第40話 もうひとつの約束(エヴァンEND)
「なあ、いいだろ? 俺たちと一緒に遊びに行こうって」
「ほらほら、絶対楽しいからさぁ」
職場の店を出て数十歩のところでナンパ男ふたりに捕まってしまった少女は、内心で深い溜め息をついた。
この男たちに絡まれるのは、これで三度目だ。
最初のときは、いちいち返事をして相手をしてしまったものだから職場を知られ、そこから名前も知られてしまった。
二度目のときは、とにかく「ごめんなさい」「今急いでいるので」としか言わずになんとか無事撒いて帰宅することができた。
だが、三度目となるとどうすればいいのだろう。
きっぱりと「迷惑です、やめてください」と言えばいいのだろうか。でも、二対一であることを考えると、変に怒らせたくはない。
ここは完全に無視してやり過ごしたほうがいいのかもしれない。
……そうだ、これまでは中途半端に会話してしまったから、押せばなんとかなると誤解させたのかもしれない。もう何も答えず、目も合わせずに逃げてしまおう。
少女はそう考え、男たちに目もくれず無言で走り出した。
きっとこれで脈無しと考えて諦めてくれるはず。
そう思っていたのに。
「待て! 逃げるな!」
「おい、こうなったら無理やり連れてくぞ!」
少女は焦った。
こんなはずではなかったのに……!
できる限りの速度で走り、必死に逃げる。
絹のような銀色の髪を靡かせて、全速力で階段を駆け下りた。しかし……。
「ほら、もう逃げられねえぞ」
片方の男が階段を飛び降りて少女の行く手を遮ってしまった。後ろを振り返れば、もう片方の男が階段の上で退路を塞いでいる。
……失敗した。
少女は直前の自分の行動を後悔した。
無視せず大声で「やめてください」と叫べばよかった。
階段なんて使わずに、大通りのほうに行けばよかった。
そうしたら、見回りの騎士か誰かに助けてもらえたかもしれないのに。
けれど、後悔してももう遅い。
前後に囲い込まれ、行き場を失って固まっていると、男たちがニタニタと嫌な笑みを浮かべて近づいてきた。
「おいおい、無視しないでくれよぉ。大人しくついてきてくれれば、悪いようにはしないんだからさぁ」
「そうそう、俺たち仕事で可愛い子を集めてるだけだから。ちゃんとお金も出すし、菓子店なんかで働くよりずっと稼げるから」
おそらく彼らはただのナンパ男ではなく、若い女性を攫って娼館や外国に売り飛ばす裏稼業の人間だったのだろう。
まさか白昼から堂々とそんなことをするとは思わなかった。
もう、逃げられないのだろうか。
憧れだったお店で働けて、毎日がとても楽しいと思っていたのに。
こんな男たちに目をつけられたばかりに、夢も希望もない場所で働かされなければならないのだろうか。
……そんなのは嫌だ。
男二人が相手だって、最後まで抵抗してみせる。
少女は階段を上がってきていた男に向き直ると、思いきり男を突き飛ばした。反撃されるとは思っていなかった男は、バランスを崩して転げ落ち、角に頭をぶつけて気を失った。
「このアマ! 下手に出てりゃいい気になりやがって!」
階段の上側にいた男が激昂して少女の銀色の髪を掴み上げる。痛みに思わず悲鳴をあげると、男がにたりと嫌らしい笑みを浮かべた。
「おお、いい悲鳴だ」
「離して!」
少女が両手でどんどんと男の体を叩きつける。しかし、少女の細腕などまったく気にもならないようで、男は楽しげに笑って彼女の両腕もひねり上げてしまった。
「痛がる顔もいいじゃねえか。こりゃたっぷり稼がせてもらえそうだなぁ、アイリス」
ああ、もうダメかもしれない。
アイリスと呼ばれた少女がそう思いかけたとき、男の首筋に長剣の鋭い刃があてがわれ、触れた場所から赤い血が流れ落ちた。
「彼女から手を離せ。さもないとお前の首が胴体から離れることになる」
剣の持ち主の低く冷え切った声が響く。その声には一欠片の情けも感じられず、命令を聞かなければ男は確実に殺されるという確信があった。
男もそれを感じ取ったようで、アイリスの髪から手を離し、両手を上げて剣の持ち主を振り返った。
「はは……その制服は騎士様ですか? この娘は俺の恋人でして、ちょっと我儘言うものだから躾けてやろうと思っ……ぐはっ!」
男のヘラヘラとした言い訳が逆鱗に触れたようで、騎士が男の頬を容赦ない勢いで殴り飛ばす。男は軽石のように吹き飛んで、階段の隅で白目を剥いて気絶した。
「この子がお前の恋人のわけないだろう、クズが。それに僕なら何でも我儘を聞いてやる」
騎士が剣についた血を払って鞘におさめる。
そして、アイリスに向き直って、ガーネットのような紅い目を優しく細めた。
「怖かったね、もう大丈夫だよ……アイリス」
アイリスがぽかんとした表情で騎士を見上げる。
夜空のような漆黒の髪に、紅い瞳、そして信じられないくらいに整った顔立ち。
彼は間違いなく、皇都一の騎士と名高いセドリック卿だろう。
皇族専属の近衛騎士である彼が、なぜこんな下町にいて、自分のような平民を助けてくれるのだろうか。なぜ、大切なものの名を呼ぶように、アイリスの名を呼ぶのだろうか。
真昼間から夢でも見ているのかと思いながら、目の前の美しい顔を見つめ続ける。すると、どうしてかセドリックはみるみる頬を赤く染め、恥ずかしそうにこめかみを掻いた。
◇◇◇
アイリスの淡い紫色の瞳で見つめられ、セドリック──エヴァンは懐かしさと愛おしさで胸がいっぱいになった。
前世と変わらないその美しく輝かしい瞳。髪色は昔とは違うようだけれど、銀色もよく似合っている。何といっても、前世の彼女と自分の瞳の色がそのままなうえに髪色がそっくり入れ替わっているのが、どこか運命のようで嬉しい。
(……でも、彼女は前世を覚えていないみたいだけど)
前世の記憶があるなら、あのクズの犯罪者たちの好きに襲われるなんてことはなく、髪を掴まれたりする前に魔法で叩きのめしていたはずだ。
それに、自分と目を合わせても、まったくピンときている様子がない。
(この再会に喜んでいるのは僕だけなんだな……)
そう思うと、つきんと胸が痛んで寂しくなる。
前世のアイリスも、イーサンにクリフの記憶がないと知ったときはこんな気持ちだったのだろうか。いや、900年も待ち続けていたのだから、きっともっと辛かっただろう。
自分なんて、これが最初の転生なのだから大したことない。
それに、よく考えたらアイリスには前世の記憶なんてないほうがいいのではないか。なぜなら前世の記憶があるということは、クリフやイーサンのことだって覚えているということなのだから。
(……それなら、今世では僕だけを見てもらえるかもしれない)
前世では記憶を改竄してもらい、アイリスの兄として生きることを選んだが、今世では……。
先ほど痛んだ胸が、すぐまた早鐘を打ち始める。
(今世のアイリスは一体どんな子なんだろう)
エヴァンも最近になって前世の記憶が甦ったばかりで、アイリスを見つけたのも本当についさっきのことだから、まだ今世のアイリスのことは何も分からない。
ただなんとなく、またこの辺で暮らしているような気がして探していたところ、彼女から見える霧の色で気がついたのだ。前世では嫌だと思ったこともあったこの能力に、このときほど感謝したことはない。
前世と変わらない、綺麗な薄紫色の霧。
何より特別なその色を目にした瞬間、世界が新しく生まれ変わったような気がした。
彼女のことを、少しでも早く、少しでもたくさん知りたくて気が逸る。
けれど、あまり前のめりになっても引かれてしまうかもしれない。今だって、クズ二人に絡まれていたところなのだから。
(あいつらはしばらく目を覚まさなそうだな。あとで警邏隊に知らせて牢屋にぶち込んでもらおう)
極寒の眼差しで男たちを睨んだあと、またすぐに表情を和らげてアイリスに視線を移す。
すると、彼女の手がぶるぶると震えていることに気がついた。さっきは気丈に抵抗していたようだったが、やはり怖かったのだ。
彼女の恐怖を少しでも和らげたくて、エヴァンはそっとアイリスの手を取って握りしめた。
「僕がいるから安心して」
手を繋いでいると、アイリスの温もりが伝わってきて、心の距離まで少し近づいたような気がする。彼女も恐怖が落ち着いてきたのか、先ほどよりも和らいだ表情でエヴァンに微笑みかけてくれた。
「あの、助けてくださってありがとうございました。お礼が遅くなってすみません」
「気にしないで。君が無事で本当によかったよ、アイリス」
そう言ってエヴァンも微笑み返すと、アイリスが遠慮がちに尋ねてきた。
「あの……もしかして、アイリスさんという妹さんがいらっしゃったりしますか?」
「えっ、どうして……?」
どきりとして聞き返すと、アイリスがどこか恥ずかしそうな表情で答えた。
「なんていうか、"アイリス" って仰るときの声がすごく優しいので、ご家族に同じ名前の方がいらっしゃるのかなと……」
なんだ、そういうことかと思いつつ、そんなに声に表れていたのかとも思って照れくさくなる。
そうだ。アイリスが今度もまたアイリスという名前だったのが嬉しくて、愛おしくて、どんな名前より大切に呼びたくなる。
「……アイリスという妹はいないけど、この名前の響きが好きだからかもしれない。いい名前だよね」
自分の名前を褒められたのが嬉しいのか、アイリスの頬がほんのり赤くなる。
「私も気に入ってるんです。ちょっと畏れ多いですけど」
「畏れ多いって?」
「実は、私の名前は魔塔改革を実行したアイリス皇后から取った名前なんです。あ、ご存知ですか? 200年前の……」
「……うん、知ってるよ。とても素晴らしい皇后様だよね。後世のためにいろいろ力を尽くしてくれて」
アイリスから尋ねられ、エヴァンが懐かしそうに目を細める。前世のアイリスは、本当に偉大な皇后だった。
魔塔改革では、これまで不可侵の領域のように扱われていた魔塔のベールを剥ぎ取って、後ろ暗い行いを明らかにし、健全な魔法組織となるよう導いた。
そして、古代竜の封印で魔法使いが犠牲になることがないようにと、イーサンと二人で魔法書と戦術書を書き記していたが、後世の記録からするに、それも上手く役立ったようだ。
「伝記を読めば読むほどアイリス皇后が凄すぎて……私も名前負けしないように頑張らないと」
「大丈夫、君もきっと素晴らしい人になれるよ」
──だって君は、そのアイリス皇后の魂を持っているんだから。
そう思いながら笑顔で励ますと、アイリスは少しの間じっとエヴァンを見つめ、ふと思いついたというようにぽつりと呟いた。
「──なんだかエヴァン様みたい」
「え……?」
「あ、突然すみません……。エヴァン様というのはアイリス皇后様のお兄様なんですけど、伝記によるとすごくお優しい方で、騎士様と瞳の色も同じだしなんとなく似てるような気がして──……えっ、騎士様!?」
アイリスが驚いて目を丸くする。
なぜなら、たった今まで笑顔だった騎士が、突然涙を流したからだ。
「どうしたんですか? 大丈夫ですか、騎士様……?」
心配そうに見つめるアイリスから泣き顔を隠すように、エヴァンが片手で顔を覆う。
「ごめん、急に……」
「いえ、すみません、私が何か気に障るようなことを……」
「違うんだ。ただ……すごく泣きたい気分になって」
記憶がないはずのアイリスが自分を見て「エヴァン」を思い浮かべてくれたこと、彼女の口から「エヴァン」という懐かしい響きを聞けたこと。それが無性に嬉しくて、切なくて、気づけば涙が流れていた。
早く泣き止まなければと思うのに、なかなか涙は止まってくれない。
結局よく分からない感傷にしばらく浸ってしまったあと、エヴァンがやっと涙を拭って顔を上げた。
「……待たせてごめんね」
「いえ、大丈夫ですか?」
「うん、もう大丈夫。そういえば、君はきっと家に帰るところだったんだろう? 危ないから僕が送るよ」
またさっきのようなろくでなしに出くわしては大変だ。
今世のアイリスも驚くほど可愛らしいから、ひとりで歩かせるのは危ない。
「あの、でもご迷惑では……」
「迷惑なわけがない。市民の安全を守るのも騎士の仕事だし──僕が君を守りたいんだ」
「そ、そういうことでしたらお言葉に甘えて……」
頬を染めてうつむくアイリスの手を引き、大切なお姫様をエスコートするように階段を降りる。
「それじゃあ行こうか」
「はい、お願いします」
それは、いつかの日のように自然でしっくりくる仕草とやり取りで、たとえ記憶がないとしても、やっぱり彼女とは神秘的な縁で繋がっているのだと思う。
(ありがとう、アイリス。僕とまた会ってくれて。僕との約束を守ってくれて──)
エヴァンはアイリスの小さく柔らかな手を握りしめながら、この新しい人生に感謝した。
『転生魔女が運命の恋人との前世の約束を叶えるまで』
END
転生魔女が運命の恋人との前世の約束を叶えるまで 紫陽花 @ajisai_ajisai
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