなかった。


***

 体育館に着くと、上半身は灰色のトレーナー、下半身は黒の短パンに膝当てという練習着姿の紗良が既にネットを立てていた。制服姿の時とは雰囲気が違って、なんだかちょこんとしていて可愛らしい。


 基本的にネットは二人以上でたてる方が効率的なのだが、紗良は慣れているのか素早く支柱にネットの紐を結びつけ、力いっぱい引っ張っていた。

 シューズにさっと足を通して、快龍も加勢した。


「ありがと!」


「いつも一人でやってるのか?」


「まあ、キャプテンだからね」


 あまり理由になっていない気もするが。

 紗良はそのまま残りの紐も結んでいく。

 今日は隣でバド部も活動をするようで、体育館は半分に区切られていた。


「それより快龍くん。今日はトーカたちを説得しなきゃだから、気合い入れといてよ!」


 ポールカバーを巻く快龍に、紗良が告げた。


「そうだな。俺も認められるように、頑張るよ」


 ギュッとマジックテープをくっつけて、ポールを覆った。

 紗良は紅白模様のアンテナを手に取り、ネットにくくりつけ始める。


「挨拶、ちゃんと考えてきた?」


「挨拶?」


「駄目だよ、そういうところからコミュニケーションは始まってるんだから。ちょっと練習してみよ」


 アンテナの先端をくるくると回して固定しながら、紗良が視線を合わせてハイ、と合図を送った。


「ええ、この度は、この部活のマネージャーとして着任させていただき」


「固い固い!」


「え?」


「会社の面接と違うんやから。快龍くんちょっとそういうとこ、不器用すぎるわ」


 紗良は笑っていたので、それでいいのではないかと思ったが、「もっとちゃんと考えといて」と言われてしまった。


 コミュニケーションは挨拶から始まっていると言われても、今まで深く考えたことがなかったから何を言っていいのかわからない。

 紗良みたいに明るくしたらいいのか?

 こんにちはー!! って、俺には似合わないだろうな。

 頭の中を言葉がぐるぐると回るが、どれもしっくりこなかった。


「できた! 今日は快龍くんのおかげで早く立ったわぁ」


 そうこうしているうちに、ネットが完成してしまった。


「挨拶、考えられた?」機嫌がいいのか、スキップで紗良が近づいてくる。


「いや、まだ」


 快龍は顎に手を当ててうなった。


「えええ、そんなに考えることじゃないよ」


 紗良が顔をくしゃっとさせて笑う。


「そうかもしれないけど、もう少し考えさせてくれ」と、快龍は靴紐を結び直した。

 幸いなことに、挨拶を考える時間はたっぷりとあった。

 いや、逆にたっぷりとあり過ぎたみたいだ。

 機嫌が良かった紗良が、どんどん唇を尖らせていく。


 ネットが完成してから、二十分が経過しようとしていた。


 初めのうちは紗良がサーブをうち、快龍がレシーブをすることで部員たちを待っていた。けれど、いっこうに部員たちの姿は見えない。

 後から準備を始めた隣のバド部でさえ、練習をもう始めていた。


「なぁ、確認だけど、部員って全員で何人いるんだ?」


 サーブ練習にも流石に疲れて、壁際で体育座りをする紗良の隣に快龍も座った。


「私入れて、四人だよ。全員二年生で、昨日いたのが全部。驚いた?」


「いや、まぁ。覚悟はしてた」


 それならまず、人数を揃えるところから始めなくてはいけない。

 前途多難な方が面白いと、前向きに捉えることにした。


「トーカはギャルだけど責任感あって優しくて、でもちょっとバカで面白い。千尋ちひろは賢くて穏やかで、言葉遣いも丁寧なの。ゆきは時々何考えてるのかわからない不思議ちゃんだけど、すっごく可愛いし落ち着くんだよね。みんな魅力的なんだよ」


「ああ、そうなのか」


「だけど、誰も来ないってのは酷いよね」


 紗良が目を細めて呟く。


「……、ごめんな」


「なんで快龍くんが謝るの」


「昨日言ってた、部活がバラバラになるっていうのは――」


 その時、ガラガラって音がして、入口のドアが開いた。

 紗良の視線が一瞬でそちらに向く。

 ギリギリ一人分が通れるだけの隙間を開けて、そこから出てきたのは長身の女子だった。


「千尋!」紗良が立ち上がって手を振る。


 千尋はおずおずと頭を下げた。今日はポニーテールではなく、ストレートの髪をそのまま下ろしていた。ほっそりとした顔が、より大人っぽく見えた。

 いや、それよりも。もっと大きな違和感があったのは。

 彼女は練習着ではなく、制服姿のままだった。


「千尋、練習始めるよ? 早く着替えてきて」

 

 紗良の言葉に、千尋は何か言いたげに口を開いて、また閉じた。

 両手の指先を胸の前で組んで、何かを悩んでいるみたいだ。


「何か言いたいんじゃないか?」


「うん? どうしたの千尋」紗良が首を傾げた。


「あ、あの」


 千尋はようやく決心したのか、弱々しい細い声で言った。


「さっきトーカと体育館を見にきて、その、快龍さんがいらっしゃったので、トーカは帰るって……」


「……、そっか」


 千尋の告白を、紗良は天井を眺めながら聞いていた。


「教えてくれてありがとう。でも、千尋は戻ってきてくれたんだよね? 一緒に練習しよ。そしたら、トーカも考え直してくれるかも」


 紗良がまっすぐに千尋を見て、微笑んだ。

 これがコミュニケーション能力なんだなと、ぼんやりと思った。


「あの、でも」

 

 しかし、紗良の微笑みを受けても、千尋の表情は晴れなかった。

 部外者である快龍の様子を伺うように、視線だけを向けてきている。

 

 彼女の視線に応えるように、快龍は頬の筋肉を意識的に持ち上げて、ニコリと微笑んだ。

 挨拶からコミュニケーションは始まっている。

 ここでうまく挨拶できれば、せめて千尋とは、関係が良好になるかもしれない。


「昨日は自己紹介もできずにすまなかった。俺は紗良のいとこで、北条快龍だ。好きな食べ物はサラダチキン。これからよろしく頼む」


 自分なりの精一杯の明るさを意識して、千尋の前に手を差し出した。


 だが、千尋は快龍のゴツゴツした手を見ただけで、その手を取らなかった。


「わ、私……」


 両手で口元を覆った彼女の頬が、みるみる赤く染まっていく。

 何かまずいことを言っただろうか。

 心配が頭の片隅をよぎった時だった。


「私、男の人が苦手なんです!!!」


 千尋はくるっと身体の方向を変えると、靴下のままの足で再び入り口に向かって駆け出していった。


 紗良は快龍と顔を見合わせると、小さくため息をついた。

 彼女が何を言いたいのか、今の快龍にはよくわかった。


「先が思いやられるね」


 ああ。それに尽きる。

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跳べない龍、女子バレー部のマネージャーになる。 シロメ朔 @tatoeba-no-hanashi

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