冬の華と秋の華

話を聞く限り、この病室にもともと居た男女はどうも私の両親みたいだ。いやいや、そんなわけがない。いくら私が記憶喪失をしていたとて、まさか自分の両親が記憶の中から完全に消え去るだなんて、そんな訳…。


壁から煙が立ち上るんじゃないか、と思うくらいに一点を見つめて考え込んでいると、二人と先生は「少し席を外すから、ゆっくりしていてほしい」と言い立ち上がった。


その数秒後の事。突然病室の横開きのドアが「ガン!」と開いて、自分と同い歳くらいの男性が凄い勢いで部屋に飛び込んできた。


「未来くん!ちょっとストップ…!」


制止をかけられたその男性は、どうやら名前を未来と言うらしい。突然の訪問に対し、素っ頓狂な顔で驚いている私を見て、彼は先生の方へと振り向き「冬華の怪我、どうなんですか!?」と問い始めた。少し間があった後先生が「冬華ちゃんはちょっと待っててね」と言い残し、四人共に部屋から退出して行った。


彼は誰なんだろう。それもそうだが、なんだか私一人だけ違う世界に来てしまったのではないかと、変なファンタジー思考に染まってしまうくらいに孤独を感じる。孤独感が時に大波と小波になって襲ってくる。


2分から3分ほど経った時、先生が一人だけ戻ってきた。彼はおもむろに部屋のテレビを付け「少し見ていてね」とだけ言って、また駆け足で部屋を出た。

目を覚ましてから、絶え間なくボーっとする感覚がある。それに今は「ポカン」が加わって更に力が入らない。そんな私が只々、付けられたテレビを観ていると丁度CMから番組本体に切り替わった。


カメラは当初、緑が映える芝生の真ん中を移していた。画面はそこから少しずつ引きで映す画角へと移り変わって行く。その後完全に「引きの画面」になり、真ん中に池のあるどこかの広い公園のような場所が映し出された。続いて画面の真ん中あたりに「秋華賞」という文字と京都・芝2000mという文字が大きく浮かびあがる。画面にばかり気を取られていたが、テレビの音の方にも気を向けてみると、ハキハキと喋るとても心地よい男性アナウンサーと思われる人の声が聞こえてきた。


「秋の淀に3歳牝馬トップホースが集結」云々と、高揚感がとても伝わる言い回しと声で、専門的な用語を幾つか含むアナウンスをしながら、男性はその後もそれを続ける。私は違和感なくアナウンサーの声を聞き、穏やかに画面を見ている。というよりも先程目を覚ましてから一連の時間において、一番リラックスして時を過ごしているのを不思議と感じた。


目が覚めてからココまでで分かった大きな事象が2つある。私は記憶喪失をしている「らしい」という事と、競馬に対し何か親近感を抱いた、という事。


逆に分からない事も2つ。1つ目は私が…記憶喪失をしている「かもしれない」という事。だとしても何故、どうしてなのかが全く分からない。理由や経緯も含めて…。


そしてもう1つは、未来という男性が誰なのかという事。彼からは両親と言われている二人から感じる「愛情」と思われる空気感に近いものを「観測」できている気がするのだが…何故なのだろうか。


「秋の華、なんか私の名前みたいだな」

不安の真っ只中にいる私だが、テレビに映る秋華賞を見ながら、上記独り言を呟いた。


一応自分を「保って」はいるようだ。

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