因果はめぐる
呉田さんは社会人になったとき理不尽な目に遭ったそうだ。その時のことを語ってくれるという。
「あの頃はね、ホントに酷かったんですよ、就活なんて地獄みたいな目に遭いましたよ」
そうは言っても就職難の時代に彼は無事飲食業に滑り込むことが出来た。待遇は良くなかったが、友人たちからは内定が出ただけで羨ましいと言われた。
そして内定を出してくれたのだから贅沢は言えないと、会社に必死に貢献した。仕事を必死に覚え、僅かでも成績を伸ばすためなら手段を選ばなかった。バイトの管理なども任されたが、効率化の元に幾人もクビにした。彼によると当時は自分も就職したからと随分非正規に冷たい扱いをしたそうだ。
そうなると当然だがバイトに疎まれてしまう。しかし『代わりはいくらでもいるんだ』という言葉の元、冷酷に切り捨てた。それでも当時は実際募集をかければ人材には困らなかった。それが過酷な環境を助長してしまった。
「当時、就活に失敗して何とかウチのバイトに来た同い年のバイトが居たんですよ。で、私も正社員なものですから随分な扱いをしてしまいました。正規であることにふんぞり返っていたんですよ」
そうしていると恨みもいくらか買ってしまう。それでも構わなかったし、何より当時は生きるか死ぬかで働く先を探している連中に人を呪うほど暇なやつはいないと思っていた。
それでそれから数ヶ月後でしたかね、妙に体調が悪いんですよ。数日間嫌味をたっぷりもらってから病院にかかると原因は分からないが発熱と喉の炎症があるということで薬を出してもらって家でおとなしくしていました。
ようやく熱が下がったんですけどね、朝にレトルトのお粥を食べようとしたんですが、病人食だったせいか味がしなかったんですよ。仕方ないのでいくらか塩を振って梅干しを一つ載せて食べました。ただ……味がしないんですよね。米の塩味どころか梅干しをそのまま一個口に入れても何の味もしない。いくら外食産業が出来合の品が送られてきてそれを調理するだけとはいえ困りました。
そこで味の方は部下に頼ろうと思ったんですよ。今思えば我ながら馬鹿げた考えでした。なんで自分が散々な扱いをした部下が親身になってくれると思ったんでしょう。当然のように皆非協力的でした。
それで結局事務仕事に回されたんですけど、コンピュータなんてさっぱり分からない。卒論を書くときにワープロソフトを起動させたくらいなので使えといわれても教えてくれる人はいない。そこで自分がバイトたちに『自分で考えろ』と言っていたのがこういう事なんだなと思いました。
実質追い出しみたいな形で転職をしましたね。結局、待遇は下がりましたがそれなりに生活は出来るところに就職して今はなんとかやっています。あの時の経験から下の人にも絶対に厳しくするのはやめようと思っているので恨まれるようなことはないんですが、アレが呪いだったのか、あるいは激務で体調がおかしくなったのか……どちらにせよ転職するべきだったんでしょうね。
彼はそう言って話を終えた。今では給与はともかく年休もしっかり取れる会社で働いているという。
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