第3話 聖女が二人
「……」
ベルトのバックルで壁に正の字を刻む。文字がひとつ完成し、牢屋で五日を過ごした事実を突きつけられる。どうしてこんなことにと、ため息が出た。
生き延びられているのはクルエが食事を運んでくるから。濡れタオルの要求も通るし最低限の暮らしは送れた。残念ながら話を聞く耳は皆無だが。
とりあえず、俺が死ぬのは都合が悪いんだろう。何も役割を与えずに放置プレイは誘拐の場合、目的が宙ぶらりんになる。異世界のほうが自然で腹を括って柔軟に考えたい。
魔法など興味深い事柄は横に、まず気にするべきは脅威についてだ。モンスターとやらは野生の動物以上に危険でも不思議じゃない。バイオレンスとは無縁の人生で、誰かの庇護下には入りたかった。
もちろん牢屋の中なら安全だけど、元の世界へ帰るには数年と言っていた。ここでジッと耐えるのは期間が長すぎて拷問も同じ。頭がおかしくなって廃人になるのが先だ。
しかし、打開策は皆無。失った信用の回復手段も会話に限られて難しい。考える時間はあれど、ゲームオーバーをひっくり返す冴えたアイデアは浮かんでこなかった。
今日も諦めて、腕立て腹筋にエア縄跳び。当初は逃げる際の体力温存に運動は控えていたが、逆に身体がなまると気づいて筋トレを始めた。まさか、映画の囚人あるあるを自分が体験するとは。人生何が起こるか分からなすぎて、くしゃみが出た。
「……!」
その時、通路の遠くで誰かの声が聞こえた。まだご飯には早いと腹時計が教えてくれる。イレギュラーな事態に運動をやめて静かに待つ。
「ディセス様! こんな場所に来る必要は……!」
「でしたら、あなたが毎日通う理由を教えていただけますか?」
言い争う声と足音で数は二人だと分かる。そして、姿を現したのはクルエともう一人、魔法陣が描かれる空間で見た上司っぽい女だ。名前はディセスでいいのか?
「何か申し開きは?」
「ち、違うんです! この男が反逆の意志を抱いていたので!」
反射的に突っ込みを入れて取り乱すのは避ける。落ち着いて意見を挟むタイミングを窺い、降って湧いたチャンスをものにするぞ。
「アオヤ様でしたね。召喚の理由はお聞きになられましたか?」
「はあ、大まかには」
「我が国の都合で不自由を強いることには申し訳なく思っています。身勝手なうえに厚意に甘えているのは承知していますが、我々も存続をかけて行う儀式なのです」
クルエよりも相手がしやすい雰囲気を感じる。
「そっちの事情は尊重するけど、溜まる性欲を制限されると……」
自分で言っておいて、真面目な顔を保つのが難しくなってきた。
「ただ一つ、子供を成さないでいただければ深く干渉は致しません」
笑顔の対応も前回の生け贄勇者が処分にあったという話を思い出すと、素直に受け取っていいものか悩ましい。
「それなら守れる」
ともかく、この人にはバカを見せず無害アピールだ。大体、逆に子供を作れと言われても困るわけで。非モテの悲しみ。
「クルエさん。なぜアオヤ様を罪人のごとく扱っているのです?」
「罪を犯す確信があります」
ノータイムでの偏見。もはや、なんの遠慮もなかった。
「俺は問題を起こさないし、起こすつもりもない。牢屋に入れられてなお、大人しく過ごしていたのが証拠だ」
「私に卑猥な目を向けていました」
「……」
それはそう。
「でもほら、性欲処理どうこうの話があったわけだし」
「聖女の私に不埒な真似を働くのは重罪です」
冷たい態度を取られるのでさえ気持ち良くなってきた。罪なのは、あんた本人だと分かってほしいものだ。
「性欲に関するお手伝いについて、ご不満がありましたか?」
「不満というか、クルエに頼んだからこうなったんじゃ」
「危険な思想を持っています。正しい判断でした」
「……アオヤ様、当然ですが犯罪行為を見過ごすことはできません」
「いきなり連れて来られて憤りは感じるけど、平和に暮らすのは得意だ。悪人面には見えないでしょ」
「見えます」
合いの手が一々うるさい。
「今一度、クルエさんにお聞きします。なぜ独断でこのような行動をとったのでしょうか」
「配慮を心掛けた結果です」
はて、配慮とはいったい何を指した戯言なんだ。
「具体的な理由がないのでしたら、アオヤ様には町で暮らしていただきます」
「……ディセス様の決定であれば、私が口を挟むことではありません」
不満がありありと出ていた。部下にあるまじき態度だが許されているのなら、規律はともかく風通しはいいのか。
「じゃあ、右も左も分からない俺にクルエが付きっ切りで面倒を見てくれるんだな」
「無理です」
「聖女ディセス・ミルイーナの権限でクルエ・リドフェイズをアオヤ様の世話役に任命すると同時に、聖女の地位を一時凍結します」
「なっ!」
「間違いは自らの奉仕によって正してください」
聖女にも序列があるらしく無罪放免になりそうだ。まともな判断ができる人間がいて助かった。
「……ヘマをした者の同行は不適切かと」
「勇者召喚の継承は重要ですが限られた人員で遂げなければなりません。聖女に戻ろうとする、あなたの意志を信じます」
「ぐぬぅ……そこをなんとか!」
「お、おやめなさい!」
クルエがディセスさんの脚に纏わりついて泣きつく。その行動でクールな印象が一気に吹き飛んだ。
「私よりも熱心なディセス様が性欲処理を担当すればよいかと!」
「残念ながら業務に忙しいので……」
「行き遅れと揶揄する声も聞きましたよ! この機会に孕めばいいじゃないですか!」
「……」
引きつる笑顔に青筋を浮かべる様子が怖い。逆鱗ってやつだこれ。
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