第2話 冷たい部屋
「っ、ててて……」
痛みに目が覚めて身体を起こすと嫌な軋み音が響く。周りの薄暗さを訝しむと同時に、かび臭さと寒さを感じた。
快適で温かかったはずのベッドが硬く汚れたマットに変わっている。それどころか、すぐ横にはトイレがむき出しで設置されていた。石レンガで囲まれた壁の一面のみが鉄格子で牢屋そのものだ。
「ちょっと、誰か!」
鉄格子の一部分。扉になった箇所は鍵がかけられて開かず、向こう側は通路を挟んで壁が左右に続く。燭台の灯りが寂しく照らすだけで反応は一切なかった。なぜこんな場所に閉じ込められているのか。眠たい頭を働かせて直前に起きた出来事を考える。
――確か勇者召喚の話を聞かされた後、俺は別の部屋に連れてこられて……。
ソファーにテーブル、大きなベッドなどが置かれた客室だ。調度品の細かな意匠がリッチで触るのにも躊躇する。唯一の窓からは広い庭が見下ろせた。緑が豊富で池もあり立派な公園レベルだった。
窓には開閉の機構がない。たとえ割れても三階ほどの高さと庭を囲む外壁が阻んで逃げるのは難しい。入口のドアは鍵がかかり軟禁状態だ。
長い廊下といい部屋といい、ホテルよりも城と表現するほうがしっくりくる。自宅周辺の他に日本全国を探しても、この規模を持つ建築物はきっと存在しない。異世界の状況証拠が積み重なっていく。
それなのに、部屋には近代的なシャワーと温水洗浄機能付きのトイレが完備で疑いが晴れない。一方でコンセントの類がどこにもなく不安になった。
ザ・メイドさんが運んできた食事は海鮮料理だ。レモンが添えられたエビやイカに貝のシンプルな塩焼きと、パンにスープでクセが少なく普通に楽しめた。
翌日になり、クルエが五人の女を連れて部屋にきた。全員が際どいドレス姿で美人度合いがすごい。こんな人たちが性欲処理だなんて、自分が偉いと勘違いする。
この中から選べと言われても髪型やスタイルが異なって悩ましい。加えて申し訳なさと弱みを握られているのではという懸念が生まれた。
唯一、気を遣わずに指名できるのがクルエだ。おそらく幹部クラスで遠慮は無用。フラストレーションをぶつけるには恰好の的だった。
本当に異世界で暮らすことになるのなら、魔法に興味もあるし望むところ。けれど、数年で帰るとなれば話は別だ。家賃の支払いひとつとっても心配事ばかりなのだから。協力者も信用する以外に確かめるすべがなかった。時間が経つにつれ恨み言がふつふつと湧いて出る。
クルエは頑なに固辞の姿勢を崩さず他へ押しつける。悲しいかな、俺を相手に性欲処理を引き受けたくない気持ちは分かる。強要してまでお願いするつもりはなく、平和的に問題の解消を行ってもらえれば満足だ。まあ提供されたらガッツポーズで頼むけど。
「話になりませんね」
こちらも頑なにクルエを指名し続けると、やれやれといった様子で首を振る。すでに態度へ冷たさが見えて、逆に本音を探りやすくなった。
しかし、これからだというときに進展なしで全員が部屋を出て行ってしまう。一人ぐらい談笑に付き合ってくれてもよかったのでは。
――その後、二日目を部屋で孤独に過ごした。
ふかふかのベッドで寝たのは覚えている。でも起きたのは牢屋だ。つまり、睡眠中に運ばれたのだろう。
そこまで深い眠りではなかった。心地良さより緊張が上回って、ごろごろしていた時間は多い。薬か魔法を使われた可能性は大いにある。
やはり俺の処遇は向こう次第か。もはや手遅れに思えるが生かされている以上、何かしらの役割を与えられるはず。まだ大丈夫と望みをつなぎたいが……?
静かな廊下に足音が反響する。誰かが来たことに安堵し、すぐに早計だと出そうになった声を飲み込む。少し攻めた対応を取り過ぎた結果が今。反感を買う行為は抑えて再び逆転の機会を窺わなければ。
いや、それとも隠れるか? 牢屋にいた俺の姿が消えたら慌てて鍵を開け、中を確認するかもしれない。その隙をついて逃げよう。
物は試し。ゲーム的発想とバカにせず隠れる場所を探すが、ベッドの下ぐらいしか無理だ。急いで這いつくばり身体を潜り込ませた。
足音が近づき灯りによる影が伸びたのを見て、息を殺しタイミングを待つ。
「随分と変わった寝方なんですね、アオヤさん」
「……」
完全にバレてる?
「……」
「返事がありません。もうここに来る理由はなくなりました。では失礼します」
「ちょ、まっ!」
身体中をぶつけながらベッドの下を抜け出し、鉄格子を掴んで必死に叫ぶ。
「冗談! 冗談だって!」
「面白くない」
実際に引き返すクルエが立ち止まって振り向く。無表情が際立つシルエットは影を含んで美人を絶世に変える。
「……話をしたい」
「話すべき内容は伝えてる」
「俺が牢屋に入れられてるのは?」
「聞き分けがないからよ」
だよなと頷く。クルエが任せられた裁量は大きいらしい。不意に聖女と呼ばれていたのを思い出す。
「えー、あれだ。そっちの要求は受け入れる。まるっとすべてを」
「前回、召喚した勇者は目に余る行いによって処分されたの。あなたもそうなりたいのかしら」
「……いえ、クルエ様に全てを捧げます」
「別にいらないわよ」
これは手厳しい。
「もうほんと、悪いことは何もしません。誓います」
「軽い」
精一杯に装う真摯な訴えは無駄に終わる。仕事を辞めずに社会経験をもっと積んでおくべきだった。
「牢屋で静かに余生を過ごせば安心できるわね」
余生の表現、間違えてないですか。え、合ってる? 最悪だなおい。
「クルエが毎日世話しに来てくれたら天国だが」
「じゃあ、さようなら」
クルエが背中を向けて歩いて行く。ただの戯れと思いきや遠くに離れて焦り散らかす。
「え? 世話って下ネタじゃないんですけど! でも情けをもらえるなら先っぽだけで十分だし!」
叫びは虚しく響いて静けさが戻る。まさか、ここで放置のまま忘れ去られるのか? 選択肢を外し続けた自覚はあるので無気力に肩を落とすしかなかった。
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