第26話 最後の夜は温かいお茶を
「魔女様……」
ある夜のことだった。
扉の向こうから彼の声がした。
頑なにわたしが出ていかないためさすがに諦めてしまったのだろう。日に日に彼の声はわたしを呼ぶことを諦めていた。
でも、今日はいつもと様子が違うように感じられたため、顔を上げた。
「お話があるのですが……あっ、先日購入した焼き菓子もございます! よかったらお茶でもしませんか?」
これが、最後の日になるかもしれないと意を決し、扉を開ける。
「まっ、魔女様……なっ、一体どうしたんですか!!」
開けると同時に彼の表情が曇ったのがわかった。
「魔女様っ! ああ、大変だ……な、なんでこんな……」
(えっ……)
突然抱き抱えられることになったけど、頭が朦朧としていていつもほどすぐには反応できなかった。
いつもは宝物を扱うように丁寧に抱き上げてくれたけど、今日は荒々しく、彼の切羽詰まった様子が伝わってきた。
「魔女様……」
彼は大きな出窓の前にわたしを座らせ、そっと頬に触れ、視線を合わせる位置に顔を近づけてきた。
「痛いところはないですか? 怪我は……」
泣きそうな表情で見つめられた空色の美しい瞳の中に、それには似つかわしくないボロボロの女が映っていた。
黒髪はボサボサで頬はコケ、なんならところどころ汚れている。
彼の目にもこの姿が映ったのだろう。
さすがにこの姿を見たら、百年の恋であっても覚めるはずだ。(彼のは恋ではないけれど)
痛いところはないため、首をふる。
「薬草を作っていたんですか?」
彼はどこまで知っているのかはわからなかったけど、首を縦にふると彼は整った顔を歪めた。
「あなたをここまでしてまで作らなくてはいけないようなものならば、俺から丁重にお断りをしますよ」
甘い蜜だ。
こうやって優しくされてしまったら、嬉しくなってしまうもの。
心の奥深くでぼんやり思う。
「俺の……せいですか……?」
だから、違うのだとワンテンポ遅れて頭を振ることになる。
彼が傷ついた表情をすることはないのだ。
ちゃんとこのあとのことも含めて口で説明しなきゃいけないな、と思いながらも疲れ切っていて、考えがまとまりそうになかった。
「この前のことでしたら謝ります。決してあなたを蔑ろにしたわけではありません。意図をよく理解しないまま話を聞いてしまい、断るタイミングが……」
「お茶を……」
「えっ?」
「お茶を淹れます」
「ええっ?」
いきなりの申し出に彼は驚いた様子だったけど、チャンスは今しかないと思った。
「焼き菓子、食べたいです」
「えっ、あっ! はい! すぐ持ってきます」
彼は棚に向かって足を進め、大きなかごを取り出した。
願えば嫌な顔ひとつせずいつも受け入れてくれた。
毎日毎日にこにこして、温かい気持ちにさせてくれた。
謝るべきか、お礼を言うべきか。
彼が戻ってくる前に仕込んでおかないと。
テーブルの上に置かれたポットに両手を添え、目を閉じる。
慣れ親しんだ言葉を唱えると徐々に指先からぽかぽかし始め、そのまま再びテーブルに戻すとそこからはふわっと湯気が上がっていた。
そこにお水を注ぐ。
あっという間に暖かいお湯が出来上がる。
「すっ、すごい……」
後ろから声がして、はっとすると興奮した様子の彼がこちらを見ていた。
「魔女様、そんなことまでできるのですか?」
気づかれたか?と思ったけどそうでもなく、彼は少年のように目をキラキラさせて暖まったばかりのポットをいろんな角度から眺めて感嘆の声を上げた。
「すごいです!」
「お茶を淹れるのは得意です」
お茶だけは毎日淹れていたから、この術だけは得意としていた。
「そうなんですか! 素晴らしいです! 俺もすぐに準備をしますね」
ウキウキとした様子の彼は気づいていないようだった。
ポケットにの中のものに触れ、ぐっと目を閉じた。
楽しかった日々は、これで終わる。
わたしには贅沢すぎるものだったのだ。
再び瞳を開いたわたしに、迷いはなかった。
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