100|最後の君
死神くんの過去を聞いて、気になった点があった。
当時生きていた頃の死神くんは、何らかの病を患っていた。確実に。
普通、監禁されたり性的暴行を加えられたら正常でいられるわけない。死神くんの言った通りだ。薬や酒を摂取していたのなら、尚更。
でも、医者に何らかの理由で隠されてしまったのだろう。
そのせいで、少年院に送られた。
高級マンションを所有しているのにもう一人の親が帰ってこなかったということは、寝泊まりするための家をもっと持っていたはずだ。
ハーフじゃないもう一人の親は、相当な権力と財力がある可能性が高い。
もし、それが国を動かせるほどの権力なら。
あるいは、裁判で有罪にするように仕向けることができるほどの権力なら。
賄賂で裁判官や医者を買収することだって可能だ。
もしくは、自分が裁判官や医者なら…?
でも、なんのために死神くんを少年院に送るようなことを……?
自分の権力に傷がつかないように?
死神くんを病院に送りたくなかった?
死神くんの存在を隠したかった?
社会に出せないほど酷い姿だった?
疑問は尽きない。
けど、これ以上詮索するのは死神くんを苦しめるだけだ。
だから、これ以上は踏み込まない。彼から申し入れがない限りは、僕が知る権利はない。
死神くんが過去について話している途中、何度も嗚咽で言葉が詰まっていた。痛々しくて、僕もつられて泣きそうになってしまった。
ずっと、過去の記憶に重い蓋をしていたのだろう。
小さく泣きじゃくるその姿はとても千五百年以上生きている死神とは思えなかった。
幼く、心がまだ不安定な、未熟な存在。
まるで、ただの子供のようだった。
どれほど長く生きていても、やはり人は脆く、未完成のままなのだろう。
知らないとは、罪なことだ。
有名な哲学者、ソクラテスが言っていた気がする。
何が善で、悪か。何が美で、醜いか。
何も知らなければ、何もわからない。
きっと死神くんは生まれ変わる僕らを見て、色んなことを学習し、自分と比べただろう。そしてどれほど昔の自分が無知で、醜い存在だったのかを知っていったのだろう。
死神くんの真実は受け止めたが、彼は答えを探す癖があるのを発見した。
この世には、答えのない問いが星の数ほどある。
だから、そんなに塞ぎこまないで欲しかった。
答えのない問いに終止符を打つことも知って欲しい。「解なし」として。
あの時、フードを突然めくったのは、ただ思いつきでやったわけではない。
フードがあるから、塞ぎ込みやすいのだと思った。
人の顔を見て話して欲しかった。僕だけしか見えない存在だとしても。僕は、生まれ変わりのみんなみたいに彼のことを何も知らないまま死ぬより、沢山話して知りたかったから。
フードの下を見るのは、本当は怖かった。
自分と同じ顔があるのは想定していた。
でも、僕が知っている顔じゃなかったらどうしよう、と。
それは人違いとかではなく、僕が見たことのない表情をしていたら困るからだ。
でも、死神とは名ばかりのあどけない、懐かしい顔がそこにあった。
そうか、君も、やっぱり僕なのか。
あの時、君の顔を見た時、安心した。心の底から。
涙で濡れた頬も、赤くなった目も、鼻も、ちょっと癖のある髪も、全部、少し前まで見ていた
僕の知っている表情だった。
僕も、沢山泣いたから。
ギフテッドとは、中々理解してもらいにくい節がある。
親や大人からは褒めてもらえることが多いが、同級生やちょっと年上の人にはこれでもかというほど嫌われる。
だから、十歳くらいまでは家で勉強をした。
親に飛び級で高校と大学に行ったら?と言われたから、そうした。
アメリカの大学で、とても頭が良くないと入れないと言われるところに合格した。
入学式は場違い感満載だった。
いじめが酷かったのも、今となってはいい思い出だ。理由は日本とさほど変わらない。
大学になぜこんな子供がいるんだ、と。
大学院に行く前の十四歳の頃は特に酷かった。
物は壊されるし、ロッカーはイタズラされるし、水をかけられたり、食べ物捨てられたり。親もアメリカにはいないからどうしようもなく孤独だった。
ご飯もお菓子も、日本の方が好みだったし。
「日本……帰りたいなぁ」
ベッドにこもって独り言が漏れてしまったとき
「そこまでされてるのに、逃げないんだな」
「……聞こえてた?」
死神くんは、孤独な僕に話しかけてくれた。
毎晩のように泣いていたことを、彼は知っていたのだろう。
「親にいじめられたから帰ってきました、なんて言いたくない。いじめられないと思って送り出したのに」
「……強いな」
「強い?僕が?何の冗談?」
「いじめられる度合いにもよるが、お前より弱いやつは、山ほどいる。」
「一番大事じゃない?度合いって」
「俺はそう思っただけだ。」
「普通、慰めてくれるよね、こういう時って」
「慰め方なんか知らない」
「えぇ…薄情だね、死神くんって」
「悪かったな」
「ははっ、嘘だよ、ごめん」
大学にいる時一番まともに話したのは、間違いなく死神くんだった。
だから、僕は死神くんを「死神」ではなく、「友達」として見るようになった。
友達なら、なんでも知りたくなって当然だろう?
友達を作ったことなんてないくせにそうやって理由をこじつけて色んなことを聞きまくった。
そして、気づいていく。
そのフードから少し見え隠れする髪の毛質、手の形、指の長さ、爪の形、唇の形、声。
少ない情報でも、当時の僕と似ているところが多すぎた。
「好きな食べ物は?」
「食事はしない」
「好きな色は?」
「……青」
「いつも何してるの?」
「…暇な時は、空を飛んでる」
「ものを掴んだことは?」
「全部体をすりぬける、お前しか触れない」
「誕生日はいつ?僕と同じなの?」
「…正確にはわからないが、恐らく夏生まれだ」
「親は?家族っていた?」
「いた。でも、それ以上はまだ話せない」
「まだ?」
「お前が気づいたら話す」
「ふーん?あ、動物すき?」
「愛玩動物は、嫌いじゃない」
「言い方…じゃあ、その中でも特に好きな動物は?」
「…………………猫」
「あっは!めっちゃ考えてる!いいよねぇ、猫」
「お前、こんなことしてて飽きないのか…」
「飽きる?まさか!」
「俺は……疲れた」
「えぇ、死神も疲れるのか…」
「死神をなんだと思ってるんだ」
「えー………現実的に言うなら幻覚?」
「お前、自覚して幻覚と喋ってるのか」
「理想を言うなら、神様かな」
「そんな大きなもんじゃない」
「ふーん」
「もう質問は終わりか?」
「死神くんが疲れたって言うから、休憩」
「…そうか……ありがと」
最後のありがとうはちっちゃい声だった。
そんなこと言うんだ。素直にそう思った。
いじめは、段々となくなっていった。
死神くんと話しているのが、他の人から見たら気味が悪くてしょうがなかったらしい。
おかげで快適な生活になった。
十八歳の時、博士課程を修了した。
平和的に学生生活を終えて、日本に帰った。
学歴はあるので就活に困ることはなく、テレワーク希望で在宅勤務にしてもらい、副業で気ままに投資をしたり色々と楽な道に進んだ。
その頃には、もう死神くんはいつもそばにいて当たり前の存在になっていた。
なのに、死神くんは僕の前から姿を消した。
そして僕の二十歳の誕生日に突然帰ってきた。
一言、「見せたいものがある」と言って。
着いていくと、所謂穴場と言われる夜景スポットだった。
「え?なにこれ、どうして?」
「……ものには触れないし…ほか思いつかなかった」
もしかして、いや、もしかしなくても
「これ、誕生日プレゼント、か」
「…………」
死神くんは決まり悪そうにそっぽを向いてしまう。
「死神くん、なんてもの用意してるんだよ」
「…悪い、迷惑だったな」
「何言ってるんだ、最高じゃないか!」
「えっ、わ」
死神くんに思い切り抱きついた。
嬉しくて、自然と笑みが零れてくるほどだった。
あとから聞いたが、いなくなったのはこれが原因だった。
「地元の夜景なんて気にしたことなかった。飛行機から見るより、綺麗だ」
「それは言い過ぎだ」
「あれ、もしや…照れてたり?」
「…どうだろうな」
照れ隠し、下手だな。
まぁ、でも。
この景色は、僕が初めて死神くんから貰ったプレゼントだ。大切に記憶の中に仕舞っておこう。
いつかまた思い出せるように。
それから数ヶ月たった頃だ。
僕が死神くんと同じ「佐原蓮」であると確信したのは。
生まれた瞬間から、死神くんは僕を見ていたのに、二十年も経ってしまった。
「ごめんね、気づくの遅くなって。」
公園から帰ってきて、いつものワンルームで、いつものベッドに座って話す。
死神くんは、もうフードを被っていない。
まだすんすんと鼻を啜っている。
「いい。俺は、お前に聞いてほしかった。だからずっと待ってた。」
「嬉しいことを言ってくれるねぇ」
「でも、もっと前から気づいてただろ」
「…確信がなくてね」
「確かに、自分と目の前にいる死神が同じだとは考えないな。俺だって同じ立場なら信じない」
赤くなった耳も、鼻も、本当に僕そっくりだ。
でも、少しだけ違うところがある。
フードをめくってから気づいた事だ。
「なぁ、死神くん。どうして目の色と髪の色だけ僕と違うんだい?」
僕の髪と目はどちらも黒に近い焦げ茶色をしている。
一方で死神くんは光に当てれば金に近い栗色の髪に、青みがかった目をしていた。猫っ毛と少しはね気味の髪質も、大きいのにつり目なところも全部同じなのに。
「…それは俺にもわからない。親の遺伝じゃないか?遺伝子的に俺はクォーターにあたる。日本人として生まれたお前たちには都合が悪かったんじゃないか?」
「なるほど。しかも、フード被ってたら見えないし」
「……俺は親の遺伝子が受け継がれているこの体は好きじゃない。だから、それも兼ねてお前らが羨ましい」
「僕は別に嫌いじゃないけどな」
「物珍しいだけだろ」
「いや、君の青い目、結構好きなんだ」
「青目なんて探せばいくらでもいる」
「そういうことじゃないんだよ、君だから、と言っているのに。わかってないな」
「なんで俺限定になるんだ」
「君の色は探してもなかなか居ないだろうからね」
「……お前には触れるから、くり抜いてやろうか?」
「うっわぁグロい…」
「そんなに好きならくれてやる」
「いぃ、いらないよ。その顔にはまったままでいてくれ」
どこかズレてる死神くんの感性にドン引きする。天然ならなお怖い。
本当にずっと生まれ変わりの人生を見てきたのか?法律以前に倫理観とやらは学ばなかったのだろうか。
そんなことを考えていた時だ。滅多になることの無いインターホンの音が部屋に響いた。
「宅配便か?」
「いや?何も頼んでないよ。少し待ってて」
玄関の覗き穴で一応確認をする。
そこには、予想外の人物がたっていた。
「はい」
「あ…初めまして。突然訪問してしまってすみません。」
「いえ、大丈夫ですけど」
「私、このアパートに引っ越してきた広瀬里奈と言います。これ、つまらないものですがよろしければどうぞ」
「ありがとうございます。佐原蓮です。何かわからないことあったら遠慮なく聞いてください」
「何かとご迷惑をおかけするかと思いますがよろしくお願いします」
「とんでもない。ところで、どちらの部屋です?」
「ちょうど佐原さんの下の部屋です」
「え、じゃあ物音響きますよね、こちらのが迷惑をかけてしまうかもしれない。」
「ふふ、大丈夫です。」
柔らかい笑顔だ。
広瀬里奈、って死神くんが探してくれと言ってた人じゃないか。
歳は見たところ同じくらいか?
「佐原さんも大学生ですか?」
「いえ、大学には行ってないんです。一年前に卒業してるので」
「卒業…?高校ですか?」
「大学院です。アメリカの」
「えっ?!もしかして帰国子女ですか?」
「いえ、生まれは日本です。学校は向こうですけど。ちょっと複雑な事情がありまして。聞きたかったらいつでも聞いてください。今日は少し時間ないので無理なんですけど」
「あっ、すみません。お忙しいですよね!」
「大丈夫ですよ」
「今日はお暇しますね」
「はい。これからよろしくお願いします」
小さく会釈をして階段を降りていった。
「広瀬か」
「うわっ、びっくりした」
「悪い」
「いや、大丈夫。広瀬里奈さん、死神くんの探してた人だろう?」
「…そうだな」
「また会うから、急がずともこれから知っていけばいいだろ?」
「ありがとう」
僕より少し背の小さい死神くんは、久しぶり宙には浮かず地面にほぼ足をつけた状態だった。
今日の死神くんはよく笑うな。
本人は気づいていないが、口元が緩やかなカーブを描いている。
直ぐにその表情も真顔に戻ってしまうが。
「別に。結婚は冗談だ、ただお前と広瀬が話すだけでも、俺は嬉しい。そこまで頑張らなくてもいい」
「…人に頼むときに冗談を混ぜるのは良くないと思うなぁ」
くくっ、といたずらっ子のようにまた死神くんは笑った。
そこから広瀬さんとよく挨拶を交わすようになった。
ごみ捨てや買い物の時によく会うのだ。
いつの間にか、挨拶だけから世間話をする仲にまで発展した。
死神くんは僕らの様子を遠巻きに眺めていた。
別に近くにいてもいいのに、と言ってもそんな野暮なことしない、と返された。
親目線なのだろうか。
最近聞いた話では、広瀬さんは大学の近くにあるためこのアパートに越してきたと言う。
僕とは同級生で、僕がのほほんと投資のグラフを見ている間、広瀬さんは大学に通っている。心理学部で学んでいるらしく、何となく彼女に合っている気がした。
そんなある日。
「…どうしよう、広瀬さんのことが気になる」
「……そうか」
当然と言えば当然なのだけど、距離が近くなるともっと知りたいと思ってしまう。僕は学生時代青春に触れる機会なんてあまりなかったわけで、女性との関係なんて持ったことがない。
「広瀬さんが初恋なんだ」
「知ってる」
「なにか手伝おうか?の一言でも言ってくれないのかい、死神くん」
「俺は本気で結婚してくれなんて言ってないぞ。」
「薄情だな、君から言い出したことだろう?発言に責任は持つべきじゃないのか」
「手伝うって、具体的に何して欲しいんだよ」
「そりゃ付き合うために知恵を出したり」
「お前のが頭いいだろ」
「経験とかは君のが上だろ」
「ただ見てただけだ。経験は無い」
「そう大きく変わる訳でもないだろ?」
「じゃあ恋愛ものの映画でも観ればいいだろ」
「もう…本当に君ってやつは」
確かに恋愛ものの映画なら少しは勉強になるかもしれない。ちょうど話題の映画があるし、見に行くか。
「死神くん、君の言う通り映画に行ってくる」
「俺も着いてっていいのか?」
「……僕が独り言を永遠と話してる不気味なやつになる可能性があるけど、いい?」
「…やめておく」
僕はかなりおしゃべりなせいで話せる相手がいる時は思ったことはほぼ口に出す。それを外でやったことがあったせいで日本でも変な目で見られたことが何度あったことか。死神くんの正体を暴いた時もそうだった。
仕事が溜まっている訳でもないし、今から出かけても別に困ることはないはずだ。
「じゃあ、行ってくるね」
財布とスマホだけ持って家を出た。
映画館に着くと、早々にチケットを確保し館内に入場した。ポップコーンもジュースもいつも買わない。映画に集中してて食べるのを忘れて余らせ、それを家に持って帰るのがめんどくさい、という理由で。
席は結構空いていたおかげで選び放題だった。
もうそろそろ上映が終わるからなのだろうか。
館内も予想通りというか、結構人が少ない。
CMがひとしきり流れたあと本編が始まる。
しばらく見てると思う、なんと言うか……よくある少女漫画の実写版、という言葉がよく当てはまる映画だった。
僕以外の客はカップルだったし。男一人で見るものではなかったかもしれない。
それこそ広瀬さんと来た方が良かったのか…?
映画に集中できずにいるともうクライマックスに入っていた。
ベタなシチュエーションだ。ヒロインがなにかトラブルに巻き込まれて、主人公が助けに行く。そして、幸せに結ばれてハッピーエンド。
何も感動することなく終わってしまった。
館内を出て、家への道を辿る。
……勉強しに行ったんだけどな、一応。
あれが現実に起こることは決してないということはよくわかっている。
これはもしかしたらただ映画の興行収入に貢献しただけでは…?
「百人目」
僕のアパートの二階から声が聞こえる。
「おかえり」
死神くんが出迎えてくれた。
「ただいま、死神くん」
階段を登って部屋に入る。
「何かしら勉強になったか?」
「いや、特になかったかな」
「行かなくてもよかったかもな」
「やっぱり君の見てきたものを参考にした方が良かったんじゃないか?」
「…じゃあ、食事にでも誘えばいいんじゃないか?」
「なるほど、たしかに人を知るのにはまず食事からか」
「連絡先は聞いてるのか?」
「…そういえば持ってないな」
「まずそこからでもあるな」
美味しいお店ならよく知っている。
あとは広瀬さんの食の好みさえ分かればいいから今度あった時それとなく連絡先も聞いてみよう。
「今度会った時聞いてみるよ」
「ああ」
「さて、もういい時間だし夕飯作るか」
「何作るんだ?」
「中華の気分だから、回鍋肉かな。あとチャーハン」
「美味そうだな」
「でも、その体じゃ食べられないんだろ?」
「ああ。口に入れたらすり抜けて床に落ちる」
「味覚と嗅覚ないんだっけ?」
「そうらしい。お前とコミュニケーションが取れるように感覚はあるが五感のうちその二つはない」
「いつか食べさせてあげたいよ」
「この先にも生まれ変わりがあるなら、お前と兄弟なんてのもいいかもな。そしたら同じものが食べられる」
「あぁ、いいね。僕も兄弟いないから楽しそうだ」
昔家族で出かけた時、兄弟でハンバーガーのサイドメニューにあるポテトを半分こにしているのを見て、羨ましいな、と思ったのが懐かしく感じる。
エプロンを着てキャベツやピーマンを包丁で切っていく。
自炊は嫌いじゃないからよくしている。
「死神くんは昔何が好きだった?」
「料理は…野菜料理が好きだった」
「へぇ、珍しい。みんなこういう時は肉って言うから」
「肉は……苦手だった」
「魚は?」
「魚も臭かったからな」
「さては匂いに敏感だな?嫌いなものが多そうだ。今の死神くんが食事しなくて良かった」
「なんでだ」
「献立考えるの大変なんだ。好き嫌い多いと嫌いなものが多い人に合わせなくちゃならないからね」
「悪かったな、好き嫌い多くて」
「あはは」
「そういうお前は何が好きなんだ?」
「僕?僕は…味噌汁かな」
「へぇ、どうして?」
「うーん、わからないけど、外食した時メニューにあったらちょっと嬉しくなるくらいには好きだよ」
「そうか。嫌いなものは?」
「アメリカの食べ物」
「ふはっ、それはわかるかもしれない」
死神くんは声を出して笑った。
「そんなに面白い?」
「あぁ、お前が向こうで食事になる度に嫌そうな顔してるのを思い出した」
「顔に出てたか…でも、あれは日本食が美味しすぎると思うんだよ」
「俺は食べたことないけど、何となく想像はつくな。全部同じようなものだったし、何より量もサイズも全然違かったもんな」
「そうそう」
こんなに明るく死神くんと会話をしたことがなかった。
いつも一方的に僕が話しているだけだったのに、あの日から死神くんが沢山言葉を返してくれる。なんだか嬉しい。
憑き物が落ちたような晴れた表情だ。きっと、色んなものを見てきたんだな。終わりのない死神という仕事を何年もしてきたわけで、みんな大人になる前に死んでしまったみたいだし。
知らないことは、僕も同じだな。
この世にあるもの全てを知ることなんて無理なのは知っている。でも、少しでも多くのことを理解したいと願ってしまう。
死神くんのこと、もっと知りたくなったよ。君の見てきたもの、これからもっと沢山知りたいな。
「死神くん!朗報だ!」
「どうした」
「広瀬さんの連絡先ゲット!プラス食事の予定もゲットだ!」
「良かったな」
僕は帰ってきて早々に嬉しさで舞い上がりそうだった。
時間は遡ること一時間前。
季節は夏へと移ろい、僕はゲリラ豪雨に見舞われていた。
「まいったな……」
生憎、雨を凌げるカバンも傘も持ち合わせていない。
シャッター街の屋根の下、止まない雨に困り果てていた時。
前から小走りでこちらに来る女性。
どこかで見覚えがあるような、と思っていたら
「あれ?!佐原くん!」
「広瀬さん?」
偶然にも鉢合わせた。
「佐原くんも雨宿り?」
「はい、買い物途中で降られてしまった」
「私は大学の空きコマで暇だから帰ろうとしたら降ってきちゃって」
「大学にいた方がよかったですね」
「本当だよね」
あはは、なんて可愛らしく笑っている彼女に憂鬱だった心が晴れる。
「いつ止むかな」
何気なく雨雲レーダーを確かめると、あと数十分で止むようだ。
「もう少ししたら止むみたいです」
「本当?!よかった、このまま講義始まったらどうしようかと…」
「さすがにここから大学まではまずいですね」
「今日に限って傘忘れちゃって…」
「はは、僕もです」
なんて事ない会話をしていると、昨日死神くんと話したことを思い出した。
「…あ、そういえば、前から聞こうと思ってたんですけど、連絡先を聞いても?」
「あ!私も聞こうと思ってたの!いつも忘れちゃって」
「この前、美味しいお店見つけたから誘おうと思ったら連絡先知らないことに気づいて。どうしても紹介したかったんですよ」
「本当?ちなみにどんな感じの?」
「和食屋さんなんですけど、本当にどれも絶品なんです。おすすめは焼き魚ですかね」
「行きたいかも!」
「広瀬さんはどんな食べ物が好きなんですか?」
「うーん、基本的には全部好きかな。強いて言えば中華とか、和食とか…かなぁ?」
「本当ですか。僕も和食好きなんです」
「もしかして、食の好み合ってる?」
「みたいですね」
「いいこと思いついた!私もうそろそろ夏休み入るんだけど、休み中ご飯屋さん巡りしようよ!」
「いいですね、平日は仕事ありますけど、それ以外でも良ければ」
「ぜひぜひ!わぁ、楽しみだなぁ」
「今度の土日は空いてますか?」
「空いてるよ」
「じゃあ早速さっき言ってた和食屋さん、行ってみますか?」
「行きたい!」
「よかった。昼間から空いてるんですけど、夜の方がコース料理になって少し豪華なんです。どっちがいいですか?」
「うーん、私はまだ行ったことないから、佐原くんに全部任せてもいい?」
「わかりました。六時くらいに家出ればちょうどいいかな。どうです?」
「了解です!」
「じゃあ、次の土曜日に迎え行きます」
「待ってます!」
予定をしっかりと取り付けた頃、空が明るくなり始めた。
「あ、止んだ」
「これからアパート帰ります?」
「その予定だよ」
「せっかくなので、一緒に帰っても?」
「そうしましょ!」
という感じで、食事に行けることになったのだ。
「よかったな」
「ああ、死神くんのアドバイスが役に立ったよ」
「俺は何も言ってないと思うが」
「食事という案がなければいい感じの口実が思いつかなかった、死神くんのおかげだよ」
「そうか」
教えてもらった連絡先を眺めながらにこにことしていると、死神くんがこちらをじっと見つめていることに気づいた。
「なんだい?」
「初めておもちゃを買ってもらった子供みたいだな、って」
「え」
僕、そんなにはしゃいでたのか。
恋は盲目だと言うし、周りが見えなくならないようにしなきゃな。
「き、気をつけます…」
「いや、微笑ましいよ」
「ほ、微笑ましい?」
「ああ。お前のそんな嬉しそうな姿、なかなか見れないからな。誕生日に俺が夜景見せた時くらいか」
「あぁ、懐かしいね。ついこの前のことなのに。でも本当にあれは嬉しかったよ」
少しの間、沈黙が流れた。
死神くんが、突然意を決したような表情をした。
「広瀬について、大事な話があるんだ」
「なんだい?」
「俺は、あの子をこの因果に引きずり込んでしまった」
因果、それはループし続けた僕らのことだろう。
「もし覚えてたら、私の事呼んでね。」
死神くんの話の中で、彼女はそう言っていたらしい。
それが死神くんの記憶に強く残り、広瀬さんを本当に僕らの関係に引き込んでしまったのか。
「広瀬だけじゃない。お前の兄弟として生まれる子、凛音もだ。」
「僕に兄弟がいたら、その子が生まれてくるの?」
「ああ、必ず」
「三人兄弟とかになったらどうなるんだい?」
「二人しか見たことがないからわからないけど、凛音は因果の中で生まれてしまった魂だ」
このループするという世界は、科学じゃ証明できない。魂も僕らの目には見えない。でも、確かに存在している。
「今の生まれ変わりはお前と広瀬だけだ。広瀬を、ちゃんと因果から抜け出せるように、今度こそ最後まで生きて、救って欲しい」
「生きることが救うことに繋がるのかい?」
「お前ら生まれ変わりの辛さは、俺がこの目で見てきたからよく知ってる。でも、広瀬はそれ以上に辛い思いをしてる」
「生まれ変わりは、ほぼみんな自殺を選んだって言ってたね。もしかして、広瀬さんは残される側だったのか?」
「ああ、その通りだ。生まれ変わりは死んで楽になろうと、死を救済にしていた。でも広瀬は、生まれ変わりたちに生きることを選んで欲しかったんだ。そのためにいつも寄り添って話を聞こうと、助けようとしてくれてたんだ。」
「そのことに僕ら生まれ変わりは気づけなかったのか。なるほど。だから生きることが救いに繋がるのか。」
死神くんはゆっくりと首を縦に振る。
「背負わせてばかりで、悪い」
「……正直、ちょっと驚いた」
ずっと、生まれ変わりはその都度人間関係が変わってるのだと思っていたから。
その中で偶然広瀬さんと運命的に結ばれてるだけかと思っていた。
「でも、広瀬さんを救うのは僕にとっては本望だ。それに死神くん、君の方がずっと長い間背負ってきたんだ。僕にも背負えるものは分けて欲しい」
「…やっぱり、お前は強いな」
「君のおかげだ」
「そうかよ……広瀬とのデート、楽しめよ」
またいたずらっ子のように笑った。
「あは、頑張るよ……」
多分、このからかい方は死神くんの照れ隠しだ。
あの日から本当に死神くんのことがよくわかるようになったな。
・・・ ・・・
広瀬の話をした夜。
百人目が寝ている姿を静かに見守っていた。
遠い昔の記憶を思い出す。広瀬が残される側だという話に、説明しなければ辻褄が合わない部分がある。でも、そのことを詳細には伝えなかった。意図して話さなかったわけじゃない。タイミングが合わなかっただけ。
あの子は、この世界で特別な存在だった。
一人目を魂に戻した日。
俺は灰色の世界を少しの間彷徨っていた。魂の扱い方を知らなかったからあの男を呼んで説明してもらおうと待っていた時だ。
広瀬里奈は、塵ひとつ動かない灰色の世界を走っていた。
「蓮!どこ?!返事してよ!」
きっと、薄暗いせいで気づけなかったのだろう。色素を失い、誰も動いていない世界に。
俺は呆気にとられ、しばらく動けなかった。
でも説明されていた話と違うことに焦り、急いで後を追った。
その時の俺は必死に走る彼女が誰なのかわかっていなかった。
佐原蓮はもう存在すらしていないと言うのに、広瀬はたった一人で俺の生まれ変わりを探していた。
ずっと走り続けていたのだろう、疲れたようで壁にもたれて休憩している姿を見つけた。
「どこ…どこ行ったの……」
小さく呟き、目からは雫が溢れて地面を濡らしている。
「広瀬、里奈」
ようやく思い出して、俺はその名を口から零していた。
「蓮?!そこにいるの?!」
体が反射的に跳ねた。
俺は、認識されるはずない。生まれ変わりだって今はもう俺の手の中で眠っている。
なのに、なんで、俺と目が合う?
「あ……」
俺を認識したであろう広瀬は恐怖で怯えているように見えた。
そりゃあ、そうだろう。こんな真っ黒の姿の男が目の前にいて、時間帯は止まっているとはいえ夕暮れだった。現実的に考えて俺は不審者だ。
「あの、佐原蓮っていう人を探してるんですけど…」
最初はその言葉をうまく聞き取れなかった。
「…は?」
「人を探してるんです!佐原蓮って知りませんか?」
恐怖すら上回る彼女の生まれ変わりへの感情を、その時初めて知った。
そして罪悪感に駆られた。
「……もういない!」
俺は捨て台詞のようにそう叫んで姿を消した。
透明化した俺の姿は今度こそ認識できないようで、広瀬はその場で立ち尽くしていた。
男に催促をして急いで魂を次に繋げた。
「災難だったね」
「なんだよ、あれ。聞いてない」
「うーん、珍しいことではないのだけど、死神になる前、蓮くんに影響を強く与えた人は魂が引っ張られるんだよ。君の場合その子だったんだろうね」
「……影響」
「あの子たちは灰色の世界では生まれ変わり達と同じ扱いになるんだよ。だから死神を認識できる。刈らなくとも付いてくるからそのままあの子は放置しても大丈夫だよ」
「……」
「あ」
「なんだ」
「今回はあの子だけだったから良かったけど。もしかしたら……私が作った妹の凛音っていう子いたでしょ?」
「いたな」
「凛音もそうかもぉ…」
「そう、って…」
「魂、引っ張られるかも」
「なんでだよ、妹は関係ないだろ!」
「うん、そうなんだけどね、私が作ったからかも…しれない」
「お前が作ったら、何かあるのか」
「私ってほら、死神の上に立つ立場でしょ?神様の補佐的な位置だし?その私が作るとちょーっと特別な存在になっちゃったりならなかったり……あはは」
「じゃあ、広瀬と同じなのか?」
「そうかもしれない」
舌打ちをしてその場を去った。
そんなの、聞いてない。
俺は、生まれ変わりに普通に生きてほしいだけだ。運命とか、必然とか、そんなのいらない。
巻き込んだ魂たちは、俺と関わりながらじゃないと存在できない。そんなの、あんまりだ。弄ばれてるのと、同じだ。
当時は憤りで死神の男と会うことを避けた。
でも、時間が経つにつれてどうにもならないことを理解して謝りに行った。
この世界にも変わることの無い事実が残酷に存在するのだと、段々と知っていく。
灰色の世界は何度も訪れた。広瀬は生まれ変わりの死を知らずに探し回ったり、目の前で死んでいるのを見てしまったり。
そういう彼女の姿を見る度、なんとも言えない後ろめたさを覚えた。
「また、ダメだった…」
いつの日か、広瀬は生まれ変わりの遺体の前でそう呟いた。
「また」その言葉が引っかかった。
「…またって、なんだ」
どうしても聞きたくて本人に聞いたことがある。
「あぁ、あなたも。久しぶり。」
「質問に答えろ」
「前世…っていうのかな。前の私も、こうやって蓮と出会って、見殺しにしたの。辛い環境の中で生きてるって知ってて、救えなかった」
「ずっと、覚えてたのか」
「違う。夢で、前にも蓮と会ったなって思い出した。今回は具体的に思い出せただけだと思う。きっと、次もまた記憶はゼロから始まる。そうでしょ?」
「……そうかもな」
「次は、救えたらいいな。蓮も、私も」
「……ごめん」
その時の精一杯絞り出せた言葉。巻き込んでしまったことへの謝罪だった。この世界に一番引き込みたくなかった人。
「ちゃんと、救ってくれ」
まだ眠る百人目に懇願する。
震えた声は静かな寝室に溶けて消えた。
・・・ ・・・
約束の土曜日。アパートの階段を降りて、広瀬さんの部屋のインターホンを鳴らした。
「はーい、今出ますね」
すぐに扉が開いて、広瀬さんが出てきた。
「あ、今日はなんだか雰囲気がかっこいい」
「ありがとう、広瀬さんも可愛いですよ」
「そ、そうかな?えへへ、嬉しい」
「早速行きましょうか」
「うん!」
夜に女の子と食事なんて初めてでなんだか少し緊張するな。中学生でもないのに、デートが初めてとは恥ずかしくて言えないが。
和食屋さんに入って、各々注文をする。
僕はメインが焼き魚のコース料理で広瀬さんは刺身のコース料理。
前に来たことがあるから知っているが、やはりどれも美味しい。
「あの、すごく気になるんだけど」
「うん?」
「敬語、外さないの?私達同い年なのに」
「え?…無意識だったかも。じゃあ外そうかな」
「逆に今まで無意識でその話し方してたの?」
「そうだね」
「……そうだったんだ」
「どうして?」
「あ、いや…その…わざと距離置かれてるのかと思ってたから」
「そんな、むしろもっと仲良くなりたいと思ってたよ」
「…人たらし?」
「人たらし発揮するとしたら広瀬さんだけかなぁ」
「女たらしってこと?」
「はは、冗談上手いね」
「じゃあ、好きって言ったら付き合ってくれるの…?」
驚いて箸が止まる。
「それも冗談だったりする?」
「本気ですけど…」
頬を膨らませて怒っているような表情だ。可愛い。
「僕、広瀬さんのこと好きだよ。広瀬さんが付き合いたいって言うなら、喜んでその役を引き受けるよ」
急展開で思わず顔が熱くなる。ついでに目も合わせられない。
でも広瀬さんもそれは同じだった。
「えぇ…待って、本当?」
「本当だよ」
思わず笑みがこぼれる。
「じゃあ、お付き合いしてください」
「はい。喜んで」
「わ、嬉しい…どうしよう」
「でも、広瀬さんモテてるでしょ?何で僕なの?」
「うーん、モテるのかはわからないけど。いつの間にか好きになってたから、どうしてって言われてもな……」
これも、因果のせいなのか。だとしたら、少し悲しいな。
「でも、一緒にいると安心するし、離れてる時はもっと話したいなって思える人だったから」
「そうなんだ。そう言って貰えると僕も嬉しいな」
「佐原くんは?何で私のことを?」
「僕、昔アメリカに留学してたんだ。向こうではいじめられていてね。日本に帰ってきて、ようやく安定して生活できるようになった時に広瀬さんと出会った。青春とは無縁の人生だったから、すごく新鮮で、こんなに明るくて優しい人と一緒に生活出来たら楽しいんだろうなって。それで好きだなって自覚した。」
「そうだったんだ」
「うん。お恥ずかしながら初恋なんだ」
「初恋って実りにくいって話、知ってる?」
「ああ、恋愛経験が少ないから実りにくいんだっけ?」
「そうそう。でも初恋実ってるね」
「本当だね。ちなみに広瀬さんは昔付き合ってた人いるの?」
「いたよ。三人」
「そうなのか。どんな人たちか聞いてもいい?」
「うん。一人目は高校一年生の時二年の先輩と付き合った。でも長く続かなかったな。告白されたから付き合ったけど、すぐに自然消滅しちゃって。二人目はバイト先の同級生の人。上手くいってたけど、私が冷めちゃって別れちゃった。三人目は本当に最悪だったなぁ。高校三年生の時同級生と付き合ってたんだけど、浮気されてて」
「はは、随分勿体ないことしたね、その三人目の人」
「本当に、何で好きになったのか…」
「まぁ、それも大事な経験だよ。その人たちがいなきゃ今の広瀬さんはないわけだし」
「うん、確かに…あ、あとその広瀬さん呼びも卒業しよう」
「えぇ」
「今から里奈、ね。私も蓮って呼ぶ」
「急に距離が近くなった」
「いつまでもお互い苗字呼びはね」
「それもそうか」
和やかな空気の中食事が進み、一時間があっという間に過ぎていた。
今回の食事で晴れて僕らは付き合い始め、距離が一気に近づいた。
その日は次の約束を決めて、何事もなく帰った。
「ただいまぁ」
「おかえり」
「死神くん、広瀬さん改め里奈と付き合い始めた」
「よかったな」
「もしかして今日こうなること知ってた?」
「なんとなく」
「はは、さすがオリジナルだね」
「九十九人も見てきたんだ、いい加減わかるようにもなる」
「里奈は生まれ変わる度性格が変わったりしてたの?」
「…広瀬と凛音だけは例外的だったな。いつも同じような人柄だった。二人とも優しくて、明るくて、芯が強くて、前向きだった」
死神くんの目は遥か遠い昔を懐かしんでいるようだった。
「そんな寂しそうな顔しないでくれ」
「…寂しくはない。でも、話せないのは残念だな」
死神くんは里奈や凛音とも話せないのか。
人と喋ることは、生きていれば誰しも当たり前の事だ。色んな人と話した方が人は成長できるものだ。けれど、死神くんは僕以外の人間に認識されることがない。
僕以外に話せる相手がいればまた変わってくるかもしれないのだけど。
ふと、思いついたことがある。
……認識されないのって、人間限定なのだろうか。
「死神くん、動物好きだよね?」
「まぁ、好きだな」
「猫とか犬に反応されたことある?」
「……犬にはたまにすれ違う時唸られるな。猫はじっと見つめてくる。だから猫の方が好きだな」
「なるほど、動物になら認識されているみたいだね」
「……何の話だ?」
「死神くん、猫飼おう」
「…だから、何の話だ?」
「さっき、僕以外の人とは話せないから残念だって言ってただろ?人じゃなくても認識してもらえる何かがあれば死神くんの寂しさが紛れるんじゃないかって思って」
「そうか、だから猫……ていうか、俺は寂しいんじゃなくて…」
「まぁまぁ、そこは置いておこうじゃないか」
反論してくるのを強引に遮る。
「どんな猫が好きなんだっけ?」
「……よく目につくのは白猫とロシアンブルーっていう種類だな」
「白猫か。三毛猫と同じ縁起のいい猫として知られているよ。ロシアンブルーはあまり鳴かないことで有名な猫だ」
「飼うのはお前だから、そこはまかせる」
「わかった、今度見てくるよ」
死神くんが猫と向き合って話してるのを想像すると微笑ましい。
「お風呂入ってくる」
軽い足取りで洗面所に向かった。
里奈が夏休みに入り、ご飯屋巡りは順調に進んでいた。今日はフレンチのお店。
「今度、猫飼うから譲渡会に行こうと思うんだけど、里奈も一緒に行く?」
「猫飼うの?!行きたい!」
「よかった。再来週の日曜日なんだけど、空いてる?」
「空いてるよ」
里奈とまた会える日が増えて僕は嬉しい限りだ。猫を口実に僕の部屋に来てもらえたりするのだろうか。そうなるともっと一緒にいられるな。
「飼いたい種類ってもう決まってるの?」
「うん、白猫かロシアンブルーの子をお迎えしたいなって」
「可愛いよねぇ!わかる!」
「僕動物飼ったことないから手探りになっちゃうけど、今から楽しみだよ」
死神くんと仲良くなれるといいな。
譲渡会の日、里奈と二人で猫のコーナーを周っていた。キジトラや茶トラの子が多い。たまに見かける黒猫も可愛いのだけど、今日探している子ではない。
「うーん、みんな可愛いんだけどなぁ」
一番奥、最後のケージに辿り着く。そこには今まで一匹もいなかった白猫の姿。
「…いた」
「本当だ、真っ白可愛いね」
ロシアンブルーはさすがにいなかったけれど、雪玉のような子猫はいた。
「この子にしようかな」
「そうだね。一番奥にいたし、運命かも」
ケージの中を覗き込むと、警戒気味に端っこに寄ってしまった。
「はは、これは懐いてくれるまで時間かかりそうだな」
近くにいたスタッフの人に声を掛け、無事に白猫を引き取った。
猫用のペット用品はしっかりと揃えてある。準備は万端だ。
「ただいま」
「おかえり…いたのか?」
「いたよ。すいくん」
譲渡会は元々名前がある子が多い。それにこの子はもうじき一歳になるから名前を今から変えたら困るかな、と思ったのでそのまま名前を変えないでおくことにした。
死神くんは座り込み、キャリーの中を覗き込んだ。
「…すい、今日から俺がお前の友達だぞ」
早速すいくんに話しかけている。よほど楽しみだったんだろうな。
キャリーからケージの中に移してあげると、やはり隅っこで丸くなった。
「白猫は警戒心強いみたいだから、懐くの時間かかるかもしれないよ」
「そうなのか」
そう言いながらケージの前に座ってこちらを向かずに返事をする。本当に好きだったんだな、猫。
「僕は夕飯作るからね」
しばらく動きそうになかったのでそのままにしておくことにした。
夕飯が作り終わって、お皿に盛り付けている時、にゃー、とすいくんが鳴いた。
顔を上げてみると、死神くんがケージの中に手を伸ばしてすいくんに触っていた。正確には触れていないから撫でている素振りをしているだけなのだけど。
「死神くん?」
「すいが、こっち寄ってきてくれた」
「早いね、もう仲良くなれたのか」
死神くんを横目に見ながら料理を並べ、席について夕飯を食べ始めた。
食べている間、しばらく一匹と一人の様子を眺めた。なんとも不思議な光景だ。
撫でられていないのに目を閉じて気持ちよさそうにしている白猫。撫でられないのを知っていながら永遠と撫で続ける死神くん。
これで寂しくなくなるかな。すいくんも、死神くんも。
突然がたがたと金属の音が響いた。すいくんがケージの中にある板の上に座っている。
死神くんはすいくんをまじまじと見つめ
「お前、俺と目の色同じなのか」
ぼそっとそう呟いた。
そういえば、すいくんも目の色が青だった。
目の色はあまり気にしていなかったな。
死神くんだけじゃなくて、ぜひ僕とも仲良くなってくれると嬉しいな。親しくなり始めた一人と一匹を眺めながらそんなことを考えていた。
すいくんが来てから二年が経った。
すいくんは僕と死神くん、それから里奈と仲良く暮らしている。
里奈とは付き合っていくうちに、このまま結婚したいね、という話になり同棲を開始した。
両方の実家に挨拶にも行った。初めて里奈の実家に行った時は死ぬほど緊張した。何度も里奈に変なところはないか確認してもらったぐらいだ。呆れて笑われてしまったけど。会ってみたらとても快く僕を受け入れてくれた。お義父さんなんて会って早々に里奈のアルバムを持ってきてくれたのだ。歓迎度はかなり高かった。僕の両親も里奈にとても好印象を抱いているみたいで、普通に話しているのを見て安心した。
里奈が大学を卒業したら結婚するの?と両方から問い詰められて、さすがに里奈と話し合わないとなんとも、という曖昧な回答をした。
「私は就職して安定してからがいいかなぁ」
「僕もそっちの方がいいと思う。せっかく大学行ったんだし、やりたいこと決まってるなら結婚は後回しでもいいよね」
里奈はまだ大学三年の冬休み中だ。就活も卒論も残っているし、これからが一番忙しくなる時期だ。
「臨床心理士だっけ?」
「うん。だから病院勤めになるかな」
リビングのソファーに座り、二人でゆっくりとお茶を飲む。
心理学部の就職先は病院、児童相談所、学校のカウンセラーから始まり、小売業も多くいる。
その中でも里奈は心理士を選んだ。
「辛そう、とか思ったりしなかったの?結構大変そうな仕事だけど」
「うん、思ったよ。でも、それ以上に助けたい人がいたの。」
「助けたい人?」
「私ね、よく見る夢があるの。」
「夢?」
「うん。その夢で、私はいつもある男の子と出会うの。その男の子はいつも悲しい表情をしてて、私はいてもたってもいられなくて話しかけるの。大丈夫?って。でも、その子は悲しい表情のまま。私が、何か嫌なことあったの?とか、話聞くよ、とか言っても口を噤んだままで、何も話してくれない。そして、そのままどこか遠くへ歩いていってしまうの。追いかけたいのに、足が動かなくて、ただ遠ざかっていく男の子を見つめてるだけ。そこでいつも目を覚ます、そんな夢。」
「その男の子に実際現実で会ったことはあるの?」
「うん。あるよ。今、目の前にいる」
「…僕か」
「蓮とよく似てる子ってだけかもしれないんだけど。年齢も今の蓮より幼いし。」
前に話した、里奈の過去を思い出した。
里奈もまた、僕らと同じように、生まれ変わりを繰り返していた。
僕は前の生まれ変わりの記憶なんて微塵もない。死神くんから聞いて初めてわかる。
でも、里奈は少しだけ残っていたのかもしれない。これまで繰り返していた人生の一部が。
いつも、助けられずにいたことを後悔していたのか。
生まれ変わり達は、人に頼ることすら諦めていたのだろうか。話を聞いてくれる人が近くにいたのに、助けを求めなかったのだろうか。
「ずっと、誰なんだろうって思ってたけど、あの日、蓮と会った日にようやく見つけたって思った。私が、ずっと助けたかった人。
でも実際は、蓮に助けられてばっかりなんだよね、私。」
あはは、と力なく笑った。
「僕、何かした?」
「うん、いっぱい助けてもらった」
「そう?自分じゃあんまりわからないけど」
「蓮はそのままでいいの。」
とん、と肩に里奈の頭が置かれた。
「今度こそ、蓮に辛いことがあった時、助けられるようになりたい。だからこの職業に就こうと思ったの。」
「じゃあ、これから僕が里奈に頼ることはないかな。」
「どうして?」
「これから僕に辛いことは起きないよ。仮に死にたくなるほど嫌なとこがあっても、守るべき存在があるのに、死ぬことに逃げるなんてできないからね。」
「そういう時は無理しないで欲しいんだけどな」
「うん。無理はしない。ただ、そういう未来が今は見えないんだ。」
「そんなに今幸せなの?」
「うん、幸せだよ。」
里奈の前髪をかき分け、額にキスをした。
「卒業して、社会人として慣れてきたら結婚指輪買いに行こうね。」
「うん、楽しみにしてる」
同棲開始から五年くらい経った頃。
今では里奈も職場に馴染んで多くの患者さんを抱えている。
「今度、ホテルのディナーでも行こうか」
なんて事ない平日の朝、朝ごはんを食べている時に僕から切り出した。
「えっ」
里奈は一瞬驚いて、それから満面の笑みを浮かべた。
「うん!行く!」
いつもつけているリングのアクセサリーで指のサイズはもうわかっているから、残すは婚約指輪を渡すだけだ。
「空いてる日分かったら教えて」
「わかった。後で確認するね。じゃあ私そろそろ時間だから行くね」
玄関まで送り、いってらっしゃいと行ってきますを交わした。
自室に戻り、小さな箱を開け、輝く指輪を確認してからリモートワークに入った。
クリスマスイブ。
僕らはホテルのオシャレで煌びやかな料理や空間をひとしきり楽しんだ後、予約していた部屋に入った。
二人とも、もうあとは寝るだけという時、僕は小さな箱を取り出した。
「里奈」
「ん?」
アメニティーの紅茶を楽しんでいた里奈の前に小さな宝石の輝く指輪を差し出した。
「僕と、結婚してくれませんか?」
里奈は目を見張り、口元に手を当て、何度も僕と指輪を交互に見る。驚きが隠せないようだ。
「予想はしてたんだけど…ごめん、泣きそう」
じわりと目に涙が浮かび始めた。
「う、嬉しいね、これ。予想以上に嬉しい」
「受け取ってくれる?」
ぶんぶんと取れそうなほど首を縦に振る。
「もちろん!受け取ります!ありがとう…!」
涙を拭いながら満面の笑みを向けてくれた。
「嵌めてみてもいい?」
「うん」
ケースから取り出し、薬指に指輪を通した。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
しばらくぼーっと指輪を眺めていた。
「気に入ってくれた?」
「うん、一生大事にする」
「はは、そう言って貰えると長時間悩んだ甲斐があったな」
「可愛い、綺麗」
「次は結婚指輪だね」
「そうだよね、結婚指輪…!」
とても嬉しそうにしているその表情を見れるのが、僕は一番幸せだ。
死神くん、見てるかな。君が繋いでくれた僕らの魂は、ようやくハッピーエンドを迎えられそうだよ。
その後結婚式を挙げ、僕らは夫婦となった。
「百人目」
「あれ、久しぶりだね。なんだい?」
死神くんがしばらくぶりに姿を現した。
「まずは、結婚おめでとう」
「ああ、ありがとう。おかげさまで」
「今広瀬は?」
「仕事行ってるよ」
「じゃあ、ちょうどいいか」
「どうしたんだい?」
「ずっと言おうと思ってたんだが…」
言いずらそうに目を逸らされる。
「なんでも聞くよ」
「俺の生きていた時の記録を、探して欲しい」
「死神くんの記録?」
「お前が産まれる前の話だ。俺の魂が、まだこの体にあった時」
「…いいけど、どうして急に?」
「最近、時間の流れが早く感じて…もう、お前で最後なんだと思ったら、自分がどんな風にこの世界に刻まれたのか知りたくなった。」
「わかった。調べておくよ。里奈には見られたらまずいんだよね?」
「俺のこと自体隠して欲しいくらいだ。一度会っているから、もしかしたら記憶にあるかもしれない」
「なるほど。気をつけるよ」
「助かる」
そう言うと、死神くんはすぐに姿を消した。
ついこの間までずっと一緒だったのに。
里奈と結婚してから、あまり姿を現してくれなくなった。気を遣われているようだけど、僕は寂しいばかりだ。
早速パソコンで休憩がてら調べることにした。
「佐原蓮 殺人事件」
検索欄に入力してボタンを押した。
死神くんと関わりがありそうな事件は割と上の方に出てきた。
クリックして調べていく。大方、書いてある記事は死神くんが話したことと同じだった。
二〇××年×月×日。殺されたのは日本人とドイツ人のハーフの男性。無職。同性のパートナーがいたが、別居生活。パートナーは大手製薬会社の副社長。
死神くんとの血縁関係は皆無。事件との関わりもなしとされて終わった。
殺された男は実の息子である少年に性的暴行、虐待を繰り返していた。
容疑者の少年は少年院に七年間収容されるはずだったが、事件後一年で心不全を起こし死亡。
「……あれ?」
初めて知る情報を見つけた。
亡くなった少年の父親にあたる大手製薬会社副社長の佐原薫は、裁判所に控訴。
血縁関係でない息子だとしても認知できなかったことや少年にされてきた数々の仕打ちはとても非人道的であり、殺人事件として起訴されることはおかしいと申し立てた。
控訴審判決は無罪となり、少年の遺骨は少年院から佐原薫へ渡された。
「そうだったのか…」
今度は佐原薫を調べてみた。
事件当時彼は四十代で、今はもう還暦を迎えている。
僕は佐原薫にメールを送った。
自分が佐原蓮という名前で、あなたのご子息に関することを知りたい。近いうちに会えないだろうか、という内容。
こんな有名人に接触できるかどうかわからないけど、行動しないことには変わりない。
今の僕には、全く関係ないこと。これは、死神くんの人生の延長線。でも、どうしても知りたい。
僕のこの心臓は、元々死神くんのものだ。紛れもない、死神くんから貰った人生を、僕だけが謳歌するなんて僕が嫌だ。彼に調べる術すらないのなら、僕が代わりにやらずして誰がやるんだ。
メールの返信を待つ間、仕事そっちのけであらゆることを調べた。
物好きな人が随分と細かく調べたみたいだ。事件現場のマンション、被害者の名前、裁判の内容、この事件に関する情報を一覧にしてサイトに載せてあった。
佐原薫からのメールは割と早く返ってきた。送った日の夕方には会うことを承諾する内容のメールが届いていた。
感謝のメールを返し、死神くんを呼んだ。
「死神くん、近くにいる?」
数秒待っていると、目の前に姿を現した。
「なんだ」
「君のこと、調べたら出てきたよ」
「嫌な内容だったのに、悪いな。どうだった?」
「うん。君の、佐原姓をくれた父親を見つけた」
「……そうか」
「死神くんの判決を控訴して、無罪にしてくれてた」
「無罪…?」
「君は、間違ってなかったみたいだよ」
「俺の、あの過去はずっと、間違いなのかと思ってた。お前にも、わからないって言われてたし。でも…そうか。もう、とっくの昔に許されてたのか」
「今から二十年前。君が死んで、僕が生まれ変わったすぐあとのことだよ」
「まだ、二十年前なんだな。よかった。この世界が、元の時間に戻る世界で。」
「ああ。おかげで会いに行けることになったよ」
「俺のもう一人の父親に、伝えて欲しいことがある。頼んでもいいか?」
「待った」
「なんだよ」
「僕は通訳者になる。だから、君も立ち会ってくれ。その方がお互いの話ができるはずだよ」
「向こうが俺の存在を認めると思うか?」
「認めなくても、僕は君の生まれ変わりなんだ。少なくとも、君の存在を証明する義務があると思ってる」
「……証明か」
「確かに佐原蓮が存在していたことをちゃんと現実に残しておこう、君の主張含め。」
「…そうだな」
佐原薫とは昔ながらのレトロな喫茶店で落ち合った。死神くんは僕の少し後ろに隠れるようにしていた。佐原薫は真面目で誠実そうだけど、堅そうだな、というのが第一印象だった。
「初めまして、佐原蓮です。本日は貴重なお時間を頂きありがとうございます。」
「こちらこそ、こんな場所で申し訳ないね」
「いえ、とても雰囲気があって僕は好みです」
会話は滞りなく進んだ。
「早速本題に入るのですが、僕は佐原蓮という少年が二十年前に起こした殺人事件を調べていました。」
「そうみたいだね。私の息子も、君と同じ名前だったよ。なんの因果かな…」
「……とても信じていただけない話なのは承知の上でお話をしますが、僕は、あなたの息子の生まれ変わりです」
「…ほう」
「同じ名前なのも、同じ容姿なのも、偶然ではありません」
「生まれ変わり…君が、蓮なのか」
「はい」
「私の話を、順を追って話させてくれないかい?」
「もちろんです。その事が聞きたかったですから」
「私が初めて息子の存在を知ったのは、警察からの事情聴取だよ。始めはなんのことか本当にわからなかった。籍を入れた男がいることすら忘れていたくらいだからね。その男がまた死んだと来た。大混乱だったよ。色々起きたから、私も調査に協力するようになった。仕事はしばらく休職した。息子は、蓮は、いつの間にか裁判にかけられて、有罪判決を下されてしまった。当時の私は面会をする勇気なんてなかったから、ずっと蓮と話せなかった。なんで殺人を犯したのか聞くべきだったのに、私は逃げてしまった。今思えば向き合うべきだったんだとわかる。後悔してもしきれない。本人と向き合えない代わりに、私は警察や弁護士なんかに何があったのか聞き回って情報を集め始めた。裁判では蓮の殺人罪だけスポットを当てられていたが、真実は違かった。蓮は、ずっとあの男にひどい仕打ちをされていた。聞くだけで身の毛もよだつような、想像すらしたくない事実だよ。証拠も見せて貰ったからね。それなのに、蓮は為す術なく人生を終えた。生きていた期間はたった十五年だ。学校にも通わず、ただ閉じ込められる人生だった。しっかりとした教育を受けていれば、きっと弁明もできたはずだ。拙い言葉で、沢山説明したのに全て理解してもらえなかったのだと思う。そのせいで、蓮は少年院で無駄な時間を過ごした。私の調査が、一年も掛かってしまったせいだ。もっと、私が早く調べていれば、少しは楽しい人生を送らせてあげられたかもしれないのに。今も申し訳ないと思っている。蓮が亡くなったことを知って、私は急いで控訴したよ。判決に時間は掛かったがね。でも、無実を証明することができた。おかげで遺骨は私の元に届いた。あの子がせめてあの世で安らかに眠れるように、普通の墓を用意したかったんだ。そんなことで許してもらえるとは思ってないが、それでも私にできることは全てやりたかった。私が招いた事件だと言っても過言では無い。きっと、私は君に恨まれていると思う。それでも、私は蓮のことがどうしても放っておけなかった。あの子は書類上だとしても私の子供でもあるんだ。だから、ずっと話をしたかった。…以上だよ。」
後ろから、死神くんのずず、という鼻をすする音と、嗚咽を抑える音が聞こえてくる。
「そうだったんですか。……ありがとうございます。とても貴重なお話を聞けました。少し質問をしたいのですが」
「ああ、構わないよ」
「被害者の男とは、なぜ籍を入れたのですか?」
「…単純な話だ。女性との関係が当時めんどくさくてね。両親は跡継ぎが欲しかったようで、仕方なく打開策を取った。お互いの利害の一致が生んだ産物だ」
「利害の一致、ですか」
「ああ。私は両親や周りから結婚の話をされることが無くなる。向こうの男は私が生活を支える代わりに一切私に干渉しない、という一種の契約だった。それが、いつの間にか代理出産で子供を作り、あんなことをしていたなんて…情けない話だ。幼児性愛者なんて知らず、取り返しのつかないことを…」
「被害者の男性とはどこで出会ったんですか?」
「行きつけのバーだよ。私は常連だったのだが、向こうは初めてだったようでね。おすすめの酒を聞かれたんだ。そこから話すようになった。私もまだ二十代で、駆け出しのサラリーマンだったんだ。向こうはフラフラ飲み歩く売れないバンドマンだったかな。お互い、ないものねだりで仲良くなった。友達で止まっておけば蓮が産まれることも、事件が起こることもなかったかもしれないのに。」
「…ありがとうございます」
「いいや、こちらこそ聞いてくれてありがとう」
「最後に、僕から預かっている伝言があるんです」
「伝言?誰からだい?」
「生まれ変わりの僕ではなく、亡くなってしまった佐原蓮からです」
「なんだって?君は、私の息子とはまた違うのかい?でも、一体、どうやって…」
「彼は、今ここにいるんです。姿は僕しか認識できません。ですが、伝えたいことがあるみたいなので、この場をお借りしてお伝えしたいと思ってます。」
「君は蓮じゃないのか?」
「はは、ややこしい話になってしまうので、細かい説明は省きますが、僕は今、ただの一般人です。犯罪を犯したことも巻き込まれたこともない、事件を起こした佐原蓮の記憶も持たない、ただの佐原蓮という男です。
ですが、あなたの息子である佐原蓮の魂が僕の体に宿っています。あなたの子どもである彼は今、僕の後ろにいます。あなたの話を聞いて、泣いてます。なぜかは聞いてないのでわかりませんが、多分、嬉しいんだと思いますよ。ずっと、独りだったみたいなので」
佐原薫は目を見張り、僕の背後と僕の顔を交互に見る。やはり、簡単に信じられる話ではないだろう。
「死神くん」
後ろを振り向く。
「待ってくれ、まだ、話せない」
あの日と同じような顔だ。いつか過去の話をした、公園のブランコに座って泣きじゃくる彼の姿。
「僕はいくらでも待つよ」
「そこに、いるのかい?」
佐原薫が指を指す。ちょうど、死神くんが立っている場所を。
「…はい。いますよ。今は死神として存在してるみたいです。僕は生まれた瞬間から死神くん…佐原蓮と一緒にいるんです。まだ泣いていて落ち着くまで待って欲しいそうです」
「……そうなのか。蓮は、私に怒っていないのかい?」
「その様子はありません。少なくとも、怒りや恨みなんかを持っているようには見えないので」
「それは…よかった」
佐原薫は安心したように胸をなでおろした。
「死神く…佐原蓮は、ずっと僕のそばにいた大切な友人なんです。しつこく話しかけて、ようやく仲良くなれたんですけど、本当に優しくて面倒見がいいんです。きっと、生きていたら頼られる存在だったと思います。」
「そうか…そうなのか…」
佐原薫は少し涙ぐむような声色になり、目頭を押さえた。
「おい」
死神くんが横に立っていた。どうやら気持ちの整理ができたみたいだ。
「では、薫さん。伝言をお伝えしますね。」
「待ってくれ、録音しても良いだろうか。君の言うことが本当なら、一言一句忘れたくないんだ」
「もちろんです。」
佐原薫は急いでスマホを取り出し、録音機能を起動させてテーブルの上に置いた。
「では、始めますね。」
「…佐原、薫」
死神くんの言葉を復唱する。なるべく口調も同じように。
「俺はつい先週まで、あなたが今どこで何をしてるのか、どんな人だったのか、何も知らなかった。でも、生まれ変わりが俺の事を調べてくれたんだ。
俺は、生まれ変わり以外に触れるものがない。だから、依頼する形で。
あなたの話を、今聞いてて思ったことは…よくわからない。まだ、言葉を知らないだけかもしれない。でも、嫌な感情じゃない。嬉しいというか、感動というか、そういうのに近い何か。
ずっと、生まれ変わりすら信じられなかった。それぐらい、人間不信だった。あなたのパートナーは、人間じゃない、何かだった。でもそれはあなたを責める理由にはならない。だから、責任は感じなくていい。
ようやく今の生まれ変わりを人として信じられるようになった。だから、過去の事件のことを話した。
生まれ変わりには感謝してる。否定も、拒絶も、軽蔑もしなかった。真実を受け入れてくれた。でも、今のあなたの話を聞いて、感謝すべき人は、もう一人いたことを知った。
血縁者でない俺に、苗字を与えてくれた。親として、無実を証明してくれた。家族なんて、無縁の人生だった。親だって、兄弟だって、生まれ変わりを通してでしかわからない。でもあなたは、紛れもなく俺の親だって、今わかった。俺を認知してくれて、ありがとう。
心不全で死んだのは、死神になるためだ。こんなこと言っても信じて貰えないだろうけど。
もっと、早く知りたかった。俺をちゃんと見てくれる人がいたこと。ずっと誰にも必要とされてないと思ってた。こんな汚れきった犯罪者に、誰も興味なんて持たないし、消えて欲しいに決まってるって、勝手に思い込んでた。
嫌なことばかりの人生だった。
もしも、俺がまだ生きてて、あなたみたいな親が俺の無実を証明してくれて、温かく少年院からでてきた俺を迎えてくれて、幸せな家で暮らせたら、あなたも、俺も、生まれ変わりも、みんな違っていたかもしれない。もう、二度と叶わない話だけど。でも、そういうことを想像できるようになれて、嬉しく思ってる。
俺の親は、生物上二人いるはずなのに、誰なのか今もわからない。親なのか、人間なのかすら、わからない。今も鮮明に覚えてる。地獄みたいな日々を。
でも、血縁者じゃなくても、書類上だとしても、あなたは俺の父親です。その事実が、俺にとってはこの上ない幸せです。繰り返して言うことになるけど、俺を認知してくれて、無実を証明してくれたこと、心から感謝してます。ありがとう。父さん」
「だそうです。」
佐原薫は途中から声を殺して泣いていた。
「礼を言うのは、私の方だ。ずっと、恨まれていると思ってたんだ。なのに、こんな…」
「あいつは…あの殺した男は恨むよりもっと酷いことを今でも抱えてる。でも、あなたには感謝しかない。恨むなんて、失礼だ。」
「とも言ってます。」
「蓮、こんな私に、そんな優しい言葉をくれて、ありがとう。父親だと、認めてくれてありがとう。これからも、蓮の父親でいていいかい?」
「ああ、願ってもないことだ。今度生まれるなら、あなたみたいな人の元に生まれたい。もっと、家族との幸せな時間を過ごしてみたい。」
「らしいです。」
「……ありがとう。これで、心置きなく死を待てる」
「薫さんはもうご退職されてるんですよね」
「ああ、もう還暦を迎えた身だよ」
「僕からはもうないのですが、今日はもう大丈夫ですか?」
「一つ、頼みたいことがあるのだが、いいかい?」
「はい」
「月に一度でいい、また、こういう場を設けていただけないだろうか。私にとっては、ずっと叶わず諦めていたことなんだ。まだ我儘を言えるのなら、時間が許す限り蓮と話をしたい」
「死神くん」
横に立つ死神くんに目を向けた。
「俺はいつも暇だ。お前に合わせる。…俺も、話したい」
「わかった。薫さん、僕の都合になってしまいますが、いつでも大丈夫だそうです。月に一回でなくても会いたいみたいなので」
「本当かい?ありがとう、蓮くん。今後とも、よろしくお願いするよ」
「いえ、こちらこそ」
その日はそのままお開きになった。
いつの間にか喫茶店のお代は支払われていて、僕は本当に会いに行っただけになった。
「どうだった?いい結末迎えられたみたいだけど」
「そうだな…本当に、これ以上ないくらい、胸がいっぱいだ。これも、お前のおかげだ。ありがとう。」
「大したことしてないよ。君の人生だ。君に不利があるのなら僕は助ける義務がある。まあ、義務じゃなくてもやるけどね」
「そうか」
人通りの少ない道を二人で歩いていく。死神くんは横でふわふわと浮かびながらずっと小さな笑みを浮かべている。
「君にもちゃんと幸せが訪れて良かった」
「……そうだな。お前のおかげだ」
「またいつでも頼んでよ」
「…また、会う時に頼む」
「うん」
よく晴れた青空の下を、ゆっくりと、一歩ずつ歩きながら帰った。
薫さんと何度か会うようになってから数ヶ月。季節が秋に入りかけた季節に、僕ら二人の間に娘ができた。名前は「凛音」にして欲しい、と僕から里奈に頼んだ。里奈は二つ返事で了承してくれた。
凛音が産まれてからは時間の進みが異常に速かった。
色んな人に支えられながら子育てをした。
右も左もわからない僕はほとんど里奈に言われるがままだった。産休を取ったはいいものの、僕はほとんど家事の手伝いしかしなかった。
里奈はずっと凛音の夜泣きで疲れ果てていた。
それもあっという間にすぎる訳だが。
凛音は五歳になって、段々手がかからなくなっていった。
時間は風のように過ぎ、僕らが変わらずに過ごしていれば気づいた時には凛音は二十歳になっていた。
薫さんとはずっと会っていた。でも、喫茶店で会うことも時間が経つにつれて難しくなっていった。それでも、たくさんの時間を死神くんと会話することに使った。
いつの日からか薫さんの自宅に招かれるようになった。でも、月に一度、という約束は段々と守れなくなって、会う頻度は少なくなった。
半年に一回、年に一度、三年に一度。少なくなる会話。僕が行けない時、死神くんは薫さんに会いに行っていたみたいだ。
会話ができなくても、最期を看取りたいと、そう言っていた。
凛音が結婚相手を連れてくる頃、薫さんはこの世を去った。
お葬式には参列せず、後日お墓へお参りにいった。
僕らも気づけば還暦の歳になって、凛音は結婚して今は別の地域に住んでいる。
里奈と僕は老後生活を楽しんでいた。
幸せな毎日だった。
昔と比べて、死神くんと過ごす時間よりも家族と過ごすことが増えていった。
本当に時間は止まってくれないのだと、つくづく感じる。
どんどん体は老いて、いつの間にか腰やら足やらが弱って普通に歩くことも難しくなった。
「百人目」
「なんだい?」
「お前、老いたよなぁ」
「はは、そりゃあ老いるさ。もう君とも何年一緒にいる?」
「八十五年だな」
「そうだろ?そんなに長生きできた生まれ変わりはいたかい?」
「いないな。…お前だけだ。こんなに安心して最期を看取れるやつは」
「僕は幸せ者だ。もう長くは無いけど、大切な人達に見送ってもらえる。里奈には悪いことをするけどね。でも、こんなに嬉しいことはないよ」
「本当に老いたな」
「この歳になると色んなことに悟りを開き始めるんだよ」
「俺はいつまで経っても子供のままだったのに。人生って不思議だな」
「君は他の人と会話をしてこなかったからね。人間は、色んな人と出会い、理解し、認め合いながら成長するんだよ」
「……そうか」
「死神くん、僕は死んだ後も君にまた会いたいと、心から願っているよ」
「どうだろうな。死神としての使命を終えた後のことはよくわからない。俺を死神にした男にもずっと会ってない。だからまたお前と会える可能性は限りなく低いと思う」
「うん。そうだとしても、の話だよ。」
にゃー、と家の中で寝ていた二代目すいくんが膝の上に飛び乗ってきた。もうこの子も十歳を超えて、僕らと同じおじいさんだ。
春の暖かい日差しを浴びながら、二人と一匹でベランダに並び日向ぼっこをした。
「言い忘れないうちに、言っておきたいことがあるんだった」
「なんだ?」
「死神くん、生まれてきてくれてありがとう。
君の人生は、悩むことも迷うことも沢山あったと思う。でも、君は僕らを通じて大きく成長したと思うよ。僕は君のことを全部知ってるわけじゃない。でも、死神くんと過ごした日々は、かけがえのないもの宝物だと僕は思うよ。」
「……ああ。こちらこそ、俺の正体を暴いてくれてありがとう。おかげで今こうして苦しまずにお前の人生を見守れている。お前と生きる人生が一番楽しかったよ。今までこんなに話した生まれ変わりはいなかった。お前のことは生まれ変わりの中でも、一番好きだった。」
とても寂しそうに死神くんは笑った。
その夜見た夢は、本当に幸せな夢だった。
今までの記憶を全て遡る夢。
きっと走馬灯なんだろうけど、僕にとっては幸せな夢だったんだ。
一番古い赤ちゃんの頃の記憶。ギフテッドとして苦しんだ少年時代。何となく過ごした青年時代。死神くんが初めてプレゼントをくれた日。死神くんと打ち解けて妻と出会った日。初めて猫を飼った日。一世一代のプロポーズをした日。新婚旅行。薫さんと出会った日。娘が生まれた日。愛してやまない娘の初めての誕生日。入学式、運動会、卒業式。娘が婚約者を連れてきてくれた日。娘が結婚した日。孫ができた日。妻との銀婚式。孫の誕生日。そして、死神くんと過ごしたさっきまでのなんて事ない時間。
僕の人生は、紛れもなく幸せだったよ。
出会ってくれて、ありがとう。
またいつか会える日を、ずっと待ってるよ。
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