1.うちにバレー部なんかないだろ
遅咲きの桜が舞う中、昇降口前の広場は熱気で満ちていた。
入学式の翌日。早速、部活動の新歓活動が始まったようだ。
ボール片手に早速多くの一年生を捕まえているサッカー部。
煌びやかな衣装に身を包んで、ビラを配る演劇部。
吹奏楽部の野外パフォーマンスも始まり、金管楽器の音が騒々しさに拍車をかけている。
紺色のブレザーの群れの中には、見知ったクラスメイトの姿もあった。
2年生になった友人たちは、新しくできた後輩たちに笑顔を振り撒いていた。
(優勝争いもできないのに、部活する価値なんてないだろ)
悪態を胸に秘め、代わりに数学の教科書を取り出す。
快龍が通う
そんな弱小部活動に、快龍は価値を感じられなかった。
幸い勉強はできる方だったので、そちらに集中すべきだと思っている。
まだ習っていない数IIの教科書を広げ、三角関数の問題を解いていく。
185cmもある長身の快龍には、新しいクラスの机はどうにも小さく、エビのように縮こまってノートに向き合わなければならなかった。
「快龍〜、何してんの?」
3問目に取り掛かろうとしたところで、前方から声が聞こえた。
顔を上げずとも、声の主はわかった。中学からの友人の
綾瀬は男友達の中では一番付き合いが長い。サッカー部を辞めてから髪を伸ばし始め、今では中央で分けた髪が耳にかかりそうなくらいの長髪だった。
「見ればわかるだろ。勉強だよ」
教科書を見たまま、答えた。
「いやぁ、勉強はわかるんだけどさぁ」
綾世は快龍の視界を遮るように、机の前から教科書を覗いた。
ゆるくパーマを当てた綾世の髪が、例題を隠している。
「――なんでシャーペンにダンベルくっついてんの!?」
綾世は快龍の手元を驚嘆の表情で見つめていた。
「勉強と筋トレが両立できて効率いいからな」
快龍は当たり前であるように言う。
そう、この男、脳みそまで筋肉でできているのであった。
「そんなに筋トレしててさ、快龍、またバレーしたいって思わないの?」
「俺はもう跳べないって、いつも言ってるだろ。筋トレは心身の健康のためだ」
「それはそうかもしれないけどさぁ」
綾世は何か言いたげに、語尾を伸ばした。
あるいは、快龍から前向きな言葉が出てくるのを待っているみたいだった。
綾世はそういう奴だ。チャラついて見えるけど、友達思い。
しかし、これ以上この話題について深掘りされたくなかった。
「そもそも、うちにバレー部なんかないだろ」
バレー部がないことも、この大原高校を選んだ理由の一つ。
快龍の返事に、綾世は根負けしたように「そうだったな」と息をついて、髪をかき上げた。これ以上追求しないことが優しさだと、わかってくれたみたいだ。
長髪で隠れた耳には、銀色のピアスが
「2年になってますますチャラさが増したな」
話題を変えようと、快龍は綾世の外見に触れた。
「お、そう思う? でも実はな、ついに俺も真面目になるんだよ」
「お前が? 真面目に?」
予想外の返答だった。
ニヤつく綾世を見ているとヤンキーそのものみたいで、到底真面目になれるなんて思えない。
「なんと……、今週から塾に通うことになりました!」
パチパチパチパチ。
動画サイトの【重大発表】みたいに、綾世は自分で手を叩いた。
快龍はそんな友人を冷めた目で見つめていた。
「綾世が塾通い、か」
「凄いだろ。渋沢栄一、1枚くれてもいいんだぜ」
綾世はそう言って両手を差し出した。
「……ほらよ」
「おい、消しカス載せんな!」
綺麗な手のひらの上に、パラパラと消しカスをまぶす。
黒く小さなゴミの集まりを見て、綾世は言葉の裏のメッセージを読み取ったみたいだった。
「ま、快龍の言いたいことはわかるけどな」
「ほう」
「俺が塾に行っても学年トップになれるわけじゃないのに、やる意味あんのか、だろ?」
「まぁ、それは思った」
「快龍はそういうとこほんとドライというか、シビアだよな」
綾世がはぁとため息をつく。
出鼻を挫いたのだとしたら申し訳ないが、綾世は他人の意見で自分の決めたことを曲げるやつではないとわかっていた。
これは、単なるポリシーの違いだ。
「頂点を目指す覚悟がないなら、別のことをした方がいいと思うだけだ」
「くぅぅ。かっこいいね。でも、俺だってやる時はやるからな。まずはお前を超えられるように頑張るよ。万年学年二位の、快龍くんを」
「……、嫌味か?」
「褒めてるんだよ」
綾世は快龍の右肩にポンと手を置いた。
イカリ型に盛り上がった、たくましい肩だ。
そして綾世は「今日が初回の授業だから」と言い残して、右手をひらひらと振って去って行った。
綾世の背中を見送ると、また吹部のトランペットの音が耳の中に響くようになった。聞こえてくる音色は美しく、相当上手いのだとわかるが、その上手さが余計に耳障りだった。
この音が聞こえなくなるまで。
そう決意して、再び数学の世界に意識を溶かした。
***
くしゃみが出て、ふと黒板の上の時計を見ると、午後17時を回っていた。
数学に没頭してから、いつの間にか1時間が経過していたことになる。
帰宅する新入生を狙った新歓活動も山場をとうに超えたのか、ガヤガヤと騒がしい声も吹奏楽部の演奏も聞こえなくなっていた。
春とはいえ、誰もいない教室には夕刻特有の肌寒さが漂ってきていた。
ひっそりした階段を降りると、自分の足音がひたひたと響いた。
下駄箱からスニーカーを取り出し、地面に投げ出す。
落下した靴は両方とも裏返しになった。
縁起悪いなと思いながら、ひっくり返して靴を履く。
1時間前の騒ぎが嘘のように、昇降口前の広場は静かだった。
帰宅部は帰宅を終え、部活をする生徒は活動している時間なのだろう。
「ファイ! ファイ! ファイオー!!」
校庭の方からは、練習中のサッカー部の声が聞こえる。
さっさと帰って筋トレしよう。そう思った時だった。
「○△kんー!」
サッカー部の声に混じって、高い声が聞こえる。
嫌な予感がした。
校門の近くの影が、ゆらりと動いた気がした。
「カイタツくん! 快龍く〜ん!」
その影は明らかに自分に向かって近づいてきていた。
タータンチェックのスカートが、風になびいている。
影の正体は、見覚えのある女子生徒だった。
いや、見覚えがあるどころではない。
彼女は快龍の前まで、真っ直ぐに走ってくる。
苦い記憶を引き連れたまま、まっすぐに。
「快龍くん! 待ってたよ!!」
顔をくしゃっとさせて笑う彼女――。
彼女は元々京都に住んでいて、同い年だったこともあり小さいころは夏休みやお正月には一緒に遊んだものだが、小学校に上がって以降、バレーに忙しくなり少しずつ疎遠になっていた。
「いや〜、春なのに肌寒いねぇ」
紗良は制服の袖からはみ出した桃色のカーディガンを擦り合わせている。
彼女の後ろに咲く満開の桜が、背景としてよく似合っていた。
「紗良、すまない。これから帰って勉強なんだ」
高校に入って久々に再開した彼女の印象は、昔とあまり変わっていなかった。
明るく、ハキハキ喋る、前髪ぱっつんの女の子。
ガタイのいい快龍にも物おじせずに向かってくる彼女。
彼女が変わっていないからこそ、バレーをやめた自分が急激に落ちこぼれたような気がして、彼女と関わるのを避けている自分がいた。
彼女にがっかりされたくなかったのだ。
「勉強〜? 教室でも勉強してたのに?」
「え? 見てたのか?」
予想外の返答。
紗良は笑顔を崩さなかった。肩までのボブヘアの内側で、愛嬌のある丸顔がほころんでいる。
「うん。邪魔したら悪いかなって思って、ここで待つことにした」
「……、1時間も?」
「うん。ずっと待ってたんだよ~」
紗良がまたくしゃっと笑った。そして小さくくしゃみをした。
張りのある彼女のほっぺたが、少し赤らんでいた。
外で1時間も待っていたら、風邪をひいてしまうかもしれない。
そんな春の気温だった。
「それは、悪いことをしたな」
「ううん、いいよ。私が待ちたかったから待ってただけやし」
「……、おい、だからってあんまりくっつくなよ」
「はぁ〜 あったか〜い」
脇腹にピッタリとくっつくように立った紗良は、快龍のブレザーのポケットに手を突っ込んだ。くすぐったくて思わず緩んだ口元を、気合いで締めなおす。
「それで、俺に用事でもあったのか?」
待たせてしまったし、せめてこれだけは聞いて帰ろう。
右半身にぬくもりを感じながら尋ねた。
彼女の顔が、快龍の胸に触れそうな距離だ。
息をするだけで、花のような柔らかな香りが鼻に届いた。
「あのさ!!」
紗良は待ってましたというばかりに、白い歯を見せてにぃっと笑った。
「――快龍くん、バレー部入らへん?」
背の高い快龍を見上げながら、紗良はふわりと浮かび上がるような声で言った。
少しだけ高鳴っていた心臓が、一気にシュンと縮んだ。
綾世も、紗良も。今更、何を言っているんだろう。
思わずふぅっとため息をがこぼれた。
「うちにバレー部なんてないだろ」
「あるよ」
「は?」
絶対に、それはあり得ない。
同好会も含めて、大原高校にバレー部は存在しない。
だが、紗良の目はあまりにキラキラと輝いていた。
全てを信じて疑わないような瞳には、何が見えているのだろう。
距離を取ろうと一歩後退りした時、彼女がんんんっとつま先立ちで思い切り背伸びをした。
急に目線を合わせようとしたからだ。
彼女はバランスを崩し、快龍の胸に飛び込んで、ふふふと笑った。
そしてニマニマした笑顔のまま、小さく息を吸って、言った。
「女 バ レ、 入 っ て ほ し い の !!」
「……、は?」
こいつは、何を言っているんだろう。
確かに女子バレー部なら我が校にも存在するが、しかし。
目の前で手を合わせる愛らしい女子生徒が、ついに狂ってしまったのだと憐れんだ。
「いやいや。今は多様性の時代だけど、俺が女子バレー部入るのは体格差とか、そういうの的にダメだろ」
「あー、違う違う。私が言いたいのは」
その時、ぽつりと一滴の雨が頬に当たった。
嫌な予感。
これはもう、避けられなかった。
「快龍くんにマネージャー! やってほしい!」
――マネージャー??
胸の前で祈るように手を合わせる紗良は、肌寒さなんて忘れてしまうくらいの、満面の笑みを浮かべていた。
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