第31話 偽の恋人たちは口づけない

「はい、魔女様」


 お手をどうぞ、と手を差し出される。


「………」


「握りますね」


 いちいち聞かないで、と思うけど、何も言わないわたしも悪い。


 胸元でぐっと握った左手に彼は触れ、そのまま大きな手に包みこまれる。


「今日もよろしくお願いします」


 隣町、ハバードラの入り口でわたしの手を握り、彼は笑顔を浮かべる。


 こうして街に買い物に来たときは関係性を疑われないように恋人の振りをしようと彼が提案してきたのだ。


 その方が、先日のように人に絡まれることもないから助かるのだとすがるような瞳で言われてしまうと逆らえない。


 こうして不自由なく生活をさせてもらえて街にも連れてきてもらえるようになった。


 そのことに感謝をして、高鳴る鼓動が早く静まるよう願いながら先行く彼に続く。


「まだ足がふらつくようなら遠慮なく言ってくださいね」


「も、もう平気です」


 さきほどまではモフモフの背に揺られ、腰を抜かしていたからだろう、きゅっと指先に力が込められるたび飛び上がってしまうわたしを気遣ってくれる彼はどこまでも甘く楽しそうだ。


 それもそのはず、街も活気に溢れていた。


 異国からの来訪者も多いのでしょうね、と事前に位置確認をした際、地図を見た彼が言っていたからそうなのだろう。


 明らかによそ者と思えるわたしたちを気にすることなく、みんな陽気な声で呼びかけてくる。


 そして、必ず彼を見ると振り返る女性たち。そのまま遠慮なく目で追ったり声をかけようとする人だっている。


 恋人のふりをしようが構わず、隣にいるわたしのことは見えていないかのように、視界が彼でいっぱいになっているようだった。


 今まで狭い世界の中ではわたしだけがその魅力に気づき、翻弄され続けていたけど、どこに出てもこの人の存在は他者を惹きつけるようだ。


 わたしだけではないという安堵する気持ちと何とも言えない複雑な……なんとも言葉にはしづらい心境になりながら隣に目をやると、頭一つ分背の高い彼はすぐにその視線に気づき、瞳を和らげる。


(やっぱり……)


 やはり背が伸びたようだ。


 もともと背は高かったが、最近もう少し見上げる角度が変わったように感じた。


 全然成長期とは無縁のわたしは気づけていなかったけど、お年頃の彼は成長期のようで、彼が所持していた衣服が短くなっていたことでようやく気づくことができた。


 わたしのことに関してはそこまで?と思うほどのところまで気が回るのに、自分のこととなると一切興味がなくなる人だ。


 もっと自分のことも考えて欲しい。


 そうぼんやり考えていたとき、いつの間にか目の前に会った彼の美貌が突然近づいてきて鼻の頭にちゅっと唇が触れた。


「……なっ!」


 なんなんだいきなり。


 思考回路がそこでぷっつん途切れた。


「な、何するんですかっ!」


「えっ? 違うんですか?」


 あまりにも可愛い顔でこちらを見るから、とわけのわからないことを言い出す。


「違いますっ!」


 なんという勝手な言い分なのだろうか。


「せっかく恋人のふりをするんです! 普段できないことがしたいです」


「なっ、何言ってるんですか!」


「魔女様、口づけを……」


「だ、ダメに決まってます!」


「え〜っ、すごく恋人っぽいのに!」


「い、今する理由がないでしょう。そういうことは本物の恋人としてください」


「恋人はあなたです」


「か、仮です!」


「え〜」


 いつもこの調子だ。


 この調子でこうしてわたしだけドキドキさせられて、頭の中が真っ白になってしまう。


 どうせこのあと抱き寄せられてしまって頬に口づけされることになるだろう。


 またやいやい騒ぐことになるのだけど、他の女の子たちには目を向けることなくこちらだけを見て、恋人だからと特別に扱ってもらえることに悪い気はしていなかった。


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