卵が美味しい理由

 その日、凪さんは会社に行こうと朝目が覚めてから身だしなみを整えていたときのことだそうだ。鏡を見て、いつも通りの格好になっていることを確認して朝食にした。ダイエットのためトーストとゆで卵のみで済ませる。


 卵に塩を振って口に突っ込み咀嚼して飲み込む。それからパンをかじって綺麗に食べ終わったら出社する。何故か今のアパートに移ってから卵が好みになった気がする。痩せるだけならトーストすら食べない方がいいのだが、どうしても卵が欲しくなる。しかし卵を食べても全く腹が膨れないのでトーストも一緒に食べて部屋を出ている。


 何故卵が欲しくなったのかは分からない。美味しい気がするのだが、今までそこまで卵が好きだったわけではない。ただ、何故か引っ越してからお昼に卵サンドを食べたり、夕食にすき焼きを一人で食べたりするようになった。


 たしかに卵サンドは嫌いではないし、すき焼きは美味しいと思う。ただ、すき焼きに関してはどうしても卵を食べるために、すき焼きだからと、言い訳をしているような気がしてならない。


 外食時にうどん屋に行けば月見うどんを食べ、スパゲッティを食べるときはカルボナーラと、卵が使われているものに執着するようになった。


 そんなある日、実家に帰ったところ、実家が檀家をしている寺の坊さんが来ていた。親にも熱心なものだと思いながら、帰省の途中で買った卵サンドを食べていると、坊さんが大声で読経を始めた。すると不思議な事に卵サンドの味がしっかりするのだ。マヨネーズの味、卵の味、パンの味と、今まで気にもしていなかった味がはっきりと感じられた。


「大きくなったな。しかしお前さんも難儀なところに住んでいるな」


 突然坊さんにそんなことを言われ困惑していると、坊さんは話を始めた。どうも自分には大量の蛇の霊が巻き付いていたそうだ。なんでも蛇を祀っていた土地に住んでいたのだろうとのことだった。


 今思えば会社が紹介してくれた物件に住んでいるわけだが、妙に家賃が安かったことを思いだした。その時は会社で働いているのだからと納得しようとしていたが、今の説明でしっくり来るものがあった。


 そうして坊さんは護符のようなものを渡してきた。『お前さんにはそれが必要だろう』と言われ、それを受け取って帰省を終えた。そう言えば蛇は卵を食べているイメージがあるなと帰りに気が付いた。


 アパートに帰ってきたのだが、驚くほど卵への欲求は消えた。今までは当然だった冷蔵庫の中の数パックの卵を何とか無理に食べて消費するほどだった。


 そうして平穏に生活できると思っていたのだが、突然会社から住宅手当の廃止を宣告された。突然のことに怒りも湧いたのだが、いい機械なので引っ越すことにした。引っ越して以降おかしな事は起きていないそうだ。


 ただ、会社に入った新人がその建物を割り当てられ、今はオフィスで卵サンドを食べているそうだ。爬虫類が苦手な彼は『蛇が見えなくて心底良かった』と思っていると言っている。

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