第39話 約束(イーサン/クリフEND)

 エヴァンとは雨が上がってから公爵邸に戻った。

 翌朝も何もなかったかのような自然さで顔を合わせて会話でき、アイリスの魔法は問題なく掛かっているようだった。


 そして、アイリスはイーサンとの婚約準備の話し合いのため、再び皇宮を訪れた。


 話し合いを終え、イーサンと二人きりで庭園を歩きながら、アイリスは昨晩知ったエヴァンの想いと願いについて、イーサンに打ち明けた。


「──私、罪を犯したわ。本当に馬鹿だった……」


 今思い出しても、自責と後悔の念で涙があふれてくる。

 この気持ちは、きっと一生忘れられないし、忘れてはならない。


 イーサンもエヴァンの苦しみに満ちた恋情を思うと、胸をつかれるようだった。

 そして、やるせない思いで魔法を掛けただろうアイリスのことも思いやらずにはいられなかった。


 イーサンがアイリスの肩をそっと抱き寄せる。


「それなら俺も同罪だ。アリアだけの責任じゃない。君の後悔は俺も一緒に背負う」

「……ありがとう、クリフ」


 想いを貫くことの難しさを痛感しながら、二人は互いに重さを分け合うように肩を寄せ合った。



◇◇◇



 そして半年後、晴れてアイリスとイーサンは婚約を結び、その喜ばしい知らせが国中に発表された。


 二人の仲の良さは貴族の間だけでなく、平民の間でも有名だったが、それはハローズ菓子店の看板娘エミリーから発信される噂のおかげでもあった。


 アイリスの好きな人が実は皇太子だったと教えたときは驚きのあまり、また倒れそうになっていたが、二人の恋の成就を心から喜んでくれた。そして、二人の仲の良さを下町中に広めると言って、広報役を買って出てくれたのだ。


 そうして、「イーサンはアイリスにお願いされたら何でも叶えてくれる」「誕生日にはアイリスをイメージした最高級のクマのぬいぐるみを特注してプレゼントした」「他の人が見ていないとすぐに抱き上げてキスをする」「実は二人だけの秘密のあだ名で呼び合っている」……などなど、二人の仲睦まじさを存分に広めてくれている。


 たまに、やや誇張が強いものもある気がするが、別に困るような内容でもないし、特に注意することもなくそのままにしている。


 アイリスは、ハローズ菓子店から届けられた「皇太子殿下♡アイリス様 ご婚約記念」のお菓子詰め合わせから、ジャムクッキーをひとつ摘んで、イーサンの口元に差し出した。


「はい、あなたはこれがお気に入りでしょう?」

「覚えててくれたのか、ありがとう。うん、美味い」


 アイリスの手からそのままぱくりと頬張って、イーサンが満ち足りた顔でジャムクッキーを堪能する。


「お前はチョコクッキーが好きだろう? ほら、食べさせてやるから口を開けて……」


 アイリスがあーんと口を開けたとき、後ろからさっと大きな手が出てきて、チョコクッキーとアイリスの口の間に壁を作った。


「婚約したからってはしゃぎすぎじゃありませんか、イーサン殿下」

「あ、公子……」


 アイリスの背後から、銀髪紅瞳の美しい青年がにこやかに顔を出す。


「まだ婚約者なだけで、アイリスは我がフィンドレイ公爵家の大事なお姫様なんです。あまり俗っぽい振る舞いはやめていただけませんか?」


 エヴァンはそう言ってイーサンを牽制しつつ、アイリスの頭を優しく撫でた。


 今は魔法の使い方を思い出したイーサンが、アイリスにテレパシーの魔法でこっそり尋ねる。


(公子には、お前を実の妹だと思う魔法が掛かっているんだよな……?)

(そうよ。間違いなく掛かってるわ)

(それでこれなのか?)

(……ええ、つまり正真正銘の妹思いシスコンってことよ)

(それはそれで厄介だな……)


 これは婚約しても先が思いやられそうだとうなずきあっていると、エヴァンが不機嫌そうに眉をひそめてイーサンを睨んだ。


「何を見つめ合っているんです?」


 エヴァンに詰め寄られたイーサンがさっと立ち上がって謝罪の弁を述べる。


「申し訳ない、アイリスがあまりにも可愛いものだから、つい周囲への配慮に欠けてしまったようだ」

「まあ、その気持ちは分かります。ただ、今後は気をつけていただけますか。少なくとも結婚式までは」

「ああ、気をつける(少なくとも公子がいそうな場所では)」


 最後の言葉をテレパシーでアイリスにだけ分かるよう付け加えると、アイリスが噴き出しそうになって慌てて口元を押さえた。


 わざとらしく真面目な顔をしていたイーサンだったが、少し真剣みを増した表情でエヴァンに語りかける。


「……もしかしたら、公子は私にアイリスが奪われたと感じてしまうかもしれない。だが、公子が大切に守ってきたアイリスを必ず生涯大事に愛し抜くと誓う。だからどうか私を信じて任せてもらえないだろうか」


 イーサンの真っ直ぐな眼差しをエヴァンも真剣な表情で見つめ返す。そして、何かが吹っ切れたように、ふっと柔らかな笑みを漏らした。


「……分かりました。殿下になら、安心してアイリスを任せられそうです。どうかよろしくお願いいたします」

「ありがとう、感謝する」


 それからエヴァンは「ですがまだ節度は守ってください」と最後に釘を刺して去っていった。


 二人きりになった部屋で、アイリスがイーサンを愛おしげに見つめる。


「約束を守ってくれてありがとう」

「違う、アリアが俺の願いを叶えてくれたんだ。すべて忘れていた馬鹿な俺を見捨てずに、ずっと愛し続けてくれた。本当にありがとう」


 イーサンに艶やかな黒髪を優しく撫でられ、アイリスがくすぐったそうに微笑む。


「今世ではたくさん幸せになろうね」

「ああ、約束だ」


 前世では一度しか交わせなかった口づけを、今世では何度だって繰り返そう。

 そう思いながら、二人はゆっくりと唇を重ねた。


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