記憶力が良い人
布川さんという方の話です。彼は記憶力に自信があるそうで、もう五十にもなるというのにまだ足下もおぼつかなかった、つかまり立ちをしていた幼児の頃のことを覚えているそうなんです。
「忘れちゃった方が良いんでしょうけどね……自分の記憶力が嫌になりますよ」
まだ彼が幼い頃の思い出だそうだ。彼は専業主婦をしていた母親に育てられたそうなのだが、その時の記憶がおかしいのだという。
「どうしてなんでしょうね、あの時に私は祖母に育てられた記憶があるんですよ」
ええ、祖母はその時遠方に住んでいましてね、どう考えても祖母が毎日私の家に来る事なんて不可能なんですよ。でもね、私が転んで怪我をすれば軟膏を塗ってくれたり、熱を出せば看病してくれたりとはっきり記憶が残っているんですよ。
あのときは『おばあちゃんおばあちゃん』なんて言って頼ってた記憶があるんですが、小学生になった頃にふっと家から居なくなったんです。不思議なんですが祖母に関する一連の記憶を両親に話してはいけないと分かったんです。だから黙っていたんですがね、中学に上がった頃でしょうか、祖母の葬儀に出たんです。
その時に親戚から漏れ聞こえてきたのは、『あの人、しょっちゅう寝ていたけどあっさり逝っちゃったわね』『でもまあ本人は満足げな顔をしてたのよねえ……』
そんなことを言っていたんです。本当に葬儀の時の遺影は穏やかな顔が撮られていました。それも今でもはっきり覚えているんですよ。
ただ、ちょっと怖いことがありました。当時は四十九日というものを知らなかったんですが、祖母が居なくなってから一月と少ししたときに夢を見たんです。
祖母に手を引かれて歩く夢でした。家の近くにある並木道を祖母に手を引かれて歩いているんです。何故か声は一言も出なかったんです。
しばらく歩くと町の駅に着きました。駅で祖母は手を離して『ごめんねえ……付き合わせちゃって、ついてきてもらうわけにもいかんからねえ……』そう言って祖母は駅の方へ一人歩いて行きました。
その時私の足は強力な接着剤で貼り付けられたように動けなかったんです。
そうして少しすると警笛が鳴って電車が走っていく音がしました。後になって知ったのですけど、その日が四十九日だったそうです。目が覚めたら涙が出ていました。それが祖母の最後の思い出なんですよ。
いっそ記憶力なんてない方が幸せなんじゃないかとも思うんですけどね。私の両親ももう高齢ですし、もし祖母の時と同じ夢を見るんじゃないかと思うと気が気じゃないんですよ。
だから最近は読書にはまっていましてね、情報を頭に詰め込めば古い思い出は消えるんじゃないかと思ったんですが……無くならないんですよね。私は一体何時まで昔の記憶と共に過ごさなければならないんでしょうかねえ……
彼の話は現実に幽霊が出てきたわけではないが、不思議な事もあるものだと記憶に残っている。
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