破壊衝動

 椎名さんは一人暮らしを始めて怖い目に遭ったのだという。ただ、不気味なだけではなく、少しだけ気の毒な幽霊が出てきたのだそうだ。


 はじめ、彼女が仕事から帰宅すると、夜に食べようと思って作り置きしていたご飯がテーブルの上に置かれ、どれもほぼ食べきられていた。そういったことがよくある物件だったので、またかと思い無言で食器を洗っておいた。


 こんな事は良くあるが、それでもこの地区でこの値段の物件はまず無い、部屋の広さと相場で言えば半額くらいで貸してもらえた。借りるときに、「『遊ばせておくのももったいないから値段も入居者もこだわらないから貸しだして』と頼まれた物件だけど見る?」と言われたのが始まりだった。


 部屋は広く、ユニットバスがあり、キッチンもキチンと動ける程度のスペースがある。それでいて安いのだから文句も何も無く借りることにした。安い家賃に惹かれてのことだ。普通はこの家賃なら風呂トイレ共同でも文句は言えないような額なので、この程度の事でいちいち文句は言わない。


 レトルトの食事をレンジで温めご飯にかけて食べた。疲れに軽い塩味のするリゾットが染み渡る。そこでビールを一杯飲むと心地よい眠気がやって来た。ついウトウトしてしまったとき、声が聞こえた。


「……けて……、みつけ……、見つけて」


 その言葉で思わず目が覚めた。時間はほぼ経っていないのに酔いだけが覚めていた。顔を上げるとはっきり見える女が立っていた。幽霊? それにしてははっきり見えるような……と思っていると、その女はクローゼットを指さしてからフワッと煙になって消えた。


 それをポカンとしたまま見ていたが、途端にクローゼットを探さなくてはと思った。


 中に置いていた段ボールをどけながら探していくと、隅の方に箱を置かれて少し歪んだ黒いケースが置いてあった。それを開けると、指輪が入っていた。


 この時、あの幽霊がこの現象を起こしたのだとすると、この指輪を弔うべきと思うのだろうが、その箱を見た途端彼女は憎しみが湧いてきた。この指輪を何とかしなければならない。そう思い、シルバーの指輪を取り出すと、彼女の趣味のDIYで使用するワイヤーカッターでその指輪をバラバラに切断した。


 そしてそれを燃えないゴミの袋に入れてそのままゴミに出した。当時何故そんなことをしたのかは分からなかったが、それをして以来、すっかり部屋は快適になった。


 たまたまかもしれないが、そのゴミを出すときに隣人と部屋を出たところでかち合った。


「あの……あなた大丈夫?」


 心配そうに尋ねてくる隣人の妙齢の女性に『何がですか?』と尋ねると、『人には言わないでね、その部屋、結婚詐欺師に捨てられた人が住んでてね、心を病んで出て行っちゃったの』と言う。


 その言葉に自分の行動の意味が理解できてしまい、そのまま乱暴にゴミ置き場に八つ裂きになった指輪の入った袋を放り投げた。


 それからあの幽霊は見てない。それどころか霊現象すら消えたが、その事を話していないので破格の家賃のままそこに住んでいるのだそうだ。


 ただ、指輪を捨ててから、実は一度だけ夢の中に女が出てきた。微笑みながら『ありがとう』と言って消えていくのを見届けてから夢から覚めた。


 あの女性がどうしているのかは分からないが、過去を忘れて幸せになっていてほしいというのが椎名さんの願いだそうだ。

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