第9話「悲喜劇は突然に」
その夜、降って湧いたような話があった。
帰宅した
「今日、町内会の集まりで、お父さんもお母さんもいないから」
町内会長が代替わりしたから長くなるし、両親ともに出かけるという。
「晩ご飯のお金、ここに置いておくよ」
前もって作っておくのではなく、好きなモノを食べろと金を渡すのは良心的といえるかも知れない。
ただ、そこに続く言葉だ。
「隣の
こんな何年も聞いた事がない言葉には、惇も眉間に皺を寄せて首を傾げる。
「何で、弥紀姉ちゃんの名前が出てくるんだよ」
しかし母親としては、寧ろ惇の方が分からない。
「同じ部活動に入れてもらったんでしょう? 色々と話を聞かないとダメでしょ」
「入れてもらったって訳じゃないけど……」
惇は眉間に皺を刻んだままだが、母親も構っている暇はない。
「向こうにも声をかけておくから。じゃあね」
そういい残して母親は出て行くものだから、惇は大きく溜息を吐かされてしまう。
「はぁ……」
しかし表で待っている父親を待たせたくないのは分かる。
――お袋、俺くらいの歳の時は男子が怖かったんだっけ?
惇の母親は中学生の頃、ケンカをしている男子生徒を見た事を切っ掛けに、暫く引き籠もりになる程、強く男性恐怖症になった。そんな母が結婚相手に選んだ男を、長々と待たせておく訳もない。
惇の溜息は二度。
その二度目と玄関が開く音とが重なる。
「よっ」
片手を上げて入ってきたのは、今し方、母親から話題に上がった弥紀だった。
惇は「早いね……」と引き気味にいうが、弥紀の方は片手をプラプラさせて軽い雰囲気を作りながら、
「外食しろってお金もらったんでしょ? 自炊するなりお惣菜を買うなりして安く上げたら、残りを小遣いにしちゃえばいいのよ」
その悪巧みの為だ。惇も、それを悪巧みとは思わない方だが。
「なるほど」
しかし頷いてはみたものの、惇は単純な疑問がある。
「弥紀姉ちゃん、料理なんてできたの?」
「料理なんて?」
弥紀はすぐさま目を鋭く細めるのだが、もう一度、惇が「できるの?」と訊くと、
「できないけどね」
あっさりと
「まったく……」
と、溜息を吐きたくなる惇だが、溜息を吐く前に母親がいわれた言葉を思い出す。
「そういえば、お母さんにゲーム同好会に入れてもらったっていわれたけど、寧ろ俺が入ってあげてない?」
「それは叔母さんの言葉のアヤってもんよ。お姉ちゃんが気を遣う方って思ってるんじゃない?」
弥紀にこういわれると、黙らされるのが惇である。再び「まったく……」と呟き、
「で、お互いに料理できないなら、お惣菜を買ってくる事になるけど、何がいい? 俺が行くよ」
そういったのは惇の好意である。
それに対する弥紀の答えは――、
「何でもいいよ」
「それ、一番、いっちゃダメな奴だろ」
惇は呆れたように眉をハの字にするのだが、弥紀はどこ吹く風よと繰り返す。
「何でもいいから、買ってきて。ご飯は炊いておくから」
買いに行ってもらう代わりにというのだろうが、惇から引き出せたのは舌打ちくらいなもの。
「あー、はいはい」
片手を振りながら出て行った惇が買ってきたのは――?
***
「信じられる!?」
Riot Fleetsのロビーで、弥紀は怒り顔を晶へ向けていた。
「レンジでチンするナンだけって、どういう事よ!?」
惇が買ってきたのは、冷凍食品のナンだったからだ。
しかし買ってきた惇こそ、フンと強く鼻を鳴らし、
「ナンでもいいっていっただろ」
何でもいい――言質は取っている。
「俺はいわれたものを買ってきただけだからな」
そういう惇といわれる弥紀を見て、晶も吹き出した。
「あぁ、確かに」
ニュアンスは違うのだろうが、言葉そのものに間違いはない――とは、親友が聞きたい言葉ではないだろうが。
「はぁ!?」
弥紀が
しかし当然というならば、惇もそういう顔をして、
「俺は何も間違ってないね」
いわれた通りのものを買ってきた、といい張る。
そうして弥紀と惇のにらみ合いが始まると、四人目が姿を見せた。現実と同じく黒野短髪に、現実とは違って垂れ目と吊り眉という男性アバターを使っているのは、顧問の高浜である。
「何を騒いでる?」
一部始終を見ていた訳ではないく、かいつまんだだけであるが、高浜にもゲームの中でまでする話ではないくらいはわかる。
高浜の登場に黙ってしまう三人の内、惇だけは高浜のアバターに目を丸くした。
「高浜先生、ゲームするんですね」
高浜のアバターが作ったばかりでないのは、惇の目からも明らか。着けられている装飾には、撃破や勝利数で得られる勲章やバッジがあるのだから。
「少しはな。でなければ、妹にいわれてもゲーム同好会の顧問なんてやらないだろ」
高浜は苦笑いと共に答えたのだが、その苦笑いに晶が悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「寧ろ、私よりお兄ちゃんの方が先にやってたくらいだよ」
高浜は思わず舌打ちをしてしまいそうになるが、それを引っ込め、代わりに妹と妹の親友とへ視線を向ける。
「で、何を騒いでた?」
話を最初に戻そうというのだろう。
しかし「あー」と間延びした声をあげた弥紀は、話をそう元には戻さない。
「惇が童貞だって話をしてました」
それには惇が「はぁ!?」と声を荒らげる。
「違うだろ!」
惇の反応は、それこそ弥紀の思うつぼだ。
「あ、ごめん。童貞じゃなかったの?」
「いや、だから違うだろ」
「やっぱり童貞だった?」
「だから……そういう話じゃなかっただろう!」
こんな遣り取りに高浜は大きく溜息を吐き、「男子の目が合ってもコレか」と呟かされる。
「
それが最優先だろう、と高浜が話題を無理矢理、修正した。そういわれると、惇も大きく深呼吸して、居住まいを正す。
「あぁ、そうですね」
惇にとっても従姉と先輩の事より優先すべき事だ。
「クォールさんと再戦する時まで、もっとできるようになっておかないと」
惇には大きな目標ができている。そのために維持したスプライトなのだ。
「お互い、楽しくゲームしたいですしね」
惇は初心者狩りに水を差された勝負の続きを思い浮かべていた。
そんな惇に、晶が目を細める。
「私みたいにエンジョイ勢は――」
そして口にした言葉は、対人戦を嫌っていた晶が、協力プレイの為に仕上げ機体体のコンセプトだ。
「単一行動を確実にこなす堅実さと、自分の感覚をフィードバックできる事を意識するといいかも知れないね」
特殊な装備や高火力といったものが、必ずしも必要でない事は晶が体現している通り。初心者狩りと戦った晶の熱風は、接近戦用のビームセイバーと銃撃戦用のビームライフルしか持っていなかった。
「なるほど……」
そんなタイミングだった。
「武器を変えたくらいのノーマルで楽しんで勝とうとか有り得ないから」
誰に向けた訳ではないのだろうが、ロビー中に聞こえるくらいの大声である。
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